サクラ
白銀に輝く半球状の建物は恐ろしく巨大だった。そしてその内部は、建物の中とは思えないほどの自然が広がっている。
マキシマムは自動車という乗り物から地上へと降り立つ。
ドアが勝手に閉まったと、肩越しに背後を見た時、レディーンの微笑みも見えた。
彼女が彼の隣に立つ。
「すごい……」
レディーンの言葉はそれだけだったが、込められた驚きと賞賛はとても大きなものだろう。
マキシマムは、言葉にならない衝動で動けない。
「新東京市だ。地球での日本の首都機能がある」
イゾウの声で、二人は瞬きを思いだせた。
「山もあるのか……」
マキシマムの言葉に、イゾウが頷く。
「山、川……新東京市には一〇〇〇人ほどが暮らしている。ほとんどが軍属だけどね」
「軍……古龍退治の?」
「そうだ。行こう」
イゾウが進む先には建物がある。王宮の主塔を連想させる高い建物は、マキシマムの感覚では美しいとか不格好であるとかという評価が難しい造形である。ただとても簡素な印象を受ける。また白一色に統一されて窓のない建物は、巨大な柱とも言えた。その地上部分には出入り口があり、イゾウが進むと扉は自動で開く。
マキシマムはそこで振り返る。
彼らが乗ってきた自動車が停まっていた。
その背後には、グラミアでは見られない光景が広がっている。
朱色の輝きで満ちた世界とも思える。
木々の枝に咲く花達は、全て同じものだった。それらは大量に、圧倒的に、咲き誇っている。
世界を朱に染めようとでもいうかのように、地上と空の間を淡く美しい色合いで埋め尽くしている。
「きれい……」
レディーンの声。
「桜だ」
イゾウが言った。
「サクラ?」
「ああ。行こう」
マキシマムは促されても動けない。
彼は、なぜか、とても懐かしい感覚に満たされていた。
-Maximum in the Ragnarok-
「第五大隊を前に!」
「騎兵連隊を敵側面に回せ!」
グラミア軍ヴェルナ方面軍の将軍の一人リヒト・カプールは、南下してきた北方騎士団に対して、北上して迎撃に出た。それはオクトゥールに迫られるとまずいという考えによるもので、ダリウスも彼の判断を支持した。
しかし、本隊が到着するまで耐えるには、兵力差が大きい。
この時、ヴェルナへと侵攻してきた北方騎士団の軍勢は万を超えている。対してリヒトは三〇〇〇の指揮下で対抗しなければならない。
リヒトは歩兵連隊群で防御陣形を形成すると、両翼に配置した騎兵で敵の側面を脅かすことで北方騎士団軍に自重を求めようと考えたが、北方騎士団軍は騎兵に対して徹底した矢戦で挑んだ。
大量の矢が空を覆い尽くす。黒雲が一瞬で沸き上がったかの光景は直後、陽光を反射することで無数の煌めきを放つ。
降り注ぐ矢をくぐり抜けるようにグラミア騎兵が疾走する。
両軍の中央では、歩兵同士の白兵戦が開始された。
グラミア軍は至近距離での弩と火砲の連射で敵をひるませるが、北方騎士団軍は銃と呼ばれる兵器で応戦する。龍との戦いで用いる武器を、人に向けて使う彼らは、改めて自分達が使う武器の威力に感嘆する。
グラミア軍歩兵達は、盾を貫いてくる敵の武器に苦しむ。
火砲よりも貫通力があると思われた。
一方で、北方騎士団軍もグラミアの火砲に苦しむ。急所に当たらなくても命中した部位と周辺を破壊する弾丸で戦闘不能者が続出するのである。
腕が千切れ、脚が抉れ、破れた血管から血が噴き出る。腹部から人体に入った弾丸が、背から飛び出した直後、背骨と内臓と肉が背に空いた穴から飛び出す。
怒声と絶叫はやまず、爆発音と金属音は絶えない。
伝令の喚き声、角笛の咆哮が連続する。
馬蹄の轟きで大地が揺れる。
地上は血の色で染まっていく。
グラミア軍本陣に伝令が飛び込むと叫んだ。
「敵後方に新手! 異民族の騎兵!」
「数は!?」
リヒトの怒声。
「一〇〇〇!」
伝令は叫び返し、すぐにまた戦場へと駆け戻って行く。
リヒトは噴き出す汗をそのままに、周囲の士官達に叫ぶ。
「後方の予備も出す! 一日! ここで稼ぐ! 閣下に伝令! 北方騎士団と異民族が共闘! 兵力一〇〇〇〇以上!」
士官達が走り去る。
新たな伝令が再び、本陣に駆け込んだ。
「右翼方向に新手! 異民族! 大隊規模!」
リヒトは即断する。
「後退する! 騎兵に撤退命令! 弩兵と工兵を後方に配置!」
彼は勝てないと判断した。いや、防御に徹しきれないと諦めたのである。この場合、彼にとって重要となるのは、敵に打撃を与えることではない。速やかに後退し本軍との合流を急ぐことと、戦える戦力を維持することであった。
ゆえに悩む。
オクトゥールに入るべきか否か。
リヒトは後退命令を出した後、馬上となると後方に控えさせていた予備兵力を前面に出すよう指示を出し、自らが指揮官を務めるべく副官や士官達を従えて前進する。
