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「つまり、ずっと見張っていたわけだ。朝から」


 レストラン明知屋(あけちや)の片隅。

 ちょっとした個室空間になるように、衝立(ついたて)で仕切られた奥まったそのテーブルに着き。

 不機嫌な顔で、瑛比古(テルヒコ)さんを睨み付けるハル。


「いや、ずっとじゃないよ、途中から……」

「そうっスよ、ハルくん」

 懸命に弁解する瑛比古さんと小早川クン。


 ハルの気持ちは分からないでもないが、あのまま公園に放置もできず、やや強引に介入し、場を移させてもらった。


 もっともハルの不機嫌さは、単なる怒りより、行動が筒抜けだったことの気恥ずかしさが勝っている気がする。


「まあ、機嫌直して。好きなもの頼めや、私がごちそうするから。君達も」

 笑顔で丸田氏がメニューを示す。

「いえ、あの……スミマセン」

 丸田氏にそう言われては、ハルも、引き下がらずおえない。

「僕、サタデースペシャルランチと、サンドイッチも頼んでいいっスか?」

「バカ! 遠慮しろ! 丸田さんに悪いだろ!」

「ハハハ、いいよ、頼みなさい」

「丸田さん、優しーっス! 土岐田さんなんか、ナミくんのサンドイッチ独り占めなんスから。ハルくんは仲良く分けてたのに」

「バカ! チャボ!」

「やっぱり最初から見てたんじゃないか!」

 小早川クンを怒鳴る瑛比古さん、それをさらに怒鳴り付けるハル。

 苦笑して見ている丸田氏、そして。


 一人、身の置き所がない様子で小さくなっている、サワコさん――佐和子さん。


「あ、ゴメンなさい。知らない人ばかりで、気まずいですよね?」

 我に返って佐和子さんを気にかけるハルを見て、瑛比古さんはミチ姐の言葉を思い出す。


『ハルくんって、って年上受けするのよ。正直受け持ちがなかなか決まらなかったのって、大部屋で争奪戦が激しくて。すっぴん、寝不足の顔なんか見せたくない、だったら受け持ちしてもらうくらいのメリットがなくちゃイヤ、って。誰を選んでも血の雨が降りそうで。スタッフの間では密かにマダムキラーって呼ばれているのよ』


『マダムキラー』と言われても、単に母性本能刺激するだけだろう、うちのハルは優しいから、と本気で聞いていなかった瑛比古さんだったが。

 甲斐甲斐しく佐和子さんを気遣うハルを見て、ちょっと本気で心配になってくる。


 おーい、相手は人妻だよ。

 十歳は年上なんだよー。


 と、心の中で訴える。

 瑛比古さん相手では力は発揮されないのか、ハルは気づく様子もない。

 すっかり佐和子さんに参っている様子だ。


 しかし、さすがミチ姐だなぁ。


 直接見たわけでもないのに、ハルが初対面の佐和子さんに抱いた好意を的確に察している。

 もっとも、それはまだ、明確な想いにまでは育っていなかったはずなのだが。


 公園で小早川クンが『痴話喧嘩みたい』と言ったのもうなづけるほど、今は熱っぽい眼差しで見つめてる。

 それに応えるように、佐和子さんもハルに心を許しているのが分かる。


 ハルが過呼吸に(おちい)った佐和子さんを迷わず抱きすくめたのは、処置として間違っていない。

 いわゆる過呼吸、過換気症候群は、緊張やパニックなど早く浅い呼吸を繰り返すことが主な原因なので、まずは気持ちを落ち着かせたり、ゆっくり腹式呼吸させたり、過剰に息を吸わないようにタオルなどを口に当てたり、と言うのが一般的であり、とっさの対応としてはよくやった、さすが看護師の卵、と言いたいところ、だが。

(ちなみに明知探偵事務所の所員は、社命で救急講習も修了している。瑛比古さんは、プラスアルファで、ハルの机の上にある教科書を読書代わりに読んだりもしているので、やたら詳しくなってしまった)


 衝動的(しょうどうてき)に抱き締めたんじゃないだろうな?

