再出発
「隊長、あの尾根を越えたらヴェルナですよ」
パイェが指さす方向を、マキシマムは眺めて一呼吸おく。
「数日しか離れていなかったけど、とても長く感じる」
「大変だったからねぇ」
最後尾のガレスがしみじみと言い、先頭のパイェが肩越しに口を開く。
「あんたは大変な思いをしてないじゃないか」
「うるせ! 大変だったんだよ! だいたい! 暴れる隊長を引き留めたの俺だぜ? 俺、とても偉い!」
「ああ、ありがとう。あの時は助かったよ」
マキシマムは素直に感謝した。
ベルベットを助けようと、もがき暴れるマキシマムを離さなかったのはガレスで、そこにルナイスの助けがあったとしても、真っ先に、駆け出す若者を掴み、羽交い締めにして、引き止めたのは彼である。それがあるから、マキシマムは無事だった。仮に、あの時にベルベットを救うべく岳飛虎崇に向かったなら、彼の命はなかったであろう。
三人は、偵察の任務である。
配置換えの結果、第一師団の遊撃大隊に転属となった彼らは、五〇個ある偵察分隊のひとつになっている。
〇七分隊が、マキシマムの隊だ。隊長は彼で、部下にはガレスとパイェがついた。これは、先の戦でマキシマムの部下だった二人が、そのままくっついて来たというのが正しい。
二人は、マキシマムの下で働けるならそうしてくれと、転属希望に書いて出したのである。いや、あの戦いを生き残った元部下達は皆、マキシマムと一緒がいいと希望し、抽選の結果、こうなったのだった。
「だいたい、お前こそなぁんにもしてねぇ」
ガレスに反撃されたパイェは、くしゃみをして誤魔化した。そして、尾根へと続く斜面を登りながら、前を見たまま二人に言う。
「俺達が先遣隊ですから……責任重大です。偵察は初めてなんで緊張します」
「僕は経験あるから任せて。大丈夫」
マキシマムが言った。
彼は士官学校を卒業してからずっと偵察任務に従じる部隊にいたのだ。語学が堪能であるからと、駆け足が得意なのでバレても逃げ出せるだろうという人事局の判断であるが、適当だなと彼本人は思うのである。
「敵に見つからないというよりも、バレないようにが前提だ」
「それで、こんな格好なんですね」
三人は、旅をする連れのようである。グラミアの軍衣ではない。それでも武装しており、名目は北方騎士団に雇われたいから、北上しているという体を装っていた。それでいて、見分を広げるために、立ち寄った国々の風土や気候などをまとめていると騙るつもりである。
山々は緑が濃く、木々の連なりの向こうは瑠璃色の空だ。
吸い込まれそうだとマキシマムが思う空は、グラミアの色と同じだった。
「でも、先の戦に参加して……よかったと思うこともあるんだ」
マキシマムは、頬をつたう汗を拭いながら言う。
「僕は、やっぱりグラミア人だ。そして、知り合いが傷ついたり悲しむのは嫌だ。戦いは好きじゃないけど、僕が戦うことで、そういう人達を助けることができると思う。誰かを守ろうと思うと、交渉だけじゃ足りない相手がいる……力もいる。騙し合いもいる。わかったから、よかったよ」
「よかった。今、気付いてくれてよかったですよ……ヴェルナに入って、俺達が捕まってしまってからじゃ遅い」
ガレスのからかいは、親密さをマキシマムに伝えてくれた。
三人は笑みを浮かべ、空へと向けて昇る斜面を進む。
-Maximum in the Ragnarok-
グラミア王国のウラム公爵領は、その触手をトラスベリア王国グレイグ公領へと伸ばしている。グレイグ公領南部二州を支配下に収め、また先代公爵の十五番目の娘を妻としたウラム公爵ドラガンは、公爵位継承戦役とグレイグ公領で呼ばれる紛争をこれまで有利に進めてきた。しかし、敵対勢力であるグレイグ公爵の軍務卿ガノッザ・スノーワイト派と政務卿オーランド・ウデゴール派、そして諸侯連合代表ザハ・リーベルシュタイン派の三派閥が手を結び、ドラガン一人を敵として連合を組んだ今年春以降は、進行速度を鈍化させていた。
苦戦しているからというのもあるが、意図的に、兵を進めていないというのも理由にある。
ドラガンは、敵がまとまった今は手を引くことで、敵勢力の分裂を図ったのである。
それでいて同時に、軍容を厚くするために、傭兵を多く雇い入れていた。その原資は、ウラム公爵領が誇る鉄である。彼の土地は、鉄がよく採れるのだ。キアフの王宮で、ルブリン公爵を羨んだドラガンであるが、それは本音と嘘が半々である。
ウラム公爵領は貧しくもないが、現金収入を頼るとなると手は限られており、それを彼は危惧していた。
ドラガンは家老のアズレトに命じて、奪った二州の統治は民に優しいものにした。軍役や納税をしばらくは猶予するというのもそれであり、彼は戦わずして、敵から民を吸い取ろうと考えている。
土地と民が領地経営を支える両輪だと、ドラガンは知っていた。
土地は二州増えた。
その土地が、これまでよりも豊かで、領主が優しいならば、民はどう思うか。
