テッザ伯爵家
テッザ伯爵家の総兵力は三〇〇〇に届かない。この兵力は兵站も何もかも無視した場合であるから、実際は一〇〇〇を少し超える程度だ。ここにグラミア王国オルビアン総督府から派遣されたグラミア軍一個連隊一〇〇〇と、オルビアン総督であるロッシ公爵軍から割り振られた一個連隊四〇〇が加わることで、戦闘に参加できる兵力でいえば二〇〇〇を超える規模である。
つまり、ベアス伯爵軍がテラ派遣した部隊の規模は、とても大きなものである。
このことから、ベアス伯爵家がテラを潰すのは大本気であったことがわかる。
ゆえにマキシマムは、交渉開始より前から準備されていたと読んでいた。
「――というわけだ、リチャード。彼らは最初から交渉がうまくいくことなど望んでいなかったんだ」
「……しかし交渉の場では、テラ付近の部隊撤退に反対だからという理由で一枚岩になっていたんでしょう? あちらさんは」
「そんなもの、俺達の前で内輪揉めしているなんて明かしたくないだろ」
「……それはそうでしょ――サムエル、これは記録するな」
リチャードが二人の会話を記録していた書記官を叱る。サムエルは歩きながら、木版に貼った羊皮紙に記載されていた記録を眺める。
「捨てます……」
「いいよ、サムエル」
マキシマムが言う。
「君には記録してほしい。できれば、ロボス人としてどう思うかも一緒に綴ってもらえないか?」
「……いいんですか? ただ、正直に申しますと腹立たしさはあまりないです。今は……」
「それはしょうがない。君は彼らとは生まれも育ちもちがう……これは大きいよ。でも、ロボス人だからこそ書くことができるものもあると思うからね」
マキシマムは視線を前へと向けた。
テラからテッザ伯爵領へと入る領境を示す見張り台が見える。そしてそこに、ロッシ公爵家の軍旗を掲げた兵士の集団が陣形を整えているのを認めた。
ロッシ公爵軍から伝令が放たれる。
いや、指揮官自身が馬に乗ってマキシマムの大隊へと接近する。
ロッシ公爵家の譜代家臣であるシンフォニ子爵家の長女ベラは、予定よりも大幅に遅れて到着したグラミア正規軍が、それでも整然としているのを見て馬上で眉をひそめた。
(ベアス伯爵軍と揉めたかと思ったが……違うのか)
彼女は白塗りの甲冑を陽光で輝かせて加速すると、伝令の為に道を譲ろうと隊列を変化させるグラミア軍に感嘆する。
「見事……」
彼女は、隊列中列を進んでいるだろう指揮官が、最近になってこの島に派遣された青年士官だったと、その姿を脳裏に描く。
黒と銀が混じり合った髪の輝きは妖しく、グラミア人らしい白い肌は男性らしからぬ品のある質感だろうと思える。鼻梁の形良さと二重の目は調和が取れていて美しく、彼にその造詣を齎した両親を見てみたいと思えるほどだった。
ただ、似合わない顎鬚はやめたほうがいいと胸中で注文をつける。
彼女は、その青年を見つけ馬の速度を落とす。
減速した馬から鮮やかに飛び降りたベラは、自分を待つように姿勢を正した相手に微笑んだ。
「遅いから心配した……ロッシ公家に従じるシンフォニ子爵家のベラだ」
「ラベッシ村の代官の息子でマキシマムと申します……テラの件、お耳に?」
「そなたが寄越した伝令で知っている。しかしどうしてこうまで遅くなった?」
「町の火を消そうと思っていましたが、終わりが見えないこと、ベアス伯爵家の動きが信用ならないことから撤退を決めました」
「そうか」
ベラは頷き、彼が逃がしたロボス人達はテッザで迎え入れていると伝える。
「数が多く、養いきれない……いくらかをオルビアンに送って労働者にするかもしれぬ」
彼女の言には、奴隷として扱うという意味が暗に示されている。
「焼け死ぬよりはマシでしょう……ベラどの、オルビアンはですが、東方からの難民で大変では?」
