王女を巡って
ヴェルナ王国のオルトゥールにウラム公爵からの使者が到着したのは、カルガ近郊での戦闘がヴェルナ王国側の完敗で終わった翌々日のことである。
ウラム公爵軍の指揮官であったライズ伯爵ファディルはいずこかへ逃走したまま都には還らず、軍の半数が壊滅とあって王家の主だった者達は誰もが脅えている中、ウラム公爵軍から使者が到着したとあって誰も会いたがらないというおかしな状況を生んだ。
ヴェルナ王国の王は王宮の奥深くにこもり、ライズ伯爵も不在とあって、戦場から生還したモルグ子爵ラカゼットは、誰もが忌避する役回りを引き受けることになる。それは、彼なりに惨敗の責任を感じてのことであるが、同時に情けない主君や王家への当てつけも込められている。
王宮の室のひとつに、ウラム公爵の使者が入った直後、ラカゼットも続いた。彼は戦場で負った傷を包帯で隠した痛々しい姿を、絹服で覆い無感情を装う。
「使者殿、ご苦労でございます。モルグ子爵ラカゼットと申す」
ラカゼットに声をかけられた使者は、麗しい美女であった。少女の面影が残る儚さが潤いを増している。
「メドゥーサと申します」
「ウラム公の幕僚に、そなたのような美女がおられたとは知らなんだ」
「先の戦闘では、本陣に斬りこみましたゆえ、もしかしたらお会いしていたかもしれませぬ」
メドゥーサはラカゼットに見覚えがあった。
彼女は、先日の戦闘でライズ伯爵を逃がす為に奮闘していた目の前の男を覚えていたのである。だが、そうとは言わず、嫌味をぬけぬけと言い放ったメドゥーサに、ラカゼットはしかめっ面を作る。彼の主が逃げ出した原因が目の前に現れたからだ。
それでも彼は、役目に相応しい顔つきを取り戻して口を開いた。
「本来であれば……私がそなたと会うには不足であるが、他に適任がおらぬゆえこらえてもらいたい。さて、何用で来られた?」
「グラミア王陛下の代理たるウラム公爵閣下としては、陛下と貴国の関係を改善する為の土産を所望いたす所存。貴国が二度とグラミアの脇腹を突くことがないよう、王家の姫をグラミアにて預かりたく参上いたしました」
「……私の一存では決められぬが――」
メドゥーサは相手の発言を封じるように言を発する。
「申し訳ございませぬ。貴国に選択肢はありませぬ。出すか、滅ぶかの二択……でございますがいかが?」
「……無礼であろう」
言葉ほどに怒っていないラカゼットに、メドゥーサは可愛らしい笑みを向ける。
「無礼は承知のうえ……でございますゆえ。閣下、聞けば異民族は貴国のレディーン王女を人質に出すならば軍を退くと申し出たとか……それを拒んだ貴国につき合い、グラミアは異民族と戦いました。しかし、そうであるのに、貴国はグラミアを……災いの原因はその王女でございます。そしてルベン大公……後者はすでに領国に帰り兵を集めているとか……それを収めるのは後にするとして、まずは王女をお預かりしたい」
「王陛下にご判断を頂きたいのだ」
「これまで判断をしてこなった男が、今回は判断ができると?」
メドゥーサの指摘は、ラカゼットの喉元に突きつけられた剣先のように彼には感じられた。
彼女は、返答を待たずに続ける。
「説得して頂きましょうか。なに……丁重にお迎えいたしますよ」
「一日……時間を頂きたい」
「一日待ちますが、それ以上は待ちませぬ。いや、その一日ですら、ウラム公軍は止まりませぬ。こうしている間にも、貴国の民は苦しんでいます」
ヴェルナ王国の民を苦しめているウラム公爵軍の使者に対して、ラカゼットは反論する気にもなれず席を立った。
彼は急ぎライズ伯爵が使っていた執務室に戻り、主のいない室の中でそわそわと歩きまわる。どう報告しようかと迷う彼は、背後に気配を感じて立ち止まった。
「グラミアの使者が来たな?」
女の声に、ラカゼットは喉を鳴らす。
これまで彼の主が仕えていた相手が、向こうから現れてくれたと彼は安堵する。
「は……は。レディーン様を人質に出せと」
「……主様はいくばかの猶予をお前達に与えたが、こうなってはそれも許されぬな。我の独断で動くしかないが……しかし、お前も大変だな」
「……」
「ファディルの行方はこちらで掴んでいる。我々に協力すれば王にしてやるという約束を、あいつは投げ出してしまった……お前はどうするのか?」
「……王とはいいませぬ……せめて、領地と家族を助けてくだされば」
「野心ないな?」
「貴女様方を前にして、身分不相応の望みはもてません」
「よろしい。ではファディルの代わりを務めるがいい。明日、姫をこちらで預かることにする……グラミアには、逃げ出したとでも伝えればよかろう」
「……かしこまりました。あの……」
