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そらのそこのくにせかいのおわり(改変版)2.4 < chapter.3 >

 潮が満ち始めたマングローブ林は、先ほどまでとは様子が変わっていた。

 せいぜい腰までしかなかった水深は大人の肩より上になり、浅瀬に逃げ込んでいた小魚を狙って、大きく、危険な捕食動物たちが集まっていた。

 その中には当然、汽水域の最強捕食者、イリエワニの姿もある。

「ウワアアアァァァーッ!! イリエワニだ!! 何十頭いるんだ!?」

「気をつけろ! 船の真下にエンペラーヒョウモンダコがいる! クソ! 何て数だ!」

「突きん棒使えぇぇぇーっ! そいつ、一撃でやらねえと船ごと沈められんぞぉぉぉーっ!」

「水に手ぇ突っ込むな! そこら辺にいるの、ヒレに毒のあるヤツだ!」

「ヤスで突け、ヤスで! 触られたらアウトだぞ!」

「クソ! しばらく海に出なかったら、魚もワニもメチャクチャ増えてやがる……っ!」

「売れる魚ならありがてえんだけどな!! ィヨッとォッ!! ヘッ! 爬虫類ごときに食われてたまるかよ!!」

「おい! あの背ビレ、本物のサメじゃねえか!?」

「うわ! マジか! こんな浅瀬まで来てやがんのかよ!?」

「ヤバイヤバイヤバイ! ヨシキリだ! ビリ使え! ビリ!」

「漁連長! ここ、電気ショックの許可エリアじゃありませんぜ!?」

「女王陛下ァァァーッ! 電気ショック漁法の限定解禁をお願いいたしまァァァーすッ!!」

 俺の真似をして上を向き、『見えないゴーレム』に向かって叫ぶ漁連長。

 すると女王陛下は、笑いをこらえたような、やや上ずった声色でお答えになった。

「許可します」

「ありがとうございます!! てめえらアアアァァァーッ!! 同時にやんぞオオオォォォーッ!!」

「オオオォォォーッ!!」

 一斉にケーブルを投げ込み、タイミングを合わせてスイッチを押す。

 ほんの一瞬、海面に振動が奔った。その数秒後、水面には大量の水棲生物が浮上したのだが――。

「なんだ!? 効いてねえのがいるぞ!?」

「それがオートマトンだ! 網投げろ! 網!」

「いや、違う! ワニだ! ワニもいる!!」

「ワニ……って、おい! 違う! 逃げろ! そいつはあの……っ!」

 パァンと水を蹴り、宙へと跳び上がるキメラ。やはり、キメラはまだいたようだ。

 俺は銃を抜き、キメラに向けて発砲する。

 このキメラは雷属性の魔法攻撃に対し、自動で防御魔法を発動させた。ならば火薬式の銃で、と考えたのだが、これがなかなか当たらない。

「チッ! 速すぎる! 自動追尾無しでは……」

 ノミのようにビョンビョン跳び回るキメラ。しかしおかしなことに、このキメラが漁師のボートに攻撃することは無く、狙われるのは必ず支部員だった。

 支部員らはこの敵を見慣れている。未知の敵から不意打ちを食らった俺とは違い、この程度の攻撃で被害を受けることは無い。日頃の訓練の成果を遺憾なく発揮し、絶妙なタイミングで《物理防壁》を構築。キメラの攻撃を完全に防ぎきる。


 まるでよくできた芝居のような、誰も負傷しない戦場。


 この様子から、俺はキメラとオートマトンの行動プログラムについて、一つの仮説を立てた。

「……攻撃対象が限定されているのか……?」

 リゾート開発予定地で死人が出ては困るのだろう。サメ型オートマトンも、漁師を食い殺そうとはしていない。あくまでも漁具の破壊のみを行っている。

 漁業を妨害するオートマトンと、オートマトンを回収に来た騎士団員を攻撃するキメラ。この二つが連携して動くことで、カナカナ村の漁師を効率的に失業させる計画だとすれば――。

「なるほど。道理で……!」

 真正面から襲い掛かってくるように見えて、狙うのは人体以外の漁具や人工物ばかり。この攻撃パターンが掴めなかったからこそ、シアンたちはうろたえ、翻弄されてしまったのだ。

