そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.4 < chapter.4 >
支部や漁連、村の人々と力を合わせて諸々の事後処理を済ませ、俺たちは予定通り、一週間の調査期間を終えて本部に帰還した。
それに合わせて騎士団本部では記者会見が開かれ、アトラス家にかけられていたすべての疑いとカナカナ村の環境汚染は悪質なデマだったことが発表された。絶滅したはずのカニ、新種の生物、密漁問題その他色々、あまりに濃密な会見内容に、新聞各紙は一面から十数ページにわたってカナカナ村関連のニュースを掲載することとなった。
サメ型オートマトンと戦闘用キメラを漁場に放った犯人はまだ突き止められていないが、リゾート開発の話と無関係と思う人間はいない。プロジェクトに関わっていた貴族と地方豪族、建設業者は一斉に寝返り、王宮や騎士団本部に身の潔白を訴える書状を送付した。
内容はどれもこれも同じようなもので、『すべてデールヴェイユ伯爵が勝手にやったことだ。用地買収も済んでいないとは聞かされていなかったのだから、自分は詐欺の被害者だ』といったことが長々と、高価な羊皮紙の便せんを何枚も使って書かれていた。
俺はベイカー家の事業計画スタッフ数名をこの件の専任とし、開発プロジェクトを可能な限り元の形のまま、そっくり引き継ぐよう命じた。景色が良くて食べ物がおいしいカナカナ村は、確かに高級リゾートに向いているのだ。地元住民から一定の信頼を得ることができた今なら、貴族向けの高級ホテルの建設もスムーズに話を進められるだろう。
何もかもうまくいった。
これにて俺の仕事は終わり――と、思っていたのだが。
「はい? まるこの、いとこが、とうぼうちゅう?」
我ながらひどい棒読みだ。
耳に入った言葉の意味が理解できず、思わずオウム返しに訊いてしまった。
陛下はティーカップの中身をゆっくりと飲み干すと、溜息とともにカップを置いた。
「そうなの。城で行儀見習いとして働かせ始めたら、ひと月足らずで逃げ出してしまって……」
「もしや、先週俺を案内した『新人』ですか?」
「そう、その子よ。私の五番目の妹の子なのだけれど、悪戯好きで好奇心が旺盛で、本当に手に負えない子で……」
「その『悪戯好き』が、無断で城から出て行ってしまった、と?」
「ええ。あの日、サイトちゃんたちが乗った馬車ね、あのあと中央駅前に乗り捨てられていたの。本来乗務するはずだった御者は、仕事がキャンセルになったと聞かされて、宿舎に帰って休んでいたわ。だから間違いなく、あの子が御者に変装して馬車を運転していたはずよ。なにか覚えていないかしら?」
「なにか、と申されましても……」
俺はあの時、女王陛下に捨てられたのではと気が気でなかった。城から中央駅までの移動に使った馬車を誰が運転していたかなんて、全く覚えていない。
「すみません。手掛かりになりそうなことは、何も」
「そう……本当に、どこに行っちゃったのかしら……」
「その方のお名前を伺っても?」
「優曇華よ。ファミリーネームは仲目黒。フルネームで呼ぶときは、ファミリーネームを前につけてちょうだい」
「前に? ということは、『ナカメグロ・ウドンゲ』ですか? 変わったお名前ですね……?」
「父親が地球人で、地球とこっちを行き来しながら育った子なの。亜空間移動が得意で、放っておくとどこにでも行ってしまって、本当に困っていて……」
「もしや、移動範囲には異世界も?」
「地球にも天球にも、冥球や鸞球にも行き放題よ。だから、あの子が電車で移動したとは思いたくないのだけれど……」
「電車?」
「情報部員たちの通信に、何者かが魔法的介入をした痕跡が残されていたわ。それは聞いているわよね?」
「はい。通信傍受と盗聴の可能性があったため、俺には本当のことが言えなかったと……」
「残されていた痕跡は四回。シアンとインディゴ、インディゴとラリマー、アジュールとソーダ、ソーダとシアンの間で交わされた通信にそれぞれ一回ずつ。そのうち、シアンとインディゴの通信は夜行列車の客車内、サイトちゃんの目の前で行われていたそうね。そのとき、電車はもう動き出していたのでしょう?」
「はい。客室内で、旅行鞄の中身を確認しているときにシアンが訪ねてきて……あっ!」
俺は思い出した。
荷物から出てきた首輪とボンデージ。
陛下のお心が分からず、落ち込み、取り乱していたあの時、シアンは確かに――。
