きな臭い一日目
交渉再開一日目。
テラの中心に位置するベアス伯爵の代官館に、テッザ伯爵家の使者団が入ったのは昼を少し過ぎた頃であった。
季節は秋だが陽は高く、マキシマムは窓から庭を眺め、草花の輝きが眩しいと目を細める。
テッザ伯爵家の家宰グリム・ギーを筆頭に、グラミア側から二人――うち一人はベギールである。そしてアルメニアからは、外交省東方地域担当主任で元老院議員でもあるミカエル・ドログバと秘書――アルギュネス・デュプレという青年が参加している。
一方のベアス伯爵側は、伯爵家譜代家臣で政務官を務めるララ・リージンに、書記官を務めるマクシアン・タディチ、そして秘書官のモルデール――ロボス人が加わっていた。
マキシマムは一同に視線を転じる。
交渉は始まってまだ間もない。
テッザ伯爵側から、彼らが問題とみている休戦の条件への抗議があがる。
「テラ周辺の武装解除は困難だ!」
ベアス伯爵家政務官のララが声を荒げた。四〇過ぎの女性は、白髪混じりの黒髪を振り乱して主張する。
いくつかの条件の中のひとつ、武装解除を理由に彼らは休戦に応じないのである。
反論したのはテッザ伯爵家宰のグリムであった。
「こちらは展開していた部隊を全て撤退させたのだ。問題があろうはずがない」
壮年の彼は、発言しながらミカエルを見た。それを受けたアルメニア人が、咳払いの後に口を開く。
「我が国が責任をもってそれを確認している。また、グラミアも同じくそうした。我々が保証する。この島を再び戦乱に戻さぬよう、ご協力頂きたいだけだ」
「戦乱を齎したのは貴公らである」
ベアス伯爵秘書官モルデールは、非難の言葉を口にしたが表情は微笑みを湛えている。彼は組んでいた腕をほどくと、ミカエルを正面に見据え続けた。
「テッザ家とベアス家の諍いが大きくなったのは、大国が介入したからだ。アルメニアとグラミアに後押しされたテッザ伯爵に対抗するために、我々もまたオルセリア皇国を頼ったに過ぎない。ただ、オルセリアは島に乗り込む図々しさはもっておられないが、貴公らは違うようだ」
「無礼であろう」
ベギールの苛立ちに、モルデールが苦笑を返す。
「事実だよ……休戦、反対ではない。しかしそれは、この島の者達が心から望んだ時に結ばれる。関係ない者達の都合で結ばれるものではないと考える」
「まぁまぁ……」
モルデールを諌めたのはマクシアンだった。彼とすれば、書記官の喧嘩腰が頭に痛いところである。だが、モルデールの出目であれば仕方ないという諦めもあり、宥めるにとどまっていた。
「喧嘩腰では物事が前に進みません。正直……休戦は我々も望むものです。しかしテラ周辺の部隊を解散させることは難しい」
「理由を教えて頂かこうか」
グリムの野太い声に、マクシアンが口を開いた。
「テラはロボス人達が多い。そういうことです」
マクシアンの目は、自然か意図的か不明だがモルデールへと転じられた。
された男は反応しない。
ララが言う。
「テッザ伯爵家は休戦を求めているが、問題はそこだけではないのだ。休戦……確かに我々とて無駄に軍を維持したくないが、単純ではない。ゆえにこれまで断りを入れてきた……今回は大国二国の使者殿達がお見えだから、こうして場を設けたに過ぎない。改めて、再度、我々の意向を伝えると、休戦には応じられない」
ララの発言は、ベアス人側の苦しいところを伝えていた。
彼らは、ロボス人に対して、テッザ伯爵家との争いがあるからという理由でテラ周辺に部隊を展開させている。それがなくなると、何の為に部隊を置くのかというロボス人達の非難を受けることになり、自然と、ロボス人への警戒が部隊の主任務だったことが彼らにばれてしまう。
それが嫌なのだ。
いや、すでに明らかであるが、建て前は必要である。
ベギールが落ち着いた声を発する。
