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 月曜日。


 朝七時前後ともなれば、一般的に、どこの家庭でも、仕事に行く社会人も、学校に行く児童生徒も、大変忙しい。

 世の中には、朝の準備もばっちり、余裕をもって早起きをしているご家庭も多々あることは承知していますが。

 世の中には、朝からドタバタ忙しく、時間がいくらあっても足りないご家庭も、同じくらい多々あるわけで。

 ここ土岐田(トキタ)家は、どちらかと言うと、後者のご家庭であったりする。


 何と言っても、月曜日は特別忙しい。

 今週もしっかり頑張ろうと声を掛け合い、朝ごはんをしっかり食べて、丁寧に歯を磨き、念入りに服選び……しているわけではなく。

 目は半開き、行動はスローモー、でも時間は待ってくれない、あくびしながら、次にやることを、ワンテンポ遅れで考える、というわけで。

「……っ前ら! いい加減目ぇ覚ませ!」

 一人だけ朝から働き回ってエンジン全開なのは、この土岐田(トキタ)家のお母さん、ではなく。

 いつまでたってもエンスト状態の家族に対して、主夫、兼大黒柱の土岐田(トキタ)瑛比古(テルヒコ)さん、三十八歳、が声を荒げることになる。


「ハル! 今日から実習だろ! キリ! 試験終わって朝練あんだろ! ナミ! ウサギ当番って野菜持ってくのか? ……メイちゃん、テレビはご飯を食べ終わってからね」


 ようやくエンジンがかかり、みんながやるべきことを猛スピードで取りかかり始めたのを確認し。

 ここまでくれば、あとはそれぞれ、勝手に動いてくれるので。

 瑛比古(テルヒコ)さんはゆっくり愛妻と向かい合って、お茶を啜りながら、お喋りを始める。


美晴(ミハル)さん、今日からハルは病院実習です。メイちゃんの産まれた市立病院ですよ。大丈夫かな」

「親父……恥ずかしいからやめろよ。実習は初めてじゃないンだよ」


 二分で朝ごはんを腹に納め、歯を磨きながら服を着る、という器用な技を繰り広げているハルが、横槍を入れる。

「だって、男のお前が妊婦さん、ちゃんと助けられるのか? 迷惑かけるんじゃないのか? だからこうやって母さんに、守ってもらうよう……」

「だーぁ! 男だってみんな実習行ってんの! 気にしてンだから言うなよ! もう行くよ!」


 勢いよくタオルを洗面所に放り込み、勢いよく飛び出した、と思ったら、すぐに引きかえしてきた。

「忘れ物か?」

「今日! 燃えないゴミ!」

 そう言って、キッチンの隅に置いてあった、赤字の指定袋に詰めておいた不燃ゴミを引っ掴む。

 再び飛び出した長男を見送り、愛妻に話しかける。


「いい子に育ったなあ」

「親バカ! 俺も行くよ! 今日は遅いから! 夕飯、肉ね!」


 兄に負けない素早さで支度を済ませ、キリが後に続く。

「贅沢言うな!」

 既に消えた次男の背中に怒鳴りつける、と。


「メイちゃんは、今日は、ハンバーグが食べたいでしゅねー」

 一人娘が、愛らしさ大全開の笑顔で言う。

「そうかー? メイちゃんもお肉がいいのかー、そうだねー、(おお)兄ちゃんも、(ちゅう)兄ちゃんも、知力体力使うしねー、ハンバーグなら、何とか……」

「ったく! メイには甘いんだから!……まあ、僕もハンバーグには、賛成だね。」


 こちらは若干余裕があるので、落ち着いて身支度しているナミ。


 瑛比古(テルヒコ)さんに怒鳴られてはいたが、兄二人に合わせていただけで、実のところ準備万端だったりする。

 というか、朝も瑛比古(テルヒコ)さんより早く目が覚めて、今週の授業の予習などしていた余裕っぷりである。


