元老院議員の誘い
オルビアン近郊にある衛星都市ベシクタシュは、大規模な農園を経営している。過去、この農園は大量の労働者を求めていて、奴隷が旧東部都市国家連合圏でありがたがられた理由のひとつになっていた。
現在もそれはあまり変わっておらず、戦争で生まれた奴隷達が、ベシクタシュの農園で働いている。そして農園の為に造られた水路は、オルビアンに飲料水を運ぶ上水道と並走しており、百年以上前に行われた大規模な工事を今も容易に想像できた。
マキシマムは今、水路と上水道を見上げている。
高低差がある地上では、彼が立つ場所のように低地も当然あり、その場合、水を運ぶ道は地上数デール上を走っていた。城壁を連想させる水路は頑丈そうに見え、だがこれを破壊されたら大都市は悲惨なことになると彼に心配させた。
というのも、マキシマムはオルビアンで難民支援の活動を手伝いながら、自分が異民族の指導者ならば、難民に配下を紛れ込ませて、グラミア、いや大陸西方の貿易拠点であるオルビアンに打撃を与えるべく破壊活動を命じるだろうと考えている。
しかし実際、彼はこの提言を軍関係者にあげてはいない。
理由は二つある。
まずマキシマム自身が、軍を抜けており、端的に言えば追われる身であること。
もうひとつは、大宋から命からがら逃げてきた人達を疑うのは気の毒だということだ。
後者の理由は完全な甘さの露呈であるが、それを聞かされたイゾウは笑うだけであり、もちろんサクラは、彼がしたいようにするのを支持すると述べた。
こうして、マキシマムは陽の高い今のうちに、草刈りに精を出している。
難民の収容所候補地のひとつが、この辺りなのだ。オルビアンとベシクタシュを結ぶ街道から少し外れた丘陵地帯である。海に近いのは、支援物資を船で運ぶ為だ。
マキシマムは水路を支える柱を背に、小高い丘を登り、海岸線を見下ろせる高みに出た。
接岸できるよう、海岸には湊が建設され始めた。グラミア軍の工作兵があたっている。技術者を多く雇うグラミア軍は各国の中でも珍しいが、先の将軍レニアス・ギブがイシュリーン戴冠後に進言し、導入されていた。
マキシマムは、ダリウスの義父にあたる人物とは面識がないが、このような地味だが効果的なことを考え、進言できる人なのだと感心している。
そして、そういう人物を信頼していたイシュリーンを想った。
彼は、おそらく自分の母親であろう人のことをあまり知らない。
あの人がイシュリーンではないかという心当たりはあるが、確証はない。仮に、これが正しいとすれば、いつも代官館にダリウスを連れて現れては、マキシマムを夕食に誘い、終われば本を読んでくれた人で、そこには優しさや親しみがあった。
では、どうして彼女は自分を捨てたのかと考える。
このような水路を建造し、いくつかの都市を連結させて運営効率を高めるほどに偉大なオルビアンを下したというイシュリーンが、本当に自分の母親ならば、自分はどう受け止めればいいのかとわからない。
マキシマムは作業を再開する。
鎌を手に、伸びた草を刈っていく。難民達の為に家屋や道を作る以上に、毒蛇や毒虫の被害が本格的になる夏を前に済ませておかなければならないと、難民支援団体の管理本部に進言した手前、誰よりも動いていなければという気持ちが彼に疲労を忘れさせた。
視線をふと海岸線に転じ、そのまま南方向へと向けた彼は、遠目でも巨大なオルビアンの城壁を見た。
そして、その外に大量の幕舎と人々の存在を認める。
大宋の人達は、体力のある者は道の整備や清掃に参加を始めた。
ところが一部の不届き者達はやはりいて、オルビアンに紛れ込み、潜伏し、よくない活動を始めもしていた。
