老人の引き際
「ここが資料室なのか?」
マキシマムの問いに、イゾウは頷きながら機器の操作をする。一人掛けの机がいくか並び、机には薄い板のようなものが置かれているとマキシマムは思ったが、それは板ではなく、データ閲覧用のパネルだった。
イゾウの操作でパネルが反応し、光る画面とキーボードが現れる。
「欧州仕様にしないとな……アルファベットならわかるな?」
「あ? あるふぁべっと?」
「……なんでもない。えっと……グラミアでも使うグゴーリ文字と言えばわかるか?」
「ああ……なんだ、文字か」
イゾウは頷き、機器の設定をマキシマムでも可能なものへと変えた。そして彼を椅子に掛けさせ、古龍のにらみに笑みを返しながら説明する。
「しばらく待つようだから、ここで見たいものを見ればいい。データは全て検索できる。音声操作は日本国籍もってないお前じゃ無理だからキーボードで操作してくれ」
「きーぼーど……」
「ああ、すまん。この文字が光っているやつ」
マキシマムは試しに、グラミアと指で操作した。
すると、候補が文字となって浮かびあがる。
「触れると開ける」
イゾウの言葉で、マキシマムは先頭の『グラミアと呼ばれる地方の特殊性』と読める資料の文字列に触れた。
すると、画面に本を両開きにしたような絵が現れる。
「指でこうしてこするようにすると頁がめくれる」
イゾウが指を画面に這わせると、頁が切り替わった。
「さっきの目次の、読みたい項目に触れればそこに飛べる。わかったか? 他の資料も同じ作りだ」
「わかった。ありがとう。レディーンが終わるまでここにいるよ」
「ああ、トイレは廊下に出て左。人の絵が描いてある部屋」
「トイレ?」
「……なんといったらいいんだ? 小便したくなったらいく場所」
「手洗いか、わかった」
「じゃ、終わったらここに連れて来るから」
イゾウが部屋から出て行く。
マキシマムはサクラに、隣の席を勧めたが彼女は立つことを選んだ。
「昔の資料はあるかな……」
「マキは歴史に興味あるんですか?」
「いや、歴史というよりも、彼ら……イゾウ達が言う世界と俺達が知ってる世界は微妙に違う気がして……それは現実への経緯の理解に差があるからだと感じる……知ってるものが、今においてこうだとわかることと、何も知らない者がこうだと思っていることの誤差は、調べないとわからないじゃないか……それに、異民族がどうしてあんなことをしているのかも調べたい……」
「では、西暦の末期をお調べになればよろしいかと」
「西暦……古代文明の頃か」
「はい」
マキシマムは西暦末期と操作した。
先頭の、資料の題名に目がひかれる。
『民主主義と経済が牽引した世界の崩壊』
マキシマムは、それに触れた。
-Maximum in the Ragnarok-
自由都市オルビアンは、過去、グラミアのアラゴラ侵攻に対して介入し、グラミアを攻撃したが敗れた。当時の体制においてオルビアンは、東部都市国家連合の盟主であり、オルビアンを統べる巨大商会の命を受けて国政を取り仕切っていた四人の執政官は現在、オルタビウスのみがオルビアンに残っている。
一人は戦闘で行方不明。
二人はオルビアン陥落後に国外退去し、南方大陸に逃れた。
オルタビウスは、イシュリーンの誘いを受けてグラミアに仕えた。彼のこの判断は当時、裏切り者とみられる以上に、オルビアン市民であってもグラミアに参画できるという理解を市民達に齎し、一定の安定に貢献している。
それから今日まで、オルタビウスはグラミア王国オルビアン総督府主席補佐官として、元老院議員として活躍してきたが、夏に控えた総選挙には出馬しない意向であった。
多くの者が彼に出馬を求めたが、彼は固辞している。
そのオルタビウスは、任期満了まではしっかりと働くつもりで、この日も、いつものように総督府に入った。議員でありながら、行政官の仕切り役である主席補佐官である彼がいないと、総督も困るのである。
