化け物に備えて
ヴェルナ王国に侵入したウラム公爵軍騎兵一個中隊は、西部の村々や宿場町を中心に暴れまわり、またその一帯のヴェルナ王国諸侯や王家の軍を牽制することで時間を得た。
ドラガンに率いられた本隊二〇〇〇が、ヴェルナ王国に入った時には、たった一個の中隊によって、わずか五日間でずたぼろにされたヴェルナ西部の姿がさらされていたのである。
メドゥーサは、騎兵の機動性を活かして、一か所に留まることなく移動、攻撃、移動と繰り返し、敵を引きずり回し、民を逃げ惑わせた。多くの難民が発生し、彼らはヴェルナ王国中央部のオクトゥールへと長蛇の列を為して向かう。それが、主要街道を行くものだから、ヴェルナ王国側の軍事行動を阻害し、ヴェルナ王家は悲惨な民を保護するどころか、排除せよと命じたのだ。
レディーンはオクトゥールの王宮深部で、自分がこの混乱を招いたと心を痛めていた。でも、と彼女は思う。
あのような不気味な者達に、何をされるかわかったものではない状況で、誰だって助かりたいと思うに決まっている、と。
間違っていない。
しかし、彼女の口からそれは出てはならない言である。人は、高貴な者は聖人がとるような行動を当然のように選択すると勝手に期待する。それは、現在において具体的にいえば、レディーンが国を守る為に、自主的に異民族へと下ることでグラミアとの関係を修復しようとするものだ。それを自分がしろと言われれば無理なことも、想像力の欠如から他人に求めてしまうのが人で、そういう時に彼女が本音を発すれば、我儘であるとか、王家の姫にふさわしくないと騒がれてしまうのである。
レディーンはそれを予感しているから、本音は飲み込み溜め込んで、他人には悲しみに暮れる表情を見せるだけに止めていた。何かを言えば、広まってしまうゆえに、彼女はそうすることで身を守るしかないわけだ。
そして、いつ差し出されるかという恐怖に脅えて暮らしている。
しかし、この時すでにグラミア側とすれば、レディーンが異民族に差し出されようがいまいが関係ない。彼らは裏切りへの仕返しをせねば面子が保てないから軍を動かしているだけだ。
これをレディーン、いや、ヴェルナ王家の者達や王国民はわかっていないのである。
今さらレディーンが異民族側に渡されて、それを理由にヴェルナが尻尾を振ってきたところで、グラミアとしてみれば返すのは平手打ちなのである。
-Maximum in the Ragnarok-
ヴェルナ王国へと侵攻する軍の編制が、グラミア王国王都キアフで粛々と進んでいる。その中心に鎮座する王宮の一室に、背の低い中年の男が入った。
黒髪は白髪が目立つようになって染め始めた彼であるが、姿勢の良さは過去、王宮にいた時と変わらない。人のよさそうな表情も当時のままだ。
彼は、グラミア王イシュリーン一世と筆頭将軍ダリウス・ギブの笑みに笑みを返した。
「悪いな、意見をききたいと思った」
ダリウスは言いながら、男を椅子に誘う。四角い卓を三面で囲んだ彼らは、用意されていた紅茶の湯気を前にしばらく黙った。
イシュリーンが、目を伏せて口を開く。
「ナル、また……このようなことをさせてごめん」
「……いや、俺の道だ」
招かれた男は、微笑みを崩さない。
リュゼ公爵でありながら、公務の一切を代理に任せて隠れ暮らす男は、凄惨な過去へと戻る宣言をそれで成した。
ナルは言う。
「俺は、この国に恩がある。それに……」
彼はイシュリーンに手を伸ばす。彼女は、彼に髪を撫でられるがままになった。
「俺の我儘を許してくれている君への愛情は、たまにしか会えない今も変わっていない」
「のろけるのは後にしろ」
ダリウスが釘を刺し、二人は抗議の視線を年上の友人に向けた。
茶の髪をガシガシと掻いた将軍が、王と公爵に笑うと続けた。
「今はこっち。陛下、よろしいですね?」
「ダリウスだから許す」
