マキシマムという青年
メヴィル家のパラモアは、オルタビウスのとりなしで解放されたが、これが原因でオルビアンはおかしくなっていることを、グラミア王と総督は知るに至った。
イシュリーンは経緯の報告を元老院議員に求め、オルタビウスはマキシマムに関する箇所のみを隠して伝えた。
夏が近づくことを感じられる暖かい午後。
離宮の応接室で、オルタビウスの説明を聞いたイシュリーンは、銀色の髪を指で梳きながら労いを口にする。
「大変だったな……だが、宋の皇族には何もするなというのはどうしてだ?」
「は……彼らを我々が締め付ければ、それは難民化した宋の人達にも悪影響を与えるものと考えますゆえ……」
宋の人達にとって、皇族が自分達を全く案じていない、いや、視界にすら入っていないなど知る由もない。ましてや身分が全く違う。しかし、宋という単位でみれば、皇族は代表者に値する。ゆえにその代表者をグラミアが封じる動きを取るならば、宋の人達はこれまでの経緯、支援がまだ始まったばかりという不安定な時期、オルビアン市民達から向けられるものなど、様々なよくない条件と繋げて、自暴自棄になるかもしれないとオルタビウスは心配していたのだ。
彼は述べる。
「粛々と現況の改善に努めることが、良きことかと存じます」
「わかった……」
納得していないイシュリーンは、ここで溜息をつく。彼女とすれば、信頼する臣下を宋の皇族が狙ったということに嫌悪感を抱いていて、それは無かったことにはできないものだ。しかし、当の本人が、己の感情や安全よりも、国家、都市の為にと論じるのであれば、何もせずという選択肢を取るかという諦めの仕草である。
オルタビウスは、王の小脇に書類が抱えられていることを先ほどから気にしていた。彼女は何か重大な仕事の途中、わざわざ抜けて、自分と会ったのだと感じた。
「陛下、お仕事の途中にも関わらず失礼しました」
「大丈夫だ。これは全て報告でな」
彼女は書類を卓に放る。
オルタビウスは会釈をし、目を通す。
ヴェルナでの、グラミア軍の動きに関するものだった。
「大軍ですな……」
「一日、動くだけでも大量の金品が必要だ。動かずとも維持するだけで大変だ……これはいよいよ、資金が尽きる」
「先日から申しあげている国債の件、如何でしょうか?」
「アルメニアが購入くださると、ヨハン陛下のお言葉であるが、それでも足りぬ……彼の国も、国家予算は予算委員会の承認を取る手続きがいるゆえ、友誼や関係で無尽蔵にはできぬからな……近々、南部都市国家連合のマドリーとリスボーン、バルサの代表がオルビアンに到着するゆえ、話そうと考えている」
「トラスベリアは無理ですか?」
「トラスベリア王家は、バイエル公と大規模な軍事衝突を繰り返しているゆえ厳しいだろう……シェプール公は協力くださるかもしれぬが、彼のご領地は遠い。ストックホルムに使者を送っているが、まだ到着はしていないだろう」
オルタビウスは書類に視線を転じた。
万を超える軍隊が活動する為に必要な物資と資金は、小国の年間予算に匹敵する額だ。人だけではなく、馬、牛も食料が必要である。また矢も無料で入手できるはずもなく、火薬、武器、防具、兵器などなど、一戦するごとにおそろしく消費するので、いくらあっても足りない。
グラミアは軍を大きく変化させつつある。それは重火力化と機動力重視の軍へと成長することであり、無尽蔵に兵数を増やすよりも効果的であるが、長期戦となると消費量はえげつない。
しかし、広くなった国土を守りつつ、経済に人員を割きたいグラミアは、軍の編制装備を一新する道を選んだのである。しかし、異民族が岳飛虎崇に率いられて侵入してくるまでは想像できなかった。また、ヴェルナ事変がここまで大きな戦に成長するとも予期していなかった。
始まった時、出口を見つけられていないまま進めたという後悔がイシュリーンにはある。思えば、過去の争いには必ず出口が見えていた。それを目指して進んでいた感覚もある。けれども今は手探り感が強く、それはきっと、異民族の狙いが読めないことに原因があるだろうと思考を結んでいた。
「オルタビウス、異民族の侵入、何を狙っているのだろうか……意見が聞きたい」
「……この老いた脳では、陛下のお考えを超えるのは難しいかと存じますが?」
「聞きたい。予の意見は意見であるが、そなたらの意見もまた大事にしたい。予はこれまで多くの失敗を見てきた。上に立つ者に下の者が意見を述べない環境は、くだらぬ結果にしかならぬと存知だ。どうだ?」
「さすれば……おそらく何も考えておらぬというのが正解に近いものかと……」
「そういうものか?」
