継ぐ者が二人
テラ。
ロボス島のほぼ中央に位置するこの町は、グラミア風にいうと南北に三〇〇〇デール、東西に四五〇〇デールほどの楕円のような市街地を形成している。城壁は高くないが市街地をぐるりと囲っており、それはベアス人系による支配が始まった十年前から進められた工事で、建物よりも城壁のほうが新しい。
人口は一万人を少し下回るといわれているが、戸籍の整備がされていないロボス島において、それはかなり雑な数字となる。ただ、テッザ伯爵領のテッザ、ベアス伯爵領のカラマタの次に、ロボス島では大きな町である。
北からテッザ人系、南からベアス人系に挟まれたロボス人系が自然と集まり、この町を造ったのは随分と過去の話だが、この町で暮らすロボス人系たちはそれを忘れていない。
マキシマムはそれを、酒場に入り理解できた。
メロディから教えられた知識に、経験からの理解が加わることで、彼は苦くぬるい麦酒がこの町で最も売れている事実に、味だけが理由ではない苦悶の表情となる。
テッザ人とベアス人に富を吸い取られてきた彼らはここで、この酒を飲まざるをえない日々でも諦めていないのだろう。いや、そのような環境だからこそ、切実な願いなわけだと彼は結ぶ。
ロボス人にとって、島を取り戻すまたとない好機が今なのだ。それが戦いに繋がるきな臭いものでも、彼らにとっては譲れないものなのだ。
マキシマムは不味い酒を飲みながら、そう思えた。
「葡萄酒を飲めよ」
マキシマムにそう声をかけたのは、この酒場に彼を誘った張本人である。
マキシマムとメロディの同窓で、士官学校を出た後に外交府に入った変わり者のベギールは、王家の分家のひとつであるキーン家の嫡男だった。彼はこの島で、グラミア側の交渉役の一人である。
マキシマム着任を本人が現れるまで知らなかったベギールは、この島にいる間にメロディを落とそうと思っていたところに面倒な奴が来やがったという感想をもったが、次に彼を利用して彼女を落とそうという作戦に切り替え現在に至る。
薄暗い酒場で、汚れた衣服をまとった者達ばかりの空間に、小奇麗な格好をした二人の青年が並ぶと違和感がある。
自然と視線が二人に集まり、そのうち、一人に集中する。
マキシマムは、全員が自分を見ているように感じて気まずかった。
「ベギール、僕って何か変か?」
「ムカつく奴だが変じゃない」
「皆、僕を見てるような……」
「お前の外見で、グラミア貴族なんだろうなと思われているのかもな」
「……僕なんかより、君のほうが立派じゃないか。王家の分家だ」
「グラミアで王家の分家なんてものは、王家が途絶えた時の為の万が一という扱いに過ぎないからなぁ……ご健在の間は、出世できても高給官僚……次官止まりだ。軍でも師団長にはなれないし内勤……恵まれたって思うことはないね」
「……そうか」
「それにしても、一年? いや、一年半? もっとか? ひさしぶりだな。昼間、お前がいるもんだからびっくりしたぞ」
「二日前に島に着いて、昨日の夕刻に町に入ったんだよ。僕も驚いた。外交団の方々に挨拶に伺ったら君がいるから……それに、誘ってくれるなんて思ってなかった」
「なんでだ?」
「君……いや、士官学校で僕はどうしてか嫌われていたと思うから」
「嫌ってたよ。モテるから」
「……」
「ただでさえ女の子が少ないところで、お前、独り占めだからな。皆、嫌ってた」
「……モテてたのか? 僕は」
「自覚がないのがまたムカつくんだ。覚えてろ」
「……」
マキシマムは麦酒を舐めるように飲み、再び顔をしかめた。
「葡萄酒にしろよ、これ捨てて」
「いや、これを飲むよ。麦酒はこの島の酒だ」
「……貧乏人が飲む酒だ」
「いや、この島で最も飲まれている酒は、この島そのものだ……父上、いや、僕の家は酒を作っているけど、酒は、その土地と暮らす人達が作る色と香りと味に育つと教わった。島を知るには、その島で最も飲まれている酒を飲むのがいいんだと思う」
「ふぅん……ま、お前が好きで飲むならいいさ……で、お前、ヴェルナにいたのにこっちに来たってことは何かやらかしたな?」
