オルタビウスは尋ねた
オルタビウスはある日の夕刻、マキシマムをダヴィデの丘と呼ばれる高台に誘った。
春から夏に、季節が移ろうかという過ごしやすい時期である。
風は柔らかい。
マキシマムのすぐ後ろには、犬のように、と形容しても言い過ぎではないほど彼から離れないサクラがいるが、オルタビウスは気にしなかった。それは彼女と過ごす中で、害意というものを感じ取れないからだ。
踝の高さまで伸びた野草を踏みしめる三人は、開けた丘の頂きからオルビアン市街地を眺める。
マキシマムはここで、尾行されていると気付いた。当然、サクラもそれはわかっていたが、襲ってくれば倒すまでだという考えで、今は無視している。
「すごい……」
望める光景で、マキシマムは思わず声を出していた。
オルビアン市街地の南側に広がる内海は、広大な海原で、波は低く、煌めきは夕陽を反射させて美しい。西側は橙色に輝き、東側は薄暗いが恐ろしさはない。そして東西の境界線は、ゆらゆらとオレンジと青が混じり合っている。そして市街地もまた同じく夕陽と夜の色で幻想的であった。すでに市街地東側は灯りが点され始めていて、マキシマムは空に瞬き始めた星空に似ていると感じる。
オルビアン市街地から西へと視線を移していくと、衛星都市のベシクタシュまで至る街道が伸びているはずだが今は見えない。代わりに、宋の人々を集める収容所が並び築かれていて、ひとつひとつの天幕は小さくて見えないが数が多いとわかる。いくつもの白煙は炊事であろうと思われた。空に吸い込まれるようにのぼる煙の多さで、そこにいる人達の多さをマキシマムは知ることができる。ゆえに彼は、これだけの人が祖国を捨てねばならなかった事実と、彼らのことを無視する宋の権力者達の悪質さに唇を噛んだ。
「この美しいオルビアンを、後世に伝えたいのだ、儂は」
オルタビウスの言葉で、マキシマムは意識を彼に転じた。
「わかります。俺も今、この景色を奪われたくないと思いました」
「ありがとう……だがお前にはちゃんと故郷があるはずだ。そちらもまた大事にしないとならないと思う」
「そうですね」
「帰らないのか?」
「……わかりません」
「マキシマム、ひとつ、隠していたことを白状する為にここに誘った」
オルタビウスは若者へと身体ごと向く。
彼は、マキシマムと過ごすうちに、彼に隠し事を抱えたままでいるのが辛く感じ始めた。それはオルタビウスがマキシマムを、仲間として、同居人として、わだかまりなく付き合いたいという気持ちが強くなってきたことに起因している。
マキシマムは、何を言われるのだろうかと首を傾げる。
その様子で、オルタビウスは自然と言葉を紡げた。
「陛下に……似ているのだ」
マキシマムの表情が固まる。
オルタビウスは、ある噂――民の間で話される王に関することを口にする。
「陛下は、オルヒディンの子を身籠り、ご出産あそばした。そして神殿に預けたと言われている。陛下が王配を取らぬのは、オルヒディンに義理立てしているからとも言われている。しかし儂はこれを信じておらん。いや、全てを信じていないという言い方が正しい」
オルタビウスは上着の衣嚢からスキットルを取り出し、上質なシングルモルトの香りで舌を喜ばせてから続ける。彼は喋りながら、マキシマムに酒を勧め、若者は受け取る。
「陛下は確かに御子をお産みになられたが、それはオルヒディンの子ではなく……人間だ。陛下の……想い人だ。しかし、その相手は王配にはなれない立場だった。だから陛下は御子を誰かに預けた。信頼できる者に……預けたと考える。これを当初は、儂はどうでもいいことだと思っていた。しかしお前がオルビアンに現れた後、陛下のお目にかかった際、瓜二つであったから胸が騒ぐ。他人の空似というには、似過ぎている」
「……」
「マキシマム、お前の両親は? お前はどうしてオルビアンに現れた? 儂の話が出鱈目であるなら、そう言ってくれ。謝るから」
「ち……違いますよ。俺の両親はいます」
マキシマムはオルタビウスに嘘をつくことに躊躇いを覚えていて、それが表情に出た。
オルタビウスは気付くが、窘めず、沈黙を保ち若者を見つめる。
サクラが背後を気にして、一度だけ肩越しに後方を見るが、すぐに視線を二人に戻した。
マキシマムはシングルモルトの味と香りで穏やかな表情を取り戻した。