 だが、攻撃パターンが分かれば対処は容易。サメ型オートマトンは無視して、キメラだけを相手にすればいい。

 俺はライフジャケットと胴長靴を脱ぎ捨て、半人半獣の姿へと変身する。

 俺の本来の姿は雷獣。コウモリの翼、ヤギの角、トビネズミの後ろ脚とリスの前脚を持つ戦闘種族だ。獣の姿でも人間と同じように道具が使える数少ない種族だが、完全変身するには衣服をすべて脱がねばならない。さすがにこの場で全裸を晒す気はないので、今日のところは半獣の姿で戦うことにする。

 皮膜状の翼を羽ばたかせ、俺はキメラの真上に陣取った。

「来い! 貴様の相手はこのおっどぅわあああぁぁぁーっ!?」

 左から別の個体が跳びかかって来た。

 俺は何とか攻撃を回避し、支部員らが狙われぬよう、二体のキメラを引き付けるように空を飛ぶ。鳥の翼ほど優雅な滑空はできないが、雷獣は急加速と急停止、トリッキーな錐揉み飛行が可能である。空中で方向転換もできないハマトビムシごときに、雷獣の動きを捉えることなど不可能だ。

 キメラ二体は信じがたい速度でビョンビョンと跳ね回り、ワニの口とシャコの腕で襲い掛かってきた。だが、それは思考力の『シ』の字も感じられない挙動であった。二体は同時に跳び上がり、空中で衝突。二体仲良く海へと落ちた。

「フン、やはり脳ミソは動物並み……って、なんだ!? 瞬間移動か!?」

 二体が落ちたのとは全く別の場所から、キメラがヒョコッと顔を出した。

 いや、瞬間移動などあるはずがない。これはおそらく別の個体だ。キメラははじめから三体いたのだ。

「クソ! 道理で手数が多いと思ったら……あと何匹いる!? 支部長! 他に見えますか!?」

「いえ! こちらから確認できるのは三体のみです!!」

「ならば!」

 俺は空中で剣を振るい、跳びかかってきたキメラを迎撃する。火炎放射器で焼けることも鉈で解体できることも確認済み。物理攻撃が通るなら、後はただ斬り続けるのみだ。

「ゼヤアアアアアァァァァァーッ!」

 シャコパンチのタイミングはすでに把握している。すれ違いざまに伸び切った関節を切断。攻撃後は速やかに距離を置く。

 幾度となく繰り返すヒットアンドアウェイ。関節以外を切りつけても硬い殻に弾かれて有効打とはならないため、かかる時間と派手なアクションの割に、与えられるダメージは少なかった。

「この……いつまでチマチマと、こんなことを……っ!」

 攻撃できるタイミングは相手が仕掛けてくる一瞬のみ。『攻め』の戦いを得意とする雷獣にとって、この『待ち』の動作はストレスが溜まるばかりである。

 俺がキメラを引き付けている間に、支部員と漁師たちはどんどん網を投げ込み、サメ型オートマトンを捕獲している。俺の戦い方自体は何も間違っていないのだが、それにしてもまだるっこしい。捕獲作業が終わるまで『おとり』を続けて、それから支部員らに加勢してもらうか。それともこのまま、自分の手で始末をつけるか。

 俺が選ぶのは、当然後者だ。

「一気にカタをつけてやる! 来い! B級怪獣どもっ!」

 防御魔法《銀の鎧》を展開し、シャコパンチを真正面から受け止める。

「うっ……!」

 相殺しきれない衝撃に肋骨が悲鳴を上げた。だが、俺は構わず行動を続ける。

 大きく開かれたワニの口に手りゅう弾を投げ込み、同時に攻撃魔法を放つ。

「《雷火》!!」

 この魔法は防がれる。それは承知の上だ。キメラの体内に埋め込まれた防御呪符は、本人の意思に関係なく自動的に発動するからだ。俺はその『自動防御』を利用し、攻撃魔法と防御魔法の反発力で、キメラを真上に撥ね上げた。

 反対に、俺は海へと叩き落とされることになったのだが――。

「おっ!?」

 ほんの一秒前まで俺がいた場所に、別の個体が攻撃を仕掛けていた。

 間一髪。

 いや、この場合は、一石二鳥というべきか。


 ワニの口内で爆発する手りゅう弾。

 飛び散る肉片と、降り注ぐ血の雨。

 後から飛び込んできた別個体も爆発に巻き込まれ、大打撃を受けて海に落下した。


 しかし、ガッツポーズにはまだ早い。

「ベイカー隊長! 早く船に上がってください! 後ろに三体目が!」

 支部長の声に後ろを振り向くと、かなり離れたところから大きな影が迫っているのが見えた。キメラの体の大部分はシャコである。水中、特に浅瀬での短距離移動速度は魚類に匹敵する。

