薄れていくもの、失われていくもの
古龍の検査を終えたキキョウは、報告書を作成していたが、ドアが開く音で作業を止めた。
「――と考えられる……どうした?」
音声入力作業中のキキョウを訪ねたのはイゾウで、隣のカプセルで目覚めた兄弟関係の相手へと栄養補給ゼリーを手渡しながら口を開いた。
「あの古龍、どうだった?」
「今、書類作成中だった。あとで上から話があるだろうさ。お姫様の健康状態は問題なかったか?」
「ああ。今、医師の説明を本人が受けている……限られた情報ではなくて、多くを知りたいから来た」
「……ツクヨミ、この部屋に誰かが近づいたら教えてくれ」
『はい、承知しました』
システムに監視を命じたキキョウは、顎鬚を撫でながらイゾウを見る。椅子に腰掛けた状態でひさしぶりの兄弟を眺めると、背が伸びたように感じたが錯覚だと決めつける。
「ま、ひさしぶりだからな……あの古龍は珍しいタイプだと言える。本体は離れた場所に存在していて、常にそこと通信を行っているようだ。といっても、本体は物質ではなくて、なんというか……情報でしかない」
「データが生きている?」
「そういう風に考えるのがわかりやすい。意思をもったデータだが、言語は我々のものではないもので構築されている……高次元体の手が加えられている」
「高次元体? だが、後期の試作型と聞いていたけど」
「言ったろ? 手が加えられていると。基礎は人類が作っているが改良されている」
「じゃ、高次元体が改めてあの古龍を支配下におく命令をすると、あいつは敵になるのか?」
「可能性は限りなくゼロに近いだろう。一度、主人と認めた相手ができると、他の支配下には入らないようだ。アルゴリズムを調べた」
キキョウは部屋の壁面に数字とアルファベットで構成された式を映したが、イゾウには全く理解できない。
「つまり?」
「ここにあるように、こいつはマスター登録を自分で行う型だ。つまり、解除するにはリセットしてやらないといけない。一度、システムをシャットダウンして再起動するってこと」
「リセット……だけど、俺達はしてないぞ」
「自己防衛が働いた形跡が残っていた。ウイルスの侵入から本体を守る為に端末をシャット……端末というのは俺達が見たあの古龍だが、端末をシャットダウンして本体へのウイルスの侵入を防いだんだ。端末の中で全てクリアされて再起動がかかった後、何もない状態で復活したところに、あのヒューマノイドがいた。目の前の者を主人とする設定があるのかはわからないが、実際、あの古龍はしている……ヒューマノイドを掃除する為に開発された兵器が、ヒューマノイドを主人にするのは皮肉だな」
「……あいつ、いい奴だから古龍がいきなり敵にならないようにしてやりたい」
イゾウの発言にキキョウが笑う。
「ヒューマノイドをイイ奴? お前、欧州に長く居すぎたな」
「ヒューマノイドだろうと、意思をもった生物だ……発端はともかくとして今はそうじゃないか……いや、俺達よりよっぽど生き物として正しい」
「……」
「年々、無事に生まれる子供が減っている件、知ってるよな? こうまでして人類は望みを繋ごうとしているのに、孵化センターで五割が廃棄だ……コピーのコピーのコピーで……いつか誰もいなくなる。自分達で、繋げないんだからな」
「言うな……暗くなる」
キキョウが気分を変えようと、ゼリーの容器を咥えた。吸い込むと、中身が一気に口内へと滑り込み、甘い味が彼を満足させる。
イゾウが言う。
「アングロ系の奴らは太陽系を出て繁栄しているらしいが、あいつらはいつも尻ぬぐいを有色人種にやらせやがる……食べ散らかしたゴミを、俺達がキレイキレイにしてやってるのが今だ……そんな真面目な俺達と、アングロの奴ら、どちらが長生きかな」
「連邦系への反感はあまり口にするな。上に聞かれたら面倒だぞ」
