二人のニホンジン
グラミア王国のキアフに滞在するアルメニア人は、凡そ二つに分けることができる。
商会で働く者達か、国家に仕える者達かだ。
ある意味、後者とも言えるアルギュネスと彼の供達は、キアフからリュゼを通り、トラスベリア、ゴーダ騎士団領経由でゆるりと帰国する予定であったが、オルビアンへと向かえという本国からの指示をキアフで受けた。
出発の準備をする部下達、というよりも臣下達を眺めるアルギュネスは、届いたばかりの手紙を手に、鋏を操っていた。
慎重に封を切ると、上質の紙に書かれた美しい文字の並びが彼の目を喜ばせる。
妹からであった。
『兄様
長旅、お疲れ様でございます。
少し迷いましたが、決めたことをお耳に入れておくべきだと感じて筆を取りました。
恋人ができたわけではありません。
安心しましたか?
でも、次の手紙では恋人ができた報告をするかもしれませんよ。
このまま続けると、手紙がとても長くなってしまうので本題に移ります。
実は、フランソワからグラミアの様子を聞き、またオルビアンのことも知りました。大宋の人達が母国を捨てて避難してきている現実と、彼らの境遇、そして彼らの為に働く政治家のことを聞きました。フランソワがこれを私に知らせたのは、兄様のご様子を報告するなかの、ついで、という程度のものでしたが、私はこれを、とても大変なことだと案じたのです。
だから私は、兄様に相談無しに決めてしまいました。
我が家が保有する荘園のひとつを王家に売却いたします。そのお金を、オルビアンで民の為に働こうという政治家に渡る手配をするよう、フランソワに頼みました。
また、この事は本家の皆様、とくに、陛下にご迷惑がかからぬよう秘密裏に処理するようにとも伝えています。
なので、お金もデサイー商会を通します。
勝手に決めてしまってごめんなさい。
でも、父上も母上もきっとご同意くださるものと信じています。
あと、ミカエルを早く帰してください。
家が回りません。
代わりに、リュビドラを遣わせました。
兄上がオルビアンに向かうことになると、陛下から伺いましたので、オルビアンに向かわせております。
せっかくの手紙なので、ハナの近況を。
子犬を五匹、産みましたよ。
皆、ハナと同じように尻尾がまっ茶色なの。ゴーダ犬なのにね。でも、とても可愛いです。お帰りになられたら抱いてあげてください。
大切な兄様と、無事に再会できますように。
オリビエ・ホリカワ・ベルーズト』
アルギュネスは紙を丁寧に折りたたむと、口づけをして懐にしまい込んだ。
「若様」
呼ばれたアルギュネスが視線を転じると、ミカエルの一礼がある。
「どうした?」
「お会いになると仰ってくださいました」
「ありがたい。いつだ?」
「今夜。王宮では目立つので、こちらに来てくださると」
「……わかった」
-Maximum in the Ragnarok-
キアフのアルメニア大使館。
夜になり、その人物が訪れる。
アルギュネスは緊張した面持ちであった。
彼が待つ応接間に、客人が通される。
アルギュネスから見て、背が低い男というのが第一印象だった。
「御足労、痛み入ります。アルメニア王国ベルーズド公爵ジェロームの息子、アルギュネスと申します」
アルギュネスの名乗りに、相手は微笑む。
「ナル・サトウと申します。王陛下からリュゼ公爵を賜っております」
「どうぞ」
アルメニア産の葡萄酒が運ばれた。
アルギュネスよりも早く、ナルが口を開く。
「ベルーズド公……爵家……本当に存続していたのですね?」
「皆の情けで繋いでいます」
「しかし良かったのですか? 名乗っても」
「名乗らなければならない理由が、あります」
「理由?」
アルギュネスは、相手のグラスに葡萄酒を注ぎ、自らのグラスにもそうした。そして、ナルが葡萄酒を味わうのを確かめ、自分も口をつけ喉を潤してから理由を告げる。
「私の家には、秘密があります」
「……滅んだことになっているというものの他に?」
