楽しみは寝ることしかない
今の世の中、外へ出ることが億劫になる。
蒸し暑い雨の中、一人ぽつんと歩き回る。
冷えた身体に注ぎ込むストロング缶。
握りしめた僅かな銭で将来を語る。
人間だもの、歳を重ねて見る皺が私の現実に蘇る。
多重人格者は多重債務者となり、地獄からスタート地点へと戻る。
やっとの思いで、この注ぎ足した汁を吐き出すような辛酸を私の人生の味なんだと思ふ。
アキレス腱と腰を痛めて寝ることを覚え、ふと目をやるスマホの時刻が私を「あと10分」と。
何度も起きては寝るの繰り返しに夢中で何度も寝過ごしてしまって情けないような、人間失格だと思われても仕方ないような、そんな日常にウンザリしている午後三時半。
怠けるというか、仕事もなく、金もない。或いは、私は何不自由してないつもりだろうが、不自由だと指摘されて、惨めな思いを知る羽目になるまでもがき続ける捕食者となりうるのか、それとも私は何通りの答えの中から自身で選んだルートを踏み間違えてこうなったのかと問いただしたいが。
しかし、この痛みに耐えうる方法は只一つ、寝ることだ。
明日の世界で起きうることは戦争だろうが、平穏だろうが、何より嬉しいことなのかどうかなんてわかりはしない。ただ、この世のことを見るのは疲れていては、出来損ないなのは知っているだろう。
明日は我が身で今日はその祝い金で浮かれた矯正器具をちらつかせた彼女だろうということも。
そこには埋められた愛犬に僅かな世の情を傾けはしないだろうか。
微量の青いブツは何よりも疑わぬ証拠だ。
あんたは早計だったのかも知れぬ。人生を傾けたのも、時期尚早だろうか。
2千本のビール瓶は私の頭にヒットしたんだ。
勘違いしないで欲しい。
泳いでいたのは、貴女だった。