 ほんの一瞬、フッと水面に顔を出したキメラ。

 残るは左腕がない一体。はじめに腕を斬り落とした、あの個体である。手負いのキメラはその目に殺意をたぎらせて、一気に距離を詰めてくる。

「く……っ!」

 濡れた翼は重く、直ちに飛び立つことはできない。

 ペガサス型ゴーレムの呪符は、先ほど脱ぎ捨てた上着のポケットの中。

 支部長の船も、俺とキメラがエンカウントするまでには間に合いそうになかった。


 逃げられない。


 俺はありったけの魔力で《物理防壁》を展開した。

 だが――。

「がは……っ!?」

 止めきれなかった。

 いや、違う。前方からの攻撃は止めたはずなのだ。

 止められなかったのは、警戒していた個体の攻撃ではなく――。

「く……そ! まだ動けたのか……っ!」

 背中にシャコパンチを食らった。攻撃したのは、爆発に巻き込まれたあの個体だった。

 ダメージそのものは《銀の鎧》で軽減されている。行動不能レベルの怪我は負っていない。だが、不意を衝かれたこと、完全に間に挟まれていること、敵のホームグラウンドでの戦いであるということに少なからず動揺した。咄嗟に『次の動作』を思い描くことができず、防壁を張ることしかできなかった。

 攻撃魔法を使おうとする支部員。それを制する支部長。キメラ二体の間に俺がいるため、銃を使うべきか否かで怒鳴り合う支部員らの声。

 それらはすべて聞こえている。《銀の鎧》の防御力なら火薬式短銃ピストルの弾くらい簡単に弾けるし、完全に挟まれているこの体勢なら、よほど運が悪くない限り流れ弾が当たるとは思えない。


 俺に執着している今こそ攻撃のチャンスだ!

 キメラの無防備な背中に、鉛玉をブチ込んでくれ!


 俺はそう叫びたかったが、生憎、激しく上がる水しぶきで呼吸するのもやっとだった。キメラの巨体と水しぶきに阻まれ、簡単なジェスチャーもまったく伝わらない。

(今なら確実に仕留められるのに! クソっ! 本部勤務の連中なら、即座に総攻撃を開始するところだぞ……!!)

 カナカナ村支部の主な任務は村内の警備と害獣駆除、海難事故の救援活動などである。海賊の襲撃を想定した迎撃訓練はあるはずだが、他の部隊との合同演習は少ない。防御魔法が発動中だからといって、味方ごと爆撃するような戦い方は未経験なのだろう。

(誰か! 誰か一発ぶちかましてくれ! やるなら今が一番なんだあああぁぁぁーっ!)

 心の中で絶叫すること二分少々。徐々に奪われていく体力に不安を感じ始めたころ、ついに『ヒーロー』が現れた。

「発動! 《ソニック・ブレイド》!!」

 直上から叩き込まれる風の刃。

 魔法によって超圧縮された空気はあらゆる物を切断する。この魔法を食らって無事でいられる生き物はいない。だが、キメラには自動防御がある。風の刃は防御魔法によって防がれてしまうが、なんと、この攻撃はそれも込みで放たれたものだった。


 高速連射される《ソニック・ブレイド》と、それを防ぎ続ける防御魔法。

 魔法同士の反発で水底に叩きつけられ、まったく身動きの取れないキメラ。


 戦況は、実戦においては滅多に発生しない『無限コンボ状態』に突入した。


「……さすがは情報部最強戦力……」

 消費魔力の少ない呪文でキメラ二体の動きを完全に抑え込んでいる。冷静に考えてみれば、雷属性の魔法でもこれとほぼ同じことはできた。だが、俺にこの手は思いつかなかった。これなら安全圏から一方的に攻撃できるのに、俺はわざわざ敵のホームグラウンドである『海中』に飛び込んでいってしまったわけだ。


 なるほど、この状況判断力こそが『最強戦力』と呼ばれる所以か。


 感心していると、すかさず喝を入れられる。

「ボサッとするな! 飛べ!!」

「あ、ああ!」

 水に濡れた翼を全力で動かし、シアンの傍へ。

 シアンは《ソニック・ブレイド》の連射を続けながら、魔導式短銃のチャージを開始した。今は『近衛隊のアンディ・ブロンコ』という設定なので、装備品も一通り近衛隊仕様になっているのだが――。