彼は、リュゼ公爵領が凄まじい勢いで復興、繁栄している状況を見て学び、それを戦いの道具に使っているのである。
その彼が、北に向けていた目を東に向けると聞いて、反論したのは妻だった。
「わらわは、婆になって公爵になれても嬉しゅうないぞ」
先代の公爵であったヴィルヘルムの十五番目の娘ティスラの台詞だ。彼女は、その容姿は母親から受け継ぎ、中身を父親から受け継いだと言われるほど美しいがクセが強い女性であった。ドラガンよりも随分と若く、この時は二十八歳である。
ドラガンは政略の為に、子供と結婚したのだ。そして、今は釣り合いが取れていると主張していた。
夫は妻を宥めようと、その隣に腰かけて彼女の髪に触れたが、頬に平手打ちをくらい目を丸くする。蛇目のせいで、滑稽さよりも不気味さが勝つ。
「痛いではないか」
「気安く触れるでない」
「子作り以外でも触れ合うのが夫婦だ」
「触れ合いは最低限にしておきたいところ……で、どうしてヴェルナ?」
ドラガンは美しい妻の横顔を眺めながら答える。
「堂々と領地を増やせる機会はそうない。北は今、意図的に止めるほうがよい……が、時間がもったいない。東へ広げる。ヴェルナの東側を押さえておけば、グラミアがヴェルナを喰った後、いかようにも対応できるのだ」
「図体だけが大きい男は嫌い」
「中身も伴う。ヴェルナがグラミアに加わると、南ばかり向いているグラミアの開発意欲が北へも割かれる。北方騎士団領は北海交易で豊かだ。グレイグ公領を通らず、そこと結べるのは良いことだ」
「ふぅん……難しいことはようわからんが……わらわの為に励んでおくれ」
「昼も夜も励んでいるではないか。俺ほど真面目な夫はおらぬと思え」
「ほほほ……茶会に出るゆえ、どいておくれ」
ドラガンが長椅子を離れ、妻の優雅な足取りを見送る。
彼は、妻と入れ替わるように入室した魔導士を見た。
「来たか」
「如何いたしました?」
トラスベリア人で、死んだヴィルヘルムの幕僚であった女魔導士ルシェミ・アルカンタラとドラガンの間に生まれたメドゥーサである。彼女の母は、娘を生むと自害した。ドラガンはそれを止めなかった。そして彼は、自分が父親であるとメドゥーサに教えていない。
ルシェミは死ぬ間際、娘の名前を指定したが、古代文明時代の化け物の名前がつけられているなど、娘は知らない。
戦争孤児であったメドゥーサを、ドラガンが拾って育てたという説明を彼は彼女にしている。
両親ともに優秀な魔導士であるから、メドゥーサもずば抜けた魔導士となっている。彼女は、自分を助けて育ててくれたドラガンの為に働くことが恩に報いることだと信じている。
またドラガンも、絶対に裏切らない駒である彼女に、自らの知恵、というより物や者の見方や考え方を教え込み、その歪な教育は現在も続いているのだ。
十七となったばかりのメドゥーサは、艶のある紫色の長髪を指で梳かしながら、ドラガンに誘われるがままに隣に立つ。すると、彼に優しく髪を撫でられ、喜ぶような表情で主を見上げた。
「東に出兵だ。アズレトにはグレイグ公領から奪った二州をみてもらうゆえ、お前が補佐せよ」
「かしこまりました。ご指名頂きありがとうございます」
「異民族は召喚魔法を使うらしい。遠慮はいらぬ」
「……ですが、わたしまでそうすると、お館様のお名前に傷がつきますまいか? 西方諸国の国際法を破ることになります」
「構わぬ。死んでしまっては遠慮も無意味だ。あのベルベットどのでさえ、目を失ったほどの相手だ……ガクヒなんたらという変な名前の宋の奴……殺して生首をベルベットどのに差し上げようと思う」
「喜びましょうか? 大先生はそういうのお嫌いでは?」
メドゥーサは、自分の先生はドラガンであるから、その彼に魔法を師事するベルベットを大先生と呼んでいる。
「喜ぶ云々はどうでもいいことだ。俺の気がすまぬ」
ドラガンは過去、召喚魔法を使った。その際、偶然にも、高位の存在をこの世に呼び出していて、その何者かは彼の体内に勝手に巣くった。そう迷惑に感じていなかった彼であるが、事あるごとに寿命を奪おうとするので厄介に思うようになり、ベルベットの力を借りて、何者かを異世界に送り返している。
ドラガンは、いろいろと複雑な男であるが、ベルベットへの感謝は本物で、それは岳飛虎崇を憎むほどであった。その憎しみ、いや「嫌な奴だ。気にいらない」という感情は、彼が過去、ナルという男に向けていたものを凌駕している。
「お館様、ではそのガクヒなんたらという男は殺すとして、他に守るべき事柄は?」
「死ぬな。この二つだ」
「……お館様」
メドゥーサは、感激の極みでドラガンにしがみつくが、父親だと告白しない男によって、そっと引き剥がされた。
「軍の編制を任せる。やってみろ」
「かしこまりました」
娘は一礼し室を辞す。
父親は、苦笑しながら固くなった股間を手でまさぐる。
「……俺はいつになったら落ち着くかなぁ……娘だぞ、あれ」
ぼやきは、本心だった。




