過去に囚われるものたち
ナルとレディーンが会話をしていると、再びツクヨミが声を発した。
『佐藤宗三様がお見えです』
ツクヨミの声が終わると、二人がいる部屋のドアが彼らの意思を無視して開いた。
ナルは、現れたものの姿に唖然とする。
レディーンは、それが佐藤宗三という人なのかと瞬きを繰り返した。
それはナルから見て、透明なバスケットボールほどのカプセルに入った脳みそでしかない。そしてそれは、フワフワと宙に浮いていた。カプセルの内部を満たす液体の中に、その脳は胎児のように存在していて、と形容すればまだまともかもしれない。これで生きているという概念に、ナルは嫌悪を覚える。ただ同時に、それは彼の価値観が、二十一世紀の日本のものと、現在の大陸西部一帯のもの以上でも未満でもないゆえの感情であろう、という自認が彼にはあった。
「君がはるか昔から現在にやってきた日本人だな?」
脳みそが喋ったと、ナルは気味悪さに沈黙する。彼は、相手がどうしてそのような姿でいることを選んでいるのかとも思う。なぜなら、体がないなら作ることができると知っているからだ。
それでも、疑問を口にはせず、相手の出方を待つことにした。
一方のレディーンは、自然とナルの腕を掴むようにして彼の背後へと隠れた。
佐藤宗三だという脳が、その様子を前に再び声を発する。それは青年のもので、明瞭で、聞き取りやすい英語でなされた。
「危害をくわえるつもりはないから、安心してもらいたい」
「……会うのは断ったはずですが?」
ナルの問いに、脳が応える。
「会いたいから来た。佐藤という姓をもつ大昔の日本人が、現在の地球に現れていて、現地の人造人間と交配し、子供まで設けた。興味を抱くのは当然ではないかな?」
「いちいちカチンとくる物言いは、俺を見下しているからだということはわかりますがね……質問があるなら答えますよ。わざわざ来てくれたのでそれくらいはしますよ」
「ありがとう。どうやって、過去から現在に来た?」
ナルは、どう答えようかと迷ったものの、嘘をついたところでツクヨミ監視下――これはナルがそう理解する現代日本では、彼の脈拍の変化や発汗なのですぐにばれて、それが脳みそに伝わると思い、自分に理解できる範囲での事実を伝えることにした。
「地球の……過去に欧州大陸と呼ばれていた大陸に住む女性が、魔法……これは彼女らがそれは魔法だと定義しているから使うが、魔法によって過去から現在に転移させられた」
「魔法……いや、わかっている。大丈夫だ。地球の人造人間たちがそういうものを使うことは理解している。ただ、それで君が何千年という時間を超えて現在に現れたという説明は飛躍が過ぎると考えるが?」
「俺には、これ以上の説明はできませんね。知りたいなら、地球に行って俺を現在に連れてきた女性に会って、尋ねればいいのでは?」
「それはできない。地球はその人造人間で溢れている。危険だ」
「しかし、一部の人たちは地球上で活動しているようですが?」
「彼らは、それが仕事だからだ」
「彼らは地球上で、何を目的にして活動しているんです?」
「いつか、我々が地球に帰ることができるように、環境を監視しているのだよ」
ナルは苦笑し、それが佐藤宗三には無礼に映った。
「なにがおかしいのか?」
脳が怒った、とナルは少しおかしく感じたが、口調は厳しいものとなる。
「人は、ずっと変わっていない。地球はいつまでもあなたたちのものだと思って……いや、信じているのですね? ……現在の地球は、あなたたちが人造人間だという存在たちを含む、地球上で生きる存在たちのものですよ。あなたたちが入り込む余地はないです。あと二千年もすれば、変わっているかもしれませんが……」
「では、二千年を待てばいいだけの話だ。我々はすでに、五千年ほど待ち続けている」
