雪の夜に
新年を迎えようとするキアフの都市は賑やかで、雪が降ろうが寒かろうが市民達の賑わいに水を差すものではなかった。東西横断公道のような貿易用の公道が都市の中を通るキアフは珍しい設計であるが、富を得ようと計算した起案者も、ここまでの賑わいは予想していなかったのではないか。
過去、この東西横断公道が閉ざされたのは一度のみで、それはイシュリーンが王女時代に、キアフを攻撃した時だった。攻城戦は短期間で終わったが、齎した経済的な損失は大きなもので、それはグラミア一国だけでなく大陸西方の国々にも及んだ。ここには当時、グラミアを侵略していた神聖スーザ帝国も例に漏れない。
このように、キアフは大きな都市で、貿易の拠点であり、各国の外交機関の窓口たる大使館や外務部出張所などがある。異国人、異民族も最近はとても増えてきた。また自然と、ならず者が紛れ込むことも多くなったが、市内の警備は厳重である。ましてや一国の都だ。治安には特に気を配っているわけだ。
その都の中心にはキアフ王宮があり、王城とも呼ばれている。正式にはグラム城という。グラミア王の資格をもつグラム家の城だという意味である。
その城の一室に、隣国の姫君がいた。
レディーンだ。
彼女は客人として不自由なく暮らしているが、実質的な人質である。イシュリーンを始めとするグラミア上層部は、彼女の特殊な力が異民族侵攻に関係があるとみて、保護している一方で、将来、ヴェルナを傀儡とする際に利用するつもりでもあった。
死なれても、逃げられても困るというのがグラミア人達の言い分で、レディーンはそれを全て理解できているわけではないが、自分が原因でグラミアが被害を被った戦争の責任を取る為に、自分はここにいるという意識だとするとわかりやすい。そして同時に、マキシマムが生まれ育った国にいることができるというのが単純な動機でもあり、そのうち、彼と再会できると期待していた。
そんな彼女は、上質の紙を使わせてもらえることに感謝をしながら手紙を書いている。それは、北方騎士団領に逃亡した彼女の両親に向けてのものであった。
グラミア国軍将軍のダリウスから、この情報を得た本国の主だった者達は、王女からの手紙でだらしない王と王妃を表に引っ張り出そうと考えていた。うまくいかなくても実害がないので、試しにやってみようという程度のものだが、外出もできないレディーンに、何かの仕事を与えることで気を紛らわしてやれるという同情に似た感覚もある。
レディーンは、陽光がさし込む窓へと視線を転じた。窓の近くまで伸びた木の枝に、一羽の鳥が止まっていた。鮮やかな赤い毛並の珍しい鳥は、チチチと鳴いて彼女の気を引く。
レディーンは窓へと近づき、ガラス窓に息がかかるほどの距離で鳥を眺める。
鳥も、彼女を見ているようであった。
-Maximum in the Ragnarok-
「いたな」
アズイルの声に、クラシプルは美しい笑みを浮かべる。化け物の姿を今は美しい娘の外観で隠した彼女は、姿を見せない仲間に問う。
「ベルベット様はいるか?」
「ヒトリだ。ホカにはダレもいない」
「ベルベット様がいつも守っているわけがないだろう?」
「ホカにキョウイがいるか?」
「……そういう問題ではないが、まあいい。あまり荒立てるなと主様のご命令だ」
アズイルが姿を現す。彼の周囲で色彩が歪み、空間からぬるりと出てくるような現れ方であった。高身長で異様に腕の長い男は、猫背で肌色は真っ白である。黒い長髪が目立った。
キアフ市街地の歓楽街から近い、水路脇の倉庫のひとつに二人はいる。
「クラシプル、人形を殺し尽くして奪えばいい。そもそも、あの時もそうするつもりであったのに、お前は途中で止めた」
「事情がある」
「主様のご命令の他に、何があるのだ?」
「……」
「……ま、いいだろう」
アズイルは無表情で、クラシプルの足元を眺めた。そこには彼女が食事を終えたまま片付けていないことから、食べ残しが散らかっている。
爪や肉の硬い箇所を避けるように食べられた、人間の部位が血塗れで転がっていた。頭部は髪や歯が邪魔だという理由でそのままの形が残っていて、若い男であるとわかる。彼は、まさか美女に喰われるなど思いもせぬまま、のこのこと彼女についていき、こうなってしまった。
「行こうか」
クラプシルの誘いに、アズイルは無言で続いた。
-Maximum in the Ragnarok-
グラミア王国暦一三六年、最後の日の夜。
キアフは雪に染まっている。大陸横断公道上の他、主要な道には車輪の後があちこちに残るも、外灯に照らされた真っ白な都市は、模型で作られたように可愛らしい。
アルギュネスはそう感じた。
アルメニア王国大使館の塔の上で、葡萄酒片手に街並みを眺める青年は、美しい顔立ちを酔いでやや紅潮させている。各国の大使館や出張所が並ぶ街区は夜となってもグラミアのキアフ警備連隊の兵達が見回りをしており、三人一組である彼らの動きは松明の灯りでゆらゆらと街区を彩っていた。
アルメニアの都であるフォンテルンブローに比べて、このキアフは小さいが、しかし整然とした街並みと計算された市街地開発は景観を誇れるものまでに高めている。
アルギュネスは自分を呼ぶ声に視線を転じる。
塔の見張り台へと続いている階段の下から、それは聞こえてきていた。
「お見えになりましたよ!」
ミカエルの声だと、彼にはすぐにわかった。そして、招いた客人が到着したと喜ぶ。
彼は階段を駆け下り、下にいたミカエルを驚かせても止まらない。そのまま大使館居住区から、執務区へと続く廊下を進み、玄関に立つ女性を見つけた。
