師は構造の一新を説く
総督代理の執務室。
夜。
マキシマムはオルタビウスに呼ばれ入室した。そこには、ロッシ公爵ムトゥがすでにおり、若者を見て立ちあがると笑みを浮かべる。その態度から、マキシマムはこの大貴族には自分のことはばれているのだと感じた。
しかしムトゥは、彼を「マキシマム」と呼び、続ける。
「陛下とオルタビウスから聞いた。君のことは、俺の胸の内に収めている。本国には君を小オルタビウス・アビスという名前で報告をしている。オルタビウスの子供、という意味だ。異論はないか?」
「ありがとうございます」
「そこで、陛下とオルタビウスから説明を受けて、理解しているがゆえに俺はもう退室するが、挨拶したいと思って残っていたのだ」
「公爵閣下を前に恐れ多いことです」
一礼するマキシマムは、ムトゥに誘われ席につく。長椅子に一人で腰掛ける彼の左斜め方向の椅子にはオルタビウスが腰掛け、正面にムトゥがおり、彼らの中央には卓がある。その上には地図が広げられていて、それは大陸西方を描いた大きなものだ。
ムトゥはそこで、使用人を呼び入れ軽食と飲み物を運ばせると、独り言を喋ると前置きして語り始めた。
「大陸西方は、アルメニアを中心とした大連合を組む。これはグラミアへ侵攻を企む異民族と北方騎士団を倒す目的と、その後の復興に至る長く大きなものとなる。その発端となったのが北、ヴェルナ王国であるが、ペルシア王国の敗北とオルビアン半島への異民族進出の脅威が、大陸西方各国の危機感を高めたのだ……一〇日後には、各国の代表がこのオルビアンに到着するがまだ発表を伏せている。余計な騒動を招く可能性もある今は――」
マキシマムは使用人達に聞かれて困らないかと案じたが、よくよく見れば、使用人達はテュルクの女性達だとわかった。それは、ラブの姿を見つけたからだ。彼女はわざと、彼に自分の存在を気付かせることで、彼の帰還に安堵したという内面を伝えていた。
ムトゥの説明は続く。
「――直前での発表がよかろうということになった。基本的にグラミアの他、アルメニアと南部都市国家連合の軍が異民族と戦うこととなり、物資支援などは各国が分担で行うことになるだろうという見込みだ。そこで、重要なのがケブゼとなる。この都市はペルシア側の陸地にある橋頭堡にあたる。ここが無くなると、ペルシアは完全に孤立する。残存の抵抗勢力が滅ぶのも時間の問題だろう。オルタビウスの防衛策に、リュゼ公が修正を加えた今後の戦略が破綻しかねない。よろしく頼む」
総督は席を立ち、使用人達を引き連れて室を辞した。
「異民族達の正式名称が決まった」
オルタビウスだ。
彼は、マキシマムを眺めて続ける。
「魔軍だ」
「アグメメフェティ?」
「アルメニア語だ。公式文書にも残す。これで彼らは完全な悪となる」
「……我々が正義だと残るのですね?」
「勝てばな」
オルタビウスは葡萄酒の瓶を持ち、自らの杯に注ぎながら続ける。
「俺の――」
マキシマムは、出会った頃のオルタビウスと現在の彼の違いを感じ取る。疲れていた老人は、活力を漲らせているように見えた。それは言葉からも感じられることで、一人称が力強いのである。
「――案を陛下がグラミア上層部と共有し、リュゼ公が修正し了となった。オルビアン師団は二個師団となる。一個師団はすでに北の者達で、これからケブゼに向かうのは第二師団となる。オルビアンはこれで、師団から軍団に格上げになる」
「よく本国が軍団への格上げを良しとしましたね……占領地であり、まだ年月がそう経過していないうえに、どちらかというとオルビアンは反体制ですから……」
「その反体制も、同じ敵と戦うことでひとつとなるだろう。これはリュゼ公が決められたことだ。彼はお前のお父上だが、俺はお会いしたことがない……意図は俺の考えであっているか?」
「……実は、父親のそういうところは全くわかりません。いつもお酒の試飲をして酔っている姿でした……」
「……うらやましい」
オルタビウスの感想にマキシマムは微笑む。
彼の脳裏には、ナルが描かれていた。
