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 時間は朝(?)に遡る。


 ()()()()()(´)()土岐田瑛比古さんはランチタイムに間に合うように出勤した。

 会社に社員食堂があるように、ここ『明知探偵事務所』にも所員の為に食堂がある……訳ではない。

 事務所のあるビルの一階に所長の弟夫妻がレストランを開いていて、昼時に事務所にいる所員はその店でランチをとることが『義務付け』られている。

 美晴さんの愛妻弁当を食べる機会を奪うこの横暴に、当初猛反発した瑛比古さんであったが。その安さ(なんと日替わりランチ一食三百円!)に、次に「それなら、その方が楽かな?」という美晴さんの言葉に、最後にその味に、陥落された。


 ビル自体は所長と弟さんが親から受け継いだ共有財産であるが、ビルの管理にも金がかかり、家賃収入だけでは生活費が賄えない。

 ならいっそここで商売しよう、と兄弟揃って新しい事業に着手した。

 無謀なようだが、二人とも、全く別の職業からの転身というわけではない。

 弟さんは実は某有名ホテルのレストランでチーフを勤めていた、という経歴の持ち主で、さすがに味は素晴らしい。


 が、コスト面でまず壁にぶち当たり、なかなか経営を軌道に乗せることが出来なかった。

 そこで兄弟愛あふれた兄貴(本人曰く)が、少しでも助けになるように、ランチ義務化を思いついた。ちなみに日替わりランチ三百円は、所長が補助金を出す、という形で成り立つ所員特別価格で、普通は六百円である(それでも今は破格だと思える、おいしさではあるが)。


 人が入っている店は人を呼ぶのか、所員以外にも客は入るようになってきた。

 が、それだけで店が繁盛するわけではない。

 どれほどおいしい店でも、毎日同じ店のランチを食べさせられる所員の不平不満を感じて、弟シェフはメニューを改善していった。

 元々フレンチ畑のシェフだったが、和洋中取り入れていき、今ではフレンチ風定食屋という看板が上がっている。


(でも、フレンチ『風』って文法上どうなんだろう? フレンチ自体が『フランス風』の英訳であるから。純粋にフレンチではない、というのがシェフの主張であり、そうなったらしいのだけど。17才の時から瑛比古さん、聞いてはいけない気がして、その疑問、ずっと心の奥にしまっておいた。ある日、キリがズバリ聞いてきた、シェフの目の前で。空気が凍りついた瞬間、ハルが『このフレンチはフランス料理って意味だから。フランス料理風ってことだよ』と答え、瑛比古さんもシェフも、ウンウンと頷いて、その日からソレが正解になっている。もっともハルはフォローしたわけではなく、肯定的に捉えて訳しただけだと、瑛比古さんは知っている)


 おかげで店は何とか軌道に乗れた。

 その恩に報いるため、所員には家族も含めて格安でランチもディナーも振る舞われるようになった。

 今では町内でレストランといえば『明知屋』と言われる名店になったここのランチは、瑛比古さんの職場での(唯一の)楽しみになっている。


 ちなみに、この『明知』は「アケチ」と読み、所長とシェフの名字であり、決してどこぞの有名探偵の名前をもじったわけではない。


 というか、レストランはともかく、探偵事務所に本名とはいえ、こんな中途半端に似た屋号をつけなくても、と瑛比古さんは思う。が、実は所長の本名は明知(アケチ)小太郎(コタロウ)と言う。これは親を恨むべきか感謝すべきか悩む所ではある。というか、絶対狙ってやったろ!? と瑛比古さんは内心ツッコミしてしまう。


 小太郎所長の場合、元・警察官という触れ込みプラス名前が客を呼び、電話帳広告以外には宣伝してないにも関わらず、ソレなりの客足が得られた為、感謝するべきであろう。ついでにシェフは大二郎(ダイジロウ)という。さらについでに付け加えるなら、二人には大した体格差はない。さらにさらについでに、このビルは……そう「明知ビル」という。




「瑛比古、ちょっと待て」

 事務所に入り、出勤簿に印鑑を押すと、時計は十一時五分だった。

 所長の方針で『明知探偵事務所』ではタイムカードは導入していない。探偵事務所という仕事柄、外回りが多いため現場直行直帰が頻繁にある、ということもあるが、どちらかというと所長が出勤簿にこだわっているためである。かつて公務員の多くがタイムカードでなく出勤簿を採用しており、所長は元警察官――地方公務員であるため、出勤簿にハンコを押すことに、一種の儀礼を感じているらしい。


 警察官が探偵に華麗に転身! なんてドラマみたいな話だが、実はそう華麗でもない。

 件のビル相続の折、本当は、所長の奥さんの花代さんが猛勉強して行政書士の資格を取得したので、その流れで当初は行政書士事務所を開設した。折よく(悪く?)、腰を痛めてしまった所長の小太郎さん、思い切って早期退職し、花代さんの仕事を手伝い始めた。