 なんて、邪推(じゃすい)してしまいたくなる、そんな情熱的な抱擁(ほうよう)だった……ハルは、ただただ必死だった、というのが本当のところだろうけど。


 そして。

 佐和子さんが泣き止んだ頃を見計らったかのように、丸田氏から連絡が入った。

 内容を確認し。


 意を決して声をかけ。




 そして、場面は再び、明知屋へ。

 みんなの注文したものや、戸惑う佐和子さんの為にシェフに適当に見繕ってもらった料理がテーブルに並び。

(もちろん小早川クン待望のサンドイッチも)


「佐和子さん。この人達は、私の知り合いで、君のご主人と子供さんを探す協力を頼んだんだ。そこのハルくん……晴比古(ハルヒコ)くんは、偶然居合わせたわけだが、実はこの瑛比古くんの息子さんなんだ」

 テーブルが落ち着いたのを機に、唯一既知(きち)の丸田氏が、佐和子さんに事情を説明をする。


「息子?」

「いや、本当にたまたまで。あなたの様子を心配した丸田さんが、あなたを見守って欲しいと依頼されて、そうしたらコイツが現れるものだから……」

 多少のごまかしは混ぜながらも、瑛比古さん、ある程度正直に話す。


「いえ、その、お気遣いありがとうございます。……てっきり、お兄様かと思っていたので……驚いただけです」

「あ、よく言われます。コイツは長男でして、下に男二人と末の妹がいまして……」

「あー、エヘン!」

 話が脱線しかけ、丸田氏が咳払いする。


「あー、ハイハイ。佐和子さん。もう色々取り(つくろ)うのも今更なので、ストレートに聞きますけど」

「はい」


「……声が、聞こえるんですね? ある人の声が。あなたを責める声が」


 目を見開いて、瑛比古さんを見る佐和子さん。

「スミマセン。さっきの話を聞いてしまいました。申し訳ないけど、真相に辿り着くために、どうしても知る必要があったから」

 瑛比古さんは、深々と頭を下げる。実際は聞こえたわけではない。長年の経験で得たスキルの一つ、唇の動きだけで紡いだ言葉を読む、読唇術(どくしんじゅつ)の成果である。


「ただ、ハルは……晴比古は関係ないんです。コイツはただあなたを助けたい一心で。それを利用したのはこっちの、ズルい大人なんです」

「……私に、双子の妹がいる、ということは?」

「私達は、丸田さんから聞きました。でも、コイツには話していません……コイツは、自分でその存在に行き当たりました」

「どうやって……?」

「佐和子さん。これから話すことは、信じられないかもしれないが、信じてほしいんです。というか、信じてもらわないと、説明できないんです」

「……?」


「ハルは、あなたに向けられた、憎悪を見ました。それが、あなたの妹……希和子(きわこ)さんからのものだと、気付いたんです」


「何故……?」

「……見えたんです」

 ハルが、答えを引き継ぐ。


「ここではない、何処(どこ)かから、あなたに対する憎悪の念を送る人の姿が。その姿をよく見ようと思ったら焦点が合ってきて、見えるようになった。あなたそっくりの目鼻立ちで、でも佐和子さんではなくて。双子なんだ、と思った。佐和子さんに、酷い言葉を投げつけていて……きっと、その声は、佐和子さんにも聞こえていたのかもしれないけれど」


「原理とか、理屈は、正直解らないんです。ただ、ハルには、感情だとか思念だとかが、ほっとけば自分の心が壊れてしまうくらい、流れ込んできてしまう、特殊な感覚があるんです。制御できればいいんだけど、そう上手くいかないんで、全面的に感知しないように普段は暗示をかけている。でも、時々、それを解いて入り込んでくるものがある」


「憎悪……?」

「いいえ」

 佐和子さんの問いに、瑛比古さんは首を横に振る。


「叫びです。助けて欲しいという、魂の叫びが、ハルの心を揺らす。あなたも、きっと叫んでいたはずだ。助けてと。魂が悲鳴を上げていたから、ハルはあなたを助けたいと思った」


「……苦しかった。『お前を許さない、お前のせいだ』って、責められて……来る日も来る日も、『お前の存在が、罪なんだ』って……それが正しい気がして。否定できなくなって。声から逃げるように、色々な思い出の場所を、忘れました。忘れたはずなのに、何故かそこに自分から行っていて。そうすると、また声が聞こえて。どうしてそこに行っているのか、その記憶もあいまいで。時々不意に思い出しては、自分で自分が分からなくて。いっそ、全てを忘れたら楽なのに、って思いながら、夫と子供のことを忘れるのは嫌で、それだけは何とか覚えていたくて」

