求められる者
イシュリーンはその日、朝から人と会う約束があり早くから正装に着替え、化粧も公務にふさわしいものを施していた。
各国の代表者達がオルビアンに到着する日程の確認。
本国から届く北部戦線の情勢。
臨時予算を求める決済。
これらの報告や確認が面会の合間になされ、休まる暇などないまま午後となっている。
夕食にはまだ早い時間、ようやく一息ついた彼女は、庶務の邪魔にならないようにと結い上げていた銀髪をほどき、トラスベリア方面からの報告書を斜め読みしながら、砂糖菓子を口に入れた。
侍女が言う。
「陛下、次はオルタビウス卿との面談になります」
「わかった……宋の人達は随分と移動が進んだようだが、病人は動かせぬと聞いていた。その件だったな?」
「はい、あと説明をするに従者を一人、伴うとの仰せでした」
「わかった。時間になったらここに通してもらえるか?」
「よろしいのですか?」
侍女の問いは、離宮の奥、王の生活空間に臣下を招くことを良しとするのかという驚きが招いたものであり、当然のことだ。しかし王はカラカラと笑い、相手はオルタビウスで、おかしな噂も立たぬだろうと言った。
「例えば彼がもっと若ければ、わたしは配偶者にならぬかと誘ったかもしれない」
イシュリーンの冗談に、侍女は一礼し笑みを隠す。
こうして、庶務をする王は、自身の書斎でオルタビウスを招くことになった。
侍女は、客人を通した後は辞すという決まりで退室した。護衛達も中には入らず、三人は静かな空間で向かい合う。
夏が近く、窓は開け放たれていて、爽やかな風が海から流れ込んできている。市街地の高みに築かれた庭園に咲き誇る花々が、その風に香りを乗せてイシュリーンに届けている。その香しさと、オルタビウスの訪問で微笑みを浮かべた彼女は、オルタビウスと共に入ってきた若者が、被っていたフードを脱いだ瞬間、全ての動きを止めた。
オルタビウスが一礼し述べる。
「陛下、私の事業を手伝い始めた若者をご紹介いたします。マキシマム、と申します」
「……お久しぶりです」
マキシマムは言い、目の前の女性が王であり、自分が幼い頃、家によく遊びに来ていた人であるとわかった。彼は幼い頃の記憶を辿り、この女性が家に来た際の、母親の態度の謎が全て解けたとも思う。そして、ある時期を境に、この女性が家に来なくなったことへの疑問も答えが出たと考えた。さらに彼は、不思議な自分の半生に、これで説明がつくと結ぶ。
マキシマムは直感で、王を母親だと知った。
子供の頃にはわからなかったことも、今はわかると感じる。
自分を見て、驚き、次に微笑み、今は涙ぐむ王を前に、マキシマムはそう思えていた。そして、怒りや悲しみなど全くない自分に狼狽えもしていた。
彼はただ、自分へと手を伸ばし、でも躊躇う王を前に、優しい気持ちになれていた。これも全て、両親とベルベット、あの村の人達が自分に向けてくれた情によると、青年は感じられている。そして、オルタビウスとの王に関する会話が、自分に今の感情を齎していると知っていた。
おせっかいを働いた老人が、詫びるような顔で言う。
「陛下、マキシマムと陛下が瓜二つであることから、もしかしたらと思い――」
「オルタビウス」
イシュリーンは鼻声で、オルタビウスの言葉を途中で遮ると、マキシマムを正面から見つめ、こうなることがわかっていたから会わないようにしていたのに、という内心の代わりを口にした。
「……貴公の判断を予は許すことができない……でも、わたしは貴方に感謝しかない」
イシュリーンはマキシマムの前まで進み、彼の腕をとる。
そして、自分より少し背が高くなった我が子を抱きしめた。
「今は……これだけ言わせて……ありがとう」
マキシマムは母に応えるように、彼女を抱きしめている。
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムの話は長いものだった。
レディーンを救いだした後のことを、包み隠さず、イシュリーンに伝えた。その過程で、日本という国の人達と出会い、彼らから自分の出生を知らされたことも話した。
オルタビウスは退席しようとしたが、二人に止められて、同席している。
