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3,000mの散歩道。白馬岳から五竜岳へ

作者: 和歌流布片豊

『白馬岳から五竜岳へ』


プロローグ

その日の仕事を終え、帰宅してから風呂につかり、食事を済ませ、夜の9時くらいに横浜を出発した。

八王子インターから中央高速に乗り、唸りをあげて走る長距離トラックの横をかすめながらひた走る。

松本を過ぎ、豊科インターで高速を下りて千国街道を北上する。よく登山やスキーに行くときに通る道なので迷うことはない。深夜なので交通量はほとんどゼロに近い。

木崎湖や青木湖の不気味に光る湖面の脇を通り抜け、八方尾根スキー場を過ぎ、栂池高原スキー場のゴンドラ乗場に隣接する駐車場に着いたのは午前1時頃だった。

車の助手席をフルフラットに倒し寝袋にくるまり漸く眠りについた。


2002年9月24日

7時頃に寒さで目が覚める。車の窓が結露で濡れていた。しかし、外を覗くと雲一つない 快晴である。早く山が見たいと気持ちが昂ぶる。

登山行動にしては起床が遅いかもしれないが、ゴンドラが運転を始めるのが8時からなのでちょうど良いのだ。昨夜出掛けに奥さんから手渡されたおにぎりを頬張り、着替えを済ませ山靴を履き、荷物の最終点検を行いゴンドラ乗場に向かう。

自分より先に二人ほど登山者が待っていたが、チケット売場はまだカーテンが閉じていた。

山の眺めは見事である。目指す白馬岳、杓子岳、白馬鑓ヶ岳や、五竜から鹿島槍まで見渡せる。ゴンドラが動くのが待ち遠しい。


8時近くになると登山者やカメラ愛好家、散策客などが七、八人集まってきた。僕は始発のゴンドラに乗りこんだ。四人乗りで、他の三人は皆年輩者である。

約20分でゴンドラは終点に到着するが、そこからさらにロープウェーで上に行けるのだ。本当に便利なものだ。やはり麓から登ることを考えると時間の短縮は嬉しいことだ。


天気も気分も体調も上々である。しかし、ここではやると後でバテてしまうので、一歩一歩確実に登って行く。

天狗原という湿地帯は尾瀬のように木道が敷かれている。そこの池には早くも氷が張っていた。それに、所々紅葉している。もっと紅葉が進んでいると想像していたが、まだ早かったようだ。


巨大な岩石がゴロゴロしている斜面を登り切ると、乗鞍岳というありふれた名前のピークに着いた。平坦な頂上だが、やけに背の高いケルンが目を引く。

そこを過ぎると眼下に白馬大池が見えてきた。径は200mほどだろうか、その池畔に朱に塗られた白馬大池山荘が建てられている。

ここからは、とても歩きやすい稜線が続いている。多少ガスってきているが爽快な山旅だ。しばらくして、小蓮華岳という2769mの山のピークに着く。本来であれば、白馬岳の雄姿が望めるところだが、ガスでほとんど何も見えない状態だ。

