グラミアの六連星
-『グラミアの耳飾り 第一章』から抜粋-
オルヒディンは、力を持たない神だった。
クローシュ渓谷の北端で産まれたとされる彼は、供物の大地で、供物たる生物を管理する職責を与えられていた。彼は、上位に位置する神々の為に奉仕する下等な神であった。
オルヒディンは神らしくない外見――身長は低く体格も貧弱であったことから、誰からも笑い者にされていた。それは彼の弟とされる雷神も例外ではなく、彼は駄目な兄をよく話題に出し、揶揄しては周囲を笑わせて楽しませることで人気者となる。
そんな、蔑まれ笑われたオルヒディンにも特技はあった。
考えることである。
多くの神々は感情的で、直情的であった。考えるまでもなく、他者を圧倒できる力を持つ彼等は傲慢だった。だから供物たちは振り回され、突然の悲嘆に暮れることから逃れられない。一方で愛されれば、神格を与えられて引き上げられることもあった。
ヴィラも、後者の一人だ。
彼女は、供物であった。彼女は神ではなく、人であった。しかし最上位に君臨していた大神グルードに妻として望まれる。神と同じ容姿をした人を、神は時に戯れで愛でることはあったが、配偶者として迎えるなど例がなく、天界は大騒ぎとなる。
グルードには一〇の妻がすでにいたが、誰もが供物風情がとヴィラ到着を忌々しく待った。しかし、彼女が大神城に入場した際、グルードの妻たちは皆、沈黙を強いられた。いや、彼女達だけではない。その場に居合わせた神々は総じて、ヴィラの美しさに固唾を飲んだ。
銀髪は腰まで伸びて艶があり、白い肌は吸い寄せられるかのように神々を誘い、幼さと妖艶さを同居させた顔立ちは美しく儚く、見た者の守護欲を多いに刺激する。しなやかな肢体を薄絹の衣で隠し、隠しきれない柔らかな膨らみが神々の目を奪う。
グルードは、ヴィラを十一番目の妻とした。
これを、オルヒディンは強い怒りと、深い悲しみで受け止める。
彼はヴィラを、とても大事に育てたからだ。
彼女もまた、彼をとても慕ってくれて、二人はいずれ一緒になろうと決めていた。その際、オルヒディンは神格を返上し、人としてヴィラと共に歩む生を選ぼうとさえ決めていたのだ。
ゆえにオルヒディンは考える。
上位の神々は、これからも次々と自分から奪っていくだろう。奪われない為にはどうすればよいか? 守る? 力無き自分がどうやって守る? 戦えば敗れるのは必定だ。
彼は考え続けた。
守るだけでは足りない。この愛すべき供物たちを、上位の神々から守る為には仕掛けねばならない。
彼は思考の末に、上位の神々を排除し、自分が最上位となれば良いと決める。さすれば供物たちは、神々に蹂躙されることもなくなるだろうと。
オルヒディンは、グルードを倒すと決めた。
婚姻の宴で用いる供物を一〇〇〇人用意せよと、グルードに命じられたオルヒディンは、供物たちに運命を伝えると共に、こうも尋ねた。
「助かりたいか?」
供物たちは、誰もが助かりたいと願った。
「さすれば、知恵を授ける」
オルヒディンは策を供物たちに与えた。
宴が始まると、供物たちと共に大量の酒が大神城の宴会場に運び込まれた。一〇〇〇人のうち、五〇〇人は殺されて、五〇〇人は生かされたまま差し出された。それは参列者全員に振舞われるに足りる量であった。
ここでグルードは、命じていないにも関わらず酒まで用意したオルヒディンを褒めた。
後にも先にも、大神が彼を褒めたのはこれだけである。それほど、彼は美しい花嫁を隣に迎えて機嫌が良かった。
だが、罠は酒に仕込まれていた。
神々は、まさか謀られるとは思いもせず、酒を飲み、供物を漁った。
やがて、次々と倒れて行く。
神を弱める毒が、彼等を蝕んでいったからだ。
ここで、生きて差し出されていた供物達は、仲間達の死体の腸に隠されていた武器を取り出す。
神々は力を失い、逃げる体力を奪われ、弱い者達による虐殺に遭う。
グルードは我が目を疑う惨状を前に、これを企んだ本人がゆっくりと近づいて来ていると見た。
オルヒディンは右手に杖を持っていて、その先端は尖っている。
彼は、グルードに何も言わず、問わず、杖の先端を大神の首に刺す。
ヴィラはこの時、オルヒディンの手を取り、共に力を込めたとされる。
婚姻の宴は、神々の血で彩られた。
これが、始まりだったのだ。
-Maximum in the Ragnarok-
レニン・シェスターは男だ。
しかし、彼の身体は女であった。
どうして? と常に問うた。だが、答えは得られない。
女でありながら、男である彼は、大魔導士になりたかったわけではなく、母親になりたかったわけでもなかったが、結果としてそうなっていた。
答えを探ろうとしたら、そうなっていたのである。
レニンが求める答えとは、人とは何か? というものだった。そしてそれは、現在に生きる『人』と、古代文明の時代に生きていた『人』の違いを探る長い旅となった。
自らを謎解きの道具に使った彼は今、長い旅の果てで、長い夢を見ているような感覚である。
自分は存在しているのに、何者かが彼の身体を使っている。
彼は生きているのに、彼の身体は彼の意思通りに動かない。
思考すら、途切れ始めている。