興味津々という表情のベギールを眺め、マキシマムは苦笑する。
答えないマキシマムに、ベギールは「話せよ」と促した。
「任務放棄……」
「逃げたのか?」
「いや、偵察を勝手に中止して、別の行動を取った」
「珍しいな。いい子ちゃんのマキシマムが」
「……間違いだった。テュルクの人達が死んだ。僕が決めたことに彼女達を巻き込んだから……その前も、その前の前も……僕の周りで大勢が死んだ」
マキシマムは麦酒を飲む。
「テュルクは役目を果たして死んだなら役に立ったってことだろ?」
ベギールの言にマキシマムはイラつく。しかし、相手のほうが立場上は正しいとも理解するがゆえに黙った。それでも、彼は同意できない。そうであっても、マキシマムはこれから戦う上で、自分が決めたことで誰かが死ぬのだとも諦める。そうしなければ、また他の誰かが死ぬのだと溜息をつく。
「戦闘はどうだった? お前、馬鹿強いからそっちは活躍できたんだろ?」
「……活躍なんかしてないさ」
「裏切りでグラミア側に大勢の被害が出たって、どれくらい出たんだ?」
「いっぱい……ベギール、戦争の話が聞きたいのはわかるけど、戦争に行った人間は話したくないと思ってる人もいて、僕もその一人だ。あまり聞かないでもらえるか?」
「戦争に行ったのに話したくないのか?」
「……ああ、だから僕は、戦争を楽しそうに語る人を軽蔑するし、戦争で手柄を立てたと自慢する人は信用しないと決めた。でも僕は、命令が出ればまた戦争にいくよ。三年が経つまで、軍にいる限り、それが僕の仕事だ」
「当たり前だろ、何を言ってやがる」
ベギールはからかうように笑うと、葡萄酒を飲み干しおかわりを頼む。その所作は上に立つ者が下の者に命じるような、相手を見下すものであり、店員は従うも表情には微かな反発があった。
グラミア人め、と言われているような気がしたマキシマムは、同席の同国人の代わりに謝る。
「ごめんよ……酔うと態度が大きくなるんだ、いつも」
店員は無言で離れた。
「ロボス人に気を遣う必要なんてない。国ももてない奴らだ」
「……グラミア人全員が君と同じ考えだとは思われたくないね」
「お前は昔からそうだな……何かこう……いい子だ」
ベギールは笑う。
彼は、マキシマムはたしかにこういう奴だったと思い出し、だから皆は、自分も含めて嫌っていたなと再確認できたからだ。それでも、本国から遠く離れたこんな辺鄙な島で、数少ない同国人ということもあって対立を避けようとする理性は働いた。
「言わないから怒るな」
「ああ……」
「明日、アルメニア側が到着する……そっちの話をしよう」
「ここで?」
「誰も聞いてないさ」
マキシマムが周囲を伺い、先ほどの注目は消えていると安堵した。酒場にいる客達は、自分達の飲食とお喋りに夢中である。
「今日の朝、テッザにアルメニアの船が入ったと報告があった。明後日からの交渉は、グラミアとアルメニアが合同でベアス伯爵側とあたる。奴らの後ろにいるオルセリア皇国も、伯爵家内の対立も、大国二国に迫られたら謝るだろう」
「アルメニアか……」
「どうした?」
「先生の祖国だから……」
「ああ……シェスター……ベルベット様か?」
「うん」
「お前、運がいいよな。いや、お前の親父の運がいいのか……リュゼ公爵閣下の目にとまって、ベルベット様まで……」
「確かに、父上はどっか運がいい」
「ベルベット様……どんな人だ? 美人?」
「美人なのは間違いないけど……かわった人だよ」
「最高の魔導士って人が普通のわけがない」
葡萄酒が運ばれてきた。
ベギールが受け取り、礼も言わずに口をつける。一杯目の麦酒と葡萄酒をベギールが払っていたので、今度はマキシマムが支払いをしてやり、自分の麦酒のおかわりも頼む。
「これ、おかわりください」
「……はい」
店の女は、よく見ればまだ少女といっても差し支えない外見だった。あちこちが破れた衣服と垢に汚れた顔にほつれた髪を、恥じるようにして去って行く。
ベギールは葡萄湯を口に運びながら言う。
「アルメニアは、本国のアリストロ卿の側近が来られるそうだ。本気だな」