それは逃げて隠れている、の間違いではないかというナルの指摘は言葉にならず、視線と表情によってなされた。それにカプセルの中の脳は気づかず、あるいは無視して発言を続けた。
「話がそれた。君が言う方法で、君が過去から現在に来たとなると、人造人間たちは次元を超える術を持つことになる。それは意図的ではなく、偶発的な事故ではないのか?」
「しかし、あなたたちの一部……というか、別の組織か、どう呼べばいいかわかりませんが、現在の地球において神話となっている人たちは現在も、人格を人造人間というハードに入れて、地上で人間のように振る舞うことができていた……それは三次元、四次元では無理な話だ。最低でも五次元……つまり、あなたの物言いは、地球上にいる人たちは、自分たちが生み出したものだから、自分たちを超えるわけがないというゆがんだ自尊心を基とした思考によって吐き出されたものでしょう? その傲慢な油断は、俺の子孫、あなたたちの先祖を、地球から逃げ出すしかなかった事態に追いやった根本原因だと、俺は理解しますよ。あなたたちは、仕方なく月に避難し、隠れて、コソコソと地球の様子をのぞいているだけですよ」
「ひどい言われようだ」
「これでも、まだやんわりとした言い方にしています」
「ただ、誤解しないでもらいたいのは、我々は欧州の連中から地球の人造人間を守ってもいるのだ。現に、欧州の連中は次元を超えて、太陽系に戻りつつある。木星と土星のあたりで、我が国の防衛艦群と彼らの武力衝突中だ」
「地球上では、仲良くやっていましたよ。俺が見るかぎりは」
「現場の判断で、衝突はよくないとしたのだろうとだけ伝えておくよ」
ナルはここで、レディーンに自分の椅子を譲り、立つことを選んだ。彼女はそれでも、彼の腕を掴んだまま離さない。
ナルは、佐藤宗三が言う武力衝突とやらの影響が、地球に及ぶかもしれないと案じて質問をしてみることにした。
「今……ここからそう遠くない宇宙で戦争をしているってことです?」
「そうなる。戦争というより、小規模な軍事衝突だ」
ものは言いようだとナルは思うも、面には出さない。
「月も危ないのではないですか?」
「地球周囲は問題ないので安心していい」
「言いきれるので?」
「問題ない。もし、仮にここも危ないなら、我々はとっくに移動している」
佐藤宗三という脳の回答にナルは、これがこいつの本性だと理解できた。
やはり、こいつらを信用しない。
ナルは、決めたのである。
-Maximum in the Ragnarok-
地球上。
グラミア王国オルビアン軍は、狂ったように攻撃を仕掛けてくる神聖スーザ帝国軍の前に、防戦一方を強いられた。マキシマムが率い、ガレスとホウビが補佐するオルビアン軍は、グラミア人、宋人、ペルシア人の混成であるが統率がとれ、皆の戦意は高く維持されており、大陸でも強い部類に入るものといって差し支えない。その軍が反撃できないほどの攻勢は、帝国側指揮官の武勇と指揮能力と兵たちの能力が高いから、とはこの戦場においてはならなかった。
この時の帝国軍の強さは、総長の怨恨に共鳴する副官の武勇が原因である。
カールは軍勢の先頭を駆け、騎士のみで構成した騎兵一個中隊そのものを、グラミア軍中央にぶつける勢いで突っ込んだ。
彼は火炎の魔法を連発した後に、焼かれながら泣き叫ぶグラミア兵たちを蹴散らしながら敵軍中へと単騎で進む。そこに帝国騎兵達が続いた。騎士たちの武勇がこの時とこの場において、グラミア側を圧倒したのは、連戦の疲労で動きを鈍くしたグラミア軍と、麻薬を使って疲労を忘れることを選んだ騎士達の違いである。
数でいえば騎士たちは多くないが、グラミア軍中央部隊群が崩れると、それは左翼と右翼、さらに全体の後方にも影響を与えた。
マキシマムは水筒の水を顔に浴びることで気合をいれ、後方の予備部隊群と戦闘中の部隊群を入れ替える軍行動を指揮する。その動きは隙を生むことは必定で、そこに敵が乗じることなど彼は理解しているが、それでもそれをしなければならないほど兵たちの疲労は軽くなかったのだ。