 が、元・警察官、の肩書が効いたのか、いつの間にか本業の「書類作成代行」を依頼に来たお客さんが、ついでに小太郎さんに相談事をしていくうちに、そちらが評判になり……気が付けば、晴れて「明知探偵事務所」開設の運びとなってしまった。


 花代さんの行政書士事務所も実は併設されているので、件数は少ないものの一定数の依頼がある行政書士の仕事もしつつ、結局探偵事務所の経理も請け負うようになり(花代さんは結婚前に市役所の庶務会計課での勤務経験があったので、そちら方面はプロである)、現在に至る。花代さんに懇願されて、実は瑛比古さんも行政書士の資格は持っている。全く書類仕事はしていないが、試験を受ければ(というか受かれば)取れるので。手当を増やしてくれるという約束にホイホイ乗ってしまった。余談である。


 元・警察官と言っても交番勤務が長く、温和な人柄で街でも人気のお巡りさん(でも柔道三段! 腰を痛めた今は、技はかけられないが)だった小太郎さんだが、今日はしかめっ面である。


「何ですか? これから昼休みなんですけど」

 早速一階に降りてランチを頂くつもりであった。が、小太郎さん――所長に止められた。

「まだ十一時だぞ。仕事に来て、仕事しない内に昼休みとるヤツがあるか! まあ、お前は家の用事もあるし、遅く出てくるのは仕方ないが……それにしたって、案件くらい目を通してから行け」

「ダメです。今日は急ぐんで」

「どうした? メイちゃん、具合でも悪いのか? だったらウチのに迎えに行かせるぞ?」

 瑛比古さんには厳しい態度を貫く(よう努力をしているが、貫けたためしはない)所長も、孫娘のように可愛がっているメイのこととなると、途端に甘くなる。



「縁起でもない! メイは今日も元気いっぱいです!」

「ならいいが。小さい子は突然具合悪くなるから、気を付けてあげるんだぞ」

「ご忠告痛み入ります。じゃあ」

「『じゃあ』っじゃない! 待てと言っとろうが!」

「急いでいるんです、って言ったでしょうが!」

「だから、何があったんだ?」

「今日は木曜日! 待ちに待った唐揚げ定食の日なんです!」

「はあ?」


「所長も知っているでしょう。そこらの中華料理屋も敵わない、絶妙なスパイス使いで下味をつけたあの唐揚げを! いや、もっとスゴいのはあの揚げ具合! むね肉とは思えない肉汁! 柔らかさ! 明知屋の人気ナンバーワン! 唐揚げ定食! ランチでは日替りメニューでしか味わえないんですよ! 毎週木曜日しか! 早く行かないと売り切れちゃうんです!」


「……今日は特別にこっちに運んでもらうから、まあ、話を聞いてくれや」


 兄弟のよしみで頼み込んで、でもランチタイムで運ぶ人手がないと言われて、所長自ら一階まで取りに行き(腰を痛めた所長の強い希望で、三階建てながら、このビルにはエレベーターが設置されている。ちなみに三階には所長と大二郎さんの家族、二世帯の住宅である)。


 僕が行きます、と瑛比古さんは言ったのだか、トンズラされたら困るとハッキリ言われて、所長室で留守番させられた。

 まあ、エレベーターで運ぶんだからいいか、と所長室のソファーでふんぞり返っていると、カタカタとワゴンを押した所長が戻ってきた。さっきより、だいぶ表情が柔らかい。


「ほら、とにかく食え」

「ご馳走様です」

 ほかほかの唐揚げ定食に手を合わせ、しっかりおごってもらうつもりで、先に礼を言う。

「まあ、いいけどな」

「あれ? 所長は今日はヘルシーランチじゃないんですか?」


 メタボ対策で、いつもはシェフ特製ヘルシーランチ(これも日替り)を召し上がっている所長である。

 が、目の前には瑛比古さんと同じお膳が、もう一つ。

「うるさい! アレだけ唐揚げ唐揚げって言って誘ったのはお前だろうが」


 元々嫌いじゃないところへ『唐揚げ』コール、普段の摂生で溜まったストレスもあって、つい頼んでしまった。瑛比古さんのせいにして、久しぶりの揚げ物に、心の中でほくそ笑んでいたが、しっかり顔に出ている。やっぱりこの人、探偵に向いていないと思うけどなあ、今更だけど、と思いつつも、瑛比古さんは余計なことは言わず、思考は目の前の皿に集中する。


「うん、美味いなあ」

 目を細めて唐揚げを味わう所長。

「もう、フレンチの枠じゃ収まらないですね、シェフのウデは」

「いや、フランス人は何でも食うらしいぞ。豚足なんかも、普通に食うらしい。カタツムリまで食っちまうくらいだからな」

 唐揚げに舌鼓を打ちながら、料理談義に花を咲かせるお二人様。

 何か大事な話があったはずでは……?


