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朝敵、まかり通る  作者: 伊賀谷
第三章
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蓮月

 首筋に刃が当てられている。

 背中の太田垣蓮月は手足を巧妙に絡めて、山岡鉄太郎の体の自由を奪っていく。刃を防ぐことができない。

 ――鬼童衆だと。

 まさに絶体絶命。

 ――いや、面白い!

「ふんっ」

 呼気を吐くとともに地を蹴って宙で前方に回転した。そのまま背に負ぶった太田垣蓮月という女を地面に叩きつけた。二十貫(七十五キログラム)を超える己の体の重さを乗せて。

 しかし着地の前に背中に感じていた重さが消えた。

 鉄太郎は流れるような動きで立ち上がる。同時に抜刀。

 太田垣蓮月はすでに二間(三・六メートル)の距離をとって立っていた。

 みすぼらしい農婦(のうふ)姿をしてはいるが、美しい女だとは思っていた。しかし、氷のように透き通った肌をしていることに気づくと、ますます妖艶美麗さが増して見える。

 ――この女が八瀬鬼童衆の首魁。

 鉄太郎は喜悦の笑みを浮かべた。

 命のやりとり――。

 先の黒厨子闇丸(くろずしやみまる)と中村半次郎との立ち合いで感じた高揚感。それ以上の(たかぶ)りを今のわずかの攻防で感じ始めていた。

「お見事。さすがは徳川慶喜の名代、山岡鉄太郎」

「そちらも、な。太田垣蓮月と申したか。八瀬童子衆の首魁が早くも直々に参られるとは、恐れ入った」

 ――さて、どのような技を使うのか。

 蓮月はいまだ寂然と立っている。武器も持っていない。

 だが、鉄太郎には分かる。蓮月は鉄太郎を仕留めにかかってくる。

「山岡さま、どうしました」

 お満がようやく異変に気づいて近づいて来る。

「この女、鬼童衆だ。下がっておれ」

「え」

 いつにない鉄太郎の気焔(きえん)に圧されたのか、お満は静かに下がって行った。

 鉄太郎は周囲に目を配る。往来はまばら。

 ――ここでやるか。

 となると勝負は一瞬。それだけの技をこの蓮月は持っているのであろう。

「よかろう。化物退治第二番だ」

 刀を正眼に構えた。

 蓮月は腰に差した棒を手に持った。

 棒の両端を握った手をわずかに捻る。左右に引っ張ると、棒は真ん中から二つに別れて中から鎖が伸びた。そして棒の両端から鎌状の刃が突出した。

 ――鎖鎌。この町中で使うのか。

 鎖鎌は長い鎖の両端についた鎌や分銅などを振り回して攻撃する武器だ。広く障害物のない場所で使う方が有利なはずだ。

 このように人がまばらにいる往来で存分に使えるとは思えない。

 ――町人や旅人が傷つくことは気にしないということか。

 蓮月の冷たく深い眼差し。底なしの沼に飲み込まれそうになる。

 ――喝!

 余計なことを考えすぎていた。この立ち合いに集中しろ。

 蓮月が鎖を回した。鎖は半径二尺(六〇センチメートル)の円を描いている。

 回している鎌を飛ばしてくるのか、自ら間合いに踏み込んでくるのか。

 鉄太郎は二つの鎌と蓮月、三つの動きを捉えていなくてはならない。

 音もなく回っていた鎌が射出された。

 鉄太郎の動体視力は鎌の直線的な軌道を捉えて、首を右に傾けて紙一重で避けた。

「お見事」

 蓮月の言葉が耳に届く前に、鉄太郎は猛然と間合いをつめていた。

 手元の鎌を構えつつ、蓮月は飛ばした鎌の鎖を引き戻す。

 ――前と後ろからの挟み撃ち。だが、おれの一刀の方が早い。

 鉄太郎が上段に構えると、蓮月が独楽(こま)のように鋭く回転した。

 伸ばした鎖が瞬時に巻き取られていく。つまり、飛ばした鎌の戻りが加速する。

 ――これは!