「先生、この酒、とても美味しいです。どこのですか?」
「これはスコッターランドのシングルモルトだ。イブリン蒸留所の酒で、特別な扱いをされている逸品だぞ。イブリン・ザ・セリーンという銘だ」
「……聞いたことがありますが、飲んだのは初めてです。果物酒のように口当たりがよく香りも爽やかなのに、鼻から空気が抜ける時、甘く濃厚な風味が舌と鼻腔を……強い酒なのに、優しいです」
「いい女を口説いて口づけした時のような高揚と甘美を味わえる酔い方ができる……と言った男がいたな」
オルタビウスは自分の感想を他人のものにしてマキシマムに伝えると、一人で喉を鳴らして笑う。そして若者からスキットルと受け取り、グビリと飲む。そして再びマキシマムへと酒を渡してやりながら口を開いた。
「この酒は、乱世の女性の苦労を証明してもいる。セリーンという女性は気高く美しく強く、優しい女性で、彼女を称える為にイブリンの人々がこの酒を造り、彼女の名前を酒につけた。彼女はコーレイト人であったが、スコッターランドの酒に名前を残した最初で最後のコーレイト人だと言える。だがそこには彼女の悲しみや、怒りもあったろう……戦争が続くと弱い者が苦しむが、彼女もまたそうであったと思うのだ、儂は……陛下と同じようにな」
「……美味しい」
「だろう? お前を誘ってこの話をしようと思って仕込む酒はこれだと思ってな」
オルタビウスはニヤリとして、海の方向を見る。
マキシマムも彼と同じ方角を眺めた。
二人の背を、サクラが見守る。
彼女は、先ほどよりも二人の立ち位置が近づいていると感じた。
「儂の友人で、ダヴィデという胡散臭い男がいてな……彼は言っていた。物語に出てくる女性は添え物であることが多い。主人公の活躍や、人格を称える為に存在させる役目を負わせることが多い。しかし現実は、女性であっても人生がそれぞれにあり、男性も同じく悩み苦しみ楽しむもので、両者は補完しあう関係性だ。そこに差はないだろうと」
「……はい」
「しかし、陛下は女性で、王で、だから人生を楽しむことを諦めた。そんな陛下が……あの御方をこう申す無礼はお許し願うとして……陛下が押し通した我儘が、子を産むことだったと儂は思う」
「……」
「だから教えてくれ、マキシマム。本当はどうなのだ? 本当に無関係か? ならば否定してくれ」
「仮に……本当であればどうします?」
オルタビウスは、それが返答だと理解する。しかし彼は、相手の質問に答えることを良しとした。それが彼の、マキシマムへの心遣いといえる。
「本当であるならば、もう少し、一緒に働いてくれと頼みたい。どういう事情でオルビアンにいるのかわからないが、儂はお前と一緒に働きたいと思っている。お前が望むのならば、陛下や、他の者にも話さない」
マキシマムは、オルタビウスの横顔は本心を語っていると思えた。いや、彼はこの老人を信じたいのだ。だから、こう思うのだとわかった。
「先生、俺は先生といたいです」
「そうか!」
オルタビウスが笑う。
老人は若者を抱き寄せ、その背を軽く、何度も叩いた。
サクラが微笑む。
彼女は、自分が好いている二人が仲良さそうにしているのが嬉しい。
「先生、俺は――」
マキシマムがオルタビウスの背に手を回し、感謝するように言葉を紡ぐ。
「――よくわからないんです。ずっと両親の子供だと思っていて、でも全く関係がない……思わぬところからの指摘でそうだと知って、困っています」
「軍を抜けた理由と関係があるか?」
「軍に戻らない理由がこれです」
「わかった。気が済むまで儂のところにいろ。隠し通す」
マキシマムは、安堵のあまりスキットルを落としていた。
-Maximum in the Ragnarok-
ダヴィデの丘から市街地へと向かうマキシマム達は、一本道を塞ぐように立つ男達を見つけるも、歩く速度はゆるめなかった。
相手は旅人のような装いであったが、近づくにつれて、手練れであると感じ取れる。
立ち姿に全く隙がないのだ。
白色人種であることから、異民族や宋とは無関係であるとマキシマムは思い、ならばメヴィル家の者達かと予感し、腰へと手を伸ばす。
二人の前に、サクラが進み出た。
「マキ、相手の鼓動が早まりました。きます」