「通信音声が聞こえづらかったようで、何度も音量を調節していました」
小声で「やっぱり」と呟きながら、陛下は両手で顔を覆われた。
この瞬間、俺は何もかも理解した。
旅行鞄に余計なモノを突っ込んだのは、仲目黒優曇華だ。
あの日、優曇華は俺を別の部屋に誘導し、シエンナが俺を探し回っている間に、荷物に首輪とボンデージを紛れ込ませたのだろう。それから御者に「今日の仕事はキャンセルだ」と偽の連絡を入れ、自分で馬車を運転。中央駅で俺たちを降ろした後、素早く着替えて、同じ列車に乗り込んで――。
「まさか、一緒にカナカナ村まで……?」
「そうとしか考えられないわ。二回目以降の通信介入は情報部員とサメ型オートマトンのエンカウント後のことだもの。でもね、そんなことはどうでもいいの。問題はあの子が、あのプレイルームに出入りして、色々なモノを持ち出していた事実のほう! サイトちゃんがトノム所長の前で鞄を開けていたら、どんなことになっていたか……!」
「はい……社会的に死ぬところでした……」
シアンの退室後、鞄の中からはボンデージと首輪以上に危険なアイテムが複数発見された。駅の待合室で中身を確認しなくて本当に良かったと思う。公衆の面前でうっかり鞄をひっくり返して、大量のセックストイをぶちまけていた可能性があったのだ。想像するだけで冷や汗が止まらない。
「仲目黒優曇華は何歳ですか? 見た目の印象は十代後半のようでしたが……」
「十八歳。地球で工業高校を卒業したばかり」
「中身のほうは?」
「平均的な十八歳の男の子よりずっと幼稚よ。身分制度のない国で育ったせいかしら? あの子にとっては、『叱られる』とか『処罰される』って言葉の意味が、私たちが思うよりずっと軽いみたいなの。私が何を言っても、全く聞く耳を持ってくれないのよ!」
「国家元首の小言が効かないとなると、ある意味最強ですね……」
「ちょっと強く言うと、今回みたいに悪戯しながら逃げ出すし……」
「常習ですか」
「ええ。もう、これで何十回目か……」
「そんなに……」
いったいいつから、何をどの程度覗かれていたのだろう。マルコの特務部隊入り以降、俺と女王陛下はほぼ毎日のように顔を合わせている。たいていは事務的な連絡のみで終了するのだが、困った事に、俺も陛下も仕事のストレスが性欲に変換されるタイプの人間なのだ。三十分から一時間ほどの余裕があれば、服を着たままでも、シャワーを浴びていなくとも、前戯なしでいきなり本番に突入していた。
王宮勤めの人間は空気を読むのが上手い。それらしい雰囲気になった時点でサッといなくなり、こちらが呼ぶまでは絶対に扉を開けない。だから、いまさら俺たちの情事を覗き見する人間などいないと思っていたのだが――。
「あの、陛下? この際ですから、本音を申し上げてもよろしいでしょうか?」
「なにかしら」
「プレイ中に使われている魔法薬なのですが、これからは使用量を減らす方向でお願いできませんか? この紅茶にも入っていますよね?」
「ええ、いつもの薬を混ぜてあるけれど……急にどうしたの? なにか異常が出たのかしら?」
「いえ、そうではなくて、ええと……俺は、陛下が好きです。大好きなんです。だから、薬で無理に勃たせなくても、その……ちゃんと、できますから……」
言葉の途中で、自分が赤面しているのが分かった。そしてそれを自覚した途端、急に恥ずかしくなって、思わず視線をそらしてしまった。
十代のころから、何度肌を合わせたことだろう。何十、何百、いや、もしかしたらもう千回を超えているのかもしれない。それだけ愛し合うことが日常茶飯事になっていながら、俺は恋愛のキホンのキ、『愛の告白』をしていなかった。
よくよく思い返してみれば、今の関係が始まったのは陛下のほうからお声をおかけくださったことがきっかけだ。付き合い始めてからも、いつも陛下の問いかけに答えるばかりで、自分から「好き」と言ったことはなかった。
いまさらすぎる告白に、どんな答えが返ってくるだろう。
恥ずかしさを超えて、恐怖に近い何かが湧き上がってきた。うつむいた視線に、小刻みに震える指先が映る。
沈黙が続く。
これはまずい、何か話さなければと、焦って顔を上げたときだった。
女王陛下が泣いていた。
サファイア色の目を真ん丸に見開いて、大粒の涙をボロボロこぼしている。
「……陛下?」
まさか、泣くほど嫌だったのか?
