僕は立ちあがる。
ウラム公爵軍二〇〇〇が、グラミア王国軍に合流したのは、これから会戦が行われようとしている直前であった。
ドラガンは伝令を国軍に放ち、国軍左方向へと軍勢を展開させると指揮下には待機を命じる。
「お館様、せっかく合流したのに戦をせぬのですか?」
メドゥーサの問いに、ドラガンは不気味な双眸を細めて笑うと、イワナの塩焼きを咀嚼しながら喋る。
「国軍がお出ましだ。ここはお譲りするのが臣下の務めだよ」
「しかし王陛下はおられず、ダリウス卿です。お館様は彼の臣下では――」
「へりくだっているのさ。それに、せっかく国軍が戦うんだ。我々は無駄に被害を出したくないし……だが見てみろ。ルベン大公の軍は我々に軍勢を割いた。寡兵がさらに少なくなって……十分な援護だろう?」
「……承知しました。ですが、ルベン大公は事ここに至ってもヴェルナに仕えるのですね?」
「奴としては――」
ドラガンは骨だけとなったイワナを地面に放り投げると続ける。
「――どこまでも王族であることが己の価値を担保していると信じているのさ。で、彼は逃げこんできた国王家族を保護し、責任を取る為にグラミア軍に挑む」
「責任を取る為に?」
「堂々と戦って敗れることに意味があると、奴は信じているのだろ? だがそれは奴の価値観だ……くくく……あの女にそのような感傷的なものはないだろうがな」
ドラガンが言う『あの女』とは、イシュリーンを意味しているとメドゥーサには理解できた。
「お館様、丘陵地帯に展開する国軍はなぜあのように散開していると思われますか?」
彼女が示す先には、敵軍を半包囲するかのように展開するグラミア国軍が見える。青い軍装で統一された彼らは、空が地上に点在するかのような錯覚をドラガンに齎した。
「ダリウス殿は、そうだな。俺と一緒で貧乏性だ」
「は?」
「被害を出したくないのさ」
「……しかし、あのように味方部隊の距離が離れていれば……」
突っ込まれて大変だろうという発言は飲み込んだメドゥーサに、ドラガンの苦笑が向けられる。
「あの配置は、徹底的に矢戦……いや、火砲かな?」
ドラガンの予想は、あたっていた。
-Maximum in the Ragnarok-
オクトゥール南に位置する丘陵地帯に進出したグラミア軍が、ルベン大公率いるヴェルナ王国の軍勢と対峙した。両軍の戦力は、前者が一万、後者が四〇〇〇というところで、戦う前から結果はわかりきったものである。仮に、ヴェルナ王国軍に寡兵をものともしないほどの戦術家がいれば別であるが、これまで登場していない者が新たに現れるはずもなく、この予想は現実になると誰もが思っていた。
そしてそれは、ヴェルナ王国軍兵の士気をどん底に突き落としている。皆、戦う前から逃げる算段を始めていたが、グラミア王国軍は軍勢の展開を終えると同時に仕掛けてきて、仕方なく剣と盾を持ったのだ。
攻撃側のグラミア軍は、歩兵連隊を前面に出し、じわりと半包囲を狭める動きでルベン大公軍へと迫る。矢の数はグラミア側が圧倒的で、物量で苦しめられた過去があるからこそ、物量で勝る現在を頼もしく思う。
ダリウスは丘に配置にした工作部隊に指示を出した。
彼らは、大砲一〇門を担当する者達で、その護衛に歩兵一個大隊を加えて一個連隊を成している。
放たれた砲弾は、轟音を撒き散らしてヴェルナ人を襲う。
襲われた者達は、何の爆発だと騒いだ直後、味方が巨大な鉄の塊に吹き飛ばされる光景を見た。
グラミア軍は大砲の弾丸を、まずは通常弾で放つと、次は炸裂弾を装填する。これは地上にぶつかった瞬間、金属の破片を周囲に撒き散らすことで殺傷能力をあげたものだった。
運ぶのが手間で、船に積もうかとイシュリーンは考えていたが、ダリウスは野戦に使う為に兵達を訓練した。
実戦に初めて投入された大砲は、投入を決めたダリウスでさえ眉をしかめる攻撃力を示す。魔導士による魔法攻撃は凄まじいが、敵魔導士の結界魔法に防がれると効果が薄まる。しかし大砲は、お構いなしに敵を砕いた。
戦闘開始直後には、ルベン大公軍は陣形が崩壊し、戦列は乱れ、兵達は右往左往し、戦おうというものはほとんどいない。
そこにグラミア騎兵が、火砲の銃口を揃えて接近する。
爆音が連続し、地上の草花が人間の血と肉片で汚されていく。
