化物退治第一番(二)
赤い血の糸をひいて腕が飛んだ。
闇丸の左肘から下が斬り飛ばされた。闇丸は二間(三・六メートル)ほど横に飛びすさった。
背後には市が仕込み杖を抜刀して立っていた。市が闇丸の腕を斬ったのだ。
「女! なぜ動ける」
闇丸は絶叫のような声をあげた。
市はなにも応えない。
鉄太朗も身体の痺れがとれ、自由に動けるようになりつつあるのを感じた。己の影を見る。
――影を縫いとめていたマキビシがなくなっている。
「やれやれ。ここはあっしの出番ですかねえ」
五寸釘がいつの間にか木から降りている。右手を振ってなにかを放った。釘 ――五寸釘だ。釘は正雪の影に飛び、闇丸のマキビシを弾き飛ばした。
正雪もつんのめるように動きだした。
――市とおれの影のマキビシも五寸釘が弾いてくれたのか。
「さあどうする」
五寸釘は指の間から三本の釘が生えた両拳を構える。
「ちっ」
闇丸はふたたびマキビシを放つが、五寸釘の放った釘に空中でことどとく弾かれる。
「次はおめえさんの脳天に叩き込むぜ」
五寸釘が釘を投てきしようと構えた。
「このままでは終わらぬぞ。みな殺しだ」
五寸釘が釘を放つと、闇丸は池に跳びこむように木の影に潜った。
「また隠れやがった。だがこんど出て来たらあっしの釘が逃がさねえ」
「よくやったあ、五寸釘」
正雪が手を叩かんばかりに喜んでいる。
またしばらく時が流れた。辺りには春風が木の葉を揺らす音しか聞こえない。
「……逃げたか」
正雪が恐る恐るあたりに目をやる。
「いや、いまここで奴を倒さないとまずい」
「え……、あっ!」
「分かったか。奴は影から影へ自由に動くことができる。日が落ちたら奴がどこから現れるか見当がつかぬ」
鉄太郎は眉間にしわを寄せる。五寸釘と市も焦りの色が隠せない。
しかし鉄太郎は喜びに似た気持ちがあふれて来るのを感じていた。このような命を賭けたやりとりを望んでいた己がいる。
鉄太郎がこの旅に出たのは今のような刹那のためであった。
「ところで正雪。軍師としてなにか策はないか」
鉄太郎の声音はいつものように落ち着いたものに戻っている。
「よくぞ聞いてくださいました!」
正雪は首から下げた竹筒を握って何やら呟いて、いろいろな方向を確認しはじめた。
「コーン!」
竹筒から狐の鳴き声が聞こえた。亜門が鳴いたのか。
「ふむ。分かりましたぞ。あそこです」
正雪が指をさしたのは、黄色い砂塵の向こうに見える、さきほど正雪たちが休んでいたと言ったあばら家だ。障子や壁も朽ちている箇所があり、屋内も少し見えていた。
「家の中は真っ暗じゃねえか。中に入ったら野郎の思う壺だぜ」
五寸釘が呆れた声をあげる。
「――面白いっ」
鉄太郎はあばら家に向かって駆け出した。
「正気かい! あの先生」
「石松、お前も行けっ」
「ふ、ふ、ふ」
正雪の指示で石松がどたどたと走り始める。
鉄太郎は一心不乱に駆けた。
――さあ来い黒厨子闇丸。決着をつけよう。
鉄太郎は真っ暗な家屋に踏み込んだ。
土間から床に駆け上がりながら抜刀。
気合い一閃。
部屋の中心の大黒柱を斜めに一刀両断した。
家の屋根がぐらぐらと揺れたが、しばらくすると収まった。
鉄太郎は上目遣いで天井を見上げる。
「……そううまくは行かぬか」
轟音とともに家の壁を突き破って石松の巨体が転がり込んできた。
その衝撃も加わり、今度は屋根と壁が倒壊した。
埃と砂煙が舞い上がる家の中に白昼の陽が差し込んだ。
「石松。よくやった」
部屋の中に闇丸の姿が浮かび上がった。その表情は驚愕に彩られている。
忍法影渡り――隠れていた影が消えたら姿を現してしまうのではなかろうか。鉄太郎はそれを予想していた。
果たせるかな、その予想は当たった。
「化物退治第一番!」
鉄太郎は袈裟懸けに黒厨子闇丸を斬った。
血飛沫を上げながら仰向けにどうと倒れる。
「まずは一人目」




