覚悟
ルナイスが、師団本営が置かれるトゥラに入った時、第三師団に続いてヴェルナ王国へと入った第四師団が到着していた。
グラミア王国軍は大きくわけて二つになる。国軍と、諸侯が抱える私軍だ。その国軍は第一師団から第一〇師団までが通常時で、戦時になると予備役も動員されて師団の数は十五となる。
一個師団の兵力が三〇〇〇だが、後方支援などの部隊も随伴するので総勢は五〇〇〇近くにもなる。三〇〇〇とはあくまでも戦闘に参加する兵士の数である。
つまり今、ヴェルナ王国内に入っているグラミア軍の兵力は一万人規模にも及び、これはヴェルナ王国の総兵力に匹敵していた。これほどの兵力を自国に招き入れなければならないほどの窮状かと、ルナイスは苦汁を舐めた表情となる。
だが、それも無理はないかと、ここにいる自分の立場を省みて表情を消した。
彼は伝令職にある騎兵を捕まえ、師団長への伝令を言付ける。
「遊撃中隊長のメニアム殿と、連なる士官が戦死、兵士の半数が死亡または行方不明……ヴェルナの王女を保護した後に敵の襲撃を受けた。敵、異民族と……よくわからん化け物……残余を率いて帰還したが、俺はまたすぐに出る……師団長閣下に伝えてくれ」
「化け物?」
「化け物としか言葉がみつからん」
「……承知しました。ルナイス卿、現場復帰ですか?」
「あれ? どこで会った?」
ルナイスは伝令をまじまじと眺め、こんなおっさんの知り合いはいないと、自分の年齢を棚にあげて思ってしまった。
「あれから二〇年近く経ちます。俺はあの時、補佐官閣下の指揮下で聖女の軍と戦っていましてね。あの時は新米で……気が付けば生き残ってました」
「あそこにいたのか?」
「ええ、では師団長閣下にお伝えしますが、出るとは?」
「……俺は今、小隊の副長だ。隊長がヴェルナの王女殿下を連れて逃げている。この様子だと、到着してないだろ」
ルナイスが周囲を見渡した。
トゥラの町は、人口よりも多い軍兵の登場でごった返しているが、そこには戦時独特の緊張感があり、王女が無事であったと喜ぶ様子は全くなかった。いや、王女が囚われていたことさえ、伝わっていないのかもしれない。
ルナイスはマキシマムの小隊の兵士達に声をかけようと、伝令とは反対方向に進む。町の出入り口は北と南の二か所で、彼らは北側の門で待機している。そして、なんとか生き延びた中隊の兵士達もまた同じく、そこで手当てを受ける者もいれば、身体を休る兵もいた。
ルナイスの姿に、マキシマムに助けられた兵士が腰を浮かした。それに続いて、小隊の兵士達も倣う。
「俺は隊長を迎えに行くが、お前らはここにいろ。お前らまで責任は取れないからな」
「副長、自分は魔導士なので行きます」
「……わかった。じゃ、お前は来い。俺の後ろをついてこいよ」
「俺達も行きます」
兵士達が声をそろえる。
ルナイスは嬉しく感じたが、彼らの為に言ってやることにした。
「隊長は本来の隊長が復帰するまでだ。義理を立てても意味はないぞ」
「いえ、先頭に立って戦う隊長を見捨てたんじゃ誰の下でも駄目ってことです」
「そうそう、俺の弟と同じくらいの年頃だから心配だし」
ルナイスは笑い、水と食料を持って再集合と告げた。
-Maximum in the Ragnarok-
師団本営が設置されているのは、町役場だった。通常は代官が居座り、役人を使って町とその周辺を治める中心であるのだが、今はグラミア人だらけである。
木造二階建ての建物は小さい城ほどある。その二階の一室に、第三師団を王から預かるフェキル・カブールがおり、彼の対面には第四師団を率いて合流したチャロフ・メアが椅子に身体を預けていた。
「まずい……さっさと異民族を追いださねば、ヴェルナは奴らと講和するぞ」