いや、しかし、それならそもそも、俺とセックスするはずもないわけで――。
「……なの?」
「はい?」
「それは、本心なの……?」
「はい。ちゃんと前置きしたではありませんか。本音を申し上げても、と」
「嘘でしょう? だって、そんな……」
「あの……まあ、たしかに、その日の体調次第では、薬が必要になることもあるかもしれません。でも、特に問題ないときにまで薬を使わなくとも……」
「そうじゃなくて!」
「……はい?」
「本当に私のことが好きなの!?」
「はい」
「嘘じゃなくて!?」
「嘘だったら、薬が必要になると思いますが……」
「……はじめて言われたわ」
「え?」
「『好き』なんて言葉、生まれてはじめて言われたの。今まで、誰を好きになっても、誰も私を好きになってくれなかったから……立場上、仕方なく応じてくれるだけだったから……」
「では、俺もそうだと思われていたのですか?」
「……ええ。ごめんなさい。私は、あなたを信じていなかったの。だから、いつもあなたを試すようなことを……」
「それなら、今から信じてください」
「……いいの?」
「良いも悪いも、『薬なしで大丈夫』なんて宣言した後で、どうやって引っ込んだらいいんです? それに、俺もはじめてです」
「……?」
「生まれてはじめて、女性に告白しました。というより、陛下? お忘れになっておられませんよね? 俺、初めてのお相手は陛下なんですけど!?」
「……サイトちゃん。私、いまさら気付いたのだけれど……」
「何でしょう」
「私たち、順番を間違えていたかしら?」
「はい。おそらく、ものすごく大胆に間違えていたと思います」
「……私の本音も聞いてくれる?」
「はい」
「好きよ。初めて会った時から、ずっと」
「俺も好きです。でも、俺のほうがもっと好きですから」
「あら。そこ、張り合うのね?」
「はい。どうせ引っ込みがつかないなら、とことん突き抜けてやろうかと思いまして」
「まったく……あなたらしいわね、本当に」
「陛下。突き抜けるついでに、どうか、もう一つ本音をお聞かせください」
「何かしら?」
「陛下は、オリヴィエ・スティールマンをどう思っておいでですか?」
「……それは……」
ふっと下がる陛下の視線。揺れる瞳も、即答できない妙な間も、陛下のお心があの男にあることを証明していた。
これでもまだ、俺はあの男に勝てないのか?
焦りか、苛立ちか、悔しさか。
胸中に渦巻くドロドロとしたものが何か、自分でも正体が掴めない。
何でもいいから答えてほしい。答えが分からないままでは、俺はこの気持ちのやり場を見つけることができない。
まだかまだかと急き立てる俺の心と裏腹に、陛下は胸に手を当てて、何度も何度も、ゆっくりと深呼吸されていた。
そして陛下は、下を向いたまま、呟くようにお話しされた。
「……私には、それが分からないの。オリヴィエは素敵な人だったわ。私がどんなわがままを言っても、怒るでも、嫌な顔をするでもなく、静かに聞いていてくれた。私は確かに、オリヴィエが好きだった。今でもその気持ちに変わりはないわ。でも、その『好き』が恋なのか、親愛の類なのか、私にはちっとも分からないの。彼は私を守ってくれる、世界で一番の騎士だった。彼はどんなオバケも怖がらない、史上最強のヒーローだった。彼は転んだ私を助け起こしてくれる、誰よりも優しいお兄さんだった。肩車もしてくれたし、高いところの木の実も採ってくれた。虫の名前も、花の名前も教えてくれた。でも……でもね。私はマルコを産んで、ようやく気付いたの。それって全部、大人が子供に、当たり前にしてくれることだったのねって。彼は命令されて、自分の仕事を果たしているだけだったのよ。だから……どう言ったらいいのかしら。私は、本当は『オリヴィエ・スティールマン』という人間を愛していないのかもしれないの。私が愛しているのは、私が勝手に創り上げた思い出の中の彼で、本当の彼は、私の思い出とはまるでかけ離れているのかもしれない。だから……」
「……陛下。申し訳ありませんでした。俺は、陛下の思い出を踏みにじるような真似を……」
「いいえ。最後まで聞いて。あなたに聞いて欲しいの。これは、あなたにしかお願いできないことだから」
「……陛下……」
「私は、オリヴィエ・スティールマンを目覚めさせるわ。これは彼と約束したことだもの。絶対に変えられない決定事項よ。でも、私はその先のことを約束していない。あなたにお願いしたいのは、彼が目覚めた後の事」