「……アラゴラに新たな荘園を増やそうという計画をルブリン公が立てたゆえ、そちらに移住させるだろう」
ベラが歩こうと歩むことで誘い、彼女の少し後ろをマキシマムは進む。その彼の歩みに合わせて大隊もゆっくりと北上を再開した。この動きから、ベラはマキシマムがこの大隊をよく掌握していると感心した。
彼女は若いマキシマムを、見た目はお嬢ちゃんだが軍人なのだなと認めて、だからこそ相談をもちかけた。
「ベアス伯爵家はどう動くだろう? テラの町を焼いて終わりではあるまい?」
「いえ、これで彼らはロボス人を叩く大義を得ています。グラミアにも迷惑をかけようとしたロボス人を、ベアス伯爵家の中で強くするわけにはいかないという力が働くでしょう……家中をまとめにかかるものと思いますので、しばらく島は平穏でしょう」
「……何かまだ言い足りないことがありそうだな?」
「テッザ伯爵閣下がどう判断するかわかりませんが、弱い勢力を支援することが我々にとって益となると考えます」
ベラは喉を鳴らして笑うと、若いくせにえげつないことをさらりと言ったマキシマムを窘める。
「貴公、そのようなこと、テッザ伯爵が認めるはずがないだろう?」
「それならば、それだけの人物というだけの話です。グラミアにとって、どのみちテッザ伯爵は支援対象ですから、これまでの関係がこれからも続くだけでしょう」
ベラは黙り、代わりに右手を挙げた。
彼女の仕草で、ロッシ公爵軍が狼煙をあげる。
グラミア軍合流をテッザに知らせる合図だった。
-Maximum in the Ragnarok-
グラミア王国暦一三六年。
秋が深まるにつれ、ロボス島は民族間の対立を深めているようだ。
グラミア王国史に残されている記録には、ロボス人が両伯爵家の交渉場に乱入しようとした事件が発端であるとしている。
アルメニア王国史では、ベアス伯爵家とテッザ伯爵家の対立がロボス人を焦らせた結果の混乱が発端だと残されている。
サムエル・ロボスが記した日記では、両家の交渉はベアス伯爵家が、ロボス人の軽挙を誘発させる為に利用された。つまりベアス伯爵側の企みが島の混乱を激しいものにした原因だと記されている。
当時を生きたサムエルが、現場を見て記したものが事実により近いと思われるが、彼の日記は、一日あたりの文量が少ない。これは貴重な紙を大切に使おうというものだろうが、もう少し詳しく書いて欲しいというのが歴史を調べる側の意見である。
ただ、サムエルはこの頃から、日記を紙の本に記すことができていたので、この時にはすでに彼は、マキシマムにとって信頼に値する側近であったと理解することができる。
-Maximum in the Ragnarok-
テッザ伯爵ヴィルモールは、宿敵であるベアス伯爵クルトネが病で伏せていると聞いた時、自分より若いのに気の毒なことだと同情した。そしてすぐに、早く死んでくれと願っている。そんな彼も、高齢のために身体はなかなか思う通りに動かなくなってきて、息子から同じことを何度も言うなと注意を受けるようになってきた。
たしかに、気付けば同じ話をしていたかと思うことはある。それでも、まだ元気だという強情が彼の健康への自信になっていた。しかしながら、ベアス伯爵家の失敗を間近に見て、息子へと伯爵位を譲ろうとしている。
テッザ伯爵家の長男テリスは、三〇半ばの働き盛りで息子と娘の父である。彼の妻は娘の産後に体調を悪くして亡くなった。後妻を取らず独り身なのは、死んだ妻をまだ大事にしているからではなく、男色を好むわけでもなく、単純に面倒だと感じているからだ。
女が嫌いなのではない。
妻を娶ることを面倒だと感じているのだ。それは、亡くなった妻との関係が、彼をそうさせているといえる。
女は欲しい時にいればいいと考えているわけだ。