「……ええ。その秘密が、貴方に会いたいと私を動かしました。というより、祖母の言葉を忘れられなくて……」
「お婆様? ベルーズドの戦乙女?」
「乙女と祖母を呼んでくださり感謝します。お婆様も喜ぶでしょう」
アルギュネスは微笑み、お婆ちゃんと呼んで祖母に叱られた遠い過去を思い描く。あの頃は、祖父も祖母も元気だったと瞼を閉じた。
「そのお婆様の言葉、気になりますね」
ナルの言葉で、アルギュネスは改めて対面の客人を見つめ、右耳に輝く耳飾りを相手が見えるように、髪をかきあげる。
「この耳飾り、ある花を模しています。この花に、心当たりはありませんか?」
ナルは若者を見つめた。
羨ましいくらいに美形だなと思っていた相手の右耳で輝く耳飾りは、ナルにとって、とても懐かしいというだけの感想では収まらない。
衝撃を受けたように彼は固まる。
あやうくグラスを落としそうになった彼は、慌ててグラスを両手で持つと、そっと卓に置く。
「その花……」
絞るようなナルの声に、アルギュネスは確信を得たが言及はせず、先に説明しようと決めた。それが、敵意はないことを示すことになると理解していたからだ。彼は、ナル・サトウはきっと、知られたくない秘密を抱えていて、それが祖母の独り言に通じているに違いないと予感している。それを確かめたいのだが、知ってどうこうしようというつもりは彼にはなかった。
アルギュネスの想いは、全く違うものだ。
若者は、慎重に言葉を選ぶ。
「貴方のご活躍は、アルメニアまで届きました。もちろん、祖母もそれを知ることになりました……が、私が忘れることができないという祖母の言葉は……貴方の名前に関してです。祖母は……貴方の名前を聞いた時、林檎パイの置かれた皿をひっくり返すほど動転していました。そして、こう言ったのです……ニホンジン」
ニホンジン、という、そのままの発音をしたアルギュネスに、ナルは喉を鳴らす。
「私は、ニホンジンとは何? と祖母に尋ねたました。すると祖母は、私と同じ国の人よと。その後、慌てて誤魔化そうとしていました。思わず言ってしまったという印象を受けました。ここで、お伝えしますが、私の家には秘密があるというのは、貴方が知るものだけではないということです。私の本名は、アルギュネス・ホリカワ・ベルーズドです」
「ほ……ほりかわ?」
「サトウ、ホリカワ、というのは、ニホンジンの名前に多いのでしょうか?」
ナルは素早く考えるが、動揺が思考を邪魔した。
ここは理由をつけて引き上げるべきだと彼は思う。
ナルは、ダリウスとも親しいベルーズド公爵家の者が会いたがっていると聞かされ、存在が秘密であるはずの相手がと驚き、非礼がないように会うと決めたが、激しく後悔していた。
そんな彼の心情を無視して、アルギュネスは続ける。
「祖母はベルーズド公の妻として、エミリ、という名前で知られていますが、本名はエミリ・ホリカワ……祖母が祖父と夫婦になり、母上が生まれ、私達がおります。代々、この名前を継いでいます……あ、ご安心ください。私は貴方の秘密を明かそうというつもりはありません。確かめたかったのです……祖母と同じ故郷の人が、いるということを……」
「それをしてどうするおつもりで?」
ナルの声には、警戒が含まれている。
「どうしても知りたいのです。この花がどこにあるかを」
アルギュネスは耳飾りを外して、卓に置いた。
ナルが、サクラの花弁を模した耳飾りを見つめる。
若者が言う。
「祖父は、祖母の為に、祖母が好きだったこの花をアルメニアに咲かせたいと願っていました……でも、見つかりません。ずっと探しているのですが、ありません。貴方なら、ご存知じゃないかと……」
「……では、貴方は花の為に?」
「花の為というより、祖父と祖母の為です」
ナルは腕を組む。
彼は、エミリという人は自分のことを家族にちゃんと話していないまま亡くなったのだと感じた。いや、話しようがないと正した。
話しても、理解できるはずがないと瞼を閉じる。