朝、総督府の自室に入った彼を待っていたように、ロッシ公爵ムトゥが訪ねてきた。
「呼んでくだされば伺いましたのに」
「いや、俺が呼びに来たのだ。ちょっといいか?」
「は?」
オルタビウスは、相手の言に違和感をもつ。
公爵が小間使いのように自分を呼びに来るとなると、会いたがっている人物は公爵の上、つまり王しかいない。
たしかにイシュリーンは先日、西方大陸各国に集まりを呼びかけ、その集合場所はオルビアンである。
「陛下が……もうお着きに?」
「発表は明日だ。まだ伏せておけ」
椅子から腰を浮かしたオルタビウスは、誘うように扉を半開きにして立つムトゥへと歩み寄る。
「日程など、まだ何も降りてきてませんが?」
「その調整は本国で行っている……ここですれば、つつぬけだ」
ムトゥの発言に、オルタビウスは無言を返した。
二人は総督府の通路を歩く。ムトゥの少し後ろを、オルタビウスは進んでいる。途中、すれ違う者達が一礼で迎えた。
陽光を取り入れる窓は、光輝いている。
こうしてみれば平和であるがと、オルタビウスは苦しむ表情を作りたかったができない。
総督府から空中通路へと入った。
オルビアン離宮へと通じているのだ。離宮は、グラミア王がオルビアンに滞在する際に使う屋敷で、旧コッツァ家屋敷である。市街地を見下ろすように築かれた屋敷は、庭園のすばらしさに定評があった。今も春の草花がオルタビウスを歓迎しているかのように鮮やかだ。
「元老院選挙の件で、記者や弁士が賑やかだ。ここで外部との交渉をしていれば、発表前に広まりかねんよ」
ムトゥの言葉。
オルタビウスは返す。
「市民に隠し事をせねばならぬことは悪事……と皆は思っておりますのでね」
「表に出るまで、悪事も悪事にはならん……良き行いも、受けてによっては悪事になる……騒がれたくない」
「各国からは色よい返事がありましたか?」
「アルメニア、南部都市国家連合、コーレイト、スコッターランド、南部諸国、レミリア共和国は賛同しているが、スーザは無理だ。トラスベリアも内戦中で余裕ないそうだ」
ムトゥが先に離宮へと入った。
近衛連隊の外衣をまとった屈強な兵士が、二人を迎える。
近衛連隊がいることで、間違いなく王はいるとオルタビウスは信じた。
離宮の奥、王が来客と会う際に使う応接間のひとつ、ビリエの間に二人は入る。すると、王はすでにおり、二人に微笑みを向けて立った。
「オルタビウス、呼び立てて申し訳ないな」
「陛下……」
オルタビウスは一礼する。そして、垣間見たイシュリーンは、疲れて見えたと感じた。美しさは間違いない。若い頃よりも艶を増したと思う。しかし、緑玉の瞳が放っていた強烈な輝きは感じなかった。
侍女達が飲み物と軽食を運び入れる。
王は朝食をまだ取っていなかったのである。
ムトゥはそこで、オルタビウスの肩を軽く一度だけ叩くと、室を辞そうとした。
「閣下?」
「陛下、失礼します」
「すまぬ」
ムトゥは笑みを一度だけ見せると、会釈をして二人を残して消えた。
イシュリーンと向かい合うオルタビウスは、いつ彼女の顔を見ればいいかと悩む。
「オルタビウス、面をあげてくれ。わたしは食事がまだだ。一緒に食べよう」
「ありがとうございます」
オルタビウスの目に、しっかりとイシュリーンが映る。
彼は思わず、言っていた。
「お疲れのご様子……大変な時期であれど、お身体を労ってください」
「……わたしにそう言ってくれるのは、ゲオルグやお前くらいだ」
王は微笑み、ジャムをスプーンですくうと紅茶を飲んだ。
オルタビウスは紅茶だけを飲む。
「ご子息のこと……お詫び申し上げねばと思っていた」
イシュリーンの口から出た詫びに、オルタビウスは紅茶を飲む手を止めた。
彼は、震える手で苦労し杯を置くと、王から視線を逸らして窓を見る。
庭の木にとまるインコが、彼を見ているようである。
「……陛下、息子は当然のことをして、戦で死んだだけのことです。それに、子を失った親は私の他にも多数おります……」