騎兵の火砲斉射の後、グラミア軍歩兵連隊群が敵へと肉薄した。
一方的な殺戮が行われたと、記録されている。
-Maximum in the Ragnarok-
ルベン大公ルシアンは、敗将としてグラミア軍本営に入った。臣下達の血が彼の衣服を汚していたが、着替えは許されていない。
彼はグラミア軍指揮官を前に、膝をつく。
相手は、褐色の肌に白い短髪の男で、鋭い眼光が放つ圧力は王族であるルシアンでさえもひるませた。
「大公であるな?」
ダリウス・ギブの声は、大きくないがよく通る。
「そ……そうだ」
「貴公の裏切りで我が軍の兵士達が多くの血を流したことは認めるな?」
「……反論せぬ」
「よろしい。貴公は本国の王陛下が処遇を決めるゆえ、このまま送り出す。が、その前に、貴公が保護したヴェルナの王族はどこだ? まだ貴公の領地か?」
「……北方騎士団にお逃げ頂いた」
ダリウスは腕を組んだ。
「逃がしたと?」
「そうだ。もう国境を越えておられるだろう」
ダリウスはルベン大公を下がらせると、幕僚達を手招く。
ラヒーム・ベルグはスーザ人とグラミア人の混血であるが為に、帝国とグラミアが激戦を繰り広げていた過去は肩身がとても狭かった。だから彼は勇敢に戦い、武功をあげ、グラミア人として認められるまでの実績を手にしたのだが、逆を言えば、スーザ人の血が混じっている彼がグラミア人になるには、差別と区別を乗り越える努力と才能が必要で、もしそれが備わっていなければ、ここに立ってはいないだろう。三十五歳で働き盛りの彼は、金色の髪を掻きむしりながらダリウスの隣に立つ。それは常に、彼の立ち位置であり続けている。
アウグストスはオルビアン出身でまだ若い。三〇手前であるが師団のひとつを預かる彼は、戦が上手いというよりも、負けない用兵に長けている。冑を脱ぎ黒髪をさらした彼は、日焼けした顔に笑みを浮かべる。誰もが『モテない男』と認める顔は、良い箇所を見つけるのが難しいと揶揄されるが、彼自身は皆に見る目がないだけだと言い返していた。
ダリウスの相談役として彼の背後に立つのはリヒト・カプールという青年で、相談役というよりもダリウスが鍛えている相手という評価が正しいかもしれない。リヒトの父は、イシュリーンがクローシュ渓谷で苦境に陥った際に彼女を助けた兵士の息子で、それを覚えていた彼女が、恩人の息子を近衛連隊に入れたのだが、その彼をダリウスは認めて、傍に置くことを王に求めて許可されている。
ダリウスは背後のリヒトに問う。
「北方騎士どもがどう出ると思うか?」
「……彼らとてグラミアと事を荒立てるつもりはありませんでしょう。求めれば差し出すものと愚考しますが?」
「うん……アウグストス、お前は?」
「リヒト殿と同意見です」
「ラヒーム、お前はどうか?」
「北方騎士団は異民族とも戦っておりますが、奴らの第一の優先は北の龍です。次が自分達を脅かす敵……例えば、ヴェルナ王を我が国に差し出すことで、異民族を我々に向けさせることが可能であれば、差し出すという判断でしょう。しかし、そうでないなら、無視を決め込む恐れもあります……しかし、我々(グラミア)が使者を遣わす相手にふさわしいでしょうか?」
北方騎士団。
最果ての地と呼ばれる氷の世界の南側に築かれたペテルブルグという都市を守る騎士団で、その領地は北方騎士団領と呼ばれる。国家元首は北方騎士団総長で、完全なる軍事国家であるが、他国と事情が違うのは、頼ってきた者を必ず迎えるという決まりがあることだろう。つまり、どんな大罪人でも、北方騎士団を頼ってその地を踏めば、騎士団領の民として迎えられる。軍役を課せられるが一切の過去を無視され、暮らすことを許されるのだ。
男であれば兵士に。
女であっても兵士に。
国民の半数以上が軍に属しており、彼らを指揮する士官級以上が騎士である。
彼らは最果ての地に巣くう龍の王ラヴィスと、その眷属から大陸西方諸国を守っている。大陸西方諸国の多くは北方騎士団と対立するよりも、彼らを使って北の龍を防いでもらうほうが良いという判断で、グラミアもまた同じであった。
ただ、どの国も北方騎士団と同盟を結ぼうということはない。
それは、彼の国の主要産業に問題があるからである。