戦場から続々と後退するグラミア軍は、負傷兵を守る陣形で粛々と離脱を図り、彼らを掩護するべくリヒトの連隊が追撃しようと迫る敵へと弩と火砲の斉射を行った。
「撃てば退け! 距離を保て!」
馬上のリヒトが叫ぶ。
伝令達も慌ただしい。
士官の一人が、リヒトを守るべく彼の前に馬ごと出る。
阿鼻叫喚の戦場は、凄惨な後退戦へと移行していく。
一方、同時刻の離れた場所にダリウスはいた。
彼は傷ついた自軍を再編成しつつ、戦える部隊をかき集めてリヒトの支援へと向かう準備に忙しい。その彼はまだリヒトの苦戦も、異民族の動きも知らず、北方騎士団とリヒトの軍がぶつかったという報告のみ受けていた。
ダリウスは華麗な謀略を操るわけでも、強力な魔法を行使できるわけでもないが、彼が仕えた者達から重用されるに値する男であると、この時も証明している。
ダリウスは本国に増援至急と使者を遣わすとともに、ヴェルナ西部へと進出しているウラム公軍へ迷うことなく救援要請を出した。さらにグラミア北東部に領地をもつロッシ公爵へも同じく援軍を請い、またオデッサ公爵本領へも、公爵代理宛に援軍を求める手紙を早馬で発した。そしてオクトゥールの扱いを即決している。
「捨てる。守れない。北方騎士団と化け物に挟撃される可能性がある」
ダリウスは、岳飛虎崇が一月は化け物の軍団を使えないことを知らないが、仮に知っていたとしても同じ決断をしたであろう。
北と東から挟まれるだけでない。
一都市を守るには防衛線が広すぎる状況なのだ。またここはグラミアではなくヴェルナであり、異国人の対グラミア感情を気にしながら敵と戦う愚は避けたかった。
このような、少し考えれば普通の人間にもわかることを、彼は即座に決める。培った経験と決断力こそが、彼の価値だと認めることができる人物はそうはいないに違いなかった。
「リヒトに伝令。頑張るな。オクトゥールを捨てて南下すれば敵はオクトゥールで止まる。その隙にこちらは体勢を立て直す。また補給線が本国に近くなることで状況は変化もする。と伝えよ」
伝令が一礼し、ダリウスから離れた。
筆頭将軍は、パンを齧りながら近侍に指名した息子に言う。
「おい、背中を拭いてくれ」
「ええ? めんどくさい」
マーヴェリクの反論には、拳骨が返される。
「痛い!」
「次は拳骨ではすまんぞ」
「何?」
「帰国」
「すぐにやらせて頂きますです!」
息子がダリウスの背に回る。
上半身を晒したダリウスは、その背にいくつも刻まれた傷の多さで武人として歩んできた年月の長さを子に伝えた。
「父上、オクトゥールを捨てると市民に犠牲が出るのでは?」
「もっと優しく拭け。お前は誰だ?」
「……あんたの息子」
「その息子は、どこの国の出身だ?」
「……グラミアを優先するってことで?」
ダリウスはパンを齧り、咀嚼しながら答える。
「グラミアを優先するという回答は違う。正確には、グラミア人の為に判断をするということだ。グラミアで暮らす人々に対してのみ、俺達は責任がある。こう諦めないと、苦しむぞ」
俺のように、とダリウスが続けることはない。
彼は、我が子が自分で経験すべきことだと、わかっていたからである。
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムは不思議な建物の、待合室のひとつに通されていた。
レディーンは健康状態の検査でいない。
古龍も、何かしらの検査ということでここにはいない。それはもう危険な抵抗を試みた古龍であったが、マキシマムに諭されると、犬のように従順になる。
マキシマムは立方体の室内で、窓から外を眺めていた。彼の手には緑茶が注がれた杯が持たれているが、理解できないのは、持っていても熱くないのに、飲めば緑茶は温かいのである。そして温度が保たれているのだ。
マキシマムは独特の色合いを誇る瞳に、日本の風景を映していた。都市だと聞かされていたが、彼の知る都市とここは全く違う。
巨大な半球体の建造物の中に、自然が再現されている。そして人が暮らしているであろう建物は見当たらない。地下に居住区があると言われているが、そこには入れないと言われていた。
サクラという花が咲き誇る新東京市を眺める彼は、背後で扉が開く音で振り返る。
古龍が、白衣で立っていた。
「終わったのか?」
「はい、マスター」
「……そのマスターというのはやめてくれないか?」
「マスターのことを、では何とお呼びすればよろしいでしょうか?」
「……名前で」
「お名前? マキシマム様」
「……その、様、もいらない」
「……マキシマム」
「それでいい。緑茶を頂くかい?」
「わたしは飲み物を飲む必要はありません」