「お前だから喋ってるだけだ……彼らはいつも自分達の思想が中心だと思う悪い癖がある……今回、欧州で揉め事が拡大しているのもそれが原因だ」
「バアル……バァル? どっちでもいいや……あいつは、でも信念があるんだろ。どれだけ他人を殺しても、正しいと思うことをやり遂げたいのだろうさ……だったら、付き合うことはない。ヒューマノイド達が勝手に戦うさ。俺達は、遠い未来の為に、この星の掃除を粛々とすればいい」
「……」
「連邦の奴らも苦労してる。肉体がなくなってしまったんだ。でも容器は意思をもって地球でよろしくやっている……そりゃムカつくだろうさ」
「……自分都合か」
「俺達だってそうだ。世の中、皆、自分の都合だよ……ご馳走さま」
「ああ……じゃ、古龍があいつを攻撃するってことはなさそうなんだな?」
「今のところは……ただし、次にまたリセットかかるとわからんよ」
「伝えておく」
イゾウはキキョウの部屋を出て、マキシマムが待つ待合室へと向かう。
考えていた。
リセットは、どう考えてもマキシマムが古龍を攻撃した、あの時の他にはないだろう。となると、マキシマムの攻撃は、古龍がシステムをシャットダウンしないといけないと判断するほどのウイルスを、古龍の中に送り込んだのだ。
イゾウは、その方法に興味をもっていた。
それは彼が、いや欧州で古龍狩りを行う軍はこれまで、倒しても死なない古龍の処理に手を焼いていたのだ。
それはマキシマム達が、双頭龍という名で呼ぶ古龍である。
双頭龍は、グラミアのアラゴラ地方、ベルベスト山にいる。
だがそこは、イゾウ達にとって山ではない。
巨大な施設が、長い年月で草木と土に覆われた跡地なのである。
「連邦議会本部の龍……マキシマムならリセットできるかな?」
彼は思考を、無意識に口にしていた。
-Maximum in the Ragnarok-
イゾウがマキシマムを訪ねると、相手は古龍の膝枕でぐっすりと眠っていた。
古龍をそのように使うかと呆れたイゾウは、マキシマムを、見た目と違って図太いうえに、外見が美しい異性ならばなんでもいいスケベ、つまり昔の人間と一緒かよと思ってしまう。
古龍がイゾウを見る。
彼の内面の苛立ち、というには小さい気持ちのざわつきを感じ取ったように、古龍の表情が微妙に変化し、戦闘モードへと移行する兆しが現れた。
「ちがう! 起きて欲しいだけだ。話がある」
「マスターはお休み中です」
「そのマスターの為に話がある。起こしてもらえないか?」
古龍はイゾウへの警戒を解かないまま、マキシマムの肩を揺すった。
-Maximum in the Ragnarok-
「レディーンには、この国の生活に慣れてもらう期間が必要だ。新東京市で三カ月ほど生活をしてもらい、言葉も覚えてもらう。習慣や、基礎学習も受けてもらう。その後、彼女には輝夜市に移ってもらい、国民登録を行う」
イゾウの説明はまだ続く。
マキシマムは待合室で、まだ姿を見せないレディーンを案じながら説明を受けているが、様々な悩み事と寝起きのせいで脳内はまどろんでおり全く頭に入ってこない。
サクラのおかげで少し眠れた彼は、イゾウの声で目覚め、まだ半刻も経っていない。目覚めの水を飲みながらイゾウの話を聞く彼は、サクラの検査に関しても質問をする。
「レディーンに関して、安全なら問題ないよ……その説明も、彼女が理解し、納得したなら問題ない。あと、気になるんだがサクラはどんな検査を受けたんだ?」
「サクラ?」
イゾウが訝しむ。
「古龍の名前」
マキシマムがサクラを見ると、彼女は相変わらずの笑みである。
イゾウは、マキシマムの前だと彼の安全が脅かされない限り、古龍は争いを避ける傾向にあると感じて薄く笑いながら口を開く。
「システムチェックだよ……問題なかった。君の僕になっているのも間違いないらしい。また古龍というより、ヒューマノイドに近いこともわかった……」
イゾウは説明をそこで止める。