その頂上で登山者が一人で休憩していた。聞くところによると、日帰りで来たが時間がないので引き上げると言う。勿体無いように思うが仕方のないことなのだろう。


朝日岳への分岐点を過ぎる辺りから、数日前に降ったと思われえる雪が残っている。確かにかなり気温は下がってきている。

ガスの中、とうとう2932mの白馬岳の山頂に辿り着いた。視界はないが、充実感で胸が熱い。

この山は東西で極端に姿が違う。東側は目も眩むような断崖、西側は直線的なスロープ。ちょうど直角三角形の定規を立てたような形だ。

頂上には方位盤があり、ここから見渡せる山々を教えてくれるが、あいにくなにも見えない。しかし、見下ろすと世界最大級の山小屋・白馬山荘が長々と横たわっていた。


白馬山荘は、本当にここが2800mの山の上かと思わせるほど快適な山小屋である。個室をあてがわれたが、今日は登山者も少ないだろうから恐らく一人で使えるに違いない。

缶ビールを飲みながら持ってきた魚肉ソーセージとビーフジャーキーを齧り、今日一日に乾杯をする。

それにしても寒い。ストーブの点いている談話室以外は外にいるのとあまり変わらない。部屋に戻り布団の中に潜り込み、夕飯までの間まどろんだ。

山小屋での楽しみの一つが夕飯だ。下界ではたいしたことのない物が、山の上ではご馳走である。ご飯や味噌汁がこれほど旨い物かと思ってしまう。


食後に談話室でテレビを観たり漫画を読んだりしていると、誰かが「雪が降っている」と叫んだので、皆の視線が一斉に窓の外を向く。道理で寒いはずだ。

テレビの天気予報では明日は晴天だと報じているが、この雪を見ているとどうも信じ難い。日の出は5時半くらいだと聞き、8時過ぎに寝ることにした。掛布団を三枚掛け、明日の好天を祈りながら眠りに就いた。


2002年9月25日

ガタガタと窓を鳴らす風の音で目が覚める。4時50分。日の出前である。辺りはまだ薄暗い。窓から空を見上げても星はまったく見えない。夕べの祈りも空しく外は悪天候である。

5時半からの朝飯を一番に済ませ、荷物の整理をして出発の準備を始める。風が相当に強そうなので防風の用意を万全にし、6時25分に白馬山荘を出発。

しばらくして分岐点に差し掛かるが、方向表示がないうえにガスと強風でどちらに進んでいいかわからない。同じように迷っている二人組みといっしょに地図を取り出し確認する。風で地図が飛ばされそうになるのを必死で堪えながら、なんとか道が分かり、再び進む。

ところが、存外に歩きやすい。2センチほど雪が積もっており、それが適度に締まっているため石の斜面でも山靴がずり落ちないのだ。特に下りが顕著だ。

しかし、その雪が横から殴りつけるような風に飛ばされて身体を直撃し、体感温度は下がる一方だ。

杓子岳の頂上直下に来ているのは間違いないのだが、どこが頂上なのかまるでわからない。恐らくここが2812mの頂上だろう、という感じで通り過ぎる。ただひたすらにアップダウンを繰り返す。


白馬鑓ヶ岳の山頂に辿り着いた時には多少ガスは弱くなっていた。しかし、風は相変わらず強く霜で凍り付いていた。山頂表示は2903mとあるが、展望がゼロなので高度感はまるでない。辛うじて写真を撮り、水を一口飲んで早々に下る。次の目標は天狗山荘だ。


徐々にガスが切れてきて空が明るく見えるようになってきたが、風は強いままで寒い。天狗山荘に着いた時には身体はかなり冷え切っていた。小屋の玄関口で着替えをさせてもらい、長袖のTシャツをもう一枚着込んだ。正午を過ぎていたが昼飯は摂っていなかった。寒さで空腹を感じなかった。

しかし、少しでもエネルギーを補給しなければ参ってしまうので、魚肉ソーセージを一本かじった。

そして小屋の外に出てみると、なんとガスが晴れていた。ほんの20分ほどの間である。

急いで出発することにした。この山筋一帯はガスが晴れているが、立山方面はまったく見えなかった。それでも午前中に比べれば正に天国と地獄。不帰の嶮に行くまでに晴れてくれて本当に良かった。 


いよいよ、この縦走路のハイライトである不帰の嶮の岩崚地帯に差し掛かった。

ここは白馬~唐松間でもっとも危険な地帯である。鋭いピークが3、4ありそれらをすべて踏破しなければならない。自分自身こういうコースは好きなのでワクワクしているが、慎重に行動したい。