「確信があるわけではありません。しかし、西に東に侵攻をする異民族の狙いはそもそも、生活の為でありました。よって、異民族に考えはありませんでしょう。問題は、彼らを率いる岳飛虎崇なる者が、どこまでやる気なのかということでしょう……ひとつの国家を侵攻し、占領し、統治する……何十年かかるかわからぬほどに大変な事業です。一州、二州を奪うものではありませんゆえ……土地を占領したからといって、すぐにその土地が自分のものになるのは、お伽噺の中だけです……」
オルタビウスは話しながら、自らの考えを整理している。
「……ゆえ、もしかしたら、主たる目的は侵攻にあり、統治など考えていない可能性も捨てきれません」
「それをして、岳飛虎崇に何の益があるのだろうか?」
「さぁ……」
オルタビウスは悩んだ。
彼は元老院議員で、オルビアン市民だ。
その彼に、無謀とも思える異民族の侵攻規模は理解できない。
室の扉が叩かれた。
「陛下、アルメニアのお客様がお越しです」
「わかった……オルタビウス、悪いな」
腰を浮かした王は、老人を労わるような笑みを残して室を辞した。
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムは、各衛星都市へと移されていく宋の人達を眺めていた。全てではないが、多くの者が居住区を離れる。健康に問題がある宋人はこの場に残り、治療を受けることになっていた。
彼は丘に立ち、隣のサクラに尋ねる。
「どうして人は、争うのだろう?」
「それが人です」
「そうか?」
「わたしが記憶している情報では、人の歴史は争いの歴史です。常に争いはあります。その争いの火種になるものは、人の感情と欲です。ですから人は争いを止めることはできません」
「……どうして、他人を攻撃するんだろう? たしかに、俺も大事な人を守る為に戦うことには異論はない。でも、そもそも……他人の大事な人を攻撃しなければ、起きないはずだと思う」
「皆が貴方のように考えるものでもありません。それは、やはり人、なのでしょう。自らの正しさ、自らが欲するもの、自らが成りたいもの、自らが信じているもの……いろいろとそれぞれ違うでしょう。マキも、オルタビウス殿と全く同じというわけではありません」
「それはそうだ……でも、わからない。これまで戦闘でたくさん斬った俺が悩むのもおかしいんだけど、俺達は戦う必要なんて本当はないんじゃないかと思う」
「その考え方は極論です。それを他人に強いるのは暴論です。しかし、それを目指すのは素晴らしいことだと思いますが、賛同を得るには時間が必要です。過程も大事です……けれども状況は味方してくれないでしょう」
「サクラ、君は俺よりも多くのことを知っている。だからもし、知っているなら教えてほしい。俺達、人は……ヒューマノイドだとしても、俺達はお互いを尊重できる世界を作れないかと考えた時、それをしようとした人、いたのかな?」
「いません」
サクラの回答は短く、断定的であった。
マキシマムは、やはり無謀なのかと思うも、先日のオルタビウスとアルギュネスのやり取りを思い出した。
「最初に、誰かが始めないと、何も進まないのか……」
「はい……正確には、過去、戦争をなくそうと多くの知識人が動いたことはありますが、しかし結局は、彼らにとって有利な条件、方法を用いようとしたが為に、成功できていません。そして、争いが起こっているのに、それを止めようとして失敗することを繰り返しました」
「争いが起きる前に。争いを沈めた後に……か」
「マキ、言ってもいいですか?」
「どうぞ……」
何だろうと訝しむ彼に、サクラは遠慮がちに口を開く。それを見て彼は、人らしい表情だなと微笑んでいた。
「わたしは、マキがもし自分の考え、望むものを実現したいのならば、味方を作らないといけないと思います」
「味方……君だけじゃなくて?」
「わたしなど……マキ、ごめんなさい。嫌なことを言います。マキがもし、王の子供であることを受け入れて、跡継ぎとなれば、味方は自然と集まるものと思います」
「……利用しろと?」
「早いです。人……オルタビウス殿が仰います。寿命がつきかけてようやく気付いたとよく仰います……人には期限があります。そしてマキが言う、争いのない世界というものは、人ひとりの期限では絶対に足りません。それを可能とする方法として、利用できるものはすべきと思います」
「君がそうはっきりと意見を言うの、初めてだね」
「マキをずっと見てきて、今日、初めて話したいと思ったことです。マキが、わたしを頼ってくれたから」
「いつも頼っているけど……」
「それとはちょっと違います……」
マキシマムは赤面するサクラに笑い、しゃがむと草を掴んだ。
意思も何もないと見える草も、太陽の光を浴びようと懸命だと思えた。そして、草花一つひとつも生きていて、木々も、動物も、自分も、サクラも、この世界に生きていると思う。