ベギールが言うアリストロ卿とは、マテイディ伯爵アリストロという人物で、剣星と敬われている。すでに老境にさしかかり実戦からは離れているが、その剣技は見る者の心を奪うとまで言われている。彼は本来、伯爵ではなかったが、王制の頃から続く名門のマテイディ伯爵家が後継者不足で断絶の危機を迎えた際、これを憂慮したアルメニア王ヨハンの命で養子となり継いだのだった。
アルメニア王国外務省長官である彼は、元軍人とは思えないほど武断派を嫌い、穏健派の代表とも言われていた。現在のアルメニア王国首相フォルク・ツェクの片腕と目されており、アルメニア国政の主流派中心である。その彼の側近ともなれば、アルメニア王国中枢に関わる人物であるから、つまりそれだけアルメニアはこのロボス島の和平に乗り気と理解して良いだろう。
しかしながら、どうしてアルメニア王国がフェルド諸島の、ひとつの島に関与を深めるかがマキシマムにはわからない。彼らはフェルド諸島の西部に位置するザマ島への入植を強化しており、その島の治安にロボス島の情勢が関係するからかと推測したが、しかし弱いなと思えた。
麦酒を運んできた少女が、酔った客の投げ出された脚にもつれて杯の中身をぶちまける。しぶきがマキシマムにも飛び、彼は絹のシャツを濡らした。
「す……すいません」
「おい! グラミア人だぞ! 俺達は!」
平伏し謝罪する少女と、激昂したベギールの罵声は同時だった。
脚を投げ出していた男は、揉め事は御免だという態度でそっぽを向く。
店の主人らしき男が、慌てて奥から現れると布きれでマキシマムのシャツを拭こうとしたが、それがよけいにベギールの怒りを誘う。
「汚いもので!」
「いや、ごめんよ。僕は大丈夫。連れの無礼を許してください」
マキシマムは主人から布きれを受け取り、何かの沁みで元の色がわからないと苦笑しつつシャツをぬぐったが、よけいに汚れてしまった。そこで彼は苦笑を屈託のない笑みへと変えて、平伏したままの少女に声をかける。
「麦酒、もう一杯、もらえます?」
「は! はい……シャツはどれだけかかっても弁償を――」
「いや、洗えばいいから。ベギール、座りなよ」
「……お前がいいならいいが、こいつらに慈悲を示しても意味はないぞ」
「君は立派な家のご嫡男だ。ふさわしい態度と発言があるはずだ。陛下もきっと、そう仰るに違いないよ」
いい子ちゃんめと目を剥いたベギールだが、立ちあがる際に少女の衣服の乱れを見た。豊かな乳房の谷間が、服の胸元からのぞけたのである。
そういう理由かと、ベギールは勘違いしつつも腹立ちを堪えようと葡萄酒をあおり、もっと良い葡萄酒を持って来いと店の主人に言い放った。
主人と少女が離れた際、ベギールはマキシマムを誘った本来の目的と、彼が勘違いしているマキシマムの目的の両方を叶える算段を話す。
「マキシマム、お前、メロディと仲がいいだろ?」
「仲は……悪くはないと思うけど?」
「恋人にしたい。手伝え」
「……そうか。何をすればいい? でも、彼女はキリヤ伯爵家の人だ。遊び目的なら痛い目を見ると思うよ」
「本気だ。簡単だよ……彼女に、俺の良いところをさりげなく吹き込んでくれればいいんだよ」
「君のいいところ?」
マキシマムはベギールの良いところを考える。
小国や国をもてない民族を見下すことや、スーザ人を嫌う態度はマキシマムでも辟易するが、剣はうまいし交渉は上手だと思えた。そして王家の分家の出であることを鼻にかけない態度は立派だとも思う。
このようなことを考えるマキシマムの横で、ベギールが喋る。
「お前が例えば酒場で酔っ払いにからまれたところを俺が助けたとか、弱い奴らが乱暴されかけたところを救ったとか、そういうやつをだな――」
嘘じゃないかと、マキシマムは呆れた。
「その代わり、あのロボス人の女をお前にやるよ」
「ロボス人の女?」
「さっき、お前のシャツを汚したやつ」
「……別に嬉しくない」
「いやいや……」
ベギールはにやつき、無表情のマキシマムに手を伸ばすと肩を抱き、自分へと寄せた。
マキシマムは、耳元でベギールの声を聞く。
