第三話. エリクシールの聖女
シルフィに付き従って森を抜けると、先ほどまでの鬱然とした光景が嘘のように、なだらかな平原が広がっていた。
丘陵の間を抜けるように、馬車が並んで走れるような街道が、地平に向かって伸び続けている。
まるで、ゲームや小説の中にあるような、ファンタジー世界のフィールドの情景が、そのまま目の前に現れたかのようだった。
「ちょっと遠いですが、この街道をまっすぐに進めば私たちの村です」
そう言ってシルフィは先導して歩いていく。
わたしはというと、シルフィに一歩遅れて、あたりを見回しながら後に続いた。
正直に言えば、わたしはこの光景を前にして、感動すら覚えていた。
瞳に映るすべての景色が眩かった。
自然豊かなファンタジーの世界――アイリッシュ的ともいうべき、壮大な風景だった。
雲は風に流れ、光に満ちた青空はどこまでも澄み切っており、その下では、生命力にあふれた瑞々しい木々と草原の大地が広がっている。
緑の香りが、大気の涼やかさが、風の肌触りが、地球のものとは全く違う。
すべてが新鮮そのものの世界に包まれて、わたしは目を輝かせてあたりの光景に見惚れていた。
(綺麗……、本当に異世界なのね……)
わたしは陶然と周囲の景色を見つめていた。
記憶がないという事実は変わらないが――、それを楽しむだけの余裕はすでに回復していたのである。
わたしのそんな感情を代弁したのか、頭部の狐耳が風に揺れて気持ちよく動き、尻尾はせわしなく揺れていた。
うーん、狐はイヌ科だし、この耳と尻尾にも犬属性が付いているのだろうか。
ふと、前を歩くシルフィが、チラチラとこちらを見ていた。
何かを言おうとして――しかし結局言えずに胸の内に秘めているような感じだ。
「シルフィ、どうかしたの?」
わたしがそれとなく尋ねると、シルフィは「えっと……」といった風に口ごもっていたが、やがて決心したように、躊躇いがちながらも口を開いた。
まるで、ヅラ疑惑のおっさんに対して『それはツラですか?』と尋ねるがごとく。
「その……、あの……。テイルさんの、頭のそれ……本物ですか?」
ソレ――というのは、言うまでもなく狐耳だった。
「うん、本物みたい。遺憾なことにね」
わたしは苦笑しつつ答えた。
誰の仕業か知らないけれど、こんな姿に異世界転生させた存在に対し、一言物申したい気持ちはあった。
今時、動物耳を付けて萌えキャラとかどうとか、あざとすぎて、一周回ってギャグの領域だ。
ぴこぴこと動く、珍妙極まりない狐の耳。
そして、暴漢四人をあっというまに倒してのけた、摩訶不思議な狐の尻尾。
人間というより、四捨五入すれば、もうほとんど妖怪だった。異世界ではなく、ゲゲゲの森にでも引っ越した方がいいんじゃないだろうか。
幾分リラックスした気持ちで、ぼんやりとそのようなことを考えた時であった。
「いたっ――」
わたしは、足の裏に受けた痛みから、思わず立ち止まって呻いた。
「え――どうしたのですか?」
シルフィは驚いて振り返り、気遣うような面持ちを向けてくる。
わたしは、ゆっくりと視線を落とした。
わたしの両足は、足首から下にかけて、たくさんの小さな傷を負っていた。
裸足のままで茂みや砂利道を歩いていたのだから当然だった。今まであえて気にしないようにしていたが、足の裏の皮は破れ、小さく出血していたのである。
そんなわたしの両足を目の当たりにしたシルフィが、蒼白の表情で駆け寄った。
「大変――すぐに手当てしないと!」
「平気よ……。大丈夫だから」
わたしはなんとか笑顔を作って、少女に心配かけないよう試みた。
けれどシルフィは、ぶんぶん首を振って、真剣な表情で訴える。
「駄目です! 破傷風になったらどうするんですか!