「それで止めを刺す気か? あいつに魔法は効かない。魔弾もおそらく……」

「通常の魔弾ならな。ベイカー、お前が撃て。俺が動きを止めている間に」

「何? うわっ!?」

 ひょいと投げ渡された短銃。チャージが完了し、いつでも発射できる状態なのだが、非常に気になる点が一つ。

「銃口に何か詰まっているぞ?」

「近衛隊の銃は麻酔薬や毒のカプセルをセットできるようになっている。はじめからそういう仕様だ」

「そうか。これは何のカプセルだ?」

「医療用縫合糸の魔導溶解剤だ。あれだけ太い糸で縫い合わせたままなんだから、抜糸したらマズイということだろう? 抜糸してやろうじゃないか」

「そんなマニアックな薬剤を、どこから……」

 そう尋ねかけて、途中で気付く。


 シアンの装備が変わっている。


 水に入るために身に着けていた胴長靴とライフジャケットから、近衛隊の制服に着替えていた。そして『近衛隊のアンディ・ブロンコ』として行動中のシアンは、いくつかのハンドサインでこう言った。


 ブラフだ/全員無事/民間人は保護した/すべて順調。


 なるほどそういう事かと、肩をすくめてみせる。

 情報部員たちはアトラス家の潔白を知っていたのだ。そして先ほどの通信はブラフ、つまりは嘘。通信を傍受されている可能性がある場合、情報部はあのような芝居を打つことがある。シアンたちはサメ型オートマトンとエンカウントしたが、戦ってはいない。さっさと空中にエスケープし、エビ・カニ研究センターの職員たちの保護に回っていたようだ。

「それならそうと、はやく教えてくれれば良かったのに……」

「その辺の事情は後でゆっくり説明してやる。いいからさっさと撃て。《ソニック・ブレイド》で抑えるのも限度がある」

「分かった。それじゃあ……」

 銃を構え、キメラの首に狙いをつける。

 握った感触から照準の合わせ方まで、いつもの銃とはまるで違う。それでも無駄弾は撃てない。俺は慎重に引き金を引いた。


 コッ――という、なんとも地味な発射音。

 弾は吸い込まれるようにキメラの首へと消えていき、数秒後、狙い通りの変化が始まった。


「う……こ、これは……」

 ワニの首とシャコの身体をつないだ太い糸。これはもちろん、ドロリととろけて千切れて消えた。一見するとつなぎ目の分からないハマトビムシの脚も、どこかにあった縫合糸が失われてしまったのだろう。驚くほどあっけなく、ポロリと外れて水面に浮いた。

 種も属もまったく異なる生物を無理矢理つないだ不完全なキメラは、まるで理科室の人体模型のようにパーツごとに分解されていく。

 辺り一帯にワニのものともシャコのものともつかない内臓が散らばる。そう、縫合糸でつながれていたのは表皮だけではない。体内の各器官も外科手術によって、物理的につなぎ合わされていたのだ。

 キメラ化する際の身体強化魔法が効いているのか、それらはすべて生きていた。浅い海に、ドクドクと脈打つ内臓が浮かぶ。

 首だけになったワニは、何かにすがろうとしていたのだろうか。ゆっくりと沈んでいくそのさなか、目の前にあったもの、自分の身体からこぼれた内臓に噛みつき、そのまま水底に消えていった。