彼女の警戒直後、男達が一斉に抜剣する。その数は五人であったが、市街地と丘を繋ぐ道の左右は森で、木々の背後からわらわらと現れる敵らしき男達は一気に数を増していく。
「オルビアン元老院議員オルタビウスである! 何者か!」
オルタビウスは護身用の短剣を手に怒鳴ったが、相手は無言で距離をつめてきた。
「サクラ!」
マキシマムが声をあげたと同時に、サクラは前方の敵へと加速する。
風が吹き抜けたような、と言える速度で敵へと迫った彼女の初撃は、右拳の殴打であった。受けた一人が、頭部を破壊されて転倒する。西瓜が割れたように破裂した男の頭は、倒れた時にはなくなっていた。
周囲が驚くよりも早く、彼女は回し蹴りを二人目に見舞っている。どこにそんな力があるのかと思われるほどの破壊力で、受けた男は身体を直角に折られ、背骨とあばらが背から突き出すほどの衝撃で絶命していた。
そして三人目は、彼女の拳を腹で受ける。
サクラの拳は、男の腹から背まで突き抜けていた。
オルタビウスは瞬く間の出来事に茫然とする。
そして、戦うサクラの姿が、不気味な容貌になっていると驚く。
白い肌に浮かびあがる黒い蚯蚓のような模様は血管で、爪は尖れた刃物のように鋭く伸びていた。
「マキシマム!」
驚愕で声をあげたオルタビウスは、左右の男達が魔法で吹き飛ぶのを見た。
マキシマムが一瞬で雷幕を発動させていて、自分とオルタビウスの周囲に雷撃の雨を降らせたのである。
爆発したように弾け飛ぶ襲撃者達。
多勢を誇った相手を、二人で圧倒した強さにオルタビウスは舌を巻いた。彼は軍を率いて転戦した経歴があり、指揮官としても勇敢で、個人の武勇にも自信があった。短剣を手に敵へと怒鳴ったのがその表れである。その彼から見て、異常な強さを見せつけた二人は、棒立ちするオルタビウスを急かす。
「マキ! 行きましょう」
「ああ! 先生!」
オルタビウスは我にかえり、持っていた短剣を馬鹿らしいと投げ捨てて走り出した。彼の前後を、サクラとマキシマムが護る。サクラはこの時にはもう戦闘色を消し去り、普通の娘にしか見えない。
「お前ら! あれでは犯人がわからん! 次からは一人くらいは生かしておけ!」
オルタビウスの叱責に、マキシマムが「すいません!」と答えた直後、サクラは警戒を解くなという意味で二人に伝える。
「ずっと尾行をしていた者達とは違う敵でした!」
「尾行!? 尾行されてたのか!? 儂らは!?」
「はい!」
サクラの返事に、オルタビウスは走りながら苦笑するが、呼吸が怪しくなりすぐに止めた。歳は取りたくないという愚痴を胸中に止める彼は、手足を懸命に動かして全力で駆ける。老人であるが元武人の速度は、マキシマムを感心させるだけのものがあった。
三人は無事に、市街地へと駆け込むことができた。
-Maximum in the Ragnarok-
フランソワは部下からの報告を受け、首を傾げた。
「オルタビウス卿が襲われた……か」
彼女は顎をつまみ席から立つと、自室の窓へと近づく。アルメニア王国大使館は、グラミアのキアフとこのオルビアンにある。オルビアンの大使館官舎二階にある彼女の部屋から、夜を迎えた市街地の賑やかさがよく見てとれた。
商業区のほうはまだ明るく、歓楽街の方向は灯りが灯り始める頃合いで、まだ夕陽が落ちて間もない今の時分が、この都市が最も明るいと言える。
彼女の背後で、部下が口を開く。
「死体は全て片付けました。メヴィル商会の者と思われますが……ヴェロンを問い質しますか?」
「いや、彼にちょっかいを出すな。ややこしくなる……しかし、どうして奴らがオルタビウス卿を襲うのだ? 先日、話し合いはついたと報告を受けていた。お前からだぞ?」
「それは間違いなく……」
「となると、ヴェロンとは違う考えをもち、なおかつ、組織の男達を動かせる立場……」
フランソワは脳裏に、無礼な女性を描いていた。
「あいつか……」
「あいつ……とは?」
「ヴェロンの娘だ。パラモアだろう。さらって来い」
「よろしいので?」
「ヴェロンにばれなければいい。娘は港で男達を仕切っている。そこをやればいいだろう。屋敷に忍び込むのはさすがに面倒だ」
「承知しました」
「あ、外傷はつけるなよ」
「承知しております」
フランソワは、背後の気配が消えたと感じたと同時に口を開く。
「豚呼ばわりした件もふくめて後悔させてあげるよ……しゃがれ声め」