一旦、落ち着きかけた難民への嫌悪も、オルビアン市民達に実害が出始めると復活する。
差別と区別が混じり合う対立構造は、たしかに作られ始めたようにマキシマムには感じられた。
「おい!」
声をかけられたマキシマムは、水路の方向を見る。
イゾウが、誰かを連れていた。
「この人達が、お前を探していた」
マキシマムは、自分を見上げる老人を見つめる。
この難民支援を発案した元老院議員だと気付いた。
名前は、オルタビウスだったと記憶を辿る。
その彼の背後に、二人の男がいて、一人はまだ若い。そしてもう一人は、鮮やかなオレンジ色の髪が目立つ女性である。
マキシマムは鎌を手に丘を下り、ここでようやく額の汗を不快に感じて袖でぬぐう。その彼の動きにあわせて、近くで作業をしていたサクラが、彼の後を追った。
「俺に用とは?」
マキシマムの視線を真っ直ぐに受けたのは、元老院議員のオルタビウスだった。
彼は緊張した面持ちのまま、口を開く。
「清掃の件といい、草刈りの件といい、感謝を述べたいと思った」
「いえ、感謝されるようなことじゃない」
「……これは秘書のフィリポス、こちらは支援者のフランソワどのだ。今日はちょっとお願いがあって参った」
「お願い?」
マキシマムの正面に立つオルタビウスは、疑惑が確信に変わったと動悸を速めている。彼は王との面会の後、マキシマムを探した。そして十日後の今日、ようやく見つけることができたと安堵している。
会ってどうするかはまだ決めていなかったが、会わずにはいられなかったのだ。
十日間でマキシマムを見つけたのは、多忙なオルタビウスではなくフランソワだった。
彼女は取引の件でオルタビウスを訪ねると、相手は心あらずの様子で悩み事があると見えた。それを問うと、オルタビウスはたっぷりと思案した後、青年を探して欲しいと頼んだのだ。
頼まれたフランソワは、自分の正体はオルタビウスにばれているなと苦笑しつつも承諾していた。
彼女は外交員である以前に、諜報部員である。オルタビウスがこれを見破ったのは、デサイー商会を通じて資金をオルタビウスに流すと彼女が申し出たからである。
通常の外交員が、そのような裏仕事をするはずがないと元老院議員は考えたが、言及はしなかった。だが、信用もしないと決めていたが、忙しい彼と、彼の周囲に動ける者はおらず、妥協に妥協を重ねた判断である。
オルタビウスはマキシマムの顔を改めて眺める。
そっくりだ、と思っていた。
-Maximum in the Ragnarok-
作業員達の休憩場所の隅で、マキシマムは元老院議員を前に水を口にした。
オルタビウスの秘書と女性は少し離れた席につき、イゾウとサクラもそちらの卓についている。
オルタビウスは、まず名前を知りたいと言った。
青年は、その前に、と口を開く。
「実際のところ、俺は事情があります。なので貴方のような立場の人と話をするのはよくないことです。ただ断るのも非礼だと思える貴方なので……難民支援の件はとても立派だと思いますので、こうして席につきましたが、あれこれと質問はされたくないです」
「事情……」
オルタビウスは脳内で様々な想像をする。
マキシマムは、念の為にと前置きして告げた。
「俺は軍を抜けたんですよ」
「どこにいたのです?」
自然と丁寧な言葉遣いのオルタビウスは、マキシマムの困った顔を見る。
議員は、自分の息子の為に悲しんだ王の表情に似ていると溜息をついた。彼は、青年が無言であるので、いろいろと考えてしまう。
自分はどうするべきか。
自分は、彼に何を言うべきか。
彼の事情とは?