「死んだ……よな……?」

「ベイカー」

「あ、ああ。分かっている!」

 二発目のカプセルを受け取り、銃口にセット。残る一体に狙いを定め、呼吸を整えて引き金を引く。


 バラバラになっていくキメラの身体。

 片腕を失ったキメラは、最期の一瞬まで俺を睨み続けていた。


 名状し難い感情に心臓を鷲掴みにされたまま、俺はシアンを見る。

 シアンは俺の表情から、何かを汲み取ってくれたらしい。いつも通りの淡々とした声でさらりと言った。

「一人で飲むくらいなら、俺にも一杯奢ってくれよ?」

 代わりに何でも聞いてやる、という優しい言葉を口にしないあたり、口先だけの『優しい男』よりよほど信頼できる。

 コツンと拳をぶつけ合い、言葉にできない感謝を伝えた。

「これで任務完了だよな?」

「ああ。一週間の予定で来たのに、半日で終わったな」

「あとの六日は臨時休暇……には、ならないかな?」

「だろうな。お前の場合、アトラス家や近隣豪族からの招待もあるだろうし……」

「俺の護衛である以上、『アンディ・ブロンコ』も休暇は取れないわけか」

「そういうことだ」

「それなら、食事の手配は任せてもらおう。俺が特別に命令しない限り、クソ狭いテントの中でずっと同じレーションを食べることになるんだろう?」

「そういうルールだからな」

「どこかのシーフードレストランを借り切ってやる。みんなでちゃんと飯を食おう」

「そいつはありがたい」

 それからいくつか言葉を交わし、俺たち二人は支部長の船へと降り立った。

 キメラ三体が立て続けに駆除されたことにより、漁師と支部員の士気は最大値に達している。俺が言葉を発するなら、今、このタイミングしかない。

「カナカナ村の皆さん! 危険なキメラはもういません! さあ! あと一息です! すべてのサメ型オートマトンを捕獲し、安全な漁場を取り戻しましょう!!」

 拳を掲げ、雄叫びを上げる男たち。

 俺はチラリとシアンを見た。


 俺に止めを譲ったのはこのためだろう?


 視線だけでそう訊ねると、シアンはフイと目を逸らした。

 あの時、助けに入ったシアンには余裕があった。《ソニック・ブレイド》を撃ちながらでも両手は自由に使えるし、あの銃には十分な魔力がチャージされていた。あとは構えて撃つだけで、止めが刺せたはずなのだ。それでも俺に銃を渡したのは、あのままでは俺が『助けられただけ』になってしまうからだ。

 『敵を倒した』という結果が同じでも、そこに至る過程によって人々の抱く感情は大きく左右される。助けに入ったシアンが止めを刺してしまえば、この場の『ヒーロー』はシアンひとり。助けられただけの俺がどんな言葉を発しても、漁師や支部員の心は動かせない。だからシアンは敵を足止めすることに専念し、自分の役柄を『ヒーローをサポートする名脇役』に固定してみせた。

 魔法の使い方といい、その後の展開まで考えた立ち振る舞いといい、まったくもって油断ならない男である。

(……また助けられてしまったな……)

 これで借りは何十、いや、何百個目なのだろう。情報部は『見えないところ』で動いている。それは何も、暗殺や諜報、特殊工作に限ったことではない。今の戦いのように、さりげなく『場の流れ』を調整、誘導することも彼らの重要な任務だ。

 近衛隊員に扮したシアンは、無言で俺の後ろに控えている。これほど心強い護衛は無い。

 と、思いたいところだが。

「……なあ、アンディ・ブロンコ?」

「なんでしょうか、特務部隊長殿」

「距離感、おかしくないか? 護衛なんだから、もっと、こう、あと二・三歩近くに……」

「いや……生臭くて、ちょっと……」

「……うん。だよな……」

 水棲生物キメラ三匹との激しい接近戦の末、俺は勝利と生臭さを手に入れた。

 嗚呼、一刻も早く陸地に戻って、シャワールームに飛び込みたい。漁港の水道、いや、民家の庭先に溜めた雨水でも何でもいいから、とにかく真水で体を洗いたかった。

 しかし、そんな俺の思いとは裏腹に、サメ型オートマトン捕獲作戦は大いに長引き、すべてが終了したのは四時間後の事だった。

 潮風に吹かれ、日に照らされ、汗と泥、海水、キメラの体液にまみれた混合臭は次なるステージへと進化を遂げている。雑菌の繁殖による生乾き衣類特有のニオイも加わり、とにかく臭い。俺から生ゴミのニオイがする。もうだめだ。死にたい。

 このころにはシアンはさらに三歩分距離をとっていたし、風向きが変わるとさりげなく立ち位置を変えたりしていた。偵察用ゴーレムで現場のニオイが伝わらないのがせめてもの救いである。こんな有様を女王陛下に知られたら、オリヴィエ・スティールマンのことが無くとも捨てられる。

(……そういえば、陛下は俺の声にすぐ答えてくださったし……ちゃんと見ていてくださるんだ……)

 俺はまだ捨てられていない。

 そう、俺はまだ、無様な野良M豚にはなっていないのだ。

 それだけは確信が持てた。だから胸を張って、いつも通りの『気位の高い男』を演じてみせたかったのだが。

「……アンディ・ブロンコ? 先ほどから気になっているのだが……」

「はい」

「船は港に向かって進んでいるはずなのに、どうして背後から風を感じるのかな?」

「それは、ええと……あとでお背中流させていただきます……」

「……うん……」

 今は何をしても格好がつかない。今の俺にできることは、周囲に生ゴミ臭を振りまかないよう、隅のほうでじっとしていることだけだった。


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