フェキルの言葉に、チャロフは鼻を鳴らす。二人はどちらも四〇で、過去、グラミアと神聖スーザ帝国との間に行われた大戦の経験者であった。そこで武功を重ねたことで今の立場を得ている。
「条件を交渉していると……テュルクからの報告だ」
チャロフが言うテュルクとは、グラミア王国が抱える諜報に特化した集団で、テュルク族という東方の少数民族のことである。彼女たちは女性が働き、男は子を成す期間の他は集落から追い出されてしまうらしい。
チャロフの言に、フェキルが頷き口を開いた。
「ヴェルナの王族……ルベン大公が異民族の指揮官と使者を頻繁に交わしているそうだ」
「ルベン大公は……先王時代からヴェルナの国政に参加していた人物だ。今の王も頼りにしていると聞く……一気に異民族を東に押し出したいが、兵力が足りない。しかしこれ以上は、ヴェルナの反感を買うだろう」
「助けてくれと言うくせに、助けようとしたら脅え始める……か?」
「ああ……」
二人は交互に発言し、チャロフは相槌を挟み続ける。
「だが、停戦をしたところでヴェルナが助かるわけではない。それをルベン大公もわからぬはずがないと思うがな……」
「ありえないことだと思っていても、起きてしまうことがある……異民族の兵のこともあるし、確かめたか?」
「まだぶつかっていないからな……テュルクからあがってきた例の……化け物が混じっているというやつか?」
「ああ、本当なら、普通の戦い方ではいかんだろう?」
異民族と講和を結んだところで、しばらく経てばまた侵攻される。これがここ数百年と続く常識であった。そして今回でいえば、異民族の兵に異形の化け物達が混じっているという報告があり、それが彼らに、これまでとは違うと思わせている。
これまでと同じ対応をすれば、これまでと違う未来になる予感がするのである。
この時、扉が叩かれ伝令が室に姿を見せる。
「報告! 威力偵察に出ていた遊撃中隊からです」
「言え」
フェキルの指示に、伝令が口を開く。
「は。報告者は小隊副長のルナイス卿。中隊長のメニアム殿が戦死し、主だった士官も……卿が半数の兵士を率いて帰還。他は戦死か行方不明とのこと。敵、異民族……と化け物と……」
ルナイスから伝言を受け取った伝令は、当然ながら化け物とは何だという質問をされるものだと思っていた。
しかし、師団長二人はお互いの顔を見合い黙ってしまう。
どうしたものかと去ることもできない伝令は、十を数える間を経てようやく退室を命じられた。
伝令が去った室で、チャロフが口を開く。
「化け物……か」
「決まり、か。指揮権はまずお前でいい。俺は後方支援に集中する。あと、本国にこれをどう伝える?」
フェキルの問いに、チャロフは呻くように答える。
「そのまま……だ」
-Maximum in the Ragnarok-
ラムダは陸地にあがったところで溜息をつく。
川から南側、つまりトゥラがある方向への上陸はできていない。それは敵がうじゃうじゃといるに違いなく、彼はそんなところに乗り込む勇気をもっていなかった。とにかく安全と思われる方向、つまり北側の岸に小舟を寄せた彼は、憔悴して眠るマキシマムを叩き起こして、陸地にひっぱりあげたところである。
レディーンが川で濡れた裾を気にしつつ続き、大神が最後尾に立った。
「陽が落ちる……」
ラムダは橙色に染まる西の空を眺めて吐きだす。
あの不気味な敵を見た後の夜は、どれほどの緊張を強いられるかと今から恐ろしい。それはレディーンも同じであり、二人は無言となる。そして疲労からその場に座り込んだ。
よろよろと立ったのはマキシマムで、結界魔法を使い続けたことで疲れ切った身体と精神によって目の下の隈は濃い。それでも彼は、この三人の中ではまだ進む勇気があった。