「……南部諸国へ派遣されていましたが、命令で帰国して……それからですね」
「どうしてオルビアンへ?」
「彼と……いや、彼と彼女と会ってここに」
オルタビウスはマキシマムの視線を追って、黄色人種の男性と、白色人種の娘を眺めた。どういう組み合わせだという疑問と共に、黄色人種であっても宋人ではないなと勘付いたのは、彼が着る衣服である。そして娘は、黒い髪を無造作に伸ばしていて外見に気を使っている風には見えないが恐ろしく美形であった。
「彼らは?」
オルタビウスの問いは自然なものだったが、マキシマムは用心して答える。
「戦争孤児で、傭兵をしていた男が偶然に女性を野盗から助けたそうで、そこに俺がくっついて、ここにいるってわけです。次の仕事は北に行こうか東にしようかと迷っていましたが、情報を集める為にしばらく滞在するうち、支援活動に参加すれば給金が出ると聞いたので」
オルタビウスは全く信じていないが、信じたという体で頷く。しかし、本当に彼の言うことが正しい場合もあるかと不安にもなる。自分は見当違いで青年と会話しているのかもしれないとも思っていた。
確かめたいという欲求が、オルタビウスを支配する。
しかし、彼はもう立派な大人を通り越した老人で、分別がたっぷりとあった。
「わかった。聞かれたくないことは嫌だろうし、すまなかった。おぬしを軍につき出そうとは思わん。これまでのように手伝ってもらえたら嬉しい。こうしたほうがいいと思うことは、是非言ってもらいたい」
「感謝します」
「ところで、難民支援に金とは別に、その……なんというか、活動意義的なものに興味があるなら、しばらく一緒に働かんか? 議員事務所の事務員ということで」
オルタビウスは、名乗らない青年を手元に置いておきたくなった。
それは、いずれ時期をみて正体を確かめたいというものとは少し違う。
彼は、ふたつの興味を覚えたのだ。
若者がイシュリーンの子供であった場合、あの王の子供が元老院議員の下で政治を学べばどのような為政者になるかというものがひとつ。
もうひとつは、イシュリーンの子供ではないと確証を得たなら、彼とイシュリーンを会わせてみたいというものだった。後者の場合、王はきっと笑うであろうとオルタビウスは予想した。
『これ、オルタビウス、悪戯が過ぎるぞ』
と笑うだろうなと感じたのである。
オルタビウスは、ここでひとつ、認めた。
自分は、人として、イシュリーンが好きなのだと。
議員の申し出に、青年は友人達に相談したいと答えた。
「当然だな……彼らも一緒に雇うよ。人が多く必要なのだ。おぬしたちには難民支援に関する運営を主たる業務をやってほしいんだ。フィリポスはいろいろ忙しくて、休みを削って働いてくれているが倒れられたらかなわん……事務所の住所は……」
オルタビウスはフィリポスに目配せし、名詞を相手に渡すように伝えた。
貴重な紙に記されたオルタビウスの役職と事務所住所を、マキシマムは同時に見て驚く。
そして、近づいてはいけないと考えたが、その緊張をほぐすような声をオルタビウスは出した。
「悪いようにはしない。儂はおぬしに興味がある。いろいろと考えて、実際に行動もしているし、難民の為に働こうという心構えは立派だ。そういう若者が傭兵の真似事をして命を失うのはつらい。実際、儂は戦争で息子を失ったのでな」
「ご子息を?」
「うん……ヴェルナに行ったのだ――」
マキシマムはオルタビウスの顔から視線を外せなくなった。
彼は、あの激戦を思い出し、もしかしたらと動けなくなる。
そんな彼を無視して、オルタビウスは続ける。
「――が、そこでな……だから儂は若者に恥じない人生を送りたい。息子にあの世で誇れる人生で終わりを迎えたい。だから難民のことや、この都市、国のことに誠実でありたい。だからおぬしのような、儂が気に入る若者を放っておけないんだ。おせっかいかもしれんが、よかったら事務所に来てくれ。待っているから」
オルタビウスは言い終えると、余韻を残す所作で席を離れる。
動かないマキシマムは、去って行く老人をただ見つめることしかできなかった。