 もはや(いぶか)りもなく答える佐和子さん。


「あの、もしかして、今、かなり楽なんじゃありません?」

 瑛比古さん、大分落ち着いてきた佐和子さんの様子に、確信を持って、問う。

「……そういえば。さっきから、声を聞いていません。いえ、もしかしたら、ここ2、3日、音が遠い感じがしていたかも」

 ハッとして答える佐和子さん。

「不思議。いつもは、ひっきりなしに聞こえるのに」

「あのね、佐和子さん。さっきのハルの感知能力ってね、あなたにも当てはまるんですよ」

「そんな! 今まで人の心なんか、見えたことあり……ま……」

「あるはず」

 瑛比古さん、断言。


「ただ一人だけ、心が見えたことが、あるんじゃないですか?」

「希和子……?」


「御名答。あなたが感知したものは、希和子さんの思念なんだ。双子の神秘、なんて言葉で片付けていいとは思わないけど、実際にあなた方はお互いの心が判った。あなたは、思念が流れ込んでくるのをただ受け取っていただけのようだけど、希和子さんは、工夫したみたいですね」

「希和子の声に聞こえたのは、本当に希和子の心だったから?」


「心というより、思念を送る、って感じですね。希和子さんは、大分前にこの能力に気付いていたんじゃないのかな。心の声が漏れるっていうより、もっと明確に、あなたに伝えようとしている気がします……今希和子さんの声が聞こえないのは、ハルが、代行しているからです」

「代行……?」


「あなたを包む希和子さんの思念を感じ取ってから、ハルは無意識に、その思念に自分の波長を合わせてしまったんですよ。そうして、そのまま自分の方に引き込んでしまっている。代行、というより電波ジャックに近いのかな? だから、あんなに明確に、希和子さんの様子を思い浮かべることができたんです。ただ、やや強引な電波ジャックだから、あなたほどダイレクトな衝撃は受けていない。そもそもあなたに向けられた悪意ですから、ハルには効果が薄いのかもしれませんが」


「……いや、結構、ダメージ食らってる……」

「でも、普通に産科病棟で実習もできているし、飯だっていつも通り食っていたじゃないか。少なくとも、身体に影響を及ぼすほどではない」

「あ、そうか」


 希和子さんの思念は、産科病棟で強まるが、ハルが金曜日に実習しても、他には影響はなかった。おそらく一番感じやすい新生児にも、反応はなかった。


「周波数は合わせたけど、ちょっとズレていて、音が聞き取りにくい、そんな感じなんだと思います。ただ、いつまでもハルが代行受信しているわけにもいかない。それに、肝心な子供さんとご主人の行方を捜す必要がある」

「主人たちの?」

「俺はしばらくこのままでも」


「いや、ハルの感度は、だんだん佐和子さんに近くなっている。朝よりキツそうだ。早々に周波数が一致して、ハル自身に影響が出てくる可能性もある。ま、今は飯もガッツリ食えるほど、体調は万全だけど、先に精神がやられるだろう。佐和子さんだって、健康な状態なら、希和子さんが一方的に送っていた思念なんて跳ね返せたかもしれないけど、タイミングが悪かった。ご主人と子供さんが行方不明になって、心が弱っている時に、追い打ちをかけるように思念を送られて、あっという間に囚われてしまった。昨日くらいまでの同調ならまだしも、今はほぼ全面的にハルが引き受けているようだし」

「……確かに、何だか急に強くなってきた気はするけど。でも、何で? 佐和子さんと話したから? 昔の話を聞いたから、波長が合った、とか?」

「まあ、それもあるかな」


「! ……ごめんなさい! 私のせいで!」

「いや、そんなことない! ないです! 話してくれて、俺は嬉しかったんです!」

「でも、私のせいですよね?」


「そうですね、佐和子さんのせいです」


 謝る佐和子さんと、それを否定するハルの会話に、横から瑛比古さんが口をはさむ。

 一生懸命、佐和子さんをなだめようとしているのに、何てこと言うんだ! とばかりにハルは瑛比古さんを(にら)みつけるが、瑛比古さんは気にしない。


「正確には、あなたがハルに心を許したからだと思います」

「親父!」

 説明を続ける瑛比古さんを、ハルが制止する。

「別に、恋愛感情とか、言うんじゃないよ。ただ、佐和子さんは、ご主人と子供さんを思うあまり、他のことに心を()く余裕がなかった。それが、希和子さんの思うつぼだとは気付かずにね。三年も経てば、他者との出会いや関係にも変化が出てくるものなのにね」