「後方の部隊に回してやれなかった」
「いえ、それをされようとすれば、息子は断っておったでしょう。平等ではないと言って」
「たしかに……そうかもな。貴公のご子息だものな……」
「……」
オルタビウスはイシュリーンを見る。
彼女は悲しげな笑みのまま、口を開く。
「引退すると聞いた」
「はい……」
「オルビアンにはまだ貴公が必要だ。貴公はわかっていると思うが、わたしはオルビアンをいずれ、自治区にしようと考えている。王政のグラミアであるが、わたしはそう考えている……民主主義をこの世界に残す為に、まだしばらくオルビアンと、未来の子達の為に耐えてもらえないか?」
「……昔から、教えて頂きたいことがありました……」
「……」
「陛下はどうして、民主主義を否定なされませんので? グラミア王陛下であられます。王陛下にとって、邪魔なだけでしょう?」
「己に弱い王にとっては邪魔だろう。実際、わたしにとっても邪魔だ……」
イシュリーンの言いように、オルタビウスは本音が聞けると安堵する。
彼女は続ける。
「過去のオルビアンは、大衆心理を利用した恐怖政治だった。王であったわたしからみても、そうだった……民主主義であることを隠れ蓑に、巨大商会の意向が通っていたのは、東部都市国家連合が経済国家で、彼らの力で国が成り立っていたからだ。だが、現在は違う……幸か不幸か、グラミアが彼らを排除することで、民主主義の有り様を取り戻すきっかけができたとわたしは考えている。王による政治もよいが……わたしは王だから言える……常に王がただしいわけではない」
「……」
「いずれ、王による支配から逃れようと民衆が動こうとすることがあるかもしれない。愚鈍な王であれば尚更だ。その時、オルビアンは針路となると期待していた……」
「だから私を引き留めてくださると……?」
「それもあるが、わたしは貴公とまだ仕事をしたいと思っている」
オルタビウスは紅茶の杯を持つ。
イシュリーンは、こんがりと焼けたチーズをフォークで刺した。
王がチーズを口に含むのを待って、オルタビウスは言う。
「ありがたいことですが……忠誠心を持ち合わせない私の心には響きませぬ」
「貴公なら、そう言うだろうと思った」
イシュリーンが笑う。
オルタビウスは、やっと王の笑顔を見たと感じる。
彼は、王はこうして笑っている時が最も自然だと思う。しかし、この笑顔を見ることができる者、時は、とても少ないとも思う。
悲しい人だと、彼にはわかった。
王族に生まれ、激動のグラミアを生き、王となり、今も生きる。
その人生に、幸せがあったのだろうかと案じた。
そして、相手がグラミアの王でありながら、このようなことを想う自分は、イシュリーンを慕っていると認める。だが、忠義ともまた違うと瞼を閉じて口を開いた。
気になる噂。
広まっている話が本当であるかどうかを確かめようと思ったのだ。それは、もう引退する自分であるから、今であるから、尋ねてもいいと感じてのことであった。
「陛下は……御子をお産みになられ、オルヒディンの神殿に預けられたと広く国内で語られていますが、それは本当のことでございますか?」
「……」
彼女の無言は、肯定とも否定ともわからないものであったから、彼は重ねて問う。
「仮に、そのような事実があるのであれば、アルメニアの王族を次のグラミア王としてお迎えになることに影響がございましょう……オルビアン元老院議員を代表し申し上げます。事実でないのであれば、国内に向けて否定なされるべきかと」
「あの子は、オルヒディンとの子ではない」
イシュリーンの答えに、オルタビウスは固まる。
「そう公表してしまうぞ?」
「……そのような冗談を――」
「いや、オルヒディンとの子ではないというところは本当だ。これはムトゥも知っているし、ハンニバルも、マルームとアルキーム、ゲオルグも知っている。もちろんダリウスも、レニアスもだ。そして、お前も知った」