「行きましょう」
「行きましょう? どこへ?」
ラムダの問いに、マキシマムは当然のように答える。
「反対方向に渡らないと……敵は逃げました」
「馬鹿か? あれが全部なわけないだろ!」
ラムダは思わず声を荒げてしまい、自ら気付いて慌てる。忙しく周囲を見る彼の隣で、レディーンが脅えたような声を出す。
「あの色……化け物達、黒い色です。夜になると、見分けがつきません」
「だからといって、ここにこのままいても駄目ですよ」
マキシマムの意見に、レディーンは反論できない。それでも、動きたくないという気持ちが強かった。
迷う二人と、決めているマキシマム。
そこに、異民族が使う言語が届き始めた。
北側からである。
「まずい……」
マキシマムは焦る。
彼はラムダを見た。そしてその目に、諦めを認める。次に彼はレディーンを見た。
「僕が囮になるんで、二人は逃げてください」
マキシマムが言うや否や、二人を残して進む。その前に大神がするりと進み出たが、彼が諌めた。
「二人を守ってくれ」
魔獣はだが、その命令を無視した。それは、大神は召喚者であるベルベットから、マキシマムを守れと命じられているからである。それを魔獣の反応で知ったマキシマムは、ゾクりとした寒気に襲われる。
「王女ではなく、僕を守れと先生は命じていたのか」
彼の思考は言葉となっていた。
しかし考える余裕など、すぐになくなる。
夕闇に沈む森の中でも、はっきりと敵がもつ武器の煌めきがマキシマムにも見えた。腐ったオレンジのような色合いが、木々の隙間で鈍く光っている。
マキシマムは二人に逃げてくれと念じながら、長剣を構えた。その彼を守る位置を取る魔獣が、まず咆哮を見舞う。
大神の口から空気さえも一瞬で凍らせる息吹が放出され、氷の柱が空中を走るように伸びる。それは接近していた敵前衛を飲み込み、彼らは悲鳴をあげるより早く氷で作られた彫像と化した。
『魔法だ!』
『魔導士!』
フン族の言語だとマキシマムにはわかった。
異民族から、矢と魔法の反撃が行われる。火炎の放射を結界で防ぐマキシマムは、途切れそうになる意識を懸命に保つ。彼の顎から汗が滴となって落ちた。
マキシマムは全方位に結界を張る体力と気力はないと判断し、敵が迫る北側だけに結界を張った。それは敵の魔導士に察知される。火炎が結界にぶつかり逃げる方向で、結界範囲の対象が悟られてしまった。
回りこもうとする敵に、大神が凍てつく息吹を放つ。咆哮と共に吐きだされた息は、魔法ではないが為に、敵の結界を無視して被害を与えた。
『結界がきいてないぞ!』
『化け物がいるぞ! こっちも呼んで……うわぁああ!』
直後、フン族の悲鳴が連続で発生した。
マキシマムは、敵が勝手に混乱したと喜んだが、それも一瞬で終わる。
暗闇が強くなる森の中。
前方に、それは見えた。
二足歩行だが馬のような下半身に、鍛え上げられた体躯の上半身。その頭部は山羊で、角は邪悪さを表すように曲がりくねっている。太い腕には大きな鎌が持たれていて、フン族の血で不気味に濡れていた。
山羊頭は、ずるずると何かを喰らっていた。それは一部を山羊頭の口から覗かせていて、形状から、腸であるとわかる。
それほど、相手はマキシマムに接近していた。
「!」
渾身の力で後方に跳んだマキシマムは、一瞬前まで自分がいた空間を裂いた鎌の一閃を見た。鋭く、早い攻撃は、満身創痍の今の彼には絶望である。
山羊頭の後方に、赤い光がいくつも輝き始める。
蛙の頭部をもった化け物が、大量にいるのだとマキシマムは汗を噴き出す。
彼は覚悟を決め、叫んだ。
「ラムダ! レディーン! 逃げろぉ!」