北方騎士団は、倒した龍から取り出した血と様々な原材料を合成した麻薬を大陸西方諸国に輸出している。もちろん、違法であるから密輸になるが、これを国家主導で行っているがゆえに、敵対したくはないが仲良くなりたくもない相手だという認識を各国にさせているのである。
ダリウスはラヒームが指摘する、ふさわしくない相手にどう出るかと顎をつまみ考える。そして、彼はそれにしても、と思った。
「北方騎士団に逃がすとは、まあ……生きることはできるであろうが……」
ダリウスはヴェルナ王家の家族に憐れみを覚え、ルベン大公に呆れていた。
しかし、そこに何らかの理由があるとすればと仮定してみる。
ダリウスはふざけた表情を作り、口を開いた。
「ヴェルナの王族を北方騎士が助ける……この裏に何があるか、それによって対応は変わる。調べてみる必要がある。使者の派遣は保留にしよう。まずはヴェルナ西部の占領を優先する」
「東部半分は如何いたしますか?」
リヒトの問い。
「お前ならどうする?」
ダリウスは問いを返した。
リヒトは、一礼し答える。
「あえて放置し、異民族どもとの緩衝地帯に使います。また、東部まで占領となると兵站が長くなります。西部の主要都市を押さえ、後方をウラム公に任せましょう」
「ドラガンが裏切らなければいいがね」
ダリウスの言に、三人の幕僚が固まるが、言った本人がそれで笑った。
「冗談だよ、本気にするな」
冗談には聞こえないというのが、三人の感想である。
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムはラベッシ村で過ごしている。帰国命令を受け取ってから、一〇日が過ぎても彼はまだ復帰日が決まらない。一度、国軍の士官が彼を訪ねてラベッシ村にやって来たことがあったが、それは次が決まるまで待機という短い指示のみであった。
ギュネイに剣の稽古をつけてもらい、妹の遊び相手になる日々が続く彼は、父親がいつ村に帰ってくるだろうかと不安になる。
マキシマムは父親を嫌ってはいない。
苦手だ。
それも、自分に原因があるとわかっている。
マキシマムは、改めて考えてみる。
父親への畏怖はあったし、尊敬もしていた子供時代。
だが、この人の言うことは素直に受け取れないと思ってしまった少年時代。
そしてそのまま、居心地の悪さも感じていたこともあり家を飛び出して至る現在。
だが先日、ベルベットのことで苦しんだ父の顔を見てしまった。
マキシマムは、代官館から外へと出て、川へと歩いている。
草花が元気に背筋を伸ばす畦道を進んだ彼は、清らかな水が魚達を育む川のほとりに立った。子供の頃、エヴァと一緒に遊んだ場所で、彼はしゃがむと小石を拾う。
彼の脳内に、ベルベットの声が蘇った。
『こうやってだな、横からきるように小石を投げると、跳ねるのだ。やってみるのだ』
マキシマムは、右手の小石を、外から内へと払う動作で川へと放った。
チャッチャッチャッと、軽やかな音とともに小石が水面を跳ねる。
マキシマムは認めた。
彼は、ベルベットを好きだったのだ。
初恋というものだろうと、彼は赤面する。今もそうかと問われると恥ずかしいが、好きの種類が違うと思った。
マキシマムは、初恋の相手を奪った父親が苦手なのだ。
マキシマムが憧れ、好きだったベルベットを妾にした父親を避けていたのである。
ベルベットは、どんな時もマキシマムの味方であり続けてくれた。
彼は、彼女にずっと守られていたと思う。
情けないと、マキシマムは薄く笑う。
彼は、川べりに座り込んだ。両膝を両腕で包むようにした彼は、キラキラと輝く川を眺めた。
小魚の群れが、水中で漂っている。
『あれはウグイなのだ。産卵期はああやって群れるのだ。そこを獲るのが一般的なウグイ漁だが、ここではやめてあげよう』
子供の頃、今の季節、ベルベットから教えられたと思いだせた。
マキシマムは、たまらなくベルベットに会いたいと思う。
口に出して、言いたいことができたと思う。
「先生、僕はもう甘いことは言いません。先生やエヴァを守りたいから、母上や妹達を守りたいから……僕は戦うんです」
彼は、小さく囁いていた。
マキシマムは空を見上げる。
グラミアの色のように、蒼い世界が広がっていた。
彼は深呼吸をして、立ちあがる。
第一章 おわり




