これまでの彼の歩みが、今の彼を助ける。
グラミア人たちとスーザ人たちは、戦闘を止めた。
両国人ではない宗人のホウビにとって、これほどまで憎しみあう異国人同士というものは不思議な感覚であったが、グラミア側に立つ彼女はそれを理解できないまでも、馴染むしかないだろうと決めていた。その彼女は自分の連隊を移動させながら、後方に続く殿のガレス隊が、完全にグラミア勢力圏へと入るまで見守る。それは彼を案じている気持ち半分、話をしたいという気持ちが半分だ。
ホウビは、スーザ人たちの陣から帰った時の、ガレスの顔を見なかったことにはできない。それは彼女にとって、初めて見るほどに憔悴した顔であったからで、当然、その理由を問うた。
「スーザ人に囲まれたら、グラミア人は皆、こうなる」
こう答えたガレスに、その時の彼女は頷くことしかしなかったが、内心、何かあるなと感づいたのだ。それは、隠し事が苦手な男に共通する、うしろめたさに近いものを、その時のガレスからホウビが感じ取った、というものが理由にはなるが、どうしてかと問われると、ホウビも首を傾げざるをえない。
直感、と彼女は答えるしかなかった。
ともかく、ホウビはこの直感によって、何かを隠しているガレスと話をしなければならないと思っている。
小高い丘の上で、騎乗の彼女は背後に副官が近づいて来るのを感じ取った。
「隊長! 連隊の各部隊、このまま本体の後方につき行軍でよろしいでしょうか?」
「それでいい。他の命令は受けていないが……気にあることが?」
「あまりにも静かです。スーザ人の奴らは、約束は破るものだと思っている奴らですから……襲ってこないかと」
「その時は、反転攻勢で蹴散らせ。問題ないでしょう?」
「は……はっ!」
副官が、勇ましく返事をする。ホウビは、離れていく彼の背からガレス隊へと視線を転じる。そして思考は、グラミア人はスーザ人を殺しても良いと言われると喜ぶ、という滑稽というには深刻な対立感情を抱えたままでよいのかという不安に繋がった。
魔軍との戦いにおいて、背後に憎い仇敵を抱えたままでよいのかと、彼女は案じているのである。
風がふき、彼女は髪を手でおさえた。
ルキフォール公国東部は、グラミアの勢力圏内であるが占領地ではない。本来であれば、まだまだ油断できない一帯であり、目立つ場所で一人というのは愚かなことになるが、グラミアの大軍にちょっかいを出そうとする者など、公国において存在しなかった。それを理解している彼女は、殿のガレスをただ待つ。
彼女は、荒涼とした土地を眺めた。
それは、人の営みから遠く離れた風景である。道などなく、草も人の背丈に及び、木々の枝葉は伸びるだけ伸び、徒歩の兵は敵よりも蛇や毒虫を気にしなければならないほどかと思われた。それでも、ガレス隊の進みは整然としたものである。その隊の前方部隊のひとつに、ガレスの姿を見つけた彼女は声をあげた。
「ガレス! 話がある!」
彼は気づくと、手をあげて応える。そして、部下たちに何事かを伝えて馬上となり、丘を駆け上がってきた。
「どうした?」
彼の第一声に、ホウビは天気のことを話すような気軽さで問う。
「スーザ人たちと会った時、何かあっただろう? 話せ。殿下には喋らないから」
「なにもない」
「浮気した男が、女の前でなにもないと話す時の顔をしているぞ?」
ガレスは意図的に笑みをつくり、「なにもない」と繰り返す。それは、話せないという意味であるとも、ホウビには感じられた。
「話さないなら、私が尋ねる」
「……」
「お前の隠し事は、殿下を裏切っていないな?」
「……なにも隠していないさ。そもそも、裏切るわけがない」
「殿下のお気持ちをも含めて、裏切っていないのか?」
