赤い髪の二人
赤い髪で、背の高い男が村に入ったという情報はすぐに代官館に知らされた。
目立つことこの上ないうえ、この村はテュルク族の大事な拠点でもあるからだ。
こうして、ラベッシ村にギュネイが到着したことはベルベットの耳にすぐに入った。
彼女は、不審な男が村に現れたと聞いて、その特徴を教えられると、問題ないと皆に伝え、自ら出迎えるべく館を出る。
何年ぶりだろうかと、彼女は騒ぐ胸に少し驚く。
相手は、自分のことをすぐにわかるだろうかと、大人になり母親になっている自分の変化を気にした。彼女が彼に、最後に会ったのはまだ子供の頃だった。それからずっと手紙のやり取りはしていたが、会ってはいない。
お互いに、会うことを避けていたとベルベットは思う。
会えば、ベルベットは母親のことを彼に話すし、相手もまた同じくそうするだろうから、二人はそれをしたくなかったのだ。
ベルベットは、杖をついている。盲目の人達が歩く際に扱う杖だが、彼女はまだ不慣れだった。
小石につまずいた時、誰かに抱きかかえられた。
気配がないまま彼女に近づいた相手は、声と煙草の匂いで正体を晒している。
「ひさしぶり……ベル」
「おじさん……ひさしぶり」
「もう少し早く会っていたら、君だとわからなかったら、口説いていたかもしれないね」
「レナどのやアリアは元気?」
「俺を追いだすくらいだから元気だろうさ」
ギュネイはベルベットを抱きしめる。二人の髪の色が同色であることに、畑から二人を見ていた村人達は彼らに血の繋がりがあるのだろうと想像していた。
「ベル……すまない。でも、やっと会うことができた」
「遅い……のだ」
ベルベットの言葉には、万感が込められている。
そうと感じたギュネイは、彼女の手を取り、その白い手に握られた杖を持ってやった。
「歩きながら話そう。たくさん、話したいことがある」
「母……上のこと?」
「それもある。いや、全ては関係している」
「……父上は元気か?」
ギュネイは、ベルベットが父親のことを尋ねるので目を見開く。彼の表情の変化は彼女にはばれていない。
「さぁ……一年も前にゴーダを出たから……トラスベリアのほうで化け物が出たから、そっちにいた……でも、簡単にくたばる人じゃないよ」
ベルベットの父親は、ゴーダ騎士団領国の総長だった人物だ。彼はレニンとある取引の条件で、子供をつくることに協力したのだが、その子供であるベルベットの前に父親として立つことを拒み続けた男でもある。
ひどい奴だと貶めるのは簡単だが、事実は少し違うとギュネイは知っている。それでも彼は、盲目となったベルベットの隣で彼女の父親を責めるような声を出した。
「ただ、あの人は情が薄いな。手紙すら寄越さないんだから」
「仕方ない。過去のわたしに原因があるのだ。でも、そうだったからこそ、ディシィを授かれた今があるのだ。過去は変えられる。今があるから、あの頃の自分を許せるのだ」
代官館が見えてきた。
ギュネイが真面目な顔で、だがふざけた口調で言う。
「とりあえず、薄情な父親の代わりに、俺がベルを母親にした男に一発いれておくとしよう。あそこにいるな?」
「やめてくれ……おじさんの一発は、彼にとって一発ですまないのだ……ま、彼は今、領地に入っているから、殴りたくても無理なのだぁ」
「残念……しかし弱そうな奴だな」
「弱い……でも、とても強い。でなければ、この国を救えなかったとわたしは思う……あの時の光景を、忘れることができない」
「珍しいな、いや、庇うのは当たり前か……」
ベルベットは微笑み、脳裏に描かれた光景に浸る。
雪が舞う世界で、多くの命が散った戦場で、青い軍装で統一された者達が地上に立っていた。それはとても高貴で、力強く、誇らしそうだった。やりきった満足感が、彼らにはあったと覚えている。リュゼの城壁から眺める彼らは、とても美しかった。
その彼らが、一人の男をリュゼへと通す為に道を作った。彼の進む左右を挟むように整列し、松明を掲げ、または剣を掲げて叫び続けた。
その男を称える言葉を。
歓声の中を進む男は、小柄で弱そうな風貌だったが、皆の敬意を受けていた。でもそれを誇ることもせず、戦いが終わった安堵感を笑みで表しながら、気負いなくリュゼに入った。
ベルベットが立つその場まで、彼は笑みを保つ。
雪が舞い散る世界の中で、血に汚れた青い軍服のまま微笑む男は、だが泣いていたのだ。
彼女の回想はそこで途絶える。
二人は代官館に入った。
-Maximum in the Ragnarok-
ギュネイは代官館に入ってすぐ、この館がただの代官が暮らす場所ではないとわかった。そもそも、使用人達の身のこなしがそろって危険極まりないのだ。足音、気配を全く発しない。そして所作に隙がほとんどない。
そして代官の妻だという女性。