「……ナル、お前も知っているとおり、異民族は召喚魔法を使う。ヴェルナは俺達を裏切ってあっちについた。攻め込むが、どう落としどころをつけるかだ。併合するまで徹底的にやるのもいいが、戦争は……多くの人を殺す。俺とすれば、あちらの王を引退させて、ルベン大公を捕まえたところで止めたいと思っている。もちろん、戦において遠慮はしない。徹底的にやるがね」
ナルは卓上に広げられていた地図を眺めた。
グラミア王国の北東にヴェルナ王国があり、その東は国なき空白地帯である。そこから異民族は大陸西方に侵入してくるのだが、グラミア東部を狙わず、ヴェルナに入った異民族の意図がわからないと首を傾いだ。
「普通なら、ヴェルナを狙うよりグラミア東部だろう。富を奪うという目的であるなら、こっちだ……つまりこの異民族の動きは、略奪ではないということだろう。ヴェルナは、彼らにとって攻め込む理由があったと考えるのが妥当だ」
彼はそこで、テュルク族から齎される報告の中から、ひとつを選んでいた。
「ヴェルナ王国の王女にレディーンという娘がいる。異民族はヴェルナに、彼女を差し出せと最初は迫ったというものだ。人質に取るにしても、どうして人質を異民族が必要とする? そもそもの彼らは、高貴な人質一人を取るよりも、金品だろう……人を取るなら、奴隷として売りさばく目的で多数を求めるだろう……彼女一人? 異民族の理にあわない。つまり……異民族はこれまでの彼らとは違う」
「どう……違う?」
イシュリーンの問いに、ナルは瞼を閉じた。
「現時点でわかっていることは、異民族に変化が生じたことだけだ。彼らは複数の民族が合流して大陸西方へと侵入している。召喚魔法を使う岳飛虎崇という男が彼らを指揮している。このふたつだけだ。岳飛虎崇が異民族を統べていると仮定した時、彼にとってヴェルナの王女は価値があるということだろう……残念ながら、推測でしかない。情報を集めないと駄目だ。異民族の現在と、そこに至る経緯……それが未来を教えてくれるはずだ。すでに依頼している」
ナルはテュルク族を使って情報を集めることを二人に伝えた後、ダリウスの問いに対しての回答を口にする。
「この侵攻の着地点も、つまるところはそうなる。ヴェルナで戦をすることで、異民族を知ることだ。長期化させよう」
「……えげつないな」
ダリウスの感想は、自国領内での戦争は望むところではないが、他国領内の戦争であるなら、戦略上必要と判断すれば長期化させることも厭わないというナルの考えを読んだからであった。
泥沼化した戦争は、戦闘が終わった後のほうが大変なのだ。
「異民族が、仮に召喚魔法をまた使って化け物を大量に動かすことに対抗手段をもっておかないと危険だ。長期化を狙うなら、二度、三度とぶつかるぞ」
ダリウスの意見に、ナルは頷く。そして、後悔と詫びで表情を硬くし答える。
「ベルベットに……意見を求めた。彼女は見ることができないが……死別した彼女のご主人……レミール殿が作った魔法が役に立つと教えてくれた」
レミール・メネズ。
アルメニア人の大魔導士で、魔星という異名で敬われていた。その彼は、抗酸菌の一種が皮膚内や末梢神経に寄生することで引き起こす感染症を患っていて、重症化したことで他界している。ベルベットとはアルメニアで友人関係にあり、彼女は彼が死を迎える際には隣にいたいという理由で、彼の妻となった過去があった。
ベルベットの元夫は、魔導士であり海洋学者であった。彼は海流の変化を計る為に光球の魔法を改良した。それは、光の球を海に浮かべることで、魔法の光が術者に情報を送ってくるものだ。
ベルベットは、ヴェルナ王国内でこれを使っている。
「レミール殿が作った光球の魔法と、彼がベルベットに残した戦略魔法を使えば、化け物がいくら湧こうが問題ない。流星を降らせて化け物を倒すと彼女は言っていた」