先に、後方に下がり部隊編成をしていたホウビは、部隊交替の援護をすべく長弓大隊に一斉射撃を命じた。
大型の弓を地につきたて、二人がかりで弦をひき、矢を放つ彼らは一斉に射撃する。
百を超える危険な煌めきが、空中で放物線を描く。
カールは、これを視界の端で捉えた。いちいち目で追わない彼は、敵がかかげた盾ごとその頭部を鉄棍で破壊すると、騎士たちに下馬を命じる。
一斉に、ひらりと地上におりたつ騎士たちの動きは、敵であっても見事だとマキシマムには感じられた。
馬を逃した騎士たちは、徒歩となったが暴れまくり、矢が地上に到達する頃にはすでに落下地点にはいない。スーザ人たちに率いられたルキフォール人たちが、その矢を受けて断末魔をあげたが、彼らの不幸などカール達には無関係のことであった。
この時、オルビアン軍中央部隊群にいたペルシア人たちが、後退命令に背くように退くのを止めた。それはそのまま壁となり、敵を殺すことに飢えている騎士たちとぶつかる。
鋼と鋼のぶつかりが、命と命の奪い合いとなる。
ペルシア人たちは、誰に命じられたわけでもないが、仲間のために時間をつくろうと懸命となった。彼らの勇気と献身の根には、祖国を助けてくれたグラミアと、その戦いの中で英雄視されているマキシマムの為にという共通の思いがある。その彼らの無謀にも見える勇戦を見て、マキシマムの腹心たるガレスは無視できる人間ではなかった。
彼は悪人で犯罪者だった。強盗で、人を殺めた過去があった。けっして誇れる人生を歩んできたわけではない彼だが、マキシマムとの付き合いの中で、過去を恥じ、今、仲間のためにという思いがあるがゆえに動揺する。
ガレスが動揺を、怒声で隠そうと声を張った。
「バカ! かっこつけても死んだら意味ない!」
彼は一部の部隊を率いて、ペルシア人たちを救う行動を見せようとしたが、後方から駆けてきた伝令犬によって阻止された。
ガレスは、犬の首輪から指示書をちぎり取ると、素早く読む。
マキシマムの指示は、部隊の交替を優先、とだけだ。
ガレスは空に向かって吠えると、それで一切の感情を消した顔となり、つぶやくように愚痴る。
「こういう判断もできるじゃねーか」
ガレスは一呼吸後、周囲に「後退!」と叫ぶ。
オルビアン軍中央部隊群前衛は、ペルシア人たちを犠牲にすることで整然と後退する時間を得たのである。
交替部隊を率いて前進してきたマキシマムを、無表情のガレスが迎える。
「殿下、よきご判断でした」
ガレスの言葉に、すれ違うマキシマムは一言だけ発する。
「ごめん」
ガレスは、やはり自分はこの人についていくと念じ、戦い疲れた部隊群を後方へと後退させる指揮に集中する。
マキシマムは、ペルシアの言葉で叫ぶ。
「君たちの犠牲の上に俺は立ち! 進むぞ! 感謝は天上で再会した時に述べる! ゆえに今は見守ってくれ!」
彼は、肩越しに背後の兵たちを見た。
士官たち、兵たちの目は全てが前を睨んでいた。
マキシマムは、鞘から剣を抜き、前方へと掲げる。
「皆! 今は戦う時だ! 進め!」
兵たちが咆哮をあげ、士官たちの指揮でスーザ人たちに接近する。
兵たちは、三民族からなるが、皆はこの時、ペルシア語でペルシアの為にと叫んだ。
オルビアン軍は戦意を極限にまで高め、聖紅騎士団の騎士たちとの距離を一気につめる。
カールは、敵の様子が一変した状況に笑うしかない。蛆虫どもが、死体にたかって息を吹き返したと嘲笑した彼は、笑みのまま血まみれの槍をふると、血飛沫を周囲に撒き散らして騎士たちに命じる。
「ルキフォール人たちを前に出せ。敵を疲れさせ、そこを我々で仕留める」
彼の指示で、ルキフォール人たちの部隊が前進する。
両軍のぶつかりあいは、怒声、喚声、悲鳴を連ならせ、鉄と鉄の衝突が散らす火花の華々しさと禍々しさを、地上に描いた。