三点確保を繰り返し、クサリやハシゴをいくつも通過し、横を巻いたりしながら漸くピークを通り越した。残るは唐松岳への登りだけだ。

午後2時過ぎ、八方尾根の頭である、2695mの唐松岳の山頂に到着。二日目の最後のピークだ。しかし、相変わらず視界は悪い。剱・立山連峰が望めないのが残念だ。

先に登頂していた女性の二人組が、僕が不帰の嶮方面から登ってきたので羨望を込めて見てくれたようだ。どうでしたか、とか、女性でも通れますか、などと訊かれる。こっちからは下りになるからけっこう危険ですよ、と脅かしておいた。


山頂から本日の宿泊地の唐松岳頂上山荘がすぐ足元に見える。ここもかなり立派な施設である。この山域は宿泊施設が本当に充実している。山小屋ではなくて山荘と呼ぶに相応しい物ばかりだ。

山荘に到着し、受付をして荷物を部屋に降ろす。前日と違って10人くらいで相部屋のようだ。空いているのだからもっと余裕をもって振り分けてくれても良さそうなもんだが・・・。

昼飯を摂っていなかったので暖房の効いている食堂で摂ることにした。そしてそこにはお目当ての生ビールがあったのだ。

うまい。本当に美味い。2600mでこんなに美味い生ビールが味わえるなんて幸せである。いつもの魚肉ソーセージをパンではさみ、コンビーフも添えて遅い昼飯にした。

窓から日が差してきて気持ちよく、うつらうつらしてしまう。正に至福のときだ。地図や雑誌を見ながら時間をつぶし、夕飯まであと1時間くらいだったので、部屋に戻り布団に潜り込んだ。

しばらくして誰かが、ガスが晴れて夕陽が見える、と言っていたのでカメラを手に急いで外にでた。

絶景だ。剱岳・立山から五竜岳まで綺麗に見渡せた。そして眼下には雲海。夕陽が剱岳上空の雲を虹色に染めている。今日は夕陽が拝めるとは期待していなかったので嬉しい限りだ。

徐々に空が茜色に染まってゆく。山で見る夕陽や朝陽は本当に綺麗だ。これを見てしまうと山は決して止められなくなってしまう。山の虜になってしまうのだ。

夕飯時刻ぎりぎりまで夕陽の写真を撮り、身体が冷え切ったところで温かい夕飯にありつく。ここではウレタン製の茶碗や紙コップを使用しており、ゴミのことが非常に気になった。

同じテーブルに白馬山荘から同じ経路で来た男性二人と、唐松岳の山頂で話した女性二人といっしょになり、会話が盛り上がる。男性二人は一週間の山旅らしく、最終的に立山・剱まで行くそうだ。羨ましい。話が弾み8時過ぎまで話し込んでしまったので寝ることにした。

ところが、寝床に就いてもなかなか眠れず、隣の人の鼾も気になり寝ることができない。12時くらいまでそんなことが続いたので、意を決して別の、誰もいない部屋で寝ることにした。この山荘は3階まであるので、そこに行ってみると案の定誰も寝ておらず静かだ。

そっと布団に潜り込みやっと眠れた。勿論、明日の好天を祈りながら・・・。


2002年9月26日

朝、4時50分に目が覚めたが、辺りはまだ真っ暗だ。そそくさと布団を片付け、自分に割り当てられた寝床に戻った。他の人たちはまだ寝ているので静かに荷物をまとめ、灯りの点いている食堂に下りた。窓の外を見ると仄かに明るくなってきた。月が見える。星が見える。待ちに待った快晴だ。見事な朝日が拝めるだろう。

今日の朝飯は頼んでいなかった。ご来光を見ながら歩くためである。パンに魚肉ソーセージをはさんだ物で簡単に済ませ、荷物を整理し、山靴を履き、5時半早々に出発した。


東側は雲海が広がり、今にも朝日が顔を出そうとしていた。西側は立山・剣連峰の雄姿が見事に浮かび上がっている。風もまったくない。無風快晴を絵に描いたようだ。

五竜岳の男性的な荒々しい姿が目の前に見え、近づく者を圧倒する。五竜の姿が大きくなるに連れ、登山道を登る人達や山頂にいる人達が見えるようになった。自分も早く登りたい。