「……私が、人との関わりを、拒んでいたから?」

「そうなるように、誘導されてもいたんだろうね。本人が目の前にいるならともかく、遠く離れた場所から念を送り続けるなんて……送るだけならともかく、受け取ってもらうのは、難しいと思います」


「でも、希和子さんは、やってたっスよね。僕の調査では、家事手伝いのお嬢様で、一日中暇な『有閑(ゆうかん)マダム』だということっス。時間は自由になる人っス」

「マダム? お嬢様なら『マダモアゼル』じゃないの?」

 ハルの素朴な疑問。

「『マダム』っス。希和子さんは、離婚歴があるっス」

「そうなんだ。小早川さん、すごいね。よく調べてあるなあ」

「あのね、フランスでは未婚であっても成熟した女性には『マダム』が一般的なんだよ」

 ハルが感心してみせると、配膳をしながら、大二郎シェフも参戦してくる。


「あー! 話が続かないから! やめっ! シェフも口挟まない!」

 フランスの文化には一家言ある大二郎シェフ、まだ話し足りなげに、未練たらたらの顔で、厨房に下がっていく。


「ともかく! 希和子さんには時間が自由になった! 後は条件が整えばいい。さっき、ハルは波長を合わせて強引に思念を自分に送らせたって言ったけど、ラジオも基本は同じなんだよ。考えてみ」

「……そっか、周波数。……あ、だから電波ジャックか」

「そ。ラジオとは逆に、ひたすらご主人や子供さんのこと考えている佐和子さんに、希和子さんは周波数を合わせて送信していたわけ。佐和子さんは、強引に受信させられていたんだ。タイミングが良すぎる」

「タイミング……」

「まあ、確かにニュースにはなったけど、一応氏名は伏せられている。こんな世の中だから、ネットには出ていたかもしれないけど、それにしたって対応が早すぎる。事件が公になる前から、思念は届いていたんじゃありませんか?」

「……はい」

「だとすると、事件そのものに、希和子さんが関わっている線が濃厚です」

「希和子が……何でそこまでして、希和子は私を苦しめるの? どうして……」

「知りたいですか?」

「親父!」

「ダーメ。ハルの気持ちは分かるけど、佐和子さんには知る権利があるし、むしろ知らないでは済まされない」

「でも」


 その事実が、どれだけ佐和子さんを傷付けるか……。


「状況によっては、黙っているという選択肢もあったんだけどね。一切知らせないで、佐和子さんが落ち着くのを見守ってもよかったんだけど」

「俺の、せい? 一人で突っ走って、佐和子さんに会ったから……」

「バーカ。そんなこと、病院でお前が佐和子さんと会ったって知った時点で予想できたし、止める気はなかったよ……ただ、この後のことは、お前に相当負担がかかる。できれば、佐和子さんに協力してもらって、もうハルは手を引いた方がいい」

「それって、もう一度希和子さんの思念を、佐和子さんに受け取ってもらうってことだろう? 嫌だ。もう、こんなの、佐和子さんに聞かせたくない」

「……今だって、もう相当負担がかかってきているんだろ? さっきより、顔色が悪い」

「……大丈夫だよ。負担だって言うなら、佐和子さんだって同じだ。俺の方が、他人事って聞き流せる分、まだマシだ」

「聞き流せない性格だから、心配してるんだけどな……場合によっては、今よりキツいぞ?」

「大丈夫」


 ハルの目には不安の色が浮かんでいるが、それを(くつがえ)そうという強い意志の光もまた、宿っている。

「わかった。じゃあ、ハルに協力してもらおう」

「……いったい、何を?」

 ハル以上に不安げな瞳で、佐和子さんは瑛比古さんに尋ねる。


「記憶の逆探知です」



過換気症候群、昔はペーパーバッグ法で紙袋使って対処していましたが、今は推奨されていません。

深呼吸も、沢山息を吸うのではなく、ゆっくり長く吐く感じです。

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