ガレスは、面倒な奴に勘繰られたという顔となり、それは当然、ホウビにも伝わる。しかし彼女は口を閉じたまま、相手の回答を待った。
ガレスは相手の意図に悩む。
「仮に、それを確認して何がしたいんだ?」
「安心したいだけ」
「安心?」
「ガレス、お前に神妙な顔は似合わないから。話せないなら話さなくていい。だけど、安心したい」
「参謀らしく、弁論で俺を誘導してみたらどうだ?」
嫌味を言った彼に、言われた彼女はただ笑う。
「なにがおかしい?」
「わかった。そうしたい時はそうしよう。だけどそれは今じゃない。同僚として、同じ殿下の臣下として、聞きたかっただけだ」
ガレスは、ホウビを巻き込むわけにはいかないというよりも、彼がしたことと、オルタビウスがすることは、知る者の数が少なければ少ないほど良いとわかっている。しかし、何かを感じ取っているらしい彼女からの追求から逃れるには、無回答では不可能だとも理解できた。
彼は、やれやれという表情を作って口を開く。
「話せないのではなくて、話すのが難しい。というのも、俺はスーザ人に囲まれて、殿下の悪口を聞かされ続けることに耐えた……ことを、誇らしげに語るわけにもいかないしな」
「そうか」
ホウビはそこで、納得したという表情をつくる。
二人はお互いに、作り笑いをしてそれぞれの隊へと戻った。
-Maximum in the Ragnarok-
「王太子殿下、まだまだ時間がかかりますゆえお戻りください」
アレクシは、ギルモアに促されても立つことを選んだ。
グラミアと帝国が戦闘を終えて、それぞれに撤収となった現在、軍後方に控えていた王太子軍は、後退してくる味方部隊群を迎えるために忙しい。その中で、軍の指揮をギルモアに任せっきりであった王太子が、幕舎の外でオルビアン軍合流が終わるまで立つことを選ぶという。
ギルモアは、グラミア人たちの中で居心地が悪いはずのアレクシが、それでも積極的に彼らへ姿を見せようとしている姿勢に改めて感心していた。だが、感心はしても、やはり残念に思ってしまう。それは、後退してくるオルビアン軍から、一騎の騎兵が駆けだしてこちらに向かって来る光景を見たからだった。
「マキシマム……殿下」
ギルモアは、その者の名を口にしていた。
彼からみて、マキシマムは王族の男子として理想ではないかと思ってします。
眉目秀麗、才気煥発、勇猛果敢、温厚篤実。
これらが同居する人間はそうそういないが、ギルモアから見たマキシマムはまさにこれである。さらに、清廉潔白で剛毅果断でもある。この人物と、比較されるしかないアレクシを想うと、残念で仕方ないのだ。というのも、ギルモアの見立てでは、アレクシも王族の男子として素質は悪くない。
謙虚であり誠実、困難にも向かい合う勇敢さがある。そしてなにより、グラミアという国のために自分は何ができるかと考え、できることはやろうという姿勢があった。
「だが、相手が悪い」
ギルモアの独り言は、マキシマムが鮮やかに馬から飛び降りたのと同時である。
兵たちは、自然と大公に見入った。そして、一瞬後に、不敬に気づいてそれぞれが片膝をつこうと動き始める。それを「邪魔をして悪い。作業を続けて」と声をかけ、「お疲れ様」と労いながら歩くマキシマムは、ギルモアの視線に気づいて彼を見た。
「お邪魔します。殿下に撤退のご報告に参りました」
ギルモアは一礼を返し、アレクシがいる方向を眺め、先導すべく歩を進める。その彼に、マキシマムが兵たちと交わす会話が届いてきた。
「殿下! 次は俺を前線に出してください!」
「君はダメだ。子供が生まれたばかりだろ」
卑怯だろ、とギルモアは嫌になる。
一兵卒の私生活まで、この人はどうして知っているのかという驚きと、それをされた側の感激を理解しているがゆえに、アレクシの相手はとてつもなく巨大で乗り越えるには相当な苦労を要する挑戦だと諦めた。
