最初に進みだす者
オルビアン市街地の外には、大量の宋人難民が暮らす居住区がある。周囲を柵で覆われた広大な敷地であるが、それでも人が多すぎて狭く感じてしまう。
マキシマムは今朝からここで仕事をしていた。
衛生環境悪化が進んでいる状況の視察と、対策を講じる為にここに入ったオルタビウスの護衛が目的だった。もちろん、二人の背後には常にサクラが立ち、遠くから三人を眺めるだけでも気付かれるほど警戒を強くしている。
そのサクラが、マキシマムとオルタビウスに近づく二人連れに気づく。まだ距離はあったが、その二人は間違いなくこちらへと歩いてきている。
「マキ、二人、近づいて来ます。南南東、金の髪の男と、黒い髪の女、二人とも長身なので目立ちます」
マキシマムは肩越しに背後を窺い、襲撃者の仲間であればまずいと感じつつ観察した。しかし、すぐに安堵を浮かべ、次にそれは笑みとなる。
「アルギュネス殿!」
「やぁ! マキシマム殿!」
お互いに名前を呼びあった直後、マキシマムはサクラに「心配ない」と伝え、官僚と話し込むオルタビウスに会釈をし離れた。
宋人達の人ごみをかきわけ、途中、アルギュネスの財布を狙った男が護衛のリュビドラに腕を捻じり上げられ、だがすぐに離してやれという主に彼女は苦笑し従い、三人は向かい合う。
「マキシマム、ここにいたのか? あ、彼女は俺の護衛でリュビドラだ」
「マキシマムです」
「わ……アルギュネス様の護衛を務めるリュビドラでございます」
「リュビドラは俺の戦乙女なんだ」
アルギュネスの言葉で固まってしまったリュビドラを無視して、金髪の青年はマキシマムを誘うようにオルタビウスへと向かう。
「知り合いか? 紹介してもらいたい」
「かまわないけど、どう紹介したらいい?」
事情ある相手を、オルタビウスに紹介する方法に悩むマキシマムだったが、オルタビウスはベラベラと喋る人物ではないという信頼から、知っている限りの内容で伝えようと決める。
官僚とオルタビウスの会話が二人に届く。
「――から、それでは遅い。失敗してもいい。すぐに方法を変えればいいのだ。今は何より動くことだ。これだけの規模、参考になるものなどどこにもないのだ」
オルタビウスの言葉に、アルギュネスの歩む速度が落ちた。それは、元老院議員の指示をもう少し聞いていたいというものの表れである。
「鼠も増えている。駆除も同時に行いながら、各衛星都市、農場への派遣人数取り決めを素早く行う。実数の狂いはどうでもいいことだ。今はとにかく、ここに人を集めて止める状況の改善が急務だ」
「補助金も申請を待たずして先に支払え。農場にはとくに手厚く。あと医療従事者をもっと増やさなければならない。民間に広く伝え、金も十分に出すとも広めろ。あと薬だ。原材料を卸す商会には生産を増やすように通達しているから、高くてもさっさと決済をするように」
「修正稟議を全て俺に回せ。即決済してやる。問題があれば俺の首を差し出す。急ぐように」
オルタビウスの指示はまだまだ続きそうだったが、彼が自分の背後で佇む二人に気付いて口を閉じた。
「マキシマム、こちらの方は?」
「お仕事の後にご紹介します」
「悪い、もう少し待ってくれ」
オルタビウスは官僚達に意識を戻すと、再び指示を出し始めた。途中、数字や計算が挟まれ、速記をする書記官が困るとサクラが即座に答えて助ける。
「足りぬ分は国債発行を陛下に進言するゆえけちるな」
「おおざっぱな枠で予算を押さえておけばいい。正確な見積もりなど今は無理だ」
喋るオルタビウスに、走り回っていた宋人の子供がぶつかる。
オルタビウスは転んだその子を抱きあげ、あやしながら口を開く。
「各衛星都市の廃屋や空き家の状況を一月で調べよ。家族単位で宋の人達を移す……よしよし、膝をすりむいだか? サクラ、この子を……中が使えるかどうかは後でいい。雨風を凌げる寝場所の確保が先だ」
子供を抱き受けたサクラが、泣きじゃくるその子を大事そうに抱えてその場を離れた。
マキシマムがアルギュネスに耳打ちする。
「すまない。しばらくかかる」
「問題ない」
アルギュネスは微笑んでいた。
-Maximum in the Ragnarok-
夕刻のオルビアン市街地は、何度訪れても美しく感じる。
アルギュネスは海の方向を眺めながらそう思えた。
露店の茶を購入したリュビドラが、全員に配るが、サクラは微笑みと共に受け取らない。それが同性ながら美しく感じた彼女は、オルタビウスの護衛という女性の容姿を羨みながら、アルギュネスの後ろに立つ。
段丘上の市街地の一画、海を見渡せる高みにある広場に五人はいた。
市民が語らいに使う場所で、木製の椅子と円卓がぽつぽつと置いてあり、彼らはそれを利用して輪をつくっている。
アルギュネスの自己紹介と、マキシマムからの言葉で、オルタビウスは金髪の青年がアルメニアの貴族であると知った。そして現在のアルメニアで貴族のままでいられることから、その家は過去の内戦時、国民側につき、彼らを支援したのだろうと推測すると共に、大公派の諸侯であったのだろうとも思う。
「オルタビウス卿の活動が、オルビアンと宋の人達を救っているように感じます」
アルギュネスの感想に、元老院議員は苦笑すると緑茶をすすり答える。
