信じたいもの
テラとカラマタを繋ぐ街道の幅員は五デールほどで、この島で、この時代においては十分に広い幅員であるが、五〇〇人規模の軍勢が移動するには十分とはいえない。それも夜である。のろのろと移動している最中、敵の伏兵に襲われて大変なことになる可能性を消せないリチャードは、慎重に南下すべしとマキシマムに促したが、指揮官は大胆な方法を選択している。
騎兵のみで一気に森を抜け、敵斥候にその姿を晒した後に後続の歩兵部隊が到着するのを待ったのである。これは例えば、敵が騎兵に襲い掛かってくればそれはそれで厄介だったが、仮にそうなった場合は後退するだけだというマキシマムの言が、彼の判断はただの無謀さとは違うことを示していた。
またマキシマムは、夜間の軍行動など訓練を積んだグラミアだからこそ可能なことで、地方の小豪族でしかないベアス伯爵家の軍兵が同じ錬度であるはずもないと読んでいた。
これは正しく、またこの理由で、ピレネーは夜の移動を避けたのである。
彼女は、すでにオルセリアに派遣されていた使者に、鳩を放った。
援軍を求める内容である。
同時に、家宰のエムベールを自室に招いた。
彼が姫君の室に入った時、ピレネーは侍女に甲冑を着る手伝いをさせている最中であった。
「姫様……まさかお出になるので?」
「出ます」
「……ここはオルセリアの援軍を籠城で待つのが得策かと――」
「そなた達が争う城で、無事に援軍到着を待てると思っているのですか!?」
家宰の発言を遮った批判は、エルベールの顔面を蒼白にさせた。
ピレネーは、侍女が甲冑の繋ぎ目にあたる部位の連結に苦労していると苦笑しつつ、無言のエムベールに言う。
「過ぎたことはいいでしょう。わたくしにも責任があることです。しかし、そのおかげで一枚岩とは程遠い我が家は、果たして籠城ができるでしょうか?」
彼女の問いは、返答を求めたものではなかった。
ピレネーは既に答えを知っているのである。
ベアス伯爵家は、ベアス人とロボス人に派閥が割れていて、中立であるのはごく一部である。その状況で城に籠ったところで、策謀、暗躍、疑心に踊らされるだけだろうとわかっていた。
「エムベール」
ピレネーは相手の目を見て口を開く。
甲冑の繋ぎ目がはまる金属音が高らかに重なった。
「そなたを責めるつもりはありません。わたくしを案じてくれていたことに感謝をしております。ですが、わたくし達は家内の対立を今は収めるほか、状況を改善させる手はありません。どうか、隣に立つ者がベアス人であろうとも、今はベアス伯爵家の者という意識で接してほしい」
「……奴ら側に問題があろう場合、難しいでしょう」
「そうであっても、貴方は立場上、そうするべきです。ですが今は貴方を説得する時間も、わたくしの余裕もありません……城にはアレクテレスを残します。彼であれば、貴方に対しても伯爵家の武官という立場で話をするでしょう……貴方が伯爵家の家宰として接すれば……」
ピレネーは言い終え、窓へと歩み寄る。侍女の一礼を背後に受けた彼女は、去らないまま後方に立つエムベールへと、外を眺めながら口を開いた。
「この城から眺める光景に、グラミアの軍旗がはためくなど悪夢です」
彼女は、星空の下、北東の方向に増え始めたグラミアの六連星を見る。はっきりと見えているわけではないが、整然と動く軍勢がかがげる旗は、そうであろうというものであった。
一方のマキシマムは、歩兵が続々と到着を始めた頃合いで、リチャードとサムエルに伝える。
「攻略はしない」
「は?」
リチャードの間の抜けた声に、マキシマムは広げられた地図を眺めたまま口を開く。サムエルが、彼の為に地図を両手で持っていた。
「ベアス伯爵家を潰すつもりはない。これから使者を発して、テラの町で起きた悲劇の真相を問う……」
「もし、本当に、彼らが関与していた場合は?」
サムエルの問いに、マキシマムは無表情で答える。
「堂々と、テラの復興をグラミア主導で行える。オルセリアにも、その説明で片がつく。あれこれと交渉をする必要がなくなる……ロボス人が、完全にベアス伯爵家から離れる。彼の家の領内で暮らすロボス人達は、どう思うだろうかね?」
「……いい気はしません。現に私はそうです」
サムエルの感想に、リチャードが苦笑しつつ指揮官を見た。