「隕石召喚か?」
「違う魔法だと思う。隕石召喚なら、彼女はそう言うはずだ……ベルベットが使う古代魔法でもないようだ……レミール殿は、自分が死んだ後、ベルベットの事情……複雑な事情から彼女が恐ろしい存在に狙われかねないと知っていたから、余命をその魔法完成にかけて……実際に完成させたそうだ。それを使うと、ベルベットは言っていた」
「ベルどのを、また戦わせるのか?」
イシュリーンは、苦し気な表情で問うていた。
ナルは、神妙な面持ちで答える。
「彼女は、自分の意思で、再び立つと決めた。俺や、君……ダリウスさんの為でもない。ベルベットは、マキの為に異民族と戦うと決めてくれた。俺は……」
ナルは、父親の顔となっている。
「……それを言い訳に感謝したんだ……卑怯な男だ」
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマムの小隊は、ヴェルナ王国北部の町タラントに入っている。北方騎士団との領境に近いここは、ヴェルナとウラム公の争いから距離もあることでまだ大きな混乱はない。それでも、軍装の兵達が忙しく動いているし、商いをしている者達も、いつでも逃げ出せるように準備を怠ってはいなかった。
マキシマムは宿に拠点を置き、北方騎士団から南下してくる避難民に話を聞く。彼らは異民族による侵攻を受けて、ヴェルナ王国へと逃げてきたのだが、この国もまた戦争とあり、不幸の連続だと嘆いていた。
「騎士達ったら、動きが遅いんだもの! 異民族が侵入してきたってのに、北壁ばっかり気にしてさ! 龍よりも異民族と戦えってのよ!」
「異民族は人をさらっていくらしい。それも老人、大人、子供、関係なくだ」
「すごい勢いだったぜ! 俺も川に飛び込まなかったらやばかった」
彼らにマキシマムは必ず問う。
「化け物はいたか?」
しかし、誰もがキョトンとするだけだった。
「化け物? 龍なら北壁の向こうだ。会いたければ行けよ」
「化け物は異民族の奴らのことか? たしかに、まぁ……化け物のようなもんだよな」
「……? 兄ちゃん、酔ってるのか?」
そんな中、一人の男がいた。
「お前も、化け物を探してるのか?」
「お前も? 貴方も?」
相手は、赤い髪をした初老の男であるが、長身で均整の取れた体躯は戦士であろうと思われる。
「化け物退治をしてるのさ。ギュネイだ、よろしく」
「よろしく……北方騎士団にいたんですか?」
「いや、少し前にこっちに来た。ヴェルナに入った異民族が化け物を使っているという情報をもらってね」
マキシマムは表情を消した。
大陸西方に広まるには、まだ早いと思ったからだ。つまりギュネイという男は、独自の入手経路をもっていると思われた。
「マキシマムといいます。どこでそれを?」
「姪……みたいなもんかな? 親友の娘から」
「……? 誰です?」
「いや、すまん。ちょっと複雑なんだよ。それに姪に迷惑がかかっちゃいけな――」
男の声を遮ったのは、マキシマムを呼びにきたガレスだった。
「おい! おーい! 大変です!」
「すいません。どうした?」
ギュネイに詫びたマキシマムは、慌てているガレスを見る。彼は膝に手をつき息を整えると、北の方向を指差して口を開く。
「領境のすぐ向こう……北方騎士団領側で戦闘です。異民族の部隊と、騎士団がぶつかり始めたと……ここもやばいかも」
マキシマムは頷き、戦いに巻き込まれるのはまずいと身を翻した。
「ギュネイ殿、それでは失礼します」
「ああ、気をつけてな」
赤い髪の男は、走り去る二人を見送る。彼らは途中、避難民と話をしていた一人の男を捕まえて三人となると、急いで離れて行った。
ギュネイは腰の剣に手を置き、北へと身を翻すが、思い直したように三人の後を追うことにした。
「あいつら、ただの旅をしてる奴らじゃないな……」
彼は、小さくなる三人を追った。




