第二話. 狐少女、神官少女に拾われる
「あの――助けていただいて、本当にありがとうございました」
神官服の少女は深々とお辞儀をした。
場所は――先ほどの男たちと戦った場所から少し離れた所である。
わたしは昏倒している男たちを放置し、少女の手を引いて逃げ出した。
さすがに気絶している彼らを殺しはしなかったが、いつ目覚めるともしれない中で悠長に話をする気にはなれず、ここへと移動したのだった。
「ううん。いいよ、気にしなくて。人として、当然のことをしただけだから」
わたしは穏やかな口調で少女に応じた。
別段、気取ったわけじゃない。
ごく自然と、そのような言葉が気負わずに口を出ただけであった。
こういうセリフが臆面もなく出る辺り、生前のわたしはよっぽどの善人だったのだろうか――。あいにくと記憶がないのだけれど――
わたしは改めて少女を見た。
年齢は――わたしと同じか、少し年下くらいだろう。
幼い顔立ちながらも、絹糸を思わせる見事なブロンドを背中に伸ばしており、白を基調とした神官服も相まって、いかにも清純派といった感じの少女である。
というか――よく観察してみれば、かなりの器量良しだった。
美人というよりも可愛い系で、例えるなら――学年でも目立たないけれど、いざ人気投票してみれば、意外にも可愛い女子ランキングでトップスリーに入っていそうな――そんな見た目をしている。
うん――我ながら、よく分からない例えだけど。
「それにしても、どうしてあなたは、あの男の人たちに追いかけられていたの?」
わたしは疑問に思ったことを口にした。
すると少女は、表情に怯えの陰りを見せ、俯いた。
「あいつらは……最近、この辺りに出るようになった盗賊団です。私は、村へと帰る最中に街道を歩いていたのですが、突然あの人たちに囲まれて――。私は必死で森の中に逃げて――。もし――もし、あなたが助けてくれなかったら、私は今頃――。怖かった……。とても、怖かったです……」
先ほどの状況を思い返したのか、少女は目尻に涙すら浮かべ、声を震わせていた。
わたしは、無神経な質問をしてしまったことを恥じた。
恐怖に怯える少女に対し、安心させるように言う。
「ごめんね。もう大丈夫だから……。ここには、わたしとあなたしかいない。……ね。だから、もう安心して」
「……はい。ありがとうございます」
少女は、ぎゅっ、と口を結んだ。
ようやく落ち着きを取り戻したのか、次に顔を上げたときには、先ほどよりも幾分穏やかな表情を見せていた。
「その……私、シルフィっていいます……。シルフィ・ラドグリフです。あの、よろしければ、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」
少女――シルフィは、上目遣いをしつつ、遠慮がちに尋ねてきた。
そう問われて、わたしは困った表情を浮かべる。
「えっと……わたし、名前が分からないの」
「え……、わからないって……?」
シルフィの疑問はもっともだろう。
――目の前の少女は悪い人間には見えない。
わたしはこの際、全て話すことにした。
*
「記憶喪失……しかも、異世界転生、ですか……?」
「うん――どうも、わたしはこことは違う世界からやってきたみたいなの」
シルフィは、かける言葉すら失った表情で見つめてくる。
その目には――悪意こそないが、明らかに、信じがたい何かを見るものがあった。
少女の反応は当然だ。
わたし自身、自分がいかに支離滅裂なことを言っているか、自覚していた。
けれど――そうとしか、説明のしようがなかったのだ。
わたしの中には、かつていた世界に関する知識があった。
自分の生前いた世界――現代文明があって、飛行機やビルがあって、車が走り、パソコンやスマートフォンといった文明の利器が幅を利かせていたことを知っている。
けれど――自分に関する知識がこれっぽっちもないのだった。
どこの国に暮らしていたのか――
学校に行っていたのか――仕事をしていたのか――
自分がかつての世界で、どのように暮らしてきたのかという知識が抜け落ちている。
にもかかわらず――自分がかつての世界で命を落とし、この世界に生まれ落ちた事を、感覚として理解していたのだ。
自分が、この世界に異世界転生してきたという事実だけが、ハッキリと胸の内にあったのである。
(でも……、こんなこと言われたって、誰も信じないよね……)
目の前の少女だって、こんな突拍子もないことを言われて、さぞ混乱しているに違いない。わたしは、申し訳ない気持ちのあまり、声を落として言った。
「ごめんね……。無関係のあなたが、いきなりこんなことを言われても困るよね……。けど、わたしは――」
シルフィは無言で被りを振り、わたしの手を取った。
「私には、異世界とかよく分かりません……。けれど、きっと……大変なことがあったのですね……。あの、もしよろしければ、私たちの村に来ませんか? 助けていただいたお礼もありますし、あなたが記憶を取り戻すまで、私たちの村でゆっくりしていただければと思います」
「いいの……?」
わたしは縋るような目をシルフィに向けた。
シルフィは、屈託のない笑顔を見せた。
「はい、もちろんですよ! 私の家で、一緒に暮らしましょう! 記憶が戻るまで、いつまでもいてくれて大丈夫ですからね!」
わたしは、胸にじんとした温かさが広がる想いだった。
それは、この世界に来て初めての体験だ。
自分を受け入れてくれる相手がいたことに、救われた気持ちとなる。
「ありがとう、シルフィ。ご厚意に甘えて、お邪魔させてもらうから」
「はい、これからもよろしくお願いしますね。ええっと……お名前は、なんと呼べばいいか――」
シルフィは、わたしをどう呼ぶべきか、困っているようだった。
名前か――記憶がないのだから、名乗る名前もない状態だ。
とりあえず、この際、仮名でもいいかと思い至る。
少し考える。
狐――尻尾か――うーん……。
「尻尾……、うん、テイル! 記憶を取り戻すまで、わたしはこれから『テイル』って名乗ることにするね! よろしく、シルフィ!」
シルフィは、ぱあっと花が咲くような笑顔を浮かべた。
「はい、テイルさん!」
わたしはシルフィと固い握手を交わした。