作った酒を試飲と称して飲む父は、だが目は正気だったかもしれないと記憶を辿る。そこには、酔いたいが酔えないという悩みがあったのではないかと今のマキシマムには感じられる。
彼は、ナルを実の父親だと知り、改めてリュゼ公爵ナルという男の略歴を辿った。
多くの死がそこにはあった。
勝利の裏に、数千人の犠牲があったと感じられる。
彼の思考を止めたのは、オルタビウスの声だ。
「彼がオルビアン軍団としたのは、きっとこれを利用してオルビアンとグラミアをひとつにしたいという意図があると感じたのだが、自信はない。しかし、ケブゼ以降の進め方には、このオルビアンのグラミア帰属が絶対に必要なのだ」
「オルビアン市民の先生が、そう仰るのは不思議です」
「正直に言う。俺はオルビアンを存続させる為に、グラミアを利用する」
「それはひとつの都市を維持するという意味ではありませんね?」
「そうだ。オルビアンの理念は人類の宝だと俺は信じている。それを守る為には、戦って勝たねばならない時もあるが、今はその時だ」
「はい」
「話をケブゼ防衛に戻そう。ロッシ公が馬を回してくれたおかげで、一個連隊規模の騎兵集団を作れる。ペルシア人達を中心に編制する」
「はい」
「兵力は全体で五五〇〇、実際の戦闘参加可能な部隊数は九個大隊規模になる。戦えそうな年齢の男を中心に組んだ……あとは後方支援だ。船で補給を継続可能とする為、商工会にも協力してもらう」
オルタビウスは地図に視線を落とした。
マキシマムは肉団子を頬張りながら師の説明を聞く。
「士官級が不足していたが、こちらもロッシ公の協力でなんとか目途がついた。あと、国外に派遣されていた部隊の指揮官達が参じてくれるとあって間に合った」
マキシマムは、南部諸国で戦闘をしていた仲間達への感謝で瞼を閉じた。
「ケブゼを拠点として、ペルシア方面へと軍勢を動かす。まず、ペルシアとの国境を越えたところにいくつか都市があるはずだから、そこを押さえる。ここを通じて、ペルシア内に残る残存のペルシア人達を支援する。お前は俺の補佐をするように」
「承知しました」
「俺達がペルシア内へと押し出し、後続の……連合軍到着を待つ。彼らが到着した後は、彼らにペルシア方面を任せ、我々は一度、オルビアンに帰還する」
「はい」
「ここで戦力の見直し、再編成をし、北上し本国の軍と合流。その後、アグメメフェティ内の切り崩しを行う。異民族……と我々は呼ぶが、彼らもまた人で、暮らしがある。望んで岳飛虎崇という男に従う者だけではないはずだ。ならば彼らこそ助けねばならない……そして、勝つ側が手を差し伸べねばならないだろう」
マキシマムは異民族の人々までを考える余裕がなかったがゆえに、恥じたような面持ちで尋ねる。
「では、当面の目標はペルシア国内への影響力をもつことですね?」
「そうだ。まだ逃げることができない者達もおろう……戦っている人達もいるだろう。彼らを助け、アグメメフィティと戦う。これにより、オルビアンに逃げてきた宋の人達も、我々と行動を共にする気持ちを得るのではないか」
「あ……」
マキシマムは、オルタビウスの考えを浅く理解していたと恥じる。
オルタビウスは、オルビアンを頼って逃げてきた人達に、立ちあがれと伝えたいのだ。そこには、戦って逆転しなければ、いつまで経っても逃亡者根性を消せないという彼の読みがあった。
「俺は宋の皇族には何も思うことはないが、宋の人達がこのまま流れ者として長い歴史を紡ぐことになるのを防ぎたい想いがある。流浪の者達と呼ばれ、そういう扱いをされないようにするには、今しかない。ここ数年、いや数十年で成す必要があるが、それを俺達が与えては駄目だ。自ら勝ち取ることが大事だ。人は与えられたものは簡単に捨てることができる。だが、自ら勝ち取ったものであれば、胸をはり、堂々と主張ができる」
「はい……俺も、そう思います」
マキシマムは、自分が王族の権利を得たくない理由を、オルタビウスは歪曲的に話すことで「わかっているぞ」と伝えてきているような気がしていた。
「戦うとは、何も武器を持って、というだけではない。あらゆる方法があり、それはこちらで用意するが、参加するかしないかで、彼らの民族としてのこれからが大きく変わることになる。隷属を当たり前とする歴史を紡げば、それは常識となってしまうからな」