ただ、実際のところ、この時のマキシマムと兵卒の会話は、二人の関係性がある。この兵卒はマキシマムがフェルド諸島にいた時の部下で、彼の指揮下で戦っていた兵士だったのだ。だからマキシマムは彼の顔と名前を知っているし、その兵士に子供が生まれたことも把握していたのであって、全ての兵士のことをわかっているわけではない。
ただ、周囲の兵たちは驚く。
そして、彼らは噂をするだろう。
さらに、そういう噂はよく広まり、大きなものへと成長していくことを、ギルモアは知っていた。
ギルモアは、自分たちが近づくのを見て姿勢を正したアレクシを正面に、歩む速度を少し落とした。
アレクシは、ギルモアが右手に移動し控えるのを待って、片膝をついたマキシマムへと一歩、踏み出す。
マキシマムは一礼し、口を開いた。
「スーザ人との間で停戦となりましたので、引き上げて参りました。殿下におかれましては、後方の安全を確保くださり感謝申し上げます」
「マキシマム殿、立ってください。私は自分にできることをするだけです。しかし、勝利できなかったのは残念でしたね?」
ギルモアは、表情にださず内心でひやりとする。
受ける者によっては、嫌味になってしまうことをアレクシが口にしたからだ。しかし、マキシマムはそういう人間ではない。それは、ギルモアが知るとおりの人格者であるがゆえである。
「残念でしたが、兵たちも疲れておりましたし、私も疲れました。ルキフォールの公王とその周辺は表に出てこず、実質的にはスーザ人支配とみます。彼らと停戦となり、当初の目的であるキジニフ殿支援の兵站を邪魔する勢力はいないと考えますが、しばらく状況を継続しつつ監視いたします」
「その指揮は、マキシマム殿がお執りに?」
「私がしますが、現場の指揮は幕僚に任せます。王太子殿下におかれましては、此度の兵站確保の目的達成をもって、一度、オルビアンにご帰還なさればよろしいかと考えます」
アレクシが、ギルモアを見る。
ギルモアは、頷きを返した。
「わかりました。では、私はオルビアンに帰還することにします」
「それがよろしいと存じます、では私は、再編成の手配がございますので失礼いたします」
マキシマムは立ち上がると、アレクシに一礼、ギルモアに会釈、そして周囲の護衛たちには笑みを向けてその場を離れる。
アレクシが、ギルモアを手招いた。
「は……何でございましょう?」
「オルビアンの陛下に、報告をかねてお加減をうかがう手紙を出そうと思う。書記官を呼んでもらえないか?」
「承知しました」
ギルモアは一礼し、庶務を担当する者たちが仕事をする場所へと向かう。
多くの兵たちが、それぞれに移動し、会話をし、作業をする陣地の中で、どこからか、その歌が聞こえてきた。
ペルシアの歌で、戦いと戦いに挟まれた束の間の平和こそが尊いので楽しもうという内容のものだ。そして、その歌詞の一部が、当初のものから変えられて歌われていることに気づく。
『マキシマムが戦えば、俺たちも戦う。マキシマムが休めば、俺たちが戦う。マキシマムが許せば、俺たちは休もう。今は休もう。休みを楽しもう』
ギルモアは、ペルシア人にも慕われているマキシマムを想う。
彼は、マキシマムには他人が思いつかないほどの考動と、その結果としての実績が積み重ねられており、それらによって好影響を得た人々が国家単位で存在しているからだろうという想像をした。そしてその歩みが、マキシマムが得る信頼と崇敬に繋がっているのだと理解する。
ギルモアは視線を落とし、地面を見ながら歩いていた自分に気づき顔をあげる。
時刻は、夕刻に近づいていると空を見て気づいた。




