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マキシマム・イン・ラグナロク  作者: サイベリアンと暮らしたいビーグル犬のぽん太さん
僕達は諦めない。
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世の中の仕組み

 リュゼ公国の都であるリュゼの公爵館に、キアフからの鳩が降り立ったのは、ナルが本国へ帰還してから五日後である。他でいうと、マキシマムが帰国命令を受け取り、ルキフォール公国経由でリュゼとの国境を越えようとしている頃合いである。


 鳩を世話する調教師が、指示書を受け取り、家宰であるコズンへと渡るように手配したのは朝で、コズンは昼前にはそれを受け取っていた。


「……閣下は、またわざわざこのようなことを……」


 彼の愚痴に、政務官の一人が首を傾げたが、退室を命じられて一礼した。去ろうとする彼に、コズンの声が届く。


「ルナイス卿を」

「承りました」


 こうして、コズンの部屋にルナイスが入室した際、何やら書類を格闘する家宰を見ることになったのである。


「どうされた?」

「ルナイス、若君がリュゼに入る。その後、クローシュ渓谷を抜けてベオルード、キアフへとお戻りになられる」

「帰国?」

「読んでみろ」


 コズンから指示書を手渡されたルナイスは、素早く黙読した後に呆れた。


「一人だけ帰国……事情はわからぬが、これではマキ……若君が気の毒だ。失格と言われているように感じられるだろう」

「それだけではない。部下を置いて帰国だ……部下の心も離れかねないし……しかしどうして今なのか? ドゥドラの報告では、なかなか味な真似をされたと言っていたが?」

「ドゥドラのほうはまだボルニアだな?」

「うむ」


 コズンは頷き、卓上の羊皮紙のいくつかを並べる。そして、署名をしながら口を開く。


「ルキフォールのキジニフ卿に参謀としてつく。彼の国内での工作がある……老練な彼にしかできない」

「……ドゥドラがボルニア内のグラミア兵の面倒も見るのかね?」

「その件に関しては、ギュネイという老人に任せるようだ」

「ギュネイ? 知らないな」

「ベルベット様の叔父上だそうだ」

「……魔導士か?」

「剣士だそうだ。ゴーダ騎士団の騎士だったと」

「……知らない名前だ。大丈夫なのか?」

「知られていないからといって、弱いわけではあるまい? お前も過去、知られていなかったじゃないか」

「……」


 コズンが署名を終えた書類の束を、ルナイスに手渡した。


「何だ?」

「若君の世話をお前に……と閣下が仰せだ」

「了解……」


 書類を眺めるルナイスは、困ったような表情となって言う。


「……これを? わざわざ?」

「ああ。見て頂く」

「……大丈夫か?」

「……俺は、だが反省もしている――」


 コズンの言いようにルナイスが怪訝となった。


「――んだ。俺達は、大事にしようと思うばかり、過保護だったのかもしれない。それに、若君を侮っていたのではないか? 若君は誰の御子だ? あのお二人だぞ? あの……血を吐くような苦境を乗り越えたお二人の御子だ」

「……そうだが」

「お二人はきっと、遠くない未来、明かされるのだろう。しかし、それを受け取める準備がまだ足りないとお考えではないか?」


 ルナイスは頷いたが、マキシマムへの憐れみを消せないでいた。




-Maximum in the Ragnarok-




 マキシマムは、ルナイスが隣にいるからこそ、格好をつけなくて済んだ。


 彼は、こんなことが現実に行われていることを、見ることで知った。それは、制度として、そういうものがあると知っていたこれまでとは、全く違う衝撃を彼に与えている。


 リュゼ公領を通過する彼は、運ばれた奴隷達が働かされている採掘場、農場を通過したのである。


 ルナイスの案内で、彼らを見た。


 ロボス島で見た、ロボス人達の扱いでさえ優しく感じる環境が、そこにはあった。そしてそれが、グラミア王国の、リュゼ公国で行われていることに打ちのめされる。


 痩せた奴隷達は、手を休めると鞭で叩かれる。


 小さな子供は、大人達の為に水を運ぶが、濁った水だ。


 鞭を振るう者達もまた奴隷で、いくばくかの地位を約束された者達であった。


 奴隷達は逃亡を図ることができないよう、首に首輪をつけられて、鎖でつながれていた。作業する集団単位で繋がれたそれは、誰か一人の脱落が集団の責任となるように計算されている。