「チイにいも、さんせいでしゅ!」

 メイの返事に笑み崩れながら、ナミはフムフムと算段し、告げる。

「まあ、予算的なこと考えて……ジャガイモと玉葱はあるし、合挽き五百グラム、付け合わせ用に、にんじん買っといて! 忙しいなら、帰りに商店街に寄ってくるけど」

「あ、多分大丈夫。でも、一個百グラムとして……ハルとキリは二つで、ひい、ふう、みい……って、ナミ、足りるのか、それだけで」

 不安げな瑛比古(テルヒコ)さんの言葉に、ナミはどや顔して見せる。

「任せて!」


「……メイちゃん、にんじんさん、ダメでしゅ……」

 今度は悲しげな妹の声に、ナミは優しげな笑顔を浮かべ。


「大丈夫。この間調理実習でも作ったんだ、にんじんのグラッセ。クラスで一番美味しいって言われたよ」

「ぐらっしぇ?」

「甘くて、柔らかいから。そうだ、形も可愛くしてあげるよ」

「メイちゃん、お花の形がいいでしゅ!」

「うん、お花と、お星さまも作るから、ちゃんと食べるんだよ」

「はい! ちゃんとたべましゅ!」

「うん、メイはいい子だね、じゃあ行ってきます」

「いってらっちゃい」

 妹の頭をひと撫でして、手を振りながら、キャベツのクズ葉の入ったビニール袋片手に、ゆったりと出発していった。


「……どっちが甘いんだか……」

 語尾にハートマークが幾つついているのやら……。

 まあ、メイに甘いのは、土岐田(トキタ)家の男性陣の共通点だから、仕方ない。


美晴(ミハル)さんの遺した、一番の宝物だからね」

 居間全体が見渡せる位置に、仏壇代わりに置いてある、小さな机。

 子供達が作った折り紙の花や動物や、母の日の似顔絵や、運動会でもらった賞状や……いろんな物に囲まれて、その中心で微笑んでいる、穏やかな表情の、三十代くらいの、まだ若い女性の写真。

 瑛比古(テルヒコ)さんが今も愛してやまない、妻の美晴(ミハル)さんだった。


 享年三十九歳。


「もう、四年も経つんだね……。思ったよりあっという間だったよ」

 美晴(ミハル)さんがいなくなったら、どんなに時が進むのが遅くなってしまうんだろうって、不安でしょうがなかったのに。

 それくらい、美晴(ミハル)さんと過ごす時は、過ぎてしまうのがもったいないくらい、本当に、あっという間だったから。

「――きっと楽しいよ、子供の成長なんてあっという間だから、むしろもっとゆっくりって思うよ――って、言ってたもんね。その通りになっちゃったよ。美晴さんは、本当に、何でもお見通しなんだから」

 すべてを見通して、笑顔で旅立っていった。

 愛娘にして愛妹(まないもうと)のメイを、みんなに遺して。


 美晴(ミハル)さんが、自分の命と引き換えるようにして、この世に産み落とした、末っ子のメイ。

 瑛比古(テルヒコ)さんにとっては、大切な、大切な忘れ形見。

 でも、子供達はどう受け止めるのか、正直心配で仕方なかった。

 特に年少のナミにとっては、母親の命と引換に産まれてきた妹を、疎んじても仕方がないと覚悟していた。

 けれど、産まれてきた妹を誰よりも可愛がったのはナミだった。

「お母さんの生まれ変わりだから」

 たびたび、ナミは口にした。

「お母さんは、たとえ赤ちゃんを産まなくても、もう生きられないから、ナミ達とお別れだから」

 だから。

「だから、神様にお願いして、すぐにナミ達の側に帰れるようにして欲しいって。そうしたら」

 たいてい、そこで少し笑った。

「そうしたら、お腹に赤ちゃんが出来たんだって。産まれてくる赤ちゃんの中に、お母さんが入る場所も作っておいたから、大きくなったら、半分くらいはお母さんみたいになるよって」