一対一なら勝てるとギュネイは思うが、戦いたくない相手だという感想を得る。そして女性にそういう恐れを抱くのは初めてだとも思っていた。
彼は、ベルベットの相手を殴った後のことを考え、その男が留守であることに感謝した。
「ディシィ、彼はわたしのおじさんだ。ギュネイ、娘のディステニィ」
「初めまして、ディステニィ」
ギュネイが膝を折り、相手の視線の高さに合わせると、ディステニィはふにゃりと笑い、ギュネイの赤い髪に触れる。
「同じ色ぉ」
「おじさんだからね」
「ディシィ、大事な話があるから二人にさせてね……アブリルどの、書斎をお借りしても?」
「ええ。お飲み物を運ばせます」
「ありがとう」
ギュネイは、顔に火傷の痕がある代官の妻をまじまじと眺めてしまう。そして相手に訝しがられ、謝罪と言い訳を述べる。
「いや、失礼。マキシマム殿と同じ瞳の色だなと」
アブリルとベルベットが固まった。
ギュネイは、マキシマムに会ったことを話していなかったからだと思い、言葉を紡いだ。
「あ、すまない。ヴェルナで会ったんだ。だからこの村にベルがいることもわかったし、会っておかないといけないとも思った」
「……飲み物を用意して参ります」
アブリルが一礼とともに離れ、ベルベットは淀みなく進み書斎の扉を押し開いた。家の中は、見えていなくても覚えていられるまで慣れている。
「いきなり訪ねてきたのは、マキに会ったからか」
「そうだ。ヴェルナでね……ちょっと厄介な出会いだったから、グラミアに君がいると知っていたので、揉め事を避けようと名前を出したらぶち当たった」
「免罪符のように使うな」
「許せよ……でも、こうして会えたし、大事な話もあるんだ。ヴェルナのこと、レニンのこと……だ」
書斎の中は昼間だというのに暗い。それは窓が全て閉じられているからで、盲目のベルベットはそれを失念しているからだ。しかしギュネイも気にせず、暗闇の中で二人は向かいあうように椅子に腰掛けた。
ギュネイが口を開く。
「異民族に召喚魔法を使う奴がいる……俺はレニンではないかと疑っている」
「大丈夫だ。岳飛虎崇という大宋の魔導士だ」
「その岳飛なんたらが、どうして異民族に協力している?」
「わからない」
「岳飛なんたらが異民族に協力している理由に、レニンがいるんじゃないか?」
「……考え過ぎだ」
ベルベットは苦笑したが、ギュネイは無視した。
「いや、マキシマムと会い、君に会いに来たのは、そう思ったからだ。ヴェルナの姫様の特別な力、君は彼から知らされていないだろう?」
「特別な力?」
「治癒、だ」
ベルベットは、椅子を蹴飛ばすように立ちあがり、そのせいでよろけた。ギュネイが抱きとめていなければ転倒していたかもしれない。
ギュネイは彼女を長椅子へと座らせ、自分は椅子を長椅子の対面にひきずるとドカっと座った。
「姫様には、治癒の力がある……魔導士は古代文明時代の兵器の末裔。だから戦う魔法しか存在しないとされてきたが、その姫様は違う……それを狙うのはレニンだろうと俺は思う。これを知ったら、君もその姫様に興味を持つだろ?」
「もつ」
ベルベットの返答は短い。ゆえに、それだけの重みをギュネイに伝えることができた。
「マキシマム殿は、彼女を案じて黙っていたようだが、それが裏目に出たのが今回の騒動だと思う。異民族の狙いは、ヴェルナもそうかもしれないが、本命はその治癒の力だ」
ベルベットは黙る。
しかし、考えている。
ギュネイが構わず喋ろうとした時、扉が開き、使用人達が飲み物を運び入れる。
紅茶とジャムだった。
「グラミア茶か」
「さようです」
使用人の一人が、書斎が暗いことに違和感を覚え、窓を開けていく。木と煉瓦がこすれる音の後、風が室内を泳いだ。
ギュネイは眩しさで目を細める。
そして、痛々しい目をしたベルベットの顔に唇を噛んだ。
「確かに……遅かったな」
ギュネイの言葉に、ベルベットは思考を止める。
「え?」
「ベル……もっと早くに会いにきていれば……守ってやれたのに」
「……ははははは。わたしは守ってもらうほど弱くないのだ。それに、これは守る為の代償だ。わたしは守ったのだ、宝物を」
「宝物? 何だ?」
「わたしの大事な人達が守っているものだ。わたしにとっても大事なものだ。ディシィと同じくらい愛おしくて、放っておけない……とってもとっても大切な宝物だ。それにわたしは生きている。わたしは岳飛虎崇に勝ったのだ」
ギュネイはそこで、ベルベットをこんな目に遭わした相手を知ることができた。彼は迷いなく言えた。
「わかった。俺はグラミアにいて、君の大事な宝物を守ろう。そうすれば、君を虐めた奴をボコボコにできそうだ……しばらく世話になりたいから、繋いでくれないか?」
「一発いれないのならいいよ」
「……我慢する」
ギュネイは笑った。