そんな彼でも、ロッシ公爵家に仕えるシンフォニ子爵家の長女が、この島に連隊指揮官として現れた時、妻にしたいと願った。
ベラ・シンフォニというその女性は、テリスよりも一回り年下で二十代半ばだ。黒髪は優雅に波打ち、軍役についていることで引き締まった体躯は品のある顔立ちと相まって、ロボスでは見られないほど洗練された容姿で彼を魅了している。
テリスは本人に、妻になって欲しいと頼んだ。
ベラはあっさりと断っている。
「わたしは夫を取りませぬ。弟達の誰かが家督を継ぐのに邪魔となりますゆえ」
「ならばこの島で暮らせばいいではないか」
「それは全くわたしの気持ちを前向きにさせるものではございませんよ」
「……」
「失礼いたします」
このやり取りをテッザ伯爵家の使用人が聞いていて、家中にあっという間に広まったあたり、テリスは威厳ない主であるとわかる。
彼は自分の恥が臣下達に知られたとわかり、おおいに怒ったがそれで終わりにした。広めた奴を見つけてどうこうしようなど無駄なことだと思ったわけではなく、そうすることで悪評が広まるのを避けたかっただけである。
それに、彼は諦めたわけではないから、この噂も後で笑い話になるだろうと思っていた。
テリスはだから、ベラが部隊を率いてテッザに帰還したと聞いて、自ら出迎えをすべく市街地外まで馬で出た。
市中にはテラから逃げ出したロボス人が溢れかえっている。
父親と違い、彼は彼らを保護するようにと命じていた。それはベラがマキシマムに話したロボス人の扱いの案を捻り出したのがテリスだからである。
彼は、視線の先にグラミアの六連星旗がいくつもたなびいているのを見た。そして、男と親し気に会話をしているように見えるベラを視線の先に捉えた。
ベラは珍しく笑っているようだ。
テリスは立場上、部隊を待つべきだったが馬を走らせる。彼の護衛についていた騎兵数気が慌てて続いた。
「ベラどの!」
テリスの声に、ベラは視線を転じる。
彼女は、あの男のような図々しさをマキシマムは持ち合わせていないなと苦笑する。
「テリス閣下……わざわざのお出迎え、痛み入ります」
ベラの言葉で、マキシマムも一礼した。
「彼は? 彼は何だ?」
テリスの震え声に、マキシマムは自分のことを問われていると理解して口を開いた。
「失礼いたしました。マキシマムと申します。この大隊の指揮をしております」
「指揮? 指揮官か?」
テリスの口から漏れた間の抜けた声にも動じないマキシマムは、改めて一礼し肯定する。その隣で、ベラがわざと微笑みを浮かべる。
「テリス様……後でご相談したいことがございます。マキシマム殿とここまでの道中――」
微笑むベラの美しい声に、テリスは聞こえる言葉が成す意味もわからず何度もなんども頷いている。
「――で今後のテッザ伯爵家に関して話しておりました。ご判断頂きたいことがございますゆえ、二人でお伺いしてもよろしゅうございますか?」
テリスの脳は、ベラが自分に会いたがっているというふうに彼女の言を変換している。
「うむ! わかった! 待っているぞ! 部屋に来い!」
「はい。では、マキシマム殿、後でテリス様のお部屋でお話をしましょう」
「ん? こいつも来るのか?」
テリスがここで気づき尋ねる。
「……そう申し上げましたが?」
ベラが微笑みを消した。
テリスは彼女の美笑を眺めたい。
「許す。二人で来い……終わってから、ベラどの、話がある」
「ありがとうございます」
意気揚々と去るテリス。
マキシマムは、どうにも不思議な貴族が去る背を眺め、だが彼がベラに気があることは感じ取っていた。
この人はどうなんだろうかという疑問が、マキシマムの視線となっていた。
ベラがそれに気付き、困ったような表情で答える。
「二〇半ばとはいえ、相手は選ばせて欲しいところ……」
マキシマムは失笑した。