「――ということで、俺はオルビアンに入り、偶然にもオルタビウス殿と出会い、彼が陛下と俺のことに気付き、今に至りました……押しかけてしまいごめんなさい……でも、どうしても確かめたかった。そうしなければ、俺はうじうじと悩み続けていたかもしれない……オルタビウス殿の手伝いをする時は忘れていることができる自分の黒い悩みや感情に、いつか負けるのではないかと恐かった」
イシュリーンは我が子の言葉を素直に受け取る。
「迷惑じゃない。わたしが恐れていただけ……立場や……いろんなことがあるからわたしが避けていただけ……あなたは何も悪くない。その……」
彼女は言葉を探すように室内を見渡し、オルタビウスで視線を止める。
イシュリーンは、マキシマムのやや後ろに佇む老人を眺めた。彼は、椅子を若者の近くに引き寄せ、そこに陣取っている。まるで青年の背を押すような、それでいて守るようなオルタビウスを見たことで、彼女は過去を鮮明に蘇らせることができた。
「わたしには過去、祖父と慕う人がいました……」
「祖父?」
マキシマムの問いに、イシュリーンは頷き、続ける。
「ルヒティという名です」
「ルヒティ……」
マキシマムは、酒の名前だと理解していたが、違うのだと思う。そして、酒の名前にルヒティとつけた父親を思い、彼もまたこの名を持つ人物と縁があるのだと知った。
「ルヒティは、オデッサ公ルヒティ……わたしの両親を殺害したことで大罪人となり、今は話題にもならないほど消された存在であるけれども、そうしたのはわたしであり、わたし達なのです」
「……」
マキシマムは、イシュリーンが何を伝えたがっているのか、懸命に読み取ろうと沈黙を続ける。
「彼はわたしを助け、育て、わたしを生かしてくれたのです。どれだけ感謝しても足りない大切な人……彼が、わたしと……あなたの父を育ててくれたの」
「父……父上?」
「そう、わたしの大切な人で、あなたの父親は、この世界に一人、何も知らずに放り込まれて……偶然、わたし達は出会った。わたしは彼が出会った頃のままでも大切な人だと思えていたに違いないけど、ルヒティがわたしの為に、彼を育ててくれたおかげで、わたしは今を生きている……生きることができている……あなたを生むことができた……マキシマム、あなたはわたしと、リュゼ公爵ナルの子供です」
やはりと、マキシマムは表情を硬くする。
イシュリーンは我が子の反応にも負けずに続ける。彼女にとって、それはどんな戦場に立つことよりも勇気が必要だった。
「わたし達はでも、一緒になることはできなかった……当たり前です。それに、わたしは王として生きることを選んだ身……わたしの気持ちひとつで、わたしと共に戦い犠牲になった人達を捨てることなどできるものではない……わたしは、あなたや彼との幸せを捨てて、この国を取ったのです」
「……」
「マキシマム、だからわたしは、あなたの母親としてあなたにこうして会えて嬉しい。だけど……親子の関係になることはないでしょう。なぜなら、あなたにはちゃんとした父親と、素敵なお母様がいるはず――」
「陛下」
マキシマムがイシュリーンを遮る。
彼は、わざと母を『陛下』と呼び、相手の発言を止めると、口を開いた。
「……陛下、もちろん、俺には母上がいてくれます。でも、こうも思う……母上と呼ばせてもらえませんか? 王族の権利など俺には不要だし、この国の為に王として来てくれようとしているアルメニアの王族の方こそふさわしい跡継ぎであると思います。でも、俺はあなたを母上と呼びたいんです。俺には、産んでくれた母上と、育ててくれた母上がいる……母上が二人いると、胸をはって生きていきたい……胸をはって、オルタビウス殿と一緒に働きたい……俺は……胸をはってあなたを母上と呼びたいです」
「マキ……」
イシュリーンは言葉を失う。
彼の言葉に、彼自身が気付いていたかいなかったか不明なれど、抱えていたものが込められていたからだ。
イシュリーンはそれに気付き、過去を振り返り、この子は幼いながらも何かを察していて、ずっと抱えてきて、口に出せず、それでも今のような言葉を自分にかけてくれる青年になったと思う。
だから彼女は、アブリルに心から感謝した。
そしてベルベットに、感謝をした。
さらに、あの村の人達と、マキシマムと関わった人達に礼を述べたいと思った。
ゆえにイシュリーンは、ただ頷く。
マキシマムが腰をうかし、イシュリーンの傍らに片膝を立てて姿勢を低くする。
そして彼は、王の許しなく、彼女に触れた。
イシュリーンは、マキシマムを抱きしめた。
彼女は、我が子の言葉を耳元で聞く。