マキシマムは頷き、立ったままの古龍は、入室の許可を待っていると理解した。
「入りなよ」
「失礼します」
古龍が室内に入り、扉を閉じた。彼女はそこで、マキシマムを見つめて動かない。
「どうかした?」
「ここにいれば、マキシマムをお守りすることができます」
「……ねえ、名前はないのか? クラプシルだったか?」
「クラプシル? それは何でしょう?」
マキシマムは、全ての記憶がなくなっているらしい相手に同情したが、古龍を気の毒に思う自分がおかしくなり苦笑する。そして、あれだけ憎らしいと思っていた敵が、グラミアハウンドのようになっていると微笑んだ。
「楽しいことがありましたか? よかったです」
古龍の言葉に、マキシマムは小さく頷く。
「なんて呼べばいいか? 名前は本当にないのか?」
「ありません」
マキシマムは古龍を隣に誘う。
古龍は、おずおずと彼の隣に立ち、彼と同じ風景を眺めた。
「キレイ……」
古龍から出た声に、マキシマムは反応する。
「綺麗だよね」
「はい」
「……サクラにしよう」
マキシマムは、古龍の名前を『サクラ』にすると決める。
「君は女性だし、響きもなんだか似合ってるような気がする」
「わたしは女性ではありません」
「いや、見た目が……」
マキシマムは言いながら、途中で馬鹿らしいと思いやめた。
「独り言だと思って、ただ聞いてもらえるか?」
「はい。ただお聞きします」
彼は、彼女になら誰にも聞かれたくない本音を話せると思い口にする。それは、言ってしまうことでとても嫌な気持ちになる類のものであるから、口には出したくない胸の奥底で蠢く悪感情だった。
「俺はもう、あの人達のことを信用できない。父……父上じゃない。母上でもなかった。そして、俺を捨てた女……気に入らない。会いたくない。彼らと会いたくない……母上……育ててくれた母上には申し訳ない気持ちはあるけど、どの面さげてあの人を母上と呼ぶんだ? 一緒になって俺を騙していた……先生もきっと知っていた。そうだ……子供の頃、先生が俺に言ったことは、これのことだ……俺をどうしたかったんだ? 俺を……あの村で暮らすマキシマムとして育てて、何も知らないまま死んでいけばいいと思ってたんだ……テュルクが俺についていたのも、監視してたんだ……あいつら、俺を騙してたんだ」
「……」
「俺が王族だったらまずいから……そうしていたんだ。あの王は……俺を産んだことすら隠そうと……隠すならどうして産んだ? 誰が俺の父親だ? オルヒディンなんて俺は信じないぞ。もしそうなら、俺はこんなに悩んだり苦しんだりするはずがないじゃないか。神様の子供なんかじゃない。そうなら……公表したくもないような男が、俺の父親なんだ……あの女は……そんな男との子供だから俺を存在しないものにした」
「……」
「生かしてくれて感謝するなんて思わない。いっそのこと、本当に存在しないようにしてくれたらよかった――」
「マスターが存在しなくなるのは駄目です」
マキシマムの言葉を、サクラが遮る。
彼女は、すぐに謝罪した。
「申し訳ありません。ただ聞いておくようにとのご命令に背いてしまいました」
「……いや、いいんだ。すまない。どうでもいいような愚痴を聞かせて」
「いえ、わたしは嬉しいです。頼ってくださるのが嬉しいです」
「……」
「わたしは誰にも言いません。ですから、わたしには誰にも言えないようなお気持ちを吐き出してください。それでマス……マキシマムが楽になるならどうかそうしてください」
「……ありがとう」
「当然のことです。マキシマムはわたしのマスターですから」
マキシマムは、微笑むサクラに感謝をする。
殺し合っていたはずの相手に、支えられているような感覚を覚える違和感にたじろぐ。
彼は、立っていられないほどに自分への怒りに震えていた。
アブリルやベルベットすら、信じられない自分への不満は巨大だった。
マキシマムは、あの二人は好きだ。いや、家族だと思っていたいし、ベルベットには家族以上の気持ちが今もまだ残っている。しかし、自分がそう思う相手は、自分を辱め、騙し、たぶらかし、操っていた人達なのだという推理が邪魔をする。
マキシマムは諦めるように、その場で膝をつく。そして、床に杯をそっと置いた。
サクラも同じく、その場にペタリと座り込んだ。
「お疲れのご様子……お休みになってください」
マキシマムが彼女を見ると、サクラはマキシマムに触れたくて、でも触れられないという仕草を、手を動きで示している。
彼女の手が、彼へと伸びかけ、ひっこめられる。
マキシマムは、彼女の膝に頭を乗せた。そうして、自分を見下ろすサクラを見上げ、このまま寝たいと思う気持ちを吐きだす。
「寝かせてもらってもいい?」
「どうぞ」
サクラは、微笑んでいた。