「目覚めた後……身柄の引き受けでしたら、お断りしたいのですが……?」
「いいえ。あなたにそんなことは頼まない。私が頼みたいのは、彼の殺害よ」
「……理由をお聞かせ願えますか?」
「もしも……もしもの話よ? 目覚めた彼と私が本気で恋に落ちるようなことがあれば、彼を殺してちょうだい。今の彼は士族でも何でもない、この時代に存在しないはずの人間だもの。流浪民同然の身分で私に触れたら、その時点で死刑が確定するわ」
「それ以外の場合は?」
「彼が、思い出の中の彼と、あまりにもかけ離れていたとき」
「優しいお兄さんでも、最強のヒーローでもなかったときですか?」
「ええ。女王の不興を買って死刑になった人間なんて、珍しくもなんともないでしょう?」
「他には?」
「長く封印されていた影響で、心や体に、治療できないほどの異常が見られたとき。苦しむ彼なんて、見たくない……」
「では……彼が思い出の印象そのままに善良な男で、陛下を妹か姪っ子のように思っていた場合は?」
「それは……そうね。どうしようかしら。適当な罪状が見つからないわ」
「それでも殺しますか?」
「……いいえ。生きていてもらいましょう。私のわがままで、あるべき時代に、安らかに眠る権利を奪ってしまったのだもの。この時代に生きるのも、仲間の眠る世界へ逝くのも、彼の自由よ」
「分かりました。では、そのように致します」
「お願いね。……ねえ、それはそうと、サイトちゃん。さっきの話、本当に本当?」
「……はい。証明して見せましょうか?」
視線の温度の変化を感じ、俺はぐっと身を乗り出す。
ちいさなティーテーブル越しに口づけを交わし、焦らすようにねっとりと、アプリコットティーの唇を味わう。
絡め合うのは舌だけだ。互いの手はせわしなく動き、ズボンのベルトを外し、パンティーのサイドリボンを解いている。
申し合わせたわけでもなく同時に立ち上がり、吸い寄せられるように抱き合って、そのまま――と、思っていたのだが。
「陛下! 大変です! 何者かがオリヴィエ・スティールマンの顔にチョビヒゲの落書きを!! ガラスケースに開けられた痕跡はありません! 地下展示室の扉も、開錠記録はありません!! 間違いなく、優曇華様の仕業です!! 陛下!? いかがなさいましょう!? 油性ペンらしいのですが……いくらサイボーグでも、顔面にシンナーやベンジンはマズいですよね!?」
激しく叩かれるティールームの扉、よく通るシエンナの声。
慌てて下着を穿く俺と、脱いだパンティーをガーターベルトに挟んで隠す陛下。
こういう時、女性のスカートは便利である。中がどうなっていようと、とりあえず外側さえ整えれば、どんな秘密も隠匿できるのだから。
「オリヴィエ……本当にかわいそうな人。私のわがままのせいで……プッ……」
「ちょ、あの、陛下? 笑っておられる場合ですか?」
「笑う以外に何ができるのよ! ヒゲよ? よりにもよって、油性ペンでチョビヒゲって! 小学生レベルの悪戯よね!? さすがはうーちゃん! 間違いなく私の甥っ子だわ!」
「確かに血のつながりは感じますが……あ、陛下! ストップ! そのまま動かないでください! 裾のレースがバックルに絡んで……あれ? これ、何がどう……うわ、何この絡み方……」
「シエンナ! まだ開けちゃ駄目よ! 今開けたら、特務部隊長の国家機密が丸見えだから!」
「ちょ、ちが、あの、やめてください陛下! シエンナ!? 違うからな!? さすがに丸見えじゃあないぞ!? 今のは陛下のご冗談だからな!?」
「はーい、心得ておりまーす。ぜーんぜん大丈夫でーす。どうぞごゆっくりー」
「いや! それ! まったく信じてないよなぁっ!?」
と、叫んではみたものの、この姿も十二分に国家機密であろう。勢いに任せてブーツも脱がずにズボンを降ろしてしまったため、脱ぎかけたズボンを膝のあたりに溜めたまま、ストンとしゃがんで絡んだレースを外しているのだから。
なんだこの情けない絵面は。
さっきまでの色っぽい大人時間はどこに行った。
パンイチの尻がスースーするが、頭の中はそれどころではない。