 止む無く鉄太郎は背後を振り向いて、目の前まで迫っていた鎌を刀で受けた。

 鋼が噛みあう音。

 鎌を止めなければ、鉄太郎の首は刈られていたであろう。

 だが、蓮月に無防備な背中を晒す格好になっている。

 今まさに蓮月は残る鎌で攻撃してくるはずだ。

「むん!」

 鉄太郎は地を蹴って背後に跳んだ。六尺の巨体を思い切り蓮月にぶつけた。

 まともに当たれば昏倒する衝撃のはずだ。

 ――いない。

 背中に衝撃がない。

 そろりと背後から鎌が首に当てられようとしている。

 ――なに!

 いや、蓮月は背後にいた。背中に張り付いている。鉄太郎と同じように地を蹴って一緒に跳んで、鉄太郎の背中の衝撃を相殺したのだ。かすかに手足を背中に当てている感触があるが、綿(わた)の如く重さを感じない。

 二度目の絶体絶命。

「しいっ!」

 擦過音を発して、鉄太郎は右手で蓮月の鎌を持つ腕を握ると、前方の地面に体ごと叩きつけた。普通であれば腕の骨が砕けて、地面に衝突した衝撃で即死であろう。

 しかし、蓮月は重さがないかのようにふわりと地面を転がって両手に鎌を構えてゆっくり立ち上がった。

 さもありなん。間髪入れず、鉄太郎は必殺の突きを打つ。

 目の前に蓮月の光る双眸(そうぼう)があった。

 ――これは。

 鉄太郎は突きを止めて、刀を引いた。

 蓮月も動かない。

「どうしました」

「誘ったな。ということは、まだなにかの技を隠していると見た」

「さすがですね」

 (びん)のあたりから一筋の汗が流れ落ちた。鉄太郎は全身にじわりと汗が浮き出ていることに気が付いた。

 蓮月は汗ひとつかいておらず、涼やかな様子だ。

 今の二人の対象的な状態だけでも勝敗は見えている。

 ――続けていたら、こちらがやられていたとうことか。

 こちらに近づいてくる者たちがいる。

「おーい。山岡先生」

 蓮月は素早くそちらに目をやって、再び鉄太郎に戻す。

「お仲間が来たようですね。山岡鉄太郎どの、勝負はお預けといたしましょう」

「かたじけない。今回はそなたの勝ちだな」

「わたしはそうは思いませんが」

 蓮月が微笑を浮かべる。

 鉄太郎も笑顔で受けた。

「では――」

「おい」

 振り返って立ち去ろうとしていた蓮月の動きが止まった。

「また会おう」

 鉄太郎の言葉には応えず、太田垣蓮月の姿は人波に消えていた。

「先生! ご無事ですか」

 正雪たちが戻って来た。

「うむ。なんとかな」

「八瀬童子ですか。市も八人の僧侶に襲撃されました。まあ、市がすべて殺しちまいましたが」

「なんと八人を。見事なものだな。おれは八瀬鬼童衆の首魁という太田垣蓮月という女と立ち会った」

「敵の大将が女」

「向こうが手を引いてくれた。今回はおれの負けだ」

「ま、負けたって……」

 鉄太郎の心は晴れ晴れしていた。存分に命のやりとりができた。

 そして、太田垣蓮月とはきっと再び相まみえる。

 知らず、その顔には笑みが浮かんでいた。

「この旅は面白くなりそうだな」

「せ、先生ー」

 正雪は呆れた声をあげる。

「まあ、いいじゃねえか。みんな無事だったんなら」

「せ、せ、せ」

 五寸釘と石松が頷いた。

 能天気な二人を見て、正雪はがくりと首を落とす。

「さて正雪。今日はどこまで行くのだ」

「箱根の関所の手前。小田原宿までは行きましょう」

 正雪は気を取り直して答える。

「では、急ごうか。市とお満も行くぞ」

 鉄太郎一行は藤沢宿をあとにした。

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