「ベルベット!」
「殿下、お招き頂き恐縮です」
アルギュネスはひさしぶりの再会を祝うように彼女を抱きしめ、盲目となったベルベットの頬に唇を寄せた。
「……背が伸びましたね?」
「父上譲りだ。お前、たまにしか現れないから……いつでも転送魔法で会いに来るという約束を破って……」
「ごめんなさい……アルメニアに帰ると、レミールを思い出すのです」
「……すまない。いろいろと話は聞いていて、キアフに寄ったから会いたかった。グラミアに依頼したらすぐに対応してくれた……ありがたい」
アルギュネスはベルベットの手を取る。そして、誘うように応接室へと向かう。途中、彼女が好む紅茶とジャムを用意するようにとミカエルに言い、言われた中年の男は一礼で応えつつ、盲目となったベルベットの痛々しい姿に溜息をついた。
二人が応接室に入り、紅茶が出された頃、どこかで鐘が鳴らされた。それは新年となった合図だと、ベルベットが説明する。
「オルヒディンの鐘だ。王宮の奥、神殿にある」
「……いい音だ」
「はい……フェリエス様のことはお悔み申し上げます。これまでお会いできず、申し訳ありませんでした」
「……ありがとう」
「わたしが……生意気な子供だった頃でも、あの御方と、エミリ様の前では大人しくしなければならないと思えるほどに……素晴らしいお二人だった」
「お爺様とお婆様のお墓、一度、訪ねてもらえたら嬉しい」
「ディシィを連れて必ず」
「……レニンは見つからずか?」
「ええ……母は……」
ベルベットは手を伸ばす。その手に、アルギュネスが紅茶の杯を持たせた。
微笑み、紅茶を飲んだ彼女は言う。
「……おそらくもう帰りません」
「レニンは、お爺様とお婆様が最も心配しているだろう相手だ……帰らないというのは、会ったのか?」
「いえ、会ってはいませんが、そう感じるのです」
「アルメニアに不満があったのか?」
「わかりません……ですが、母はアルメニアによくない感情を抱いたから消えたわけではないと思います。あの御二方が繋げた時代を、母は受け継いだのですから……あの御二方から頼まれたから、母は研究や魔法に集中したい我儘を殺して政治の世界に生きたのです……その中で、余裕のない母を……わたしは余計に追いこんだと今は思います。わたしのほうにこそ、母が姿を消した原因があるかもしれません」
「……自分を責め過ぎだ」
「殿下にそう仰って頂くと恐縮ですよ」
ベルベットはそこで、アルギュネスのこれまでの旅の経過を聞きながら、ロボス島にいたと教えられたので驚く。
「ロボス? ロボスにいらっしゃった?」
「ああ……ロボスにいた。それからオルビアンに」
「……殿下、アルメニアの外交団としてそこにおられたなら、もしかして、髪の色が黒と銀の男性に会いませんでしたか?」
「ああ……マキシマムだな? 知り合いか?」
「教え子です」
「……それならそうとあいつ……いや、確かにそういう話にならないと出ないか……じゃ、ベルベットが彼に魔法や戦い方を?」
「魔法を中心に、体術も少し。でも戦闘に関しては別の者が」
「どうりで強いわけだ」
ベルベットが紅茶の杯を卓に置く。
「強い? 強かったですか?」
「ああ……大活躍だった……が、どうした?」
「その才能が、数学のほうに伸びていればよかったのに」
「数学? あいつは数学の道を希望しているのか? もったいない」
「人にはそれぞれ、なりたいものがあります」
「……そうだが、しかしなりたいものになれるわけではない。俺も、お前も」
「……確かに」
「……雪が……強くなってきたな」
アルギュネスは、窓から見える外を眺めて溢していた。
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムがエヴァを自宅まで送ったのは、朝から雪が降り続ける天気の悪い日で、今年最後の日であった。
こんな天気の悪い日にわざわざと、エヴァの両親は笑い、どうせなら二日でも三日でも泊まってくればよかったとからかわれ、二人は赤面し別れている。
エヴァと別れたマキシマムは、彼女の可愛さと色っぽさを思い出しながら、らしくないほど浮ついた顔で自宅へと入り、アブリルに目を丸くされたが、一泊したらまたキアフに戻ると言って逃げるように自室へと戻った。そして、寝不足からくる睡魔に無抵抗となる。
眠る彼の隣に、いつの間にかベルベットの犬達が寄り添い始め、最後に妹がそこに加わったが、彼は目覚めない。
それだけ疲れていた彼は、キアフからラベッシ村へと移動しただけが理由ではなかったが、言及するのは野暮なのでやめておきたい。
マキシマムの睡眠を邪魔したのは、深夜の騒がしさだった。
彼は、いつの間にか犬だらけとなった寝台から起きあがると、犬達に埋もれるように寝ていた妹を起こさないように廊下へと出る。そして階下から聞こえる母の鋭い声に驚いた。
「どうして察知できなかった!?」
「すぐに周辺の者達を向かわせなさい!」
「私も出ます!」
何事かと階段を駆け下りたマキシマムは、その音で母親が口を閉じたと感じた。彼女は、慌てた様子で一階廊下へと現れ、目覚めて寝癖だらけの息子を見ると、困ったような表情である。
「マキシマム……」
「母上! どうしたのです!?」
アブリルは、隠してもいずればれると思い、答える。
「王宮が、何者かに襲撃されたと」
マキシマムは目を見開く。
そして、一瞬で反転すると階段を駆け上がり自室へと飛び込んだ。自分の剣や軍服を急いで掴む。
うるさい音で、妹が目覚めた。
「兄様ぁ?」
「ごめん!」
マキシマムは、自室を飛び出した。