「ええ……ですがそのような動きにならなかった場合はどうするのですか?」
「そこまでは面倒みれんよ……ただ、人は様々だ。宋の人達とひとくくりに言っても、男も女も、子供も老人も、生まれも育ちも違う者達が個々にいて、個々人の考え、価値観は全く違うものだ。傾向はあるだろうが、同じではない。しかし、人は本来、生き方を誰かに決められるものではないと思うから、彼らの中に、自発的に戦う者が現れれば、それぞれに考え、決めるだろう。大事なのは、戦わないと決めた者にも、その生き方を尊重するという我々の構え方だ」
「……たしかに、正義は危険を伴います。正義の為にと、多くの非道が歴史では繰り返されました」
「過去、オルビアンもそれをした。アラゴラを攻めたグラミアを、正義の為にと攻撃した」
「……」
「正義と叫べば常に勝てるわけではないが、正義は大事だ……それが多くの人に正義だと認識されれば、求心力を発揮する。そこに利益があれば、加速するのだ」
「はい……先生は、そこまでお考えの上で、ケブゼの件を動かすのですね?」
「うん……俺も先は長くない。だから、お前と息子に恥じない最後を迎えたい」
老人の言葉に、若者は背筋を伸ばした。
オルタビウスは言う。
「マキシマム、争いのない世界がいいと言ったな?」
「はい」
「争いは何が原因で起きるか知っているか?」
「……欲です」
「違う。人が、人であるからだ」
マキシマムは何も言えない。
オルタビウスは一呼吸置き、葡萄酒を飲み、口を開く。
「だが、人は人であるからこそ、争いを避けることを選べる。その為には、偏見、欲望、願望……そこから生まれる差別や、信仰の違い、排他主義、自己防衛……あげればキリがないが、そういうものを超える理念の共有こそが近道だと俺は思う。時間はかかる。すぐにはできない。しかし、未来に平和を求めるならば、俺は今、やろうと思う」
「はい」
「誰もが他人を許容できる関係は、自分も許容されてこそのものだと思っている。それは大陸西方諸国で暮らす人々に限ってのものではない。大陸中央、西方、南方大陸……広い視野で世界をみれば、我々は同胞なのだ。そこに、信仰や地理、体制、価値観、言語……そういうもので区切られてしまった枠で、我々は勝手に相手を見て、敵だ味方だと感じているだけのことだろう……」
オルタビウスが立った。
マキシマムは、老人に続く。
二人は執務室の外、バルコニーに出た。市街地を一望できる場所で、彼らはそれぞれに持つ葡萄酒を飲む。
「この戦いが終わった後、我々の価値観は一変している……それを作る為に、戦うぞ、マキシマム」
正面を見据えた老人の横顔は、凛々しかった。
オルタビウスは、温かい笑みをマキシマムに向ける。
「マキシマム、勝とう」
老人の穏やかな声に、マキシマムは決意を感じ取っていた。
-Maximum in the Ragnarok-
グラミア王国暦一三八年。
夏。
オルビアンを発した軍勢五三〇〇は、海峡をわたった。
マキシマムは、見知った者達と馬を並べていた。
ガレス、パイェ、ギュネイ、エフロヴィネ、そしてサムエル。
彼らは帰国したばかりだというのに、マキシマムが出征するとあって参加を申し出てくれている。
オルビアンを背に、東に進むグラミア王国オルビアン第二師団は、グラミア統治下となって初めて、海峡を越えた軍勢という記録をされた。
後世において、加筆されたらしい説明文は、マキシマムはすでにこの時、王家の者として務めているとされているが、現実は違う。
よく晴れた空は雲が漂っている。
風は暑さを払おうと親切だった。
マキシマムは、進む老人の背を眺める。
若者は、オルタビウスとの時間を少しも無駄にしないと決意する。それが、師への感謝と、恩返しになると理解していた。そして、師の想いを継ぐと空を仰ぐ。
瑠璃色の空は、グラミアの色だと感じた。
世界は繋がっていると、彼には感じられる。
マキシマムは、人もきっとそうだと信じた。
いや、期待したのである。