もうすぐ完全に消えるのだと、彼は知っていた。
人の謎を解きたい彼は、その為に異次元の存在を召喚する召喚魔法を使ったが、それは神などではなく、異世界の住人でもなかった。
人、だったのだ。
正真正銘の、人だったのである。
しかし、肉体に縛られない存在となった人は、この世界の人とは全く別物といっていいだろう。
それでも、その人は人らしいといえばおかしいが、レニンからすれば重要ではないことにこだわっている。
レニンから見て、今さらこだわる必要などないだろうと思うことに、人はこだわっている。
星を取り戻すことだ。
作り物達に奪われたこの世界を、取り戻したいのだ。
長い時間を経て、人は改めて、生まれ故郷に帰りたいと考えているのだとレニンは思う。
彼は今、自分の肉体を支配する存在が行う作業をただ眺めている。
それは、レニンには理解できない施設の中で、光る机の前に座り、操作をしているようだった。そして、声で何者かに指示を出している。
「ソーラーパネル展開、ゲートシステム復旧を開始しろ」
『了解。衛星から信号を受信。復旧まで五年と三二〇日、五時間三十五分四〇秒……三十九秒必要』
答える女の声は、やけに事務的なものだと思える。その姿は見えず、声だけが聞こえてきた。
レニンは、巨大な壁に写される映像が、宇宙のものだと理解した。
そこには、グラミアの六連星と呼ばれる六連の星が映し出されている。
金属のような表面をした六連の星が、振動し、表面に穴がいくつも空いた。そしてそこから、輝く鏡のようなものが宇宙へと大量に吐き出されていく。
六連の星を繋ぐように、輝きは連なり、環状となった。
『ソーラーパネル展開完了』
-Maximum in the Ragnarok-
「母上、六連星がおかしいです」
窓際の娘の声に、ベルベットは質問する。
「おかしいとは? どうおかしいの?」
「繋がってるの」
ディステニィの可愛い声に、母は微笑む。そして、娘へと手を伸ばすと、ディステニィの髪に触れることができた。
「先生、ディシィの言うとおり、繋がってる」
エヴァの声に、ベルベットは見えない夜空を見上げるような仕草をした。
代官館の二階、ベルベットとディステニィの部屋には今、アルメニア語を習いにやってきたエヴァもいた。
マキシマムの幼馴染は来年、キアフの王立大学院に進学したいと考えていて、また学費をマキシマムの両親が援助してくれるとあって、恥ずかしい成績は収められないとばかりに勉強に精を出している。
二人の訴えに、ベルベットは悩んだ。
グラミアの六連星は、常に同じ位置に浮かぶ六連の星で、この世界がある星の衛星と考えられており、彼女もそう認識している。しかし月のように潮の満ち引きに影響を与えるなどの作用はなく、本当に浮かんでいるだけという表現が相応しい衛星だ。
ベルベットは古代文明時代の兵器を使う魔法を操れる。ゆえに六連の衛星は、古代文明時代に建造された人工物ではないかと疑っていたが、何の為に存在するのかはさっぱりわからないでいた。
「主神がお怒りなのかな……戦争のことで」
エヴァの言葉に、ベルベットは「そうかもしれない」と答えたが、内心では別のことを推測していた。
彼女は衛星に何かが衝突し、表面が割れて剥がれて宙域に破片が周辺に浮遊している状態を地上から見上げると、衛星が繋がっているように見えるのかもしれないと考えていた。
「先生、六連星……てアルメニア語だとこれであってますか?」
アルメニア語で質問したエヴァに、ベルベットは頷く。
「上手なのだ。発音、綺麗だ。マキよりもうまいぞ」
「マキくん、語学、苦手だって言ってたからなぁ」
「エヴァはマキ兄様と一緒の大学院に行くの?」
話題がそれた。
ベルベットは、マキシマムのことを会話する二人に付き合いながら六連星のことを考える。
今夜、六連星が見せた変化が何を意味するのか、彼女は悩んだ。
「先に大学院に入って、マキくんが入学してきたら先輩面してやるの」
「ふふふ……無理して……マキ兄様を好きだから一緒の大学院に行きたいくせに」
「ディ! ディシィ!」
「皆、知ってるもんねー、ね、母上……母上?」
「ん? ああ、そう。皆、知ってるのだ。エヴァがマキを好きだってこと」
「ちが! 違います! 幼馴染なだけです!」
ベルベットは、エヴァが真っ赤な顔になっているだろうと思い、優しい笑みとなる。
「エヴァ、真っ赤だー」
娘の楽し気な声に、ベルベットも一緒になってエヴァをからかうことにした。
「大丈夫なのだ。マキ、ヴェルナにいた時も、寝言でエヴァ、エヴァと言ってたのだ」
「な! 違います! 幼馴染なだけ……うぅ……にしては、会いにいかなかったら顔も見せてくれないままキアフに帰るところだったんですよ」
「……情けない……マキは父親と一緒で、女心をまったくわからないのだ」
ベルベットは笑いながら、マキシマムの父親を脳裏に描く。
彼女はそれで、本当に女心のわからないやつなのだと、改めて笑うことができた。
彼女につられて、ディステニィも大笑いする。
エヴァだけが、赤面したままうつむき、「うぅ……」と照れを誤魔化す声を絞り出した。