「……」
「どうして喋ったか、わかるか?」
「私を信用してのこと、ではないということはわかります」
「知ったからには、逃がさないということだ」
イシュリーンが微笑む。
オルタビウスは、無表情で紅茶を啜った。
考える。
王が口にした名前達の中で、重要人物が一人、欠けていると気付く。
オルタビウスは王を見た。
「わかったか? そういうことだ」
「……どうして……私に? 引き止め云々は信じません」
「お前がわたしを見る目、憐れんでいるように思えた。王になどなって気の毒にという目だ」
「……」
「それは間違っていない。わたしは、王になどになってしまった。なってしまったからには、懸命に王としての生き方をした……全く楽しくもないし嬉しくもない。だけど……王になるまで支えてくれた人達、なってからも助けてくれた人達がいる……そこにわたしの、王ではない個人の幸せもあったことは伝えておきたかった」
「……」
「オルタビウス、聞いてほしい……わたしは不幸ではなかった」
「はい」
「お前に比べれば、全然、不幸などなかった」
「……」
「不幸なお前を一人にしたくない。一人になりがたっているお前を引退などさせない。こき使うゆえ、日々にもがいてくれ……懸命に生きくれ……オルビアン元老院議員として、主席補佐官として……オルビアンの市民として、グラミア人として、自ら望んで断とうとしないで欲しい」
オルタビウスは、引退後、どこかで自分の人生を終わらせたいと思っていたが、それを言われ、窘められて、ひさしぶりの笑みをつくるが、苦笑となる。
だが、と彼は口を開く。
「陛下、このことは誰にも言いませぬ……ですが引退はお認めくださいますよう……」
「グラミアで、わたしの頼みをきかぬのはお前くらいだろうな」
イシュリーンが微笑む。
それは、オルタビウスの無礼を楽しむものである。
オルタビウスはチーズをつまみ、齧ると美味に満足する。
「オルタビウス、引退するもしないもお前に任せる。自由だ……でも、もう一度だけ言っておきたい」
イシュリーンが手を伸ばす。
彼女は、オルタビウスの手を掴んでいた。
しっとりとした質感に、オルタビウスは動揺する。
彼女は言う。
「わたし達が今を生きているのは、過去にわたし達を生かしてくれた人達がいたからだ。わたしはこう思っているから、わたしの次の世代の子らが、同じように感謝してくれたらと……助かったよって……ありがとうって言ってくれたらと期待して……諦めない。今、とても大変だけど、諦めない。お前も、諦めないで……きっと、きっと報われる……ごめんなさい。こんなことを言って……ご子息のこと、心からお詫びします」
イシュリーンは、微笑みながら涙をこぼした。
-Maximum in the Ragnarok-
オルタビウスは事務所の二階、自宅へと帰った。
もう夜になっている。
一日の激務で、くたくただった。
疲労で、椅子に座った彼は動けなくなってしまう。
脇に置かれた卓にのっていた瓶をつかみ、ブランデーをグラスに注ぐ。洗っていないが気にはならない。
ちびりと飲む。
オルタビウスは、考える。
肉体的な衰えは誤魔化せない。
しかし、自分の経験、知恵、そういうものを誰かに継がせたいと思う気持ちが芽生えていた。
自らの派閥に属する議員達の顔が次々と浮かぶ。
まだまだ、伝えていないことがあると感じる。
だが、もっと若い世代に繋いでいきたいという想いを認めた。
息子にしたかったと、一粒の涙をこぼすことができた。
息子にはできないと、次の涙が頬をつたった。
彼は、ブランデーグラスを手にしたまま、椅子に身体をあずけ、止まらない涙に困る。
息子が死んだ時にできなかった慟哭を、ようやくすることができた。
オルタビウスは涙で歪んだ世界に問う。
「俺はまだ……できるか?」
答えは、返ってこない。
彼は、自分で答えを出すしかないと理解した。




