毒
岳飛虎崇は溜息をつき、油断していたと認めた。
化け物の軍団であれば、人間相手に負けるはずがないと決めつけていた自らを呪う。そして、戦場から本気で逃げ出したのはいつ以来かと自問する。
初めてだとわかった。
彼は不死であるが、それは歳を取らないという意味のものだ。もちろん、肉体が破壊されれば彼にも死が訪れる。それを理解しているからこそ、彼は不死である自らの価値を最大化させるべく、武芸と魔法を極めた。幸い、時間はいくらでもあったがゆえに、常人では到達できない極みに至っている。
しかし、だ。
彼は負けたのである。
グラミア軍が、岳飛虎崇を戦場で倒せなかったことで負けという認識をしていることと同じように、彼もまた生きながらえたとはいえ化け物の軍団を失った現状は負けだとわかっていた。
次の召喚魔法を使えるまで、一月は時を要するだろう。
彼の力であっても、軍団単位の化け物を召喚するにはいろいろ制限があった。
侍従の少女が、失意の主がこもる室の扉を叩く。
彼女は、許可を得て中へと入ると、椅子に腰掛けたまま微動だにしない岳飛虎崇を見つける。すでに夜だが、灯りはない。
暗い室内に、黒い人影があるのみの空間は、少女の心に不安を生じさせた。
言いよどむ彼女を、岳飛虎崇が促す。
「どうした?」
「あ……お手紙が届きました。東からです」
「寄越せ」
室内を魔法の光が照らす。
一瞬で光球を発生させた岳飛虎崇は、大宋方面を侵攻していた軍団の長から届いたばかりの手紙を手にした。
彼は乱暴に破り、中を見る。
『民衆を皆殺しに処しました。美鈴麗人様も天上でお喜びでありましょう。これより西へ向かいます。一年かかる見込み。お待ちください』
岳飛虎崇は手紙を握りしめる。
「ご主人様?」
「一人にしてもらいたい」
「……はい」
少女が廊下へと出て、扉を閉じた。
ヴェルナ王国東部の村のひとつ、残った家屋を自室に使う岳飛虎崇は、大宋国の大丞相であった人物とは思えないほどに粗末な椅子から立ちあがり、きしむ寝台に横たわる。
瞼を閉じると、美鈴の顔が思いだせた。
帝室の娘として生まれた彼女は、姫として、政治家として、大宋の為に懸命であった。異民族との間にも融和政策をもちだし国境を安定させつつ、海上貿易と陸上貿易で潤う帝国財政をもって福祉と教育政策を充実させることで国内を富ましていた。
皮肉にも、彼女が守ろうとしていた民によって、彼女は殺されてしまうのだが、それでも彼女は最後まで、自らの運命を受け入れたかのように岳飛虎崇を説得していた。
『民を害してはならぬ』
『民あっての国家じゃ』
『わらわの身ひとつで、大宋が百年続くのであれば、喜んで命を差し出す』
『それに、報じられていることは事実じゃ。わらわはたしかに、金を受け取っていた』
『違う、お前はそう言ってくれるが、金を受け取っていたのは紛れもない事実……それが原因で、国が乱れるのであれば、正さねばならぬ』
『お前がわらわを処せ……お前に殺されたい……お前に殺されたなら本望じゃ……そしてわらわの首を、帝都に晒せ』
岳飛虎崇は、彼女の頼みを断った。そして、彼女を異国へと逃がそうと、縁のあるペルシア帝国と交渉を始めたが、彼女は民による襲撃で殺されてしまった。
それは姫が、大宋を代表する商会のいくつかと金銭的に繋がっていたからだ。政治活動資金を帝室に頼らなかった彼女は、だからこそ帝室とは距離を取る政策を打ちだすことができていたが、活動には金が必要だ。そこで彼女は、民間から出資を受けることで、帝室の娘でありながら帝室とは距離を取る立場で大宋を支えることができていた。
それはとても機能していたのである。
彼女が政治家となる前は、帝国議会の力は行政を司る皇閣と丞相府を前に弱まる一方であった。皮肉にもこれは、岳飛虎崇がいるからである。
しかし、彼女が帝室を代表しながら民に寄ることで、均衡を取り戻した国政は与野党の対立や行政と立法の交渉が蘇り、歓迎されるべき健全さを取り戻すことができたのである。
だが、これをおもしろく思わない帝室の男子がいた。
自分が皇帝になりたい彼は、妹風情が目立つのを嫌った。
彼は、大宋を代表する新聞社に、妹と商会の間で金銭のやり取りがなされている証拠を送ったのである。
それは事実であったが為に、姫は抗弁もせず認めた。
報道機関は競い合うかのように、彼女に関する記事を書いては発表する。
なかには眉唾ものの記事や情報が紛れ込んでいたが、事実と嘘が入り混じる大事件を前にして、民は楽しむように姫を糾弾していく。
いや、楽しかったに違いない。
信用していた相手が、金儲けの為に自分達を使っていたという感覚は裏切られたと思うに値するゆえ、鬱憤があったことも事実だろう。しかし、高貴な女性の身が堕ちていく一部始終を見聞きするのは、楽しかったのだ。