彼は、古龍に関して黙っていることがある。
マキシマムがサクラと名付けた古龍は、もともとはヒューマノイド狩りを目的として製造されたものであるが、それを説明するには、イゾウには勇気が足りなかった。
「で、レディーンの無事を確認したら君はちゃんと帰ってくれる? んだろうな?」
イゾウの質問に、マキシマムは頷く。
「ああ……帰るさ」
「しかし、王子様とはね」
「……言わないでくれ。全く身に覚えがないことだ」
「でも、事実なんだから仕方ない。俺達は監視対象の生態識別コードを衛星に設定して、常に見守る。マキシマムはグラミアの王族ということだから、おそらく上の人達が監視対象にしてたんだろう……」
「グラミアを監視してるのか?」
「ああ……というのも、グラミアにはサトウ・ナルがいる」
「? ナル・サトウのことを、ここでは逆なのか?」
「サトウ・ナルが正しい。名前からして日本人と思われる。つまり、俺達と一緒だ。彼のことを監視していると周辺も同じくそうなったということだろうな……俺達は情勢にちょっかいを出してはいけないのに、日本人がグラミアを助けたようになっている……ただし、彼の情報は存在しないものだった……何らかの手違いがあって、人工孵化センターで産まれてしまい、廃棄になる前に何かが起きて外に出て……成長したのではないか……という疑いがある」
「人工? 孵化?」
「俺達に親はいない。育ての親ならいるがね……地球だとスカンジナビア、月だと輝夜市に孵化センターがある。受精卵が保管されていて、順番がきたら孵化する仕組みだ。減ったら、補充するような感じで」
「……どうしてだ? 自由にその……例えば君が誰かと子供を――」
「できない。人間は生物としてはもう古い」
イゾウは苦笑しながら、どうして俺はこんなことを話しているのかと思いつつも続ける。
「なんというか、普通にやっても人間の形をしたものが生まれてこなくなったんだ。遺伝子情報が代を重ねるごとに薄くなって、それが何代も幾世代も重ねると劣化する……しまいには、環境の急激な悪化もあって……化け物が生まれてくるようになった……それで、過去の研究者達は、健全な情報を記録した受精卵を大量に保管したのさ……俺達は生殖機能……自らの力で子孫を残せないほど生物としての質が落ちている」
「俺達も、そうなるのか?」
「わからないが、まだまだ先だろうね。ヒューマノイドはまだ一万年も経過していない。それに自分達で子供を作るようになってまだそう長くない……」
「レディーンは……そんな人達の中で普通に暮らせるのか?」
「おい、それは俺達への偏見だ」
イゾウが抗議しつつも、一応、と前置きして続ける。
「あんたらが普通に子供を作れるように、俺達もしようと思えばできるかもしれないが、怖いからできないだけで、作りは一緒だ。見るか?」
「遠慮するよ」
「ま、ともかく本人から生活に関しては聞いてくれ。今、説明を受けているはずだ。もっと詳しくね」
イゾウはそこで、天井に向かって問いかけた。
「ツクヨミ、レディーンへの説明はまだ続いているか?」
『確認中……はい、まだ終わっていないようです』
彼はマキシマムを見た。
「ここで待っていてくれ」
「ああ……他にすることがない。散歩は駄目か?」
「駄目だ。間違ってシェルターの外……新東京市の外に出られたら困る。あっという間に肺と喉がやられて、呼吸器につながっていないと生きられなくなるから」
「……出ないよ。出る方法を知らない」
「知らない奴が適当に動いて出てしまうもんだ。駄目だ」
マキシマムは頷くことで、忠告に従うと伝えた。
-Maximum in the Ragnarok-
「大宋国の第二皇子が臨時皇府とオルビアンに置くと発せられた!」
「大宋の本国は異民族と軍の裏切りで大混乱であるとして、速やかに解決すべく、体勢をオルビアンで立て直し、ペルシアと連携し東進する予定であるそうだ!」