「で、話というのはな」

 あらかた食べ終えて、食後のお茶を啜りながら、所長は、最初の話に戻る。

 時計の針は、そろそろ十二時に近付いている。だいぶ早いランチライムだったが、二人は大満足である。

「お前、丸さん、憶えているか?」

「生活安全課の? 忘れるわけないでしょう? 忘れたころに変な依頼持ってくるし」

「そう。まあ、去年定年になって、今は交番に嘱託で週三回行ってるんだが」

 所長の警察官時代の同期で親友の丸田氏は、何度か依頼人を紹介してくれたことがあり、瑛比古さんも知っている。


「ってことは、事件って訳じゃないんですね」

 丸田氏が持ち込むのは、事件要素のない、個人的な相談事がほとんどだった。

 丸田氏本人の相談ではなく、丸田氏が気にかけて相談に乗っている事のうち、瑛比古さん向きのモノを持ち込んでくる。

 相談料は丸田氏がポケットマネーで払うので、所長は出血大サービスしてしまうため、ほとんど利益にならない。

 丸田氏に限らず、所長は金銭的な部分におおらかというか(はっきり言えば無頓着)、儲けを考えないため、赤字になる案件も多い。

 そこらへんは、経理担当の花代さんが苦労して、所長がどんぶり勘定で依頼を受けないよう、所長単独では依頼人と会わないようセッティングし、金額的な話は他の者が話すように『配慮』している。


 そうは言っても所長の個人的な知り合いは、どうしたって所長と『密談』するようになる。

 だから、所長の知り合いが依頼人だったり紹介者だったりする時は、赤字覚悟でことにあたる――たとえタダ働きとなろうとも、引き受けた依頼には、きちんと応える、それが明知探偵事務所のモットーである。


 もっとも丸田氏が持ち込んでくるのは、ほとんど瑛比古さん単独で対応できる範囲なので、持ち出しはあまりない。

 つまるところ、霊がらみの依頼ばかりなのである。


「事件性があれば、自力で何とかしちまうさ。ただ同然で自分等の仕事押し付けるヤツじゃないからな」

「タダで協力させる人もいますけどね」

「ま、まあ、こっちも色々便宜図ってもらうこともあるから、お互い様、ということでな」

 誰とは言わないが、所長も思い当たった様子で、軽く諌める。


「まあ、これを見てくれ」

 差し出されたのは、一枚の写真。

「なあ、生きてると思うか?」

 単刀直入に、あえて主語を付けずに、聞いてくる。

「……用件も言わず、いきなりですか?」

「先入観が無い方がいいだろう?」

「わかってますよ。ちょっと抵抗してみただけです」


 それは、どこにでもある、スナップ写真。

 満面の笑顔の若い男女が、生後間もないであろう赤ん坊を挟んで写っている。


「で、誰について聞きたいんですか?」

「わかったのか?」

「この写真の中で、生気のない人は、いません」

「みんな生きているんだな?」

「死んでは、いません」

「引っかかる言い方だな? 何だ?」

「依頼したがっているのは、この男性ですか?」

「……いや、そっちじゃない。奥さん、女性の方だ」


 瑛比古さんは、もう一度、写真を『視』る。

 写真自体は、大分前のモノらしい。

 写真の赤ん坊からは、確立された自我が感じられる。

 メイよりも大きい……だがナミより年は下だろう。

 他に伝わってくるのは……喪失……寂寥……孤独。

 求めあう想い……だが存在感がバラバラの方向からきている。

 そばにいるのに、まったく違う方を見ている、感じ?

 男性からは、はっきりと意思が伝わってくる。

 会いたい。

 探して。

 愛する家族を希求してやまない、想い。

 だけど。


「この女性が、本当に依頼してきたんでしょうか?」

「そう言われると、ハイ、とは言えねえな」

「?」

「丸さんが、ほっとけなくなったらしい。この写真はよ、ほら、東中のそばで起きた行方不明事件の家族なんだ。三年前の」

「ああ、あの」

 日曜日の夕暮れ時、公園で起きた神隠し。

「お前は丁度、美春ちゃん亡くして一年くらいで、ハル坊が受験だったり何だりで、忙しくしていたんだよな。丸さん、あの時の担当だったんだ。国際問題がらみかも、なんて思惑なんかもあって、お前に頼む筋の事件じゃないと思ったらしい」

「で、今になって、何で?」

「ま、生きているんだとすれば、やっぱりお前に頼むヤマじゃなかったってこった」

「……確かに、この三人には、霊瘴は感じられません。ただ……」


 ざらつくような、違和感。

 男性が、希求するほどに、女性は、求めていない……否。

 彼女も求めている、彼以上に、強い思いで。

 けれど……。




「彼女は……少なくとも、この写真の女性は、依頼を望んでいません」


唐揚げ定食……好きです。

瑛比古さんは、遅く出勤してますが、出勤しないで実働してる部分もあるので、完全におサボりではありません(が、完全にサボってないともいえないのですが)

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