「なんだ?」
「貴女様のことはなんとお呼びすればよろしいでしょうか?」
「クラプシル。主様がおつけくださった名だ」
「クラプシル様、では王宮の警備を薄く……しておきます……よろしいでしょうか?」
「許そう」
ラカゼットは固唾を飲み込み、声を絞り出した。
「貴女様であれば、王女を実力で連れさることができると思いますが?」
「王女がどこに行ったか、すぐにばれてしまうだろう? 行方不明がちょうどよい」
「あの……どうして王女ですか? 王や妃のほうが価値はあろうかと」
女は薄く笑った。
「ファディルが我に言った王女の力が、主様には価値がある……グラミアに行かれる前に押さえておく」
-Maximum in the Ragnarok-
メデゥーサがラカゼットと会った日の翌日。
マキシマムとガレスは、サヴィネが用意したヴェルナ王国軍兵士の軍装に着替えて行動している。
二人は、老人に変装したサヴィネと共に、オルトゥールの市街地を王宮に向けて歩いていた。彼らは正直、とても急いでいるのだが、足取りはのんびりしたものである。
難民たちから金品をだまし取っていた詐欺師の老人を捕まえた兵士というのが、マキシマムとガレスの役割で、捕まり牢獄まで連れて行かれているのがサヴィネである。
二日前、パイェと別れたマキシマムとガレスはオルトゥールへと取って返した。そこでサヴィネが一日の時間が欲しいというので二人は待った結果、準備が整ったということでこうしている。
「成功しますかね?」
「ガレス、声が大きい」
「さーせん」
「でもサヴィネどの、成功しますかね?」
「成功します。仲間がそれぞれ準備を終えております」
「仲間?」
ガレスの問いに、サヴィネが答える。
「はい。我々は常に複数で偵察部隊の支援をしております。今回、マキシマム様をお助けする為、周囲の仲間に協力を依頼しました。もともと、ヴェルナ国内に潜り込んでいる者達ですから、段取りを終えるまで早いのです」
「それなら、偵察を全てやればいいのに」
ガレスの指摘に、サヴィネは台詞を棒読みする役者のように返す。
「いえ、それでは人が足りません。我々の役目は、効果を発揮するまで時間がかかるものですし……お静かに。城門です」
三人は、巨大な城門の脇にある勝手口へと近づく。
警備の兵士二人が、三人を睨んだ。
「どうした?」
「詐欺師だ。牢獄に入れる。他は一杯でね」
マキシマムの嘘に、一人の兵士が無言で扉を開いた。その男は、老人に変装するサヴィネをちらりと見たが何も言わない。
「彼も?」
城壁の内側に入ったマキシマムの問いに、サヴィネは頷く。
「仲間の指示で動いているのでしょう」
「雇っているわけ?」
「……お知りになられないほうがよろしいでしょうね」
マキシマムは、あの兵士の家族を人質にでもしているのだろうかと予想する。その隣で、ガレスも同じくそう推理し、彼は口に出していた。
「あの兵士の身内を人質にしたのか?」
「お静かに。周囲はヴェルナ人だらけですよ」
三人は外宮の庭を歩いている。そこは戦時中ということもあって、多くの兵士が武装したまま右に左に忙しく動いていた。
「待て!」
突然の声に、マキシマムはギクリとする。
「その老人の件は聞いている。こちらで預かる」
一人の青年士官が、サヴィネを指差していた。そして、瞬きを何度もしてみせる。
サヴィネが頷き、マキシマムとガレスは彼女を離した。
青年士官がサヴィネの腕を掴み、小声で二人に伝える。
「王宮に……侍女がいるのは主塔の奥、内宮だ」
そう言って離れた相手の背を見送るマキシマムは、テュルク族がヴェルナに深く入り込んでいることを理解した。
彼はガレスを誘い、外宮から王宮深部を意味する主塔の方向へと向かう。
考えていた。
テュルク族がヴェルナに侵入している目的と時期だ。
彼は、今回の異民族の動きよりも以前に、テュルク族はヴェルナに入っていたのではないかと疑問をもった。そしてそう仮定するなら、グラミアは何を狙っていたのかとも。
答えは出ない。
「隊長、主塔ですよ。あの奥……向こうに王女がいるんですね」
ガレスの小声に、マキシマムは進む前方の奥に眺める主塔と、その後方に並ぶ建築物群を見据えた。
-Maximum in the Ragnarok-
レディーンはおかしくなる国の中で、またおかしくなっていく家族を目の当たりにして困惑している。父親と母親の口論は絶えず、親族達はそれまでが嘘のように王と妃から離れている。そして叔父であるルベン大公の挙兵も彼女の耳に届き、また周囲が自分に向ける様々な感情の視線が痛かった。
気の毒に。
人質になりますと言えないのか?