はやくこれを解かなくてはと思う焦りと、チョビヒゲの落書きを見に行きたい衝動と、笑う陛下になにか言い訳したい気持ちと、優曇華への怒りと、いざこれからというときにストップをかけられて行き場のなくなった性的興奮と――もう、本当に訳が分からない。今体温を測ったら、体温計のほうが壊れるに違いなかった。
「へ~い~かぁ~。もぉいいかぁ~い?」
「まぁだだよぉ~♪」
「あああぁぁぁーっ! もう! 二人ともぉーっ!!」
女王陛下と自分は愛人関係にある。周囲の人間にも国民にも、そのように理解されている。
しかし、実情は少しばかり異なる。
「オホホホホ、サイトちゃんたら、ぶきっちょさんね~。なぁんて愚図な豚なのかしらぁ~。この程度のことに、どれだけ私の時間を無駄にする気なのかしらぁ? ねえ?」
「へ、陛下!? おやめください! あの、今は、その……外にシエンナもいますし!?」
「フフ……口ではそう言ってるけど、本当は嬉しいんでしょう? 本っ当に、無様な豚だわ。だって、こんな状況なのに、こぉんなに元気に……」
「へぇ~いぃ~かぁ~っ! 言わないで! お願いですから! やめて! 今、俺、本当にいっぱいいっぱいで、その……っ! いいいぃぃぃ~やあああぁぁぁ~っ!! 見ないでえええぇぇぇ~っ!!」
異なる実情は、本当に『少し』なのだろうか。
鼓膜に直撃する陛下の言葉攻めと、扉の外から囃し立てるシエンナの『早く』コール。それらのドS行為に対し、M豚の理性はあまりに無力だった。
これから先の出来事は、正直、自分でもよく覚えていない。
女王陛下の合図ひとつで女官たちがどっとなだれ込んできて、いつものプレイルームに強制連行されたところまでは覚えている。そこで諸々の拘束具を取り付けられ、人前で論述してはいけないことを矢継ぎ早に行われた気がするのだが――何度か意識が飛んだせいか、詳細が思い出せない。
しかし、これだけは胸を張って断言できる。
愛の告白は大失敗である。
今日はいつも以上に熱く、激しいプレイが展開された。プレイ内容にこれといった変更点は無かったはずだが、今日の陛下はテンションが違った。すべてのプレイが五割増しの激しさだったおかげで、体が痛い。とにかく全身、とても痛い。キメラやオートマトンとの戦いなんて、陛下の本気に比べたら屁でもないことを痛感した。
プレイ終了後に治癒魔法をかけてもらえるのだが、それで治るのは表面的な怪我だけだ。肉体疲労と筋肉痛、性交後特有の虚脱感は無くならない。なんてことを言ってしまったのかと後悔したが、いまさら発言を撤回することはできないだろう。
俺はなけなしのプライドで言った。「愛した女の腕の中で死ねるなら本望だ」と。だが鼻フックとギャグボールのせいで、何をしゃべっても、M豚語にしかならなかった。
乱れに乱れたプレイの後でも、特務部隊長として片付けねばならない仕事はいくつも残っている。俺は大急ぎでシャワーを浴び、衣服を整え、特務部隊オフィスへと駆け戻った。
すると、オフィスにはまだ明かりがついていた。
「なんだ? まだ仕事しているのか?」
「はい。区切りの良いところまで終わらせないと、どうにも落ち着かなくて……」
居残っていたのは、よりにもよってマルコである。生真面目なマルコは、この日も一人で残業していた。
しまった、予期せぬトラブルだ。これは非常に気まずい状況である。
つい先ほどまで激しくセックスしていた相手の息子と二人きり。それも俺とマルコの歳の差はたったの一歳だ。適当な言葉で誤魔化せるようなお子様ではない。普通に振舞っていれば何の問題も無いと分かっていても、どうしても色々と、余計なことを気にしてしまう。
だが、心清らかな好青年は何の悪気も無く、純粋な親切心から声を掛けてくる。
「お疲れのご様子ですね。地方任務からお帰りになられたばかりなのですから、あまりご無理はなさらないほうが……」
「あ、いや、大丈夫だ。この仕事だけ終わらせたら宿舎に戻るから……」
「私も手伝います。法務関係は私の得意分野ですから」
「そ、そうか? すまないな。では、こっちの処理を頼む……」
ああ、そうだよマルコ。頼む。頼むから向かい側に座らないでくれ。どうしてお前は母親似なんだ? うつむき加減の顔なんて、もう本当に瓜二つじゃないか。やめてくれよその角度。俺がプレイ中、その角度のご尊顔を拝するのがどんな状況か分かるか? 口でしている時以外、絶対に無いんだよその角度は! 俺はっ! どんな顔をしてっ! お前の真正面に座っていればいいんだよおおおぉぉぉーっ!?