「隊長、つまりベアス伯爵を潰してはその後の統治や各国との調整で大変ですが、弱めて残す分には意味があるということですか?」
「うん……俺は――」
マキシマムは緑玉の瞳に副官を映した。
見つめられたリチャードは、相手が男であるとわかっていても見入ってしまう。
「――ロボスの人達が、この島で暮らしていた人達が……俺達やオルセリア、両伯爵の都合で振り回されるようなことがない明日がいいと思った。グラミアならそれができると信じる……大国の我儘に苦労した過去を経験した俺達の国は、究極、そういう判断をすることができると信じたいんだ」
「……状況を作って、上の判断をみると?」
サムエルは問いながら、マキシマムの感性が一士官のものだろうかという疑問をもった。
記録係の彼からみて、マキシマムはグラミアを信じたがっていると同時に、ロボス人達を助けたがっているように思い、それは軍を動かす目的であると感じた。
記録係の問いに、マキシマムは頷き、口を開いた。
「そうだ……そしてこれで、この島に関わってきたグラミアは責任を取ることができる。この小さな発端でしかないかもしれないことは、俺が戦う動機を、明確にさせてくれると信じてるんだ」
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムは、使者をカラマタに送り出した後、後方に移動して甲冑を脱いだ。幕舎の影で、桶の水に布きれをひたし、身体をふく。下着は汗まみれだが替えはない。
彼は記憶を辿り、丸一日着続けている下着を持つ手を、鼻の高さまで掲げると、匂いを嗅いだ。
マキシマムは汗臭いと顔をしかめ、またこの匂いは、テラのものだとも感じる。
そして、彼らは生きていたのだと思った。
みすぼらしくても、臭くても、ロボス人達はあの町で暮らし、生きていた。
マキシマムは脳裏に、故郷を描く。
彼は、今の自分は、あの村に帰り、同じ笑顔を作れるかと悩んだ。
マキシマムは考える。
グラミアは過去、大国の侵略に脅かされた。しかし、苦難を反発にかえて、飛躍している。当時と比べて今は国土が倍以上となっており、国力は数倍だろう。
だから今のグラミアは、大国という言動を取りたがる中途半端な国になっていないかと感じてしまった。説明しろと言われても難しい感覚は、だが確実に彼のものである。
マキシマムは、ヴェルナを思い出す。
あの国が、ああなったのは、グラミアのせいでもあると感じた。
グラミアは、過去にされたことを、今はする側に回ってしまったのだと母国を批判的にみる。しかし、上層部には考えがあるだろうとも思う。例えば、彼もよく知るダリウス・ギブは、考えなしに武力で物事を解決する人ではない。
しかし、武力を用いることを厭わない一面もある。
マキシマムは、改めて守る者がいるからだと思えた。
そして自分は、本当に、守る人がいるかと考えてみる。
エヴァの笑顔が真っ先に浮かんだ。
ほぼ同時に、家族の姿が脳裏に描かれる。
そこには、父親はいなかった。
ベルベットが微笑んで現れた。
脳内の、想像上の彼女は、口を開いた。
『マキ、お前の人生はお前が進むしかないのだ。迷っても、悩んでも、進みたくなくても、自分でするしかないのだ』
こう言われた気がしたと、マキシマムは身体を拭く所作を止めた。
彼は最期に、テラの酒場の少女があの夜に見せた顔を思い出していた。丘で、自分を拒否した相手の、しかし美しい凛とした姿を、鮮やかに描けていた。
彼は頭をはらうと、下着を着て、鎖帷子をまとう。甲冑も身につける。グラミアの軍装は、一人でできる工夫がいたるところになされていた。
腰に長剣をぶらさげ、マントを羽織った彼は部下達が待つ場所へと向かう。
「日常を守る為に、戦うのが俺だ……でもそれは、相手にもあることだという意識があるかないかで……意味は違う」
彼は、思考を声にしていた。
歩く彼を見つけた伝令が、叫ぶ。
「隊長! カラマタから使者が来ます!」
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムは現れた女性を前に、意外さに戸惑いを隠せない。
またその女性も、グラミアの指揮官が若いとあって動揺していた。
両者は、部下達を遠ざけて向かい合う。