 このころには、いつも、その大きな目を伏せていて。

「でも、一回死ぬと、なかなか前のことは思い出せないから、大きくなるまで、みんなで守ってね、って」

 半分は当たっている。

 産まれてくる前から性別は女の子だと分かっていたから、成長するうちに美晴(ミハル)さんの面影を宿す可能性は高かった。

 美晴(ミハル)さんが余命僅かだと分かった時には、既にお腹に赤ちゃんがいた。

 中絶すれば、治療して、余命を幾らかでも伸ばすこともできた。

「治療をしなければ……この子が産まれてくるまでは生きられますか?」

 告知された時も、美晴(ミハル)さんは迷わず、延命よりも出産を選んだ。

「赤ちゃんのことを考えるなら、対症療法も限られたことしかできません」

 医師(せんせい)は、はっきり言った。

「胎児への影響を考えると、痛み止めとして使える薬も、かなり制限されてきます。大変な苦痛を伴うことが、予想されます」

 紋切り型の科白だったが、言葉の端々に、労る思いが感じられた。

「痛みによるストレスや身体刺激が、流産や早産を招くこともあります」

 それでも。

 出産前に、命がつきるおそれもあることも理解して、美晴(ミハル)さんは、赤ちゃん優先での治療を希望した。

 主治医も美晴(ミハル)さんの希望を最優先し、産科と協力して、ケアにあたってくれた。

 だから、美晴(ミハル)さんの命は確かに僅かであったけれど、出産の為に、その僅かな命数を縮めたことも事実だった。けれど。


 自分の命を惜しんで、生まれることができるはずの命を見殺しにすることは、美晴さんにはできなかった。

 むしろ、このタイミングで自分に宿った新しい生命に、運命さえ感じた。

 そして、自分の代わりに、土岐田家(トキタ)の光となれる新しい命を産み落とすことに、全てを賭けたのだと思う。

 それは、美晴(ミハル)さんの自己満足だったのでは、という見方もできるかもしれない。

 新しい命をあきらめて治療に専念すれば、数か月、あるいは年単位で、寿命を延ばすことが可能だったかもしれない。

 子供達から母親の存在を奪うことと、まだ知らぬ新しい家族を奪うことと、どちらの方がつらいことなのか……その当時、瑛比古(テルヒコ)さんは、何度も自分に問い続けた。

 そんな瑛比古(テルヒコ)さんの迷いを断ち切るように、美晴(ミハル)さんは言い切った。


「今の私には、この子の未来を奪うか、私の未来を引き継いでもらうかしか、できないの……この子の未来を奪っても、私の未来は、数年しかないのだとしたら、私の未来をこの子にあげて、もっとずっと長い未来を手にしてもらう方が、いいわ、絶対」


 私の未来を奪う、のではなく。

 私の未来を、引き継ぐ。


「だから、私の分まで、この子を愛して頂戴、って」


「お母さんの生まれ変わりだから守って頂戴、って」


 ナミは、賢い。

 母を亡くした当時、まだ八歳だったが、母の話をまるっきり信じられるほど、幼くはなかった。

 けれど、信じた。

 信じて、妹を守ることが、母の願いだったから。

 それでも、癒しきれない悲しさから、何度か泣いた。


 そんなある時、泣きじゃくるナミを抱き締めたのは、まだやっとしゃべり始めたメイだった。

 あれは、美晴(ミハル)さんが亡くなって、じきに二年が経とうとしていた頃だった。

「ちい? いたた?」

 懸命にナミの頭や腹をなでて、

「たあい、たあい、のんでけー」

 痛い痛いの飛んでけ、と舌っ足らずなおまじないをするメイごと、瑛比古(テルヒコ)さんは抱き締めた。

 おまじない、それは、生前に、美晴(ミハル)さんがしていたのと、同じ仕草で。

 二人が愛おしくて。

 それ以上に、メイの中に、(あやま)たず、美晴(ミハル)さんの姿を見出して。

 この時初めて、瑛比古(テルヒコ)さん自身が、メイが美晴(ミハル)さんの未来を引き継いでいることを、きちんと受け止めることができたのだった。

 ナミはますます泣いたし、メイまで泣き出した。

 瑛比古(テルヒコ)さんも泣いた。

 堰を切ったように、声を上げて泣いた。

 何事かと覗きに来た長男次男が見たのは。


「お母さん」と泣く弟を泣いて抱き締める妹。


 二人を抱いて泣く父の姿。


 何となく状況を察し。

 母が死んだ時にも、子供達が泣いていた時も、決して涙を見せなかった父が、声を上げて泣いている……。

 二年経って、やっと泣けるようになったことに、二人は安堵した。


 ……泣きつかれて。

 そのまま寝入ってしまった瑛比古(テルヒコ)さんが目覚めた時、既に日は暮れていた。

 慌ててキッチンに向かう。

 と、テーブルには卵焼きと目玉焼きが五人分、用意されていた。


「冷蔵庫に、卵しかなかったから。ご飯も炊いたから」

 ぶっきらぼうに、ハルが言う。

「俺、目玉焼き焼いた。父さん固めが好みだろ?」

 キリが誇らしげに言う。

 ごはんはべちゃべちゃで。

 卵焼きは甘過ぎて。

 目玉焼きは固めを通り越して焦げていた。


 けれど。

 瑛比古(テルヒコ)さんは「うまい、うまい」と平らげた。

 泣きすぎて、翌日ナミとメイは仲良く揃って熱を出してしまったというオマケがついてきたけれど。

 ナミが母のことで泣くことが、なくなったわけではないけど。

 だんだんと、やさしい思い出になっていったことは、確かだ。

 その日を境に、笑顔でメイに、在りし日の母の思い出を話したり、兄達に尋ねて、嬉しそうに聞き入る姿が増えた。

 母・美晴(ミハル)の思い出を家族五人で笑顔で話せる時間が、少しずつ増えていき。

 

 悲しみは、消えてなくなるわけではないけれど。

 それでも、笑顔で家族五人が過ごす日々を、きっと天国の美晴(ミハル)さんも、笑顔で見守っていてくれるから。


 今朝も、瑛比古(テルヒコ)さんは、美晴(ミハル)さんの仏前に向かって、子供達の様子を話す。

 時には、泣いたり怒ったりすることもあるけれど。


 いろんな出来事を、様々な感情を、美晴(ミハル)さんと共有するのだ。

 大切な、夫婦の時間。




 後日談。

 それ以来ナミはせっせと料理の腕を磨いている。

 今では兄二人よりご飯を炊くのも、卵を焼くのも上手だ。

 よほど兄達の料理に懲りたらしい。

 と言うか、兄二人の料理にたいして進歩が見られないことに、瑛比古(テルヒコ)さんは若干不安を感じている。

 まあ、余談である。


うちも後者の朝バタバタ派です……

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