――そんな脳内絶叫がマルコに聞こえるはずもなく、外見以外何一つ母親に似ていない好青年は、心底心配そうな表情で俺の顔を覗き込んでくる。
「……隊長? どうかされましたか? 少し、お顔が赤いような……」
「え? そ、そうか?」
「ちょっと失礼……んん~? 少し、体温が高いような気がしますが?」
「い、いや~、駆け足で戻ってきたから、そのせいかな~」
「そうですか? でも、それだけにしては、ずいぶんと脈も乱れているようですし……?」
ああ、お願いだマルコ。陛下そっくりな顔で俺の首筋に触れないでくれ。というか、どうせ触れるならこのまま首絞め窒息プレイに突入してくれ。優しく触って心配するだけなんて、M豚に対する究極のおあずけプレイじゃないか。違う。違うんだマルコ。俺が欲しいのはこんなソフトな接触じゃなくて、もっと、こう、命懸けな感じの――。
「このところお忙しいようですし、やはり過労でしょうね。先送りできない分は仕方がないとして、これとこれと、こっちと……あと、この書類は明日以降の処理でも十分間に合います。この書類だけ終わらせたら、キチンと休息をとりましょう。私も一緒に片付けますから」
「いや、しかし、マルコのほうも自分の仕事があるのだろう? 俺の仕事ばかり手伝わせては……」
「大丈夫、どちらもすぐに終わりますよ。隊長が頑張りすぎないように、今日は最後までお付き合いさせていただきますからね」
「……うん。どうもありがとう……」
ああ、なんていい奴なんだ。いい奴すぎて、逆につらい。こんなの、生殺し以外の何物でもないじゃあないか。
お願いだ! 誰か助けてくれ!
ロドニーでもゴヤでもレインでもいいから、オフィスに忘れ物をしたとか何とか、くだらない理由でドタバタと駆け戻って、今すぐこのドアを開けてくれ!
俺はもうこれ以上、この罪悪感に、耐えられそうにない――ッ!
女王陛下と自分は愛人関係にある。周囲の人間にも国民にも、そのように理解されている。
しかし、実情は少しばかり異なる。
その違いに気付いているのか、いないのか。マルコはとても爽やかな笑顔で言い放つ。
「離れて暮らしていたせいでしょうか。私は、どうにも女王陛下を『母』とは思えなくて……どちらかというと、宿舎で一緒に寝起きしている隊長が『もう一人の兄』で、陛下がその恋人、というような感覚なんです。隊長のおかげで、陛下を『自分の身内』として認識できているというか……すみません、唐突に。あまり二人きりになることもないので、言うなら今しかないと思いまして……」
「そうか……。うん、実は俺も、お前のことは他人とは思えないんだ……」
「本当ですか!? あの、ええと……ごめんなさい、嬉しくて、顔が……」
エヘヘ、と無邪気に微笑むマルコを見て、俺の罪悪感はどこまでも膨れ上がっていく。
(頼むから! 陛下と同じ顔で! そんなに可愛い笑い方をしないでくれよっ!! てゆーか、もう、本当にお前……可愛い顔してんなぁ~っ!!)
はかどらない残業、キリキリと痛む胃袋、限界寸前の体力。
こんな日に限って誰もオフィスに駆け込んで来ないのだから、俺の部下たちは、本当に空気を読む連中である。