そして、アルメニア史の書物で読み知った戦乙女に関する項目を脳内に蘇らせる。
フェリエス大公は、ある日、屋敷に迷いこんだ少女を保護したという記述に、彼は溜息をついた。
出会った場所が違うだけで、状況は自分とイシュリーンに似ていると。
ここで、彼は思わず破顔していた。
出会った相手と恋をしているのも一緒だと思ったからだ。
「どうしました?」
アルギュネスの問いに、ナルは馬鹿らしくなった感覚で笑い続け、それは邪気のないものであった。若者は、あの大軍師はこんな笑い方をする人かと意外さを覚えた。
「いや、失礼しました。ま、いいでしょう。ただ、お力にはなれません」
「え?」
「その花は知っています。ニホンジン、というものであるのも事実です。ですが、なんというか……この花はもうこの世界にはないんです――」
あきらかに落胆した若者へと、ナルは好意的な視線を向けたまま続ける。
「貴方のご発言、私だけのものにします。他言いたしません」
「……もちろん、私もしません」
「……お力になれず申し訳ない。しかしせっかく会ったのです。葡萄酒を楽しみませんか?」
「ぜひ」
ナルがグラスを持ち、アルギュネスもそうした。
「お婆様に」
ナルがグラスを掲げた。
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムはオルビアンに入った。
予想通り、難民を装うことで簡単に上陸できた一行は、難民たちが集められている場所には向かわず、市街地へと入る。
賑やかな街は、戦争や難局を忘れさせると彼に思わせた。
「行く宛はあるのか?」
イゾウの問いに、マキシマムは苦笑する。
「ない」
「キアフに向かうにしても、公道は関所があるからお前の素性がばれる。野山を通る準備をしないとな」
「……キアフに向かうかも決めてない」
イゾウは笑った。
金属繊維を編み込んで作られた遠征用戦闘服を着るイゾウは、だが傍目には軽装である。とても戦いに行くようには見えない。しかし、袋で隠した銃は携帯していた。そしてマキシマムも、剣を包みで隠している。
マキシマムは通りに面した飲食店のひとつを指差す。
「食事をしないか? しばらく食べていない」
「いいね」
マキシマムがサクラに問う。
「君はお腹、減らないの?」
「減ります」
「一応は減るんだな」
イゾウの軽口にマキシマムが笑い、サクラに何を食べるか尋ねる。
「……わたしは人造人間を食べます」
恐ろしいことをしらっと言った彼女に、二人が慌てる。
「ちょ! 駄目だぞ。ここでは目立つ」
「イゾウ、ここじゃなくても駄目だ。その言い方は駄目だ……代わりに他のものでは駄目なのか?」
「栄養を取る為に食べるわけではなく、一定期間、人造人間を食べていないとお腹が減るという認識を得るよう作られていまして、ただそれを満たす為にそうするだけで、食事などは全く不要です」
「……お腹、減ってるの?」
「はい」
「どうして、襲わないの?」
「マキのお許しを得ていません」
「……」
黙るマキシマムに、イゾウが釘をさす。
「おい、許可するなよ」
「しないよ! いや、サクラ、ごめん」
「謝らないでください。マキは何も悪くありません」
ここで、街頭で叫ぶ弁士の声が三人に届いた。
「元老院議員のオルタビウス卿が人を集めているぞ! 難民保護と支援の為に! 人員が足りない! オルビアンの自由は口だけではないことを行動で示そうではないか! グラミアが戦争で忙しく弱者の保護を後回しにするならば! 我々が彼らを助けることでグラミアの鼻を明かしてやろう! この告知は記者アリストによるものだ! 彼の活動を支援したい人はぜひ募金を!」
「人を集めているのか……」
マキシマムの言葉に、イゾウは微笑む。
「おい、善人、どうせやることも決まっていないんだ。人助け、やるか?」
「そうだな……ぶらぶらして悩むのも馬鹿らしいし……サクラ、手伝ってくれるか?」
「はい、ご主人様」
「マキ、ね」
「申し訳ありません。マキ」