のこのこと帰ってきて。
姫様も大変だ。
そして、ここにきて彼女はライズ伯爵の譜代家臣から、グラミアが自分を人質に欲しがっていることを伝えられ、これ以下はないというほどに意気消沈していた。
噂にきくグラミアの女皇。
レディーンは、異民族よりはマシかと思うしかない自らを嘆く。
思えば、あの恐ろしい日々――異民族に捕まっていた期間の前に戻りたいと切に願った。
彼女を励ましてくれるのは、おつきの侍女のみで、だがそれも役目だからそうしているとレディーンは知っていた。
本心で、彼女の味方をしてくれるものは、王宮には一人もいない。
「いや……誰もいない」
王宮の外にもいないと、彼女は認めた。
とても恐ろしいと、細い身体を両腕で抱きしめるようにして動かなくなる。
暗い室内は、彼女の寝具や棚が並べられているが、寄宿舎の狭い部屋に返りたいと過去を脳裏に浮かべる。
あそこでは、自分は王女であることを忘れることができていたと、友人と呼べる同世代の女子達や、学問を授けてくれた大人達の笑顔を思い出すことで振り返った。
扉が叩かれ、侍女が入った。
「モルグ子爵閣下には、どうお答えするか決まりましたか?」
「……母上が反対してくださっても、父上が承知したのならば従うしかありません」
レディーンの言に、侍女は悲し気な笑みを浮かべる。
彼女は、他の王族の者達に比べて他人を労わるレディーンを好いていた。それは王宮の外で暮らしていた日々が齎すレディーンの人格であれど、間違いなく他の王族にはない、他人の同情を受ける資質が備わっている。
そしてこの侍女は、可哀想な王女を救えるならと、これからしようとしている行いがそれを成すならばと唇を噛んだ。
昨夜、大金を彼女に渡した得体の知れない相手を思い出す。それは寝ている彼女の前に現れて、彼女の乳房を舐めまわしながら、不気味な声でこう告げた。
『故郷の家族をこれで養える。お前も、身ぎれいな暮らしができる。捕まることはない。王女の命令だったと訴えれば叱責で済むであろう。念の為に言っておくが、これを聞いた時点で、お前に選択肢はない。これは命令で、その金は報酬の先払いである』
『お前は優しい女だ。我に従えば王女はグラミアに行かずに済むし、今夜、これまで味わったことのない快楽を得ることができるぞ』
姿が影のように黒い相手に弄ばれた侍女であるが、目覚めた時の心地よい脱力感は悪いものではなかった。
侍女は昨夜の恐怖と悦楽を思い出して、紅潮した顔となる。そして、おずおずと口を開いた。
「姫様、お召し物をわたしのものと替えてください」
レディーンは、一人掛けの椅子に身体を預けたまま、視線だけを侍女に向けた。
「姫様、もうすぐ迎えが参ります。わたしがここに残りますので、その者に従いお逃げください」
扉が叩かれる。
「来ました。姫様」
レディーンは、自分の腕を掴んだ侍女の目が、赤く輝いていることに脅えた。