ここは任せてください。これでも私、王都で勉強した神官候補生なんですよ。これくらいの傷なら、回復魔法で治してみせます」
「へえ……シルフィって、魔法が使えるんだ」
さすがファンタジーの世界――と、わたしは感心して頷く。
わたしは、近くにあった大きめの石にお尻を乗せ、右足をゆっくりと上げてシルフィに見せた。
神官服の少女は、真剣な面持ちでわたしの足を看取る。その様子は、さながら病院でクランケを診る医者のようだった。
シルフィの小さな手が、わたしの足を優しく包み込む。
ドキドキ、と若干期待に胸を躍らせ、わたしはその先を待っている。
異世界の魔法とは、はたしてどのようなものなのだろうか、興味は尽きない。
好奇心も露に、シルフィの行動を見守っていた。
「いきます――」
そうして少女は、小さく呟いて、わたしのつま先に顔を近づけて――
ちろり――とわたしの足を舐め上げたのだった。
「――――っっっっ!?」
突然のことに、わたしはびっくりする。
ひっくり返って後ろに倒れなかったのが奇跡なくらいだった。
少女の小さくもすべすべした舌が、わたしの右足の親指と人差し指の間、その付け根辺りに押し付けられる。
そうして、まるで愛撫するかのようにゆっくりと肌を這わせていく。
「な、な、な、な、なに、いきなり」
まるで後頭部をいきなりハンマーで殴られたような衝撃だった。
展開の不可解さのあまり、わたしはどもりまくってシルフィに尋ねる。
「――あ、すみません! 説明をしていませんでした。実は私、『エリクシールの聖女』と呼ばれる特殊体質なんです」
「…………えりくしーる?」
エリクシール――その名前は、わたしも知っていた。
またの名をエリクサーとも呼ばれる、神話などに登場する秘薬のことだ。
一説によれば、飲んだものに不老不死の効果すら齎すといわれる万能薬だが――
「はい……。例えば、唾液、汗、涙――私を構成するあらゆる体液、私から分泌される粘膜は、傷ついた者を癒し、魔力の効果を高める霊薬に等しい力を発揮します。私はこうして傷口を舐めることで、霊薬を介して傷を癒したり、毒や病気といった悪しき気配を取り除いたりすることができるんです」
見れば――確かに彼女の言うとおり、シルフィが舐め上げた個所を中心として、みるみる傷が小さくなっていた。
それどころか、まるでシルフィの唾液から活力が注がれるように、内から力が漲ってくる。
「あ、もちろん、普通の回復魔法も使えますよ。けれど、テイルさんは恩人ですし、せめてこれくらいはしたいと思いまして……。その……迷惑だったでしょうか?」
「えっと、……迷惑ってほどじゃ、ないけど」
そんな捨てられた子犬のような目を向けられたら、嫌だと言えるわけがない。
「よかったぁ……。それじゃ、続けますね」
そうしてシルフィは、再びわたしの足首に舌を這わせた。
その瞬間、びくん、と電流が走ったような甘い痺れが、わたしの全身を駆け抜ける。
「ちゅぱ――ぺろ――れろ、ん――はぁ」
シルフィの息遣いとともに、粘膜がこすれる音だけが断続的に響く。
足の指、足の甲、くるぶし、踵ときて、足首から先をくまなくシルフィの舌が駆け巡っていく。
時にはチロチロと舌を立て、時には足の指を一本一本しゃぶり、足の全身を丁寧に舐め取っていく。
一心不乱に舌を動かす少女――見れば、どこかとろんとした目つきで、愛おしそうに、わたしの足を舐め続けていた。
「………………………」
これは――なんというか。
なんか、とても、まずい――
こんなあどけない、年端もいかないような女の子を――しかも神官服を着ているというのに――跪かせて、自分の足を舐めさせているというのは、とんでもなく、背徳的なシチュエーションである。絵面的に一発アウトだ。やらしい。
性癖がぐにゃぐにゃに歪みそうだった。
右足がすべて舐め終わると、今度は左足をシルフィの舌が弄った。
「ふぅ――は、――ちゅ――ん……」
「んっ――」
シルフィの舌遣いに対し、わたしはというと、声を上げないようにするのが精いっぱいだった。
霊薬の効果なのか――妙に身体の奥が熱く、全身が火照ったような状態になる。
ヌルヌルとした唾液と、舌の肌触りと、少女の吐息と、たどたどしい指遣い、それらすべてが合わさって、不謹慎であると分かっているのに、なんだかとんでもなくイケナイ気持ちになってくる。
というか――すごく気持ちがいい。
焦らされるようなエクスタシーがわたしの全身を駆け巡っていた。
やがて――シルフィの唾液が両足の隅々までコーディングし終わると、そこでようやくわたしの足は解放される。
「ふぅ――はぁ……。終わりました。回復の効果に加えて、解毒と防護の効果も発動しています。これなら、村に辿り着くまで、再び怪我をすることもありません」
「あ、うん、アリガト……」
わたしは、放心のあまり、返事が若干ロボット風味となってしまう。
シルフィの言う通り、足に視線を向けると、そこには傷は跡形もなく、それどころか、裸足で地面を強く踏みしめても、痛くもなんともなかった。
これがシルフィの魔法――効果は目を見張るほど素晴らしいものだった。
――手段のインモラル性はともかくとして。
見れば、シルフィの頬が心なしか上気していた。
名残惜し気に、舌で唇を舐め取りつつ、人差し指を口に当て、
「うふふ――、テイルさんの足って、おいしいです」
冗談っぽく、どこか小悪魔めいた笑みを浮かべて、そんなことを言ってのける。
「………………」
なんというか、すごく淫靡な感じだ。
うん、なんかこの子――エロい。
自分で言うのもなんだけど――わたしは、今のこの身体が、とってもエッチな体つきであることを理解している。
けれど――目の前のこの少女は、わたしとは違うベクトルで、エロ可愛い女の子だ。
未成熟な体つきにも関わらず、ぞくりとするような色気の片鱗を見せている。
これはもはや一種の才能――無垢な少女に見えて、実はサキュバスもかくやという魔性の女の子ではなかろうか。
「ごめんね……。なんか、手間取らせちゃって」
「いいえ、大丈夫です。それに――こんなに綺麗な足なんですから、大切にした方がいいですよ」
シルフィに遅れて立ち上がり、わたしたちは再び歩みを始める。
彼方への道はまだ遠く、異世界の青空は清々しくわたしたちを見下ろしていた。