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朝敵、まかり通る  作者: 伊賀谷
第三章
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女難

 山岡鉄太郎一行は藤沢宿にいた。

 鎌倉時代から遊行寺(ゆぎょうじ)の門前町として栄えた町であった。この当時、七十軒もの旅籠がひしめいている。

 春の匂いとどことなく漂う海の香りが柔らかい陽光に溶け込んでいた。

 通行人も多い。

 大きな鳥居の近くで座頭たちが列をなして、杖を突きつつ歩いている。

 鉄太郎は何気なくその様子を眺めていた。

「この鳥居の向こうに弁財天が祀られています」

 並んで歩いていたお満が教えてくれる。

「ほう。座頭たちがいるようだが」

鍼術(しんじゅつ)の妙技を授けてくれるらしいのです」

「なるほど」

 鉄太郎が振り向くと、市が仕込み杖を突きながら雑踏の中を器用に歩いている。

「市。どうだ、弁財天さまを拝んで行くか」

 市は鉄太郎の声の方に顔を向ける。目は静かに閉じられたまま。

 座頭たちと同じように市も盲目である。

「お役目の最中ですので、またあらためて参るとします」

 いたって真面目な返事が返ってきた。

 ――清水次郎長の子分たち。

 先の八瀬鬼童衆が一人、黒厨子闇丸との死闘で彼らが思っていた以上に役に立つことは分かった。

 一人一人が気ままに行動しているようでいて、鉄太郎を実に熱心に護衛してくれている。

 鉄太郎だけにとどまらず、お満への態度も丁寧すぎる。

「お満どの。足元が悪いのでお気をつけくだされ」

 正雪がお付きの家来のように振舞えば。

「お満さん、美味しそうな牡丹餅を買ったんでね。ひとつどうだい」

 五寸釘は恥ずかしさを押し殺すように、ぶっきらぼうに話しかける。

「え。これをわたしに」

 石松が摘んできた春の花を無言で差し出したのにはお満も驚いていた。童子のような顔は真っ赤に染まっていた。

 これらは個人的なお満への好意があってのことかもしれないが、それとも清水次郎長の厳命なのか、博徒の仁義というものか。

 彼らの献身的行動の原動力がどこにあるのかは、鉄太郎にとってはいささか謎であった。


 子供たちの一団が前方から砂を蹴散らしながら駆けてきた。

 鬼ごっこでもしているのか、すばしこく大人たちを避けて走っている。しかし、中には小さな子もいて大人たちとぶつかりそうになって立往生している子もいる。

 市もそんな幼子と行き会って右往左往していた。

「おっとこれは――」

 鉄太郎が言うより早く、お満が市に近づいて手をとった。

 幼子は走り去って行った。

「大丈夫ですか、市さん」

「ありがとうございます。あたしには構わずに、山岡先生のおそばに」

 お満は悪戯っぽい笑みを鉄太郎に向けた。

「この人通りの多い町中で八瀬鬼童衆が襲撃してくることはないでしょう」

「しかし――」

「宿場町の外へは正雪さんたちが先に様子を見に行ってくれています」

 その通り。鬼童衆が来るなら宿場町を外れた辺りと見て、正雪は五寸釘と石松を連れて先行していた。

「せっかくの旅です。おなご同士で楽しみましょう」

 お満は市と腕を組んでずんずんと町を歩いて行く。

 店の前で立ち止まっては、(かんざし)などを手に取ったりして楽しそうに笑い合っていた。

 二人ともに二十くらいであろう。まだまだ可憐な年ごろだ。

 鉄太郎はその様子を微笑ましく眺めながらあとに続いた。

「山岡先生は、今朝、薩摩藩士からお満さんを助けてくださいましたね」

「わたしのせいで山岡さまを危険な目に合わせてしまいました」

 二人のそんな会話が聞こえてくる。

 お満をかばった成り行きの上、鉄太郎は中村半次郎と立ち会った。命のやりとりであった。

 半分は半次郎の誘いであったが、鉄太郎の方にもお満への乱暴に対する怒りがあったことは確かだ。

 ――おれもお満の魔性に囚われたか。

「先生はお満さんを大切に思われているのですね」

「わたしはただの立会人です。いなくなったら困るからでありましょう。それに山岡さまには奥方がおります」

 うっとりと若いおなごの会話を聞いていた鉄太郎の脳裏に眉間に皺を寄せた英子の顔が電撃のようの思い出された。

 伸びかかっていた鼻の下を引き締める。

「それに山岡さまは吉原遊郭でもたいへんおもてになっていたようですよ」

「え」

「花魁たちから恋文がひっきりなしに届いていたとか」

「奥方さまは平気なのですか」

「それは――」

 どうやら会話の雲行き怪しくなってきた。

 大きく咳払いをひとつ。

 お満がこちらを向いて、また悪戯ぽく笑っていた。

「もし……」

 美しく澄んだ声に鉄太郎は目を向けた。

 通りの地面から浮き出た石の上に腰をかけた女がいた。氷の彫像のように美麗な女であった。傍らに背負い籠を置いている。

「平塚の方の村から野菜を売りにきたのですが、足を(くじ)いてしまいまして」

「診て進ぜよう」

 鉄太郎はしゃがみ込んで、女の足を見た。

 透き通るような肌をした細くしまった足首。これほど美しい足首は花魁にもなかなか見ない。

「どうされました」

 お満と市がのぞき込んできた。

「あ、ああ。この方が足を痛めたらしい」

 また鼻の下が伸びていないかと鉄太郎はわずかに狼狽した。

「まあ。山岡さま送って行ってあげては」

「うむ。ちょうどおれたちが向かう途中の村に帰るとのことだ。正雪たちとも落ち合うであろう」

 鉄太郎は女の手をとっった。

「立ってみよ。拙者の肩に手を置いて歩くことができるか」

 何歩か進んでみたが、女は辛そうな顔をしている。

「仕方ない」

 鉄太郎は女の前に屈んで背を見せた。

「負ぶって進ぜよう」

「そんな。申し訳ございませぬ」

「遠慮はいらぬ」

 女は恐る恐るという様子で鉄太郎の背に乗った。

 五尺(一五〇センチメートル)ほどの細い体だ。屈強な鉄太郎にはほとんど重さを感じない。

「さあ、参ろう」

 お満たちを振り向くと、二人は怪訝な目で鉄太郎を見ている。

「仕方なかろうが!」

 鼻の下が伸びないように気合を入れつつ。

 ――今日は女難の日か。

 鉄太郎はため息をついた。

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