「ロボス人だが、女だ、一応はな」
「勘違いするなよ……」
マキシマムはベギールの手を払う。彼は目を見開く相手を眺めて口を開いた。
「手伝うよ。でも、その見返りはいい……そもそも彼女は、君のものでも何でもないだろ?」
麦酒と葡萄酒が運ばれてきたが、マキシマムは支払いだけを済ませて店を出た。
-Maximum in the Ragnarok-
夜だというのに街道を走る馬車と騎兵の一団。
馬車に乗っているのは、アルメニア人で、周囲の騎兵もそうである。
馬車は対面式の座席で、上座には恐ろしいほどに美しい顔立ちの青年が腰かけている。金色の髪と秀麗な顔立ちは、祖父の若い頃にそっくりだと皆から言われていた。
青年は、脚を組み背伸びをする。
「で……アリストロが俺を寄越した理由をそろそろ教えてもらいたいのだが」
青年の声は歌手のように美声だが、聞く者に冷たさを感じさせる。
彼の対面に腰掛ける中年の男は、背筋を伸ばして口を開く。
「叔父上は殿下をアルメニア国外に出したかったというのが理由のひとつ、グラミアという国を知る為というものがふたつめ……交渉を終えたら、オルビアンに寄りましょう」
「アリストロは心配症だ。貴族連合の奴らがどんなにあがいても、俺に届くはずもないと思うが……」
「しかし、万が一ということもあります……そもそも、殿下が身分を隠して……いや、身分を隠しておかねばならないというのに身分を明かし……いや――」
「悪かった。隠れ暮らすのも飽きるゆえ我儘を言ったな」
「……殿下が政治を学びたいと叔父上の秘書などするから」
中年の男が溜息をつく。
「ミカエル、悪かった」
若者の謝罪は、微笑みとともになされた。
ミカエルと呼ばれた中年の男は、苦笑を浮かべ頷く。
この人は本当に祖父殿にそっくりだと感心もした。
「オリビアにも悪いことをした」
妹の名を口にした若者は、頬杖をつき視線を車窓へと転じた。夜闇で景色は眺められないが、馬車が進んでいることに満足を覚える。
「殿下、オルビアンの後はキアフに寄ります」
「イシュリーン陛下に会うのか?」
「その段取りは終えております。ロベール大公の御子であるアレクシ殿下が入るグラミア王家を観察するのも勉強になりますよ」
「グラミア……」
若者は同盟国の名を言葉にしていた。
彼は考える。
過去、大国の侵略に晒されたグラミアが、王女と、彼女を助けた男によって巨大な国家へと変貌を遂げた。連戦連勝であったと言われており、その男は世間から主神の遣いと呼ばれている。
若者は、その男に興味がある。記憶を辿り、リュゼ公爵であったはずだと口にする。
「ナルという男、リュゼ公爵だったはずだ。会いたい。リュゼにも行く」
「……日程が延びるのは良いことです。手配いたします」
「楽しみだ……」
この時、馬車の外で護衛が声をあげる。
「アルギュネス様! ミカエル様! 前方に怪しい影!」
「蹴散らせ」
命じたのは若者であった。
護衛の者達は、その声で弾かれたように加速する。
アルメニア王国最強の部隊である外人連隊の一個小隊が、正体不明の影に殺到した。彼らの正体は夜盗の集団であった。
一〇〇を数える間もなく夜盗の集団を全滅させた外人連隊の猛者たちが、馬車の速度に合わせようと減速する。そして再び、馬車を囲むような隊形となった。
馬車の中で、ミカエルは若者を見つめる。
お仕えするに不安ないと信じると共に、そうだからこそ不安定なアルメニア情勢から離れてもらう判断をした叔父の意図に賛成した。
「どうした? 俺の顔に何かついているか?」
「いえ」
ミカエルが目を伏せた時、アルギュネスは無意識に、右耳に光る耳飾りを指で触れた。
五枚の花弁は淡いピンクで、美しいがどこか儚い。
彼の右耳にひとつ、妹の左耳にもうひとつ。ふたつでひとつの耳飾りは、アルギュネスにとっても、アルメニアにとっても意味のある花を模している。
「ミカエル、少し眠る」
アルギュネスが目を閉じた直後、静かな寝息を立て始める。
ミカエルは、腰を浮かせて上着を脱ぐと、主君である若者へとそれをかけた。