今回のこの山行の最大の目的は、この五竜岳登頂である。昨日の朝の吹雪を考えると、ここまで来られるか不安だったが、今朝の天気を見てそんな心配事は消し飛んだ。

Tシャツ姿になり、いくつか小ピークを越え、五竜山荘に7時40分頃に到着した。地図上では2時間30分掛かるので約20分のアドバンテージができた。ここからは山頂までの往復なので、ザックを置いてアタックザックで登れば軽くて楽なのだが、あいにく忘れてしまったので仕方がない。しかし、心も身体も充実しているので荷物が重いとは感じなかった。

頂上までの道筋がはっきり見える。途中岩場もある1時間の登りだ。一歩一歩確実に踏み締めるように登った。鹿島槍ヶ岳の見事な双耳峰がよく見えた。五竜~鹿島槍も一度は縦走してみたいルートのひとつだ。

岩場に差し掛かり、頂上まであと少しというところで年配者の団体が下ってきた。20人くらいはいるだろうか。すれ違うのに一苦労だった。


そして、8時40分頃ついに五竜岳山頂に到達した。2814mからの眺望は言語を絶する素晴らしさだ。西の真正面に剣岳と立山、薬師岳なども見える。南に鹿島槍ヶ岳。その向こうに槍ヶ岳の穂先と穂高連峰。南東の方角、遥か彼方に八ヶ岳、南アルプス。そしてその間に富士山が霞む。北は白馬岳、白馬鑓ヶ岳に唐松岳。東は雲海。360度の大パノラマだ。


はじめに山頂にいた二人が下山したので、天下の名峰を独り占めできた。興奮が冷めない。いつまでも見ていたい。

写真を何枚も撮りまくり30分ほど滞在した後に、後ろ髪を引かれる思いで下山を始めた。

五竜山荘まで降りてきたときに、唐松山荘で知り合った男性二人連れとすれ違った。お互いの安全を祈り合い別れた。

 

○エピローグ 

この山旅も終りを迎えようとしている。あとは遠見尾根を下山するだけだ。幸いだが雲が出始めていた。暑い陽射しを遮ってくれる。これから登ってくる人達には残念だが、自分には最高のタイミングだった。

何度もアップ&ダウンを繰り返し、歩を進める。遠見尾根から望む五竜岳と鹿島槍ヶ岳は圧巻である。是非、雪に覆われた姿を目の前で見てみたい。


小遠見山というピークを過ぎた時にゴンドラの駅舎が見えてきた。あと40分という表示があった。つま先の痛みがそろそろ限界に達しようとしていた。山靴の中につま先用のクッションを入れておいたのでいつもより楽だったが、さすがに三日間歩き詰めだと痛い。

白馬五竜スキー場の敷地内に入り、コンクリートタイルの敷き詰めてある遊歩道を下り、やっとのことでゴンドラ山頂駅に辿り着いた。人はまばらである。天然水の出る水道があったのでガブガブと飲んだ。あまりの美味さに生き返ったようだ。

チケットを買い、ゴンドラに乗り込んだ。もちろん貸切り状態である。ゴンドラの中で汗に濡れたTシャツを着替え、山靴の紐を緩め、ドカっと腰を下ろし山麓駅に着くのを待った。

そして、ゴンドラは到着し、ここからJR大糸線の神城駅まで歩く。ペンション街や別荘地を通り過ぎ、神城駅に着く。のどかな単線だ。

さほど待たずに電車が来たので乗り込む。車内は高校生で混雑していた。20分ほどで白馬大池駅に着く。ここから栂池高原行きの路線バスに乗る。時刻表を見ると5分で来る。電車もバスも繋ぎのタイミングが良くて助かった。

バスの停留所は僕の車が停めてある駐車場のすぐ近くだった。3日分の駐車料金を支払い、静かに待つ自分の車に戻ってきた。

着替えを済ませ、奥さんに電話をいれ無事を伝え、長い、長い帰路に付いた。   


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