宋の人達を見てきた彼は、生きることは、ただ生物として命があるというものとは意味が違うと理解していた。
そして、過酷な環境の中で人は、簡単に壊れるとも感じた。
彼はそこで、ラムダを思い出した。
彼もまた、壊れてしまったのだと思う。
あの時、憎んでしまって悪かったと胸中で謝罪する。
風がそよぐ。
マキシマムは考えている。
これまで生きてきて、成長し、今となり、このような世界に立っている自分は、殺した人達の為に、殺されてしまった人達の為に、何を代わりにできるだろうかと。そして、こんなことを考えることができるのも、ベルベットに教えを請うことができていた幼少期があるからだと思えた。
彼は、彼女を家庭教師につけてくれた育ての親に感謝する。
しかし父親に対しては、仕方ないから感謝するという感情に訂正する。
街道に列を為して進む宋の人達を、一部のオルビアン市民が野次っていた。
さっさと出て行け
二度と来るな。
汚い人種め。
マキシマムは歩きだす。
「どうしました?」
サクラの問いに、彼は答える。
「彼らの汚い言葉を止める」
「……揉めませんか?」
「揉めるかもしれない。でも、見過ごしたら、それは彼らと同じになるということだと感じるよ……今は」
マキシマムは丘を下る。
オルビアン市民達の声がはっきりと聞こえてきた。
彼は、サクラに言う。それは、自分の気持ちを言葉にすることで、後悔しないようにと考えてのものだった。
「今夜、先生に全て話そうと思う」
-Maximum in the Ragnarok-
オルタビウスは、マキシマムが珍しく飲酒に誘ってきたとあって笑った。
安楽椅子に身を沈めた老人は、イブリン・ザ・セリーンというシングルモルトが注がれたグラスを片手に、隣の椅子に腰掛けるマキシマムを見る。サクラが、二人を見守るように卓についていて、チーズを切り分けていた。
「先生、俺はグラミア王国のラベッシ村というところで育ちました」
「……」
オルタビウスは、おや? という表情で沈黙を保つ。疑問や懸念の代わりに、酒をちびりと飲んだ。
マキシマムの話は長いものとなる。途中、オルタビウスは酒を飲み、チーズを食べながら聞いた。
リュゼ公爵領ラベッシ村で、代官夫婦の子供として育ち、そうと自分も思っていたが、竜人族と呼ばれる人達に関わった際、生まれを彼らから知らされ、そのまま軍に還らず、オルビアンなら難民が多いことから紛れ込むことができるだろうとここに入ったというところまでを話した。
「――ですので、両親の顔は知りません。もしかしたら、あの人が母上かもしれないという人はいましたが、確かめたことはありません。でも、先生が似ていると仰るなら、似ているんでしょう……陛下が、俺の家を訪ねてきていた人ならば、きっとそうなんでしょう」
「……ありがとう、話してくれて……お前の育ての親だという、ラベッシ村の代官、ナルという名前だそうだが、きっと彼は、公爵ご本人だろうな」
「は?」
マキシマムが目を丸くする。
「ナルという名前、グラミアの名前ではないよ、そもそも……グラミアでナルと響きを名前に入れることもあるかもしれないが、ナル、とだけできるものはないだろう」
「……公爵ご本人? ではなぜ、父……公爵閣下は代官だと言って」
「お前を育てる為じゃないか? 陛下の御子だ……」
オルタビウスはここで、言葉を止めた。それは、イシュリーンの相手が、ナルという男だと確信を得たからだ。しかし、それを口にはしない。
代わりに、彼はある提案をマキシマムにする。
「陛下に、お目通りしてみるか?」
「……お願いします」
オルタビウスは頷く。
そして、問うた。
「お会いして、どうする?」
「仮に、本当に俺を産んでくださったのが陛下であるなら、お礼を申し上げます。
そして、しばらくは先生のもとで働かせてもらうよう、お願いをしたいと思っています」
「……王族としての権利を求めないのか?」
「俺はマキシマムです。ラベッシ村の、代官の息子で、数学者になりたくて学費の為に軍役につき、抜け出して、先生に拾ってもらって今がある人間です。これを無視して、進むことは失敗すると思います」
「……そうか」
「先生、俺は争いを否定します。だから、そういう世界がいずれ、来ればいいなと期待します……でも今は無理です。いろいろとやらないといけないこともある。だから、俺は最初の人になります。その為に、しばらく先生から学びたいんです」
マキシマムは、正直な気持ちを言葉にしていた。
オルタビウスは酒を口にし、ほうっと息を吐きだす。
彼は決めていた。
マキシマムの話を聞いて、決めることができていた。
「マキシマム、こちらからお願いする。手伝わせて欲しい」
老人が差し出した手を、マキシマムが握った。