「しかしこれは、我々を巻き込むことで援助を得ようという魂胆とも取れる! 市民達は感情と趨勢に左右されない判断を求めたい!」
弁士達が街頭で叫ぶ姿を横目に、オルタビウスは急ぎ足で自分の事務所へと向かう。オルビアン市第七区ゼウス通り五六番が彼の事務所で、二階は自宅になっていた。
グラミア王国の統治下であるオルビアンであるが、元老院議会は今も存続しており、彼は選挙で選ばれた元老院議員である。現在三期目で、近々、総選挙が行われる予定であることから市民も議員も商会も、どの派閥が議席を伸ばすかという話題でもちきりであるが、大宋からの難民など、話題はころころとあちこちへ転がる。
新聞がイシュリーンによって廃止された現在、弁士が市民達に情報を発信する術だけが許されている。元新聞記者たちが情報を仕入れ、弁士と連携し市民に届けるのだが、グラミア統治前と決定的に違うのは、彼らは商会からの資本を受け入れない経営に注力をしていることだった。
市民達の寄付で運営しているのだ。
これは、オルタビウスが考え、実行したことである。
これもあって彼は、旧オルビアンの流れを汲む人権派本道で保守派と見られているが、本人にその自覚はない。
人権や正義など、あっという間に逆にふれた歴史を彼は体験しているので、信じるものはひとつであった。
平和の世こそが正しい。
しかし彼の平和は、他の者達と少し違う。何をもって平和とするかも違った。しかし、それを口にすれば、異端者と言われかねないので誰にも明かしていない。
彼が事務所へと戻った時、秘書のキケは帰宅準備をしているところだった。
「ああ、キケ、ご苦労様。帰ってもらって大丈夫だ」
「すいませんな」
キケは七〇過ぎの老人で、オルタビウスとは三〇年近くの付き合いになる。
三人いる秘書のまとめ役であるキケは、咳をしながら事務所を出て行く。
室内には、受付のメアルとオルタビウス付きの記者アリスト、事務要員の数名が残っていた。
アリストがオルタビウスに近づくが、彼は無視して自室へと入った。だが、記者は礼儀を無視して続く。
執務机に腰掛けるオルタビウスに、アリストが咎められる前に質問をぶつけた。
「先生、無礼を承知の上です。次の選挙、本当に出ないんですか?」
「……俺はもう六〇だ……引退したい」
「先生がいなくなったら、誰がその派閥をまとめるんです?」
「さぁ……皆で相談して決めたらいい」
「……無理なのをわかってるでしょ? オズマ議員はグラミアに強く出られないし、バトゥ議員は失言が多い」
「オズマは俺と違って調整で物事を進める。バトゥは発言に裏表がない。君達が市民達へ、欠点ばかりを広めるから彼らが気の毒だ」
「事実です」
「自分達にとって都合のよいものだけが事実なのか? 過去、グラミアに敗れて今があるのに、何も学んでいないな?」
「……グラミアを擁護した! と書きますよ」
「書けばいい。どうせ引退するんだ」
記者が逃げるように退室した後、オルタビウスは椅子に深く身体を沈める。
オルビアンの為に、民主主義の灯を消さない為に、これまで踏ん張ってきたがもう無理だと感じていた。
彼の息子が、出征先のヴェルナで戦死したのである。
その報告を、オルビアン総督から直接、知らされた彼は気丈にも相手に感謝と戦死者たちの為に祈ってみせた。
しかし、あれから自分は泣くことができないと絶望している。
感情が、麻痺しているように怒り狂うこともできないと悲しんでいた。
オルタビウスは執務室の壁にかけられた肖像画を眺める。
息子の笑顔が、そこには描かれていた。
オルタビウスは、その笑顔を見ても、泣けないと情けなくなる。
心が無くなった自分に、議員など無理だと、彼は改めて感じていた。
ゆえにオルタビウスは、キケが年齢を理由に辞めたがっているのを止めている自分に呆れる。
しかし、笑えなかった。
笑うことができなかったのである。




