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「平和公園の怪?」

 すっとんきょうな声を上げて、ハルは聞き返す。

「そう、もう三、四年前かな。中学の側にあるでしょ? ちょっとした遊具がある小さな公園」

 ハルの家とは病院を挟んで反対方向にあるので、子供の頃遊んだことはないが、通っていた中学校の近くにあり、美化活動をしたり、下校途中に水を飲んだりしていた。

 近くに団地があったためか、よく小さい子をつれた母親の団体を見かけた。

「そこで遊んでいたはずの三歳くらいの男の子と、そのお父さんが、突然行方不明になっちゃって。財布も何も持たずに、遊んでいたはずの三輪車を残して……って、あの頃ワイドショーとかでも結構取り上げたりしてたけど……」

「思い出した、あの時の……」

「そう、残された奥さん。いなくなった子、ここで産まれたのよ、私が産科に入る前だけど」

 さすが、病棟の主、看護師長、情報はきっちり押さえてある。

「あの人がここにボランティアに来るようになったのは、一年半くらい前からかな。それで気付いた佐原主任が声をかけたんだって」

「指導者さんが?」

「そう。彼女の分娩、担当したんだって。知り合いだし、お久しぶりですね、って感じで。そうしたら……」

「師長!」

 遮るように部屋に入ってきたのは、当の佐原主任=臨地実習指導者である。午前中、泣き叫ぶ菜摘さんを叱咤激励し、分娩室を追い出された俊明さんに立ち合いのチャンスを与えるよう説得してくれた、とっても頼りになるベテラン助産師……が、今は無表情で、師長を見下ろしている。

「可愛いハルくんとの逢瀬の途中申し訳ございませんが、そろそろ学生のカンファレンスを始めたいので、ハルくんと、この部屋をカイホウして下さい」

 昼休みのあと、小児病棟の方を気にして覗き込んでいるところを師長に見つかり、事情を聴かれてつい、移動図書室にやって来た女性のことを話してしまった。その後、ナースステーションの奥にある面談室に、産科病棟の谷川看護師長が、師長権限でハルを呼び、話をしていたのである。

「すみません。僕が、師長に無理をお願いしたものですから」

「やだなあ、解放と開放を掛けるだなんて、佐原主任ウマイ!」

 素直に頭を下げるハルの隣で谷川師長が茶化す。途端、佐原主任は、笑顔になる、が目は笑っていない。

「お誉めの言葉はありがたく頂戴します。ついでに、その話しは、私が引き継いで土岐田君に話します。イ・イ・わ・よ・ね? ハルくん」

 実習中は公私の区別を付けるため、姓で呼ぶ佐原主任だが、敢えて師長の前で「ハルくん」と呼ぶ、その笑顔がコワイ。

「お願いします……」

 期せずして師長とハル、異口同音で縮こまる。


 前言撤回。


 産科病棟の真の主は、産科一筋ウン十年の助産師、佐原ミチその人であった。


  

 影の産科師長、と呼ばれる佐原助産師が主任の地位に甘んじているのは、ひとえに産科の現場にいたいから、と言うのが大方の意見である。

 この市立病院では病棟と外来の看護師は、割合きっちり業務が分かれていて、ヘルプで外来の補助に入ることもあるが、基本的には所属そのものが違っている。

 しかし、産科については、確保が難しい助産師の有効活用の為に、助産師のみ、外来と病棟を掛け持つシフトが組まれている。

 近い将来助産師外来の開設も視野に入れている為、という噂もあるが、外来受診者の九割りが市民病院で分娩し、しかも陣痛が始まってからの入院になると、本人は痛みと不安で落ち着かず、家族の付き添いがない場合もある。一応必要な情報はカルテで申し送られているが、やはり、外来から入院・分娩までトータルで関われるメリットは大きかった。最近では、市役所と協力して出産後のメンタルケアにも継続的に関わっているという。

 ともかくも、外来で顔を合わせていた助産師達が病棟にいてくれることが、妊婦・産婦の女性達、とりわけ新米ママさん達には心強い、とハルも外来で当の妊婦さんたちに聞いた。

 市立病院であるので、市内に三箇所ある分院と市の保健センター以外には転勤がないため、佐原主任も例に漏れず、助産師としてのほとんどをこの産科病棟で過ごしてきた。


「土岐田君はね、きっちり四〇週〇日に産まれたのよ。小さめだったおかげか、大安産で、こっちが慌てるくらいスンナリ出てきて。お父さん、嬉しくて、面会時間中、ズッと張り付いていたのよ。まさか、自分で取り上げた子が、来年には看護師になるなんて……年を感じるわぁ」