「それは御家の問題だ。お互いに戦争をしない期間を定めて軍を退く。これまでそうしてきた。しかし、テラとその周辺に部隊を展開させたベアス伯爵家に備える為に我々も部隊を出した。幸い戦闘は行われていないが、緊張は続いている……元に戻そうというだけだ」
ララは目を閉じた。
モルデールが、この場で唯一のロボス人が、全員を睨むような視線で述べる。
「テラは古くから……搾取され続けてきた者達の町だ。貴公らも滞在したなら現状をよく理解されておられるだろう? 私は今、ベアス伯爵家に仕えているが、だからといってロボス人であることを捨てたわけではない。それでも、部隊がここから消えるのは反対だ。ロボス人として、余計な混乱を招きたくない。これは、私が強く主張していることだ。貴公らもお気づきと思うが……」
彼は、一呼吸はさんだ。
「……ロボス人の間で、ベアス伯爵にピレネー様がつかせようという動きがあるのは事実だ。だが、それはきっと……これまでの我々が受けた仕打ちが、それを齎した者達へと倍になって向けられる未来となる。そうなれば、オルセリアから部隊が上陸し……グラミアもアルメニアも、同じく動くに違いない……ロボス人である私が言うのはおかしいが、我々がおかしな気をおかさぬように、部隊を留めたい」
「貴方は……」
それまで黙っていたアルメニア人の若者が口を開く。ミカエルの秘書と自己紹介したアルギュネスだった。美しい金髪と青い瞳は、秀麗な笑みに華やかを加味している。
「……ロボス人であるのに、そう仰るには理由があるとお見受けします。同胞を裏切るにも近しいことを仰る動機は何でしょう?」
モルデールは苦笑と共に答えた。
「若造……目の前で家族が苦しみ死んでいく様子を……ただ眺めたことはあるか? 経験すればわかる……経験すれば、戦争を避けたくなる」
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムから見て、ベギールは明らかに苛立っている。
理由はメロディにあった。彼女がアルメニアの元老院議員秘書の青年の美貌にコロリとやられてしまったからである。
夕刻迫るテラ代官館の一室で、ベギールは舌打ちを繰り返している。その彼の隣には、困惑顔のマキシマムがいて、ベギールをどう宥めようかと考えている。二人がいるのは護衛控室で、代官館の広間で開かれている交流会という名目の食事会にほとんどが参加している今、他に人はいない。
「女性は他にもいるよ」
マキシマムの言葉は、悩みに悩んだすえに面倒になってしまい出たものである。
「……ポっと出てきたアルメニア人に取られそうだからムカつくんだ」
「……でも彼はすぐにいなくなる」
「そうだ。にも関わらず、それを知っていてもそうなってしまってるのが余計にムカつくんだ」
「メロディに伝えたらどうだ?」
「……今、伝えても無駄だろ。恥かかす気か?」
「絶対に大丈夫だなんて確信を得るなんて、それこそいい関係になってないとわからないだろう?」
「……そうだな。そうだ……でも、今じゃない……そうだな。あいつが消えてからだ」
マキシマムは椅子の背もたれに身体を預けるように力を抜き、卓上の皿に手を伸ばした。鶏の脚を飴色になるまで焼き上げた食事を右手で掴むと、冷めてしまったと嘆きながら齧る。
「ベギール……下の食事会に参加したら?」
「ムカつくから嫌だ。酒くれ」
マキシマムは左手で酒瓶を取り、ベギールに差し出す。葡萄酒の栓がベギールによって抜かれた。
杯に葡萄酒をそそぐ青年官僚は、もくもくと食事する同窓の武官に言う。
「お前は腹立たないのか? 一瞬でアルメニア人に負けたんだぞ?」
「別に……メロディはただの同窓生だよ」
「……美人だぞ?」
「美人だろうけど、あまり知らないし」
「仲いいだろ?」
「悪いわけじゃないってだけだよ……それ――」
扉が叩かれた音で、マキシマムが口を閉じる。