 どこかで悲鳴があがった。


 それは、激しく肉体を傷つけられたことが原因であると、見ずしてわかる凄まじいものであった。戦場で、戦闘の最中、マキシマムは何度もその叫び声を聞いてきたのだ。


「鞭打ちで、肉がそげて神経が剥き出しになったな……」


 ルナイスの説明。


 マキシマムは、この奴隷区で働く者達の素性を問うた。


 ルナイスは、過去の勝利を思い出すような声色で伝える。


 オルビアン陥落後に生まれた奴隷。


 神聖スーザ帝国との戦いで、帝国東部からリュゼ地方へと流出したスーザ人達。


 最近はヴェルナからの奴隷も入ってきているとルナイスが説明をする。


「河川の湊工事を見ておくようにと、軍上層部からの命令だからこっちへ」


 ルナイスが誘う。


 マキシマムは茫然と、馬に運ばれ進むだけだ。


 彼は、汚い小屋の連なりを見た。


 昼間でも、影って見えるそこの窓のひとつから、室内にいる女性が見えた。


 奴隷の家族だろうと思ったマキシマムに、ルナイスが言う。


「娼婦だな」

「……娼婦?」

「オルビアン陥落の際、グラミア侵攻を扇動した商会の血筋だろう。男は炭鉱や農場の開墾、森林の開発……女は奴らを慰める役回りをしている」

「もう十年以上も前……彼女らはじゃあ……成長して今なのか……リュゼ公国が管理しているのですか?」

「当たり前だ。疫病が流行らぬようにせねばならない」

「医者をつけているんですね?」

「病にかかれば処分するだけだよ」

「処分!?」


 マキシマムの声は大きくなった。


 二人は作業場と居住区を通す泥道を進んでいて、周辺には洗濯物をする老婆たちがいる。その彼女らが、池の濁った水で濡れた彼女達が、一斉に二人を見ていた。


 脅えた目が、たくさんの目が、マキシマムに注がれた。


「……早く、早く通過しましょう」


 マキシマムの反応に、ルナイスはゆっくりと進むことで応えた。


 馬の蹄が泥を蹴り上げ、道の脇にいた子供にかかる。子供は、洗い終えた洗濯物を抱えていたが、それは再び洗わねばならないだろう。


 マキシマムが馬を止めようとした。


「ごめなさ! ごめなさい!」


 子供が叫ぶ。


 マキシマムは、叫ぶ子供の口に生えた歯が、ボロボロであるとわかった。あの歯では、満足に食事などできないだろう。痛みもそうとうにひどいのではないか。しかし、歯磨きという概念さえ存在しないのだ。まして、治療など受けることなどできるはずがない。


 馬から降りようとするマキシマムを、ルナイスが止める。


彼は、マキシマムの馬の手綱を掴み、進ませた。


 マキシマムが謝罪を口にしようとしたが、ルナイスが怒声で遮る。


「邪魔だ! どけろ!」


 ルナイスの怒鳴り声で、子供が泣きながら離れた。


「先生!」

「マキ、慈悲を示せば、次々に群がってくるぞ」

「先生……」


 マキシマムは、ルナイスを怖いと感じた。




-Maximum in the Ragnarok-




 クローシュ渓谷を抜けるマキシマムには、荷物持ちが二人、ついた。


 奴隷だ。


 スーザ人だという彼は、妹と一緒に荷物持ちをしている。


 女にもさせているのかと驚くマキシマムだったが、役割が違った。


 男である兄は荷物を運び、女である妹は食事の世話をするが、夜の相手もしようというのである。


 それが、当たり前なのだ。


 これが、現実だった。


 マキシマムは、奴隷が世の中にいることを書物で読み、人の話を聞き、知っているつもりだった。しかしそれらは、奴隷制度の中でも上辺の、やんわりとしたものばかりであった。


 金で買われた奴隷は、品物として主人に大事にされる。一定の額を貯めることができれば、自らを買い戻し自由になることができる。戦火から逃れ、飢餓から助かろうと、あえて奴隷になる者達がいるが、それはこのように保護される一面があるからだと教えられ、読んで、理解しているつもりになっていた。


 クローシュ渓谷内には、いくつかの宿場町がある。それは幕舎を連ねて休むだけのものであるが、水や食料、馬の手入れができるのはありがたいものだ。


 そのひとつで、マキシマムは夜を迎えた。


 妹のほうが、彼の寝床に入ってきてが、彼は断り、兄のところへ行けと伝えた。


 しかし、一瞬でも触れた柔肌の感触が、彼を悩ませる。


 そして、彼女のような役割が当たり前の仕組みが、偉大なイシュリーン一世の治世においても為されていると悲しんだ。


 だが、とも思う。


 イシュリーンという王は、何をしたかと彼は考える。


 マキシマムは、王は国を守ったが、世界を一新させようなどとはしていないと気付いた。あくまでも、グラミアを富む国にする為に戦ったが、そこには、正義や不正義など存在しないと感じた。そして、グラミアを守る為に、汚い仕組みも利用する覚悟があったと悟った。


 金がいるのだ。


 食料がいるのだ。


 安い労働力が必要だったのだ。


 誰もが、彼らなら仕方ないと思えるような対象を、奴隷の中でも最下層にまで落とし込み、利用したのだ。莫大な資金が必要な開発に、彼らを使うことで時間と金を節約したのだ。


 リュゼが、あの大戦から凄まじい速度で回復しつつある理由は、それだとわかってしまった。


 マキシマムは、グラミアの闇を見たと感じる。しかし、これはまだ些細なことのようにも思われた。


 もっと濃く、どろどろとしたものが、あるはずだとも予想する。


 そして、軍上層部の命令でと説明されたことに、マキシマムは嘆いた。


 これを知っておけ。


 マキシマムは、自分がロボス島でしたことへの回答が、これだと思えたのである。


 綺麗ごとだけでは国は立たぬ。


 マキシマムは、そう突きつけられたように感じながら、朝を迎えた。


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