 市立病院で産まれた学生は、例外なく佐原主任の思い出話の肴にされるらしいが、ハルのグループは、ハルだけだったので、集中攻撃である。

 他のメンバーも興味津々で、正直ハルはうざったい。

 個人情報保護や守秘義務はどうなってんだ? と恨めしい気分にもなる。

 それでも、すでに母からは聞くことができない当時の様子を他者の視点から知ることが出来て、少し嬉しい。

 父の瑛比古さんには、改めて聞きづらいし、他人から見た父の様子は意外と面白い。

 そんな佐原主任の頭脳には、ハルに限らず、自分で取り上げた赤ちゃんのことは、家族に至るまでインプットされているらしい。


 例の女性もまた、佐原主任のデータベースに入っていたわけだ。



「そうね、丁度ハルくんの時みたいだったな。」

 実習終了後、ハルは再び面談室で佐原主任と向き合った。

「二八五四グラムの小さめで、初産なのに、陣痛も短くて。ただ、彼女の場合は、予定日より十日早かったけど」

「よく憶えてますね」

 ハルは素直に感心する。

「やだ、全部は憶えてないわよ。顔と名前を見て、初めて思い出せるの」

 顔を見たときは、何となく見覚えがあると思ったが、名前を思い出したのは、見かけてから一週間経ってからだったという。

「最初は、悩んだけどね。事件のことは聞いていたから」

 すぐに声をかけることに、躊躇していたと。

「……物静かな奥さんだった。旦那さんは仕事の都合がつかなくて、面会時間過ぎにくることが多かったんだけど、『スミマセン』ってそっとステーションに声かけてね。ちょっとだけカーテン開けて欲しいって。そういう人は多いから、パパ達には特別に面会してもらっているんだけど、時間外だからって遠慮してね。大丈夫だからって言うと、スゴく恐縮して」

 どちらかといえば、目立たない、印象の薄い感じ。

「でもね、とてもいい顔で笑うの。赤ちゃん抱っこする時や旦那さんが来た時。幸せだな、って感じで」

 見ているこっちが、幸せになれる、素敵な笑顔で。


 ……確かに、そんな笑顔だった。


 穏やかで、やわらかで、ホンワカとした。

 目に見えて華やかさはないけれど、通り過ぎるたびに周りを暖めていく、春風のような。

 

「何て言うか、ある意味平々凡々な人で。悪い意味じゃなく、与えられた幸せを素直に受け取って、喜べるというか、当たり前の出来事を幸せに感じられるっていうか……」

「それって、むしろ、非凡というか……」

 無い物ねだりで平凡な日々を不幸とさえ感じる人間が多い中で、日々の小さな幸せを喜べるのは、一種の才能だ。

 幸せになる才能。

「そうかもね。その理論で言うなら、ハルくんのお母さんは、天才かもね」

「?」

「メイちゃんの生まれる前、内科病棟に入院していた頃、何度か訪室したことがあったの。美晴さん、病気になったのは悲しいけど、赤ちゃんが産まれてくるまでは生きられそうだ、良かったって」

 赤ちゃんはきっと、お母さんのことを憶えてないだろう。

 でもたった一人じゃない、お兄ちゃん達がいてくれる。

 みんなを授かって、とても幸運だった。

 それは、瑛比古さんに出会えたおかげだ。

 別れは悲しいけれど、出会わなかったら、こんな幸せもなかった。

「『だから、私は、幸せなんだなあって思うの』、そう話していた。虚勢じゃないんだよね、美晴の場合は。ある意味、平凡でなく不幸せな生い立ちなのに、自分が不幸せとは思ってないんだなあ」

「あの、今、スゴく親しげに聞こえたんですが……」

「うん、だって中学から一緒だもの、美晴とは」

 助産師になって、初めて一人立ちして受け持ったお産だったんだよ、シャアシャアと驚愕的な事実を告げる。

「まあ、それはさておき」

 そういえば、小さい頃家にも遊びにきていた気がする……なんて考えているハルの思考には頓着せず、話は転換される。

「でね、彼女は、事件のことなんかまるでなかったかのように、笑顔だったから、つい話しかけちゃったのよ」

 お久しぶりですね、と。


「そしたら、言ったの」

「……?」




「『どちら様ですか?』……って」


いよいよ本編のキーワードがでて、ボチボチと関係者も垣間見えてきました。

平和公園というのは、広島とか長崎だけでなく、全国各地にあります。広さも大小様々ですね。

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