マキシマムが、床几に腰掛けようと誘い、二人は卓を挟んだ。
「マキシマムと申します。この軍の責任者です」
「ピレネーといいます。ベアス伯爵クルトネの娘です」
マキシマムはそこで腰を浮かし、床几の横で片膝をついだ。
「姫君とは知りませんでした。失礼をお許しください」
「いえ、どうか席を……わたくしは貴方の主君ではございませんゆえ」
ピレネーはマキシマムが改めて床几に座る一連の動作を眺めつつ、相手の礼節は勝者の余裕であろうと感じ取る。実際、ベアス伯爵家はそうとうに苦しく、グラミアから使者が遣わされた際、彼女は幸運に安堵していた。
自分達から使者を出すと足元をみられるからである。またこれで、時間稼ぎができるという意図もあった。
ピレネーは、改めて目の前の青年を見る。
とんでもなく美しい男だというのが、彼女の感想だった。そして自分は女であると強く自覚させられて、見ることが照れくさくなり、視線を落とした。
一方のマキシマムは、切れ長の目が魅力的なピレネーを、そうであるから気が強そうだと感じた。
苦手な相手だという彼の第一印象は、男としてのものである。
「わたくしとしては……」
ピレネーがきりだす。
「……グラミアが問答無用で攻撃してきたという報告を受けておりますが、その点は如何でしょうか?」
テッザ伯爵家を通り越して介入したグラミアはいかん、という彼女の主張にマキシマムは平然と答えた。
「事が事でした。町ひとつを焼いた御家を、このままにするのはよくないと感じたまでのこと」
「それは――」
「いいかがりではありません。我が軍中にはララという御家の政務官と、モルデールという男がおります。両者の取り調べを行っておりますが、出てくるのは貴女と、弟君で割れたお家騒動に端を発する聞き苦しい批判事ばかり……」
ピレネーは発言を制されたまま、相手の言を聞く。
「……ですが、集約するとベアス伯爵家内のロボス人の派閥が強くなったことを良しとしないベアス人の派閥は、ロボス人が盛り上がる気運を利用し、彼らが自滅するような絵を描いたのではないかという疑いです。ララという女の上役である御家の家宰殿が、全くの無関係ということはないでしょうから、差し出してください」
「……それはできません。彼は我が家の家宰です。それに、グラミアが取り調べを行うなど、一方的すぎるではありませんか」
「勝った側が調べるのは当たり前のことです」
ぬけぬけと言うマキシマムに、ピレネーは彼への好意が消え去ったのを自覚した。
姫君に、嫌な男だという評価へと改められたマキシマムは、だが笑みを浮かべてこう続けた。
「しかしながら、確かに貴女の仰りたいこともわかります。そして我々(グラミア)は、御家がこのまま自滅消滅してしまうことを避けたいとも思っています」
ピレネーは、無礼な言いようを批判しようかとも思ったが、口にしたのは別のことであった。
「どうされたいと?」
「ベアス伯爵家は、早急に当主を決めて頂いて、新しい当主が主導で、今回の件の調査をグラミアと協力し行って頂きたい。テラの復興は莫大な投資が必要なことから、グラミアが責任をもって支援しますが、将来的には、そこで暮らす人達に任せようと思います」
「テラはベアス伯爵領です」
「それを焼いたのは御家であろうという疑いがあります。また、復興する財源はどうするのかという不安もあります。テッザ伯爵領に多くの住民が逃げ込んできていることから、テッザ伯爵家も、グラミアとしても、いつまでもこの状況が続くのは負担なのです。町を再興し、住民を元の暮らしに戻す。御家だけでできますか?」
ピレネーは唇を噛んだ。
しかし、胸の内は真逆で飛びあがりたいほどに喜んでいた。
ベアス伯爵家を残すということが、彼女の目的なのである。
彼女は、次期当主には弟をつかせて、後見としてミバネとエムベールの両者をたて、弟の護衛という名目でアレクテレスの権限を強めて拮抗させようと素早く計算した。
自分はどうしようかという悩みが残った。
彼女は、マキシマムに問う。
「人質を取ったりしませんか?」
当然、人質を寄越せというに決まっているだろうというのが彼女の問いに込められた価値観であり、それは自分しかいないという決心でもある。
マキシマムは即答する。
「次期当主が選び、差し出してください」




