行方不明の息子は……
オルビアンでは、オルビアン市民と宋人との間で発生した衝突を原因とした難民排除の動きが生まれた。これは元老院議員でありグラミア王国オルビアン総督府主席補佐官たるオルタビウスが行ってきた難民支援の動きを否定するものと合わさり、彼は小さくない批判にさらされることになる。しかし報道に携わる記者や弁士達は冷静で、意外といっては彼らに失礼だが、オルタビウスを支える論調で市民達に熱くなるなと訴えた。
グラミア王国北では大規模な増援が編制され、総司令官がオデッサ公爵ハンニバル、参謀にリュゼ公爵ナルが就くと発表されたことが、オルビアン市民達の視線を逸らす役目も果たしたとする指摘は間違っていないにしても、オルビアンは一気に移民排除へと動くことは免れたのである。
もちろん、表だっては沈黙を貫いたオルタビウスが、裏で記者や弁士達と議論し調整に必死であったのは事実だ。また、オルタビウスが総督府内で宋人への取り締まり強化を妥協案として企画実行したのも事実である。
しかしながら、難民をうとましく感じるオルビアン市民達は過去よりも増えており、裏社会の者達こそそうであるから、揉め事はこれから増えるだろうと予測されていた。それでオルタビウスは、オルビアンに本拠をおく犯罪集団でも大きな組織の長と、会って話をしようと考えていた。
警護役として使命されたマキシマムは、面会日を明日に控えた今夜、オルタビウスに誘われて酒につきあっている。
サクラに酌をさせるオルタビウスは、無言で酒を注ぐ娘に柔らかい視線を向けていた。
「夢だった。娘がいたらこうして酌をしてもらうのが」
「息子さんがお一人だけでしたね?」
マキシマムの問いに、オルタビウスは壁の肖像画を眺めながら言う。
「一人だ。妻は……難産でな。息子を世に送り出したことで身体を壊して、しばらくは大丈夫だったが……」
「嫌なことを質問してすいません」
「嫌なことも話せるようになったよ……それだけ過去のことだ」
だから息子のこともいずれ話せるようになるとは、オルタビウスは口にしない。彼は、自分にはそう時間が残されていない自覚があるのだ。それは病とかではなく、単純に老いが理由であった。
「あの日、お前が現場で会ったメヴィル家の女というのは、三女のパラモアだろう。声が老人のようだということで嫁の貰い手がなく、家業を継ぐ長男の補佐をしているが……実際、彼女は重要人物だ。港湾を仕切っている」
「危ない奴らが港の仕事を仕切っているのは不思議です」
「彼らだから、海の荒くれ者達が従う面もあり、そういう意味で利用してきたのだ。裏の仕事に目をつむってな……俺も清廉潔白ではない」
「付き合いがあるのです?」
「付き合いというほどのものではないが……ただ、軍を率いて出征していた頃は、彼らに助けられていた。情報収集、後方の物流など、役に立った。それで……」
オルタビウスは恥を話すように視線を落とした。
「……占領地ではあえて彼らの悪行を無視したこともある。マキシマム」
「はい」
「お前が軍を抜けた理由はいろいろとあるだろうから聞かないが、軍はどう感じた?」
マキシマムはグラスに視線を落とした。
彼は、自分が殺した相手の顔を覚えていないことに恥ずかしくなる。しかし、死んでいった仲間や部下の顔はしっかりと覚えていると情けなくなる。
「軍にいる間は懸命だったので……抜けた理由は、軍に不満があったわけではなくて、知り合った人を助ける為でした」
「どういうことだ?」
マキシマムは、レディーンの名前と身分を隠して話せる箇所のみで説明をする。かなり怪しいものであったが、オルタビウスはそれを指摘せず、ただ聞いた。
マキシマムが話し終えた時、老人はグラスの酒を舐めるように飲むと口を開く。
「お前は人がよすぎるな」
「よく言われます」
「だが、そうだから俺はお前を誘って良かったと思う。だが、それをずっと、生きている限り貫くは力がいる」
「……」
「知恵もいる。なにより、強い心がいる。例えば……自分の大切な人と、困った他人のどちらか一方だけを助けることができる場面になった時、お前はどうする?」
「……」
マキシマムの沈黙は長いものとなった。それは、オルタビウスがサクラに二度、酒を注がせるほどの時間である。
「意地悪い質問だったな――」
オルタビウスが悩む若者に詫びた。そして、視線をあげた相手を正面に見据えて喋る。
「――今は答えを出せなくてもいいが、お前の生き方をしていると、いつか必ず出くわすだろう。だから問うた。線を引け、マキシマム」
「線?」
「そうだ。ここまではやる、ここからはやらない。それがお前には必要だ」
「先生は線を引いてますか?」
「……線はあったが、今はない。それは俺が老いたからだ。ここまでくれば、やるだけやろうと思えるし、もう守るものはな……いや、守るのはオルビアンだ」
「オルビアンの為に、ですか?」
「うん……俺はせこいオルビアンなど次の世代に残したくない。俺が守りたいと思える姿を保ったオルビアンを残したい。それはきっと、今のオルビアンの人達の為になるし、宋の人達の為にもなることだと信じている。そしてそれは必ず、あの世で息子に誇れるものであるはずだ」
マキシマムはオルタビウスを見る。
老人は少し酔っていたが正気であると思えた。
「先生」
「なんだ?」
「俺は、線を引きたくないです」