「そう言って頂くとありがたいが、後のことなど関係ないと思える老人だからできることかもしれません。保身を考えなくてもいい……ただ、己の気持ちと、変えられぬ信条、信じてきた理念、そういうものだけを追求できるのも、私がもう人生を終えようとしている年齢であるからこそです……逆に言えば、私はこれをしなければならない。子供や孫の世代に、残してはならない問題、課題をひとつでも減らしたい。元老院議員の自分にはこれができる。ありがたいことです」
「そう思えるのは少数派でしょう」
「そうですね。しかしそれでいいのです。私のような者があちこちにいると、今度は逆に国を危うくしますよ……陛下が気の毒だ」
オルタビウスが笑い、マキシマムもつられた。
ここまでの道中、マキシマムが軍を離れた経緯を聞かされているアルギュネスは、それならば自分と一緒にアルメニアに帰らないと誘ったが、マキシマムはオルタビウスの仕事を手伝うと答えている。
そういうこともあり、アルギュネスはオルタビウスを、優秀な元老院議員というだけでなく、人としての魅力もあるのだろうと感じていたが、ここでの会話でそれは当たりだと感じられていた。
その理由は、自信と謙虚の均衡がとても取れていることだった。
オルタビウスが笑みを止めて言う。
「物事には全て期限がある。最悪なのは、何もせぬまま期限を迎えてしまうこと……失敗したとしても、失敗で得る経験がある。成功するのが一番いいことだが、失敗も悪いことではないと私はこういう場合は思っています。手探りで進むしかないなかで、私のような頑固爺が突き進んで周囲を巻き込む方法が、今はいいと感じます。後世で、オルタビウスは愚かであったと言われるかもしれませんが、一方で、そう論じられる後世を残すことができたのなら、私は喜ばしいことだと思う……」
「貴方に質問したいことがあるのですが?」
「どうぞ。マキシマムのご友人には特別にお答えしましょう」
アルギュネスは笑いながら問う。
「ははは……宋、オルビアン市民、どちらも貴方に反対した場合はどうされる?」
「民意は尊重します。しかし、民意は常に正しいわけでもありません。しかし私は辞職するでしょう。これによって、総督府主導の指導が浸透しやすくなればいいと考えますね」
「宋の人達を移住させるのはどうしてですか?」
「彼らに生活を取り戻させる為です。生活をしなければ、人は人として生きることを止めてしまうと考えているからです。人らしい生き方……それは個々の自由ですが、選択肢を持つことができない今の改善こそ宋の人達には大事でしょうな」
「それをオルビアンがする意味は? 他人事ではありませんか」
「オルビアンを頼って、逃れて来た人達を見捨てることなど、この都市の一市民として恥ずべきことだという矜持が私にはあります」
「それは貴方一人のものだ。それで他人を巻き込むことに罪悪感はなにのですか?」
「ないと言えば嘘ですが、手を差し伸べることができる余裕ある側の者がそうしないで、誰ができますか? 倒れた人を誰も助け起こさぬ街になど、私は住みたくありません」
オルタビウスは、わざと嫌な質問をするアルメニア人青年が微笑ましい。そして、この若者は政治家秘書という肩書で勉強をしているのだと感じるがゆえに、おせっかいをすることにした。
「例えばアルメニアは内戦をくぐりぬけ、今は王制ではないですが、しかしそれを築いたのは、皆の同意を取りつけてからではありませんでしょう? 誰かが始め、次第に広がり、大きなうねりとなり、成功した。そこで例えば失敗していたとしても、その動きは確実に歴史に残ります。人々の記憶に残ります。そして体制側の戒めとしても残ります。変化だ……変革に届かぬとも変化があります。それはゼロではないということです。ゼロとイチは、近い数字のようですが大きく違うものだと私は思います。如何です?」
オルタビウスの問いに、アルギュネスは答えられない。
マキシマムは無言で二人を見守っていたが、サクラが隣に立ったと気付いて視線を転じた。
夕陽が沈もうとしている。
マキシマムの隣で、それを眺めようと思ったサクラと、彼女の為に半身となったマキシマムは、手すりに肘を乗せて太陽を見る。
熟れたトマトのような色合いの太陽は、頭を少しだけ、世界に残している。
アルギュネスも二人と同じ方向を見ていた。
彼は、自然と言葉を口にする。
「誰かが……始めなければ……誰も始めない」
オルタビウスは頷くと、若者たちの背後から夕陽を見る。
世界が夜に染まろうとしている。
星はない夜になるだろうと、老人には思えていた。
「フランソワ様……」
リュビドラの声で、一同が振り向く。
オレンジ色の髪が鮮やかな女性が、少し慌てた様子で駆け寄って来る。
アルギュネスは、ようやく現れたかと笑う。
「遅いぞ」
「申し訳ありません」
近づいた彼女は、アルギュネスの手前で止まると片膝をつく。
その彼女に、金髪の青年は気付いていたことを言う。
「オルタビウス卿を尾行させているようだが、やめるように」
マキシマムはこの時、襲撃者の他にいた尾行する者達の正体を知った。そして同時に、パラモアが姿を消したことと、フランソワが関係しているのではなにかという疑惑を抱く。
それはオルタビウスも同じである。
元老院議員は、緑茶をすすり、口を開いた。
「パラモアどのが消えて皆が困っているが、フランソワどのはご存知ではないか?」
フランソワは、若様の前で口に出すなという警告を表情に出したが、それすらアルギュネスの前では失敗だった。
「どういうことだ?」
アルギュネスの声は、冷徹である。
フランソワは困った。




