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朝敵、まかり通る  作者: 伊賀谷
第六章
33/45

原田左之助

「大変だ。先生が一人で行ってしまった」

 正雪は旅籠の主人から手渡された鉄太郎からの書き置きを読んで大声をあげた。

「まだそう遠くへは行っていないはず。すぐにあとを追おう」

 市が荷をまとめ始める。

「お、お、お」

 石松も居ても立ってもいられない様子だ。

「だが、先生はああいうお人だ。行っても追い返されるのが関の山ではないか」

 正雪はどじょうひげを弄りながら思案する。

「だからと言って放ってはおけない。鬼童衆はまだ二人いるんだぞ」

 いつにもない市の強い語気に正雪は()された。

「ま、まあ、ここにいても仕方がない。とりあえず向かいながら考えるとするか」

 正雪も旅の支度を始めた。


 三人が旅籠を出て少し行くと一人の男が佇んでいた。

 股引(ももひき)半纏(はんてん)を羽織った姿。

 槍の(つか)を首の後ろに通して肩にのせて、柄に両手をかけて案山子(かかし)のような格好で立っている。

 よく見ると、槍の両端に同じ長さの鋭い穂先(ほさき)がついている。いわゆる石突(いしつき)がないのが独特な形状だ。

「敵か」

 正雪が首にかけた竹筒をのぞこうとしたとき。

清水次郎長(しみずのじろちょう)の子分の市ってのはその女かい」

 陽に灼けた精悍な顔に短く刈った髪。なにより目をひくのは右頬にある古い刀傷。

 幾度か死地をくぐり抜けてきたような面構えをしている。

 ただ、その顔が発した声は思ったより陽気なものであった。

「おまえは」

 正雪が声をかけたときには、猫のようなしなやかさで目の前まで近づいて来ている。

 槍の男が人懐っこい笑みを浮かべるのと、槍を構えたのは同時であった。

 市が抜刀と同時に四つの斬撃を繰り出す。

 槍が旋回して、硬い木を打つ音が鳴った。

 槍の男は飛びずさった。 

 きな臭い薄煙がたち昇る槍の柄の後ろで笑みを浮かべている。

「初見で市の抜き打ちをすべて受けた」

 正雪が信じられない顔をする。

「よし。この攻撃は覚えておるな」

 槍の男は満足げに言い残して背を向けて駆け去って行った。

 正雪と石松は呆気に取られて男の姿が消えて行くのを眺めていた。

「正雪」

 正雪が振り向くと、市は仕込み杖を抱くように持って眉をひそめている。

「今の男は藤沢宿にいた僧か」

「おまえが斬った奴らか」

「ああ」

 正雪は市が何を言っているのか理解しかねている。

「いや、坊さんには見えなかったぞ」

「何かおかしい」

「どうした」

「藤沢で斬った僧と同じ者のような気がした」

「坊さんはおまえがみんな斬っちまっただろ」

 市はまだ考え込んでいる。

「あたしがおかしなことを言っているのは分かっている。実は、藤沢で斬った八人。すべて同じ人間のように思えたんだ」

「一体どういうことだ」

「あたしにも分からない。だけど、もしかしたら――」

「鬼童衆の忍法かもしれんか」

 市はゆっくりうなずいた。

「ど、ど、ど」

 石松が東海道の先を指さす。

「そうだな、石松。すでに鬼童衆の仕掛けが始まっているかもしれない。早く先生に追いつこう」

 三人は早足に街道を歩み始めた。


 一刻(二時間)ほど、山岡鉄太郎とお満は東海道を駿府に向かって歩いていた。

 杉皮葺(すぎかわぶ)きの甘酒茶屋があり、鉄太郎は立ち止まって店の様子を何気なく眺めた。

 店の前の縁台に股引に半纏姿の男が一人座っている。

 お満は歩みを止めずに進んで行く。

 縁台の男が腰を折って屈んだ。草鞋の緒に手をやろうとする。

 その時、男の肩が店の壁に立て掛けてあった長い棒に触れた。

 棒が倒れて来る。

 棒は槍であった。穂鞘(ほさや)はついておらず、穂先が陽光にきらめく。

 鉄太郎は目を見開いた。

 槍の穂先がちょうどお満に斬りかかるように倒れてくる。

 お満は気づいていない。

「――くっ」

 鉄太郎は踏み込んで、すんでのところで槍の柄をつかんだ。

 お満が驚いて振り向く。

「危ないところであった」