「……では、お前が守りたいもの、助けたい相手、全てを可能とできる心と力をもて」
「……」
「そして目指す生き方……周囲との関わり方の先……大きな絵、理念を想像するのだ、マキシマム。それがお前の線、羅針盤、のようなものになるだろうさ」
「先生の考えや、信じてるもの、教えてください」
「教えるよ。だが、教わるだけでは足りない。失敗してもいいから、自分が思うようにしていい。尻ぬぐいは俺がしてやる」
「はい……じゃ、まず難民の中から、親がいなくなった子供達を集めて孤児院を作りましょう」
「……また予算がいるな……人も」
「先生、線を引いてますよ」
「……」
オルタビウスは黙ったが、表情は笑みであった。
-Maximum in the Ragnarok-
寝室。
マキシマムは寝台の上で寝返った。すると、寝台の横、椅子に腰かけていたサクラと目があう。
彼女はずっと起きている。
「サクラ、俺は先生の手伝いをしたいと思っているけど、それをして、どうしたいんだろう?」
「わかりません。でも、マキがしたいことをすればいいと思います」
「君は反対しないけど、反対したいと思うことはあるのか?」
「わたしが反対する時は、マキの身が危ない時、マキが無謀な行動をしようとする時です」
「……ぜひ反対して」
「そうします」
「……サクラ」
「はい」
「君は、いや君達は疑問をもたないのか? どうして自由がないのかって」
「……自由がないことはよくないことですか?」
マキシマムは苦笑し、瞼を閉じる。
すると、サクラが立ちあがる気配がした。
彼女は、薄手の毛布が彼の身体からずり落ちているのを直すと椅子に戻る。
「ありがとう」
マキシマムの感謝に、サクラは返事をしない。
おかしいと感じた彼が目を開けると、彼女は座っていて、彼を見ていた。
その口角があがっていると、寝惚けていたマキシマムにもわかった。
-Maximum in the Ragnarok-
グラミア王国のキアフを出発した軍勢は二万人を超えた。
軍務卿のハンニバル率いる北方討伐軍は、国境を越えてヴェルナに入ろうとしている。
その軍列の中ほどに、青い外衣に同色の軍服をまとった背の低い男が馬を進めている。その隣には、赤い髪が鮮やかな女性と、彼女の娘である少女が見られた。
赤い髪の女性――ベルベット・シェスターは盲目となっていたが、異民族が召喚魔法で軍勢を出現させた際に対抗すべく従軍している。それを可能とするために、目の働きを娘にさせようと、母は娘を同行させていたのだ。
彼らを後方から眺めるのは、リュゼ公爵家宰のコズン・ギラと筆頭武官であるルナイスだった。
ルナイスが同僚に問う。
「見つかったのか?」
「まだだ」
コズンは届いたばかりの手紙を読みながら答えた。
ルナイスはそれで、手紙はマキシマム発見の報ではなかったと知り肩を落とした。
「若様行方不明の責任をとって、アブリルどのが蟄居してしまった……閣下だから蟄居ですんだが……陛下の耳に入ったらもっと重い罰になるかもしれない」
筆頭武官の心配に、コズンも頷く。
「テュルクらしからぬ不手際だが、アブリルどのが悪いのではない。自由にさせ過ぎた父親殿にも責任はある」
「おい、聞こえたぞ」
コズンの小言に、前を行くナルが声をあげる。彼は肩越しに二人を見て、次にベルベットを見てから口を開く。
「俺はいい領主だ。悪口を言われても怒ったりしないんだからな」
「閣下、悪口ではありません。事実を申した次第」
コズンの反論にナルは苦笑した。
ベルベットが口をはさむ。
「ナル殿、陛下はもう存じておられる?」
「いや、秘密にしてる」
「怒られるのだ……」
「その時は俺が一人で怒られる」
「心配じゃないのか?」
「テュルクからの報告を聞く限り、竜人族はマキシマムを害したりしないだろう。本人が納得すれば、帰ってくる」
「……ナル殿は、秘密が彼にばれてしまっても平気みたいだな?」
「いずれ話そうと思っていたことだ」
「親から聞くのと、他人から明かされるのでは雲泥の差があるのだ」
「母上、秘密って?」
ディスティニィの問いに、娘の髪を撫でて誤魔化すベルベットは、隣のナルを睨んだがもちろん見えていない。
ナルはこの時、伝令が接近してくる砂塵を眺めながら口を開いた。
「グラミアに送り届けると言っていたらしいから、案外、もう帰国しているのかもしれない。しかし姿を現さないのなら、こっちから引っ張り出そうとしても逃げられる。傷つけるわけにはいかない……待つしかない」
「現れなかった場合は?」
ベルベットの問いに、ナルは笑顔で否定する。
「ない。断言できる」
「どうして?」
「エヴァがいる。彼女がいる限り、必ずマキは現れる」
ベルベットは苦笑し、卑怯な父親だと文句を言ってやった。
「賢いと言ってくれ……エヴァの周りには人がついている。現れれば、わかるさ」
ナルは言い、後ろの臣下二人に手で合図を出す。
コズンは不満があれども臣下の務めを行う。
家宰は伝令へと近づき、文書が入った筒を受け取った。そしてすぐに読んだ。
「何が書いてあった?」
「ヴェルナの王族が、帰還したと」
ナルは唇を捻じ曲げて笑う。
彼は、愚鈍で無能な王の必死な反撃が、時に勇者をも傷つけるかと感じたのだ。
「帰ってきてくれたならありがたい……陛下からは存分にやれと仰せつかっている。ダリウスには散々世話になった……」
ナルは邪悪な笑みを消して、無表情を作った。