半開きの扉の向こうには、兵士の一人が立っていて、申し訳なさそうに言う。
「すいません。門の外でロボス人同士の喧嘩がありまして……」
「静めておけよ」
ベギールが腹立ちを声と表情で露わとするも、マキシマムは腰をあげた。
「いいよ。僕が行こう」
「すいません。こちらです」
兵士に先導されるマキシマムが部屋から出て、廊下を進む。
「喧嘩はひどいのか?」
「人数がどんどんと増えておりまして……」
「まずいな」
二階廊下を進んだ彼は、階段で一階へと降りる。そこで賑やかな広間を横目に眺めると、護衛という役職を忘れたかのようにアルメニア人の隣で笑顔を咲かせるメロディが見えた。
マキシマムは、ベギールのことは別にして彼女への呆れを覚えた。
玄関口から外に出た所で、マキシマムは騒ぎを聞きつける。
彼はマントで右手を拭うと、長剣を抜き放ちながら庭を歩き、門の外へと声をあげる。
「ここがどこであるか知っているのか!? 喧嘩なら他所でやれ!」
彼の声でも、殴り合いをしている複数の男達には効果なかった。兵士達が懸命に怒声をあげて制止を試みるが、喧嘩は続いたままだ。門は鉄柵で、その向こうでは殴り合いの真っ最中である。
「門は開けるな」
マキシマムの指示に、兵士が仲間に叫ぶ。
「開くなよ!」
「開きませんよ!」
言われた兵士が怒鳴り返した。
マキシマムはこの時、喧嘩をしている男達の様子に違和感を覚える。というのも、殴り合いをしているのに怪我をしている者が皆無だからだ。普通は殴られて血を流している者がいるだろうが、彼らは皆、きれいな顔をしていた。
マキシマムは兵士達に「見張ってろ!」と叫ぶと、裏門へと駆ける。直感が外れてくれという願いで、館の周囲をぐるりと囲む壁を睨みながら走った。途中、暗闇に紛れて何者かが壁を乗り越えていないかと注意したが、裏門に到着するまで異変はない。
そう。
裏門に異変があった。
門がまさに開けられて、武器を手にした男達が忍び込もうとしていたのである。彼らを手引きしたのは、ベアス伯爵側の軍装をした兵士で、マキシマムを見るなり叫んでいた。
「見つかったぞ!」
その仲間が棍棒を振りかざした。
「殺せ!」
「馬鹿!」
マキシマムは思わず叫んでいたが、自衛の為に魔法を放った。
雷撃が彼の左手から前方へと撃たれ、閃光は先頭の男に直撃した。吹き飛んだ男は悲鳴すらあげず、白煙をゆらしながら転がっていく。それを見もしないマキシマムは、右手長剣を一閃させ、男の一人が投げた短剣を叩き落とすと、甲高い金属音を背に突進した。
「魔導士だ!」
「やばい!」
「強いぞ!」
「弓! 弓は!?」
マキシマムは狼狽えた男達へと一気に近づき、右に左に剣を振るった。迷わず一撃で倒す動きに無駄はなく、斬られた相手は自分がどこを傷つけられたかを確かめる余裕なく崩れ落ちた。
一人、二人と薙ぎ倒したマキシマムは、雷撃を左方向に放ち、右手の剣を斜めに斬り上げる。そして身体を回転させることで敵の矢を躱し、射手の位置を一瞬で掴む。
二射目が迫っていた。
マキシマムは自分の前に氷の壁を創ると、それで矢を防ぐ。そしてその壁を火球の魔法で吹き飛ばし、大量の氷の礫を発生させた。彼の前方にいた複数の敵が一瞬でもがき苦しみ、ひどい者は顔に開いた穴から血と涎を溢しながら死んでいく。
「敵! 侵入者だ!」
マキシマムはここで初めて怒鳴った。
男達が、敵わないとばかりに逃げ出して行く。
少し遅れて、館の中から兵士達がわらわらと現れる。
マキシマムはそれを待って、男達を追った。
ロボス人が館を狙う理由。
交渉決裂を実力で為そうというつもりだろうが、とても訓練を受けていない者達が武器を手にして動いていることに、根深さを感じ取った。それは昼間、ベアス伯爵家のモルデールが言ったことを覚えていたからかもしれない。
夜の街を、マキシマムは走った。