「ありがとうございます」

 二人は安堵の表情を浮かべる。

「いやあ申しわけありません。槍の手入れをしておりまして」

 陽気な声で縁台に座っていた男が声をかける。

「気をつけられよ。危うく大怪我をするところであったぞ」

 鉄太郎の口調は幾分きつくなっていた。

 槍を男に差し出す。

 男は右頬に古い刀傷があった。槍を受け取る。

 そそくさと穂先に革の鞘をかぶせる。

 鉄太郎の目をひいたのは、その槍が両端に穂がついている珍しい形状であることだ。

「左様でしたな。何かお詫びをせねばなりませんね。そうだ、ここの甘酒はうまいですよ。おれが払いますんで、飲んで行ってください」

 先ほど自分が座っていた縁台の埃をはたく仕草をして、二人に座るようにうながす。

 命の危険を脅かしたにしては幾分軽い態度に見受けられる。

「いや遠慮しておこう。拙者たちは先を急ぐゆえ」

 鉄太郎が去ろうとする。

「あれえ、旦那。どこかで」

 男の声に鉄太郎が振り向く。

「やっぱりそうだ。山岡鉄太郎さんだ。おれですよ、原田左之助(はらださのすけ)です」

 鉄太郎は怪訝な顔をしたが、男の顔に見覚えがあった。

「……そなた浪士組(ろうしぐみ)にいた」

「そうです。京に向かう道中はお世話になりました」

「たしか近藤勇(こんどういさみ)試衛館(しえいかん)道場の者たちと京に残ったのではなかったか」

 記憶がしだいに蘇ってきた。

「へい。旦那はご存じですかね、新撰組(しんせんぐみ)って」

京都守護職(きょうとしゅごしょく)であらせられた松平容保(まつだいらかたもり)公のもとで京の不逞浪士(ふていろうし)を取り締まったと耳にしている」

「江戸にまで聞こえておりましたか」

「まあ、剣呑な話も流れてきたがな」

「へへ」

 かつて山岡鉄太郎は盟友であった清河八郎(きよかわはちろう)に誘われて、将軍警護の名目で浪士組を結成して上洛(じょうらく)をした。

 その中に近藤勇の試衛館一派があり、原田左之助はその一人であった。

 そういった意味では因縁浅からぬ仲ではある。

 もともとは伊予国(いよのくに)松山藩(まつやまはん)中間(ちゅうげん)である。武士ではない。

 松山藩からなぞの出奔(しゅっぽん)を遂げて、数年の放浪の末に江戸に辿り着いた。

 どういった経緯で試衛館一派にいたのかも不明な点が多い。

 浪士組はその後、上洛すると清河八郎が態度を一変し、尊王攘夷(そんのうじょうい)の先鋒となることを宣言し、攘夷の勅言(ちょくげん)も得てしまった。

 慌てた幕府は浪士組を江戸に呼び戻した。

 それに反対して京に残留した原田左之助を含めた十数名が後に新撰組となったのであった。

「新撰組はたしかいまは甲陽鎮撫隊(こうようちんぶたい)と名乗って甲府で官軍と戦をしていると聞いていますが」

 お満が話に割って入って来た。

 左之助がお満に目を向ける。

「旦那の奥方さまで」

「いや」

「ではお(めかけ)さんですかい」

「薩摩藩のお方だ。この方の案内で、おれはさる用で駿府に向かっているところだ」

「へえ。こんな美人との道中とはうやましいですねえ」

「そんなことはいい。おぬしは新撰組の仲間とともにいなくてよいのか」

「甲陽鎮撫隊ってのがどうにも気に入らなくてね。おれたちはあくまで新撰組の同士。近藤さんの家来じゃねえ」

 左之助は自嘲気味に笑う。

「それで近藤どのと(たもと)を分かって、ここにいるわけだな」

「そういうことです」

 新撰組の中にも複雑な事情があるのだろう。今の鉄太郎にはどうでもよいことではあるが。

「すいません。長話をしてしまいましたね。おれはお邪魔なようなんでここらで失礼します。旦那もお達者で」

 そう言うと、左之助は槍を(たずさ)えてさっさと東海道を歩き去って行った。

「あの男……」

 鉄太郎はじっと左之助を見つめていた。

「どうかしましたか」

「甘酒を(おご)ると言っておきながら、奢らずに行きおって」

「まあ」

 お満は手の甲で口を押さえて笑い出す。

「ちょうどよい。甘酒を飲んで少し休むとしよう」

「はい」

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