「母上、オルタビウス殿と働かせてください」
「うん。うん……いいよ」
イシュリーンは、自分が好きな言葉を、息子に使って応えた。
二人を見守る老人がそっと席を立ち、マキシマムに近づくと、優しくその肩に手を置いて、穏やかな声を出した。
「イシュリーンどの、お任せください。大事に厳しく、彼を助けます」
「オルタビウス殿……貴方に任せられること、とても感謝します」
イシュリーンは、母親として、言っていた。
-Maximum in the Ragnarok-
離宮から、オルタビウスの自宅まで徒歩を選んだ二人は、夜道をのんびりと歩いている。
マキシマムは夜空を見上げ、星が多いと感じた。
「マキシマム、オルビアンを混乱から立ち直らせ、宋の人達に生活を取り戻させる事業は、誰も成したことがない大仕事になる。お前がもし、考えが変わり、いずれ王にと思った際、この経験はとても役立つだろう。厳しくするからな」
「……お願いします。でも、俺は王にはならないですよ……なれませんよ」
「今の発言、未来においても同じであると思うには俺は歳を取りすぎているからな」
「先生……アルメニアの王族の方が来られますので」
「それでまとまるか?」
オルタビウスは言う。
グラミア王国は、イシュリーンあっての国家であると。
「アルメニアの御方は確かに立派だ。異国の地に、偉大な王の後を継ぐ為に参るという気概は尊敬に値する。本国にいれば何不自由なく暮らせるであろうに、あえて難局に挑もうとするのはすごいことだが……しかし一方で、このグラミアを考えた時、オルビアンを考えた時、彼で務まるかとも思う」
「すばらしい教育を受けておられるに違いありませんが?」
「うん。それは間違いない。だが、俺は王にはやはり血筋が大事だと思う。血で決まる役割……俺の口からこう言えば、民主主義を否定するかと怒られるかもしれぬが、王というものは、血筋だ。皆が崇める血脈で、イシュリーン陛下は偉大すぎる……ゆえに、その血筋と関係のない人物が王になったところでと勘繰るのだ。グラミアはまだ若い国だ……グラミア、アラゴラ、リュゼ、オルビアン……ここで暮らす人達が現在、これでもまとまっているのは、王陛下がイシュリーン様だからだ」
マキシマムは師の見解を聞きながら、この人はやはり政治家だと感心する。そして、選挙で選ばれる身でありながらも、王制のあり方を述べる彼を立派だと思えた。また、自分に王になる選択肢を示しながらも、態度を変えない人柄に感謝する。
事務所兼自宅が見えてきた。
オルタビウスが言う。
「マキシマム、王になれとは言わない。しかし、王とは求められるものだ。イシュリーン陛下がそうであったように、混迷の時代の王は、民によって求められる者がその座につく。マキシマム、求められろ」
「先生……焚きつけないでください」
「いや、悪かった。しかし、言う。この国、人の為に、求められる人間になれ……さすればお前の人生は、選択肢を多く持てる……王もそのひとつだ」
「はい……先生?」
「なんだ?」
「俺は、自分と関わる人達の為に働いている今が、最もしっくりきてるんです。ベル先生……家庭教師をしてくれたベルベット先生や、育ててくれた母上がきっと、そう育ててくれたからだと思うんです」
「うん……」
「だから、産んでくれた母上が、俺に関わる人達が、俺にそれを望むなら、その時は考えます」
「そうせぃ……お、サクラだ」
見れば、二人が進む先、街路の真ん中でこちらを見るサクラがいた。
彼女は二人に気付き、駆け寄ってくる。
「遅いから心配しました! おかえりなさい」
彼女の出迎えに、古龍であることを知りつつもそうとは思えないオルタビウスは苦笑し、だが随分と彼女も変わったと感じていた。そんな内面を出さない彼は、明るい声色でマキシマムを誘う。
「おう、飯にしよう。腹が減った」
「はい……ただいま、サクラ」
「おかえりなさい!」
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムとオルタビウスが去った後、イシュリーンはナル宛に手紙を書いた。
そこには、マキシマムに全て伝えたというものと併せて、日本に関することが記されている。
貴方が言っていた国の名前が、マキシマムの口から出た、と。
そしてその国は、今も存在している、とも。
手紙はそう遠くない未来、ナルの手に届くものと思われる。