そして、彼女を責めることで、自分達は気持ちよくなれた。
民の全てとはいわない。
彼女を擁護する声も大きくないがあった。
しかし、彼らもまた、弾劾裁判じみた追求に遭うと口を閉ざすようになる。
ついには、彼女を擁護するのは岳飛虎崇のみとなった。
誰も彼に手を出せない。
誰も彼を責めることができない。
自分より強い者相手に、強く出られないのが人である。
報道機関も、清廉潔白な岳飛虎崇を叩く材料はなく、彼の擁護は姫と恋人関係にあるからだという不埒で事実無根な報道による新聞売上増に傾いた。
この頃、岳飛虎崇の居宅の周囲を民が囲むようになった。
彼は仕事で留守ばかりであったが、民は知らない。
岳飛虎崇は、自宅が焼かれたことを、執務室で知った。
そして、暴徒となった民は皇宮へと迫る。
数十万人が松明を握りしめ行進した。
誰もが、自分達は正義の使徒であると信じていた。
皇帝は軍を出動させなかった。
美鈴が止めたからだ。
彼女は、暴徒の前に一人で立った。
彼女の遺体は、発見されていない。
岳飛虎崇は、家族を失い、姫に死なれた翌日、辞職を皇帝に願い出て、拒否されたが去った。
ここまでを回顧した岳飛虎崇は、寝台で上半身を起こす。
「民は害してはならぬ……が、それは国家という抽象的で、捏造された常識が前提となる。民は国あってのもの、国も民あってのもの……であるなら、そのようなものはないほうが良い。所詮は人が定めた偽りの仕組みに過ぎぬのだ。愚かしい者達を守る法は不要だ。権利なども我々が勝手に妄想しているだけの迷信に過ぎぬ。全て取り払った後に、新たな秩序が生まれるだろう……義務など権力者の都合に過ぎぬものだ。権力も、なにをもって担保されているかあやふやだ。全て白紙にする。全て消す……その先に、本当に正しい世界が構築される可能性を掴む」
彼は寝台から出ると、頬を両手で軽く叩いた。
「世界は何度も滅んだ。しかし、何度も文明は栄える」
岳飛虎崇は、廊下へと出た。
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムは船に乗っている。
レディーンは船酔いで船室に籠ったままた。彼女の看病を古龍に命じた彼は、船首甲板に立っていた。
北海の海は、春だというようにひどく風が冷たい。
鳥達の姿はなかった。
空は黒雲に覆われている。
太陽は見えないが、午後にさしかかった頃合いだろうと感じる。
彼は自問する。
どうして、レディーンは異民族に狙われるのか。
どうして、自分は彼女を放っておけないのか。
恋愛感情はないとわかる。
いや、たしかに綺麗な女性を前にした時の心地よい緊張感と期待感は存在しているが、それでどうにかしようという気はなかった。
やはり彼は、自分の為にしていると理解する。
マキシマムは、レディーン一人すら救えないと認めるのが嫌なのだ。
ロボス島で、彼を拒否した少女が脳裏に蘇る。
負傷したベルベットの、痛々しい顔を瞼の裏に描いた。
潮風で、彼は鼻をならす。
大和国に行き、レディーンがそこで不自由なく暮らせる確証を得たい自分に問う。
どうすれば、確証を得たと思うか。
答えはない。
「マキシマム」
名前を呼ばれて振り向くと、ムネシゲが近づいて来る。その手には、杯が持たれていた。
「飲むか? ツイカを船員からわけてもらった」
「ありがとう」
「半分ずつだ」
マキシマムはムネシゲから杯を受け取り、チビリと飲んだ。
ツイカというには強いと感じる。
「大和の人は、どうして……古龍を倒すんです?」
マキシマムの問いに、ムネシゲは苦笑する。
「仕事だ」
「……疑問なく?」
「あるよ……あるさ……どうして昔の人達は、想像しなかったんだろうって」
「昔の人?」
「そう。例えば、俺達がこの世界の飲み水を全て飲みつくしてしまったら、水源を汚しまくってしまったら、子供や、その次の世代はどうなるだろう?」
「……困るでしょうね」
「しかし、案外、それを今、自分がしようとしている事に関連づけて想像したりはしない……今、自分達がしていることで、将来、世界に人は住めなくなるかもとは思わない」
「……どういう意味ですか?」
ムネシゲは真面目な顔を作る。
マキシマムは、杯を彼に返した。
「世界の地下には、古代人が出したごみが大量に埋まっている。それを古龍が守っている。ごみを回収して、処理する技術が今ならある。だから俺達は、古龍を退治して、ごみを回収して、世界を元の姿に戻すんだ」
「……地下なら、問題ないのでは?」
「そのごみの毒は、地下に埋めていても、影響がある」




