向日葵
生きていれば、いいことばかりが起きるわけではない。時に、腹立たしく、悔しく、自分一人の力ではどうすることもできない理不尽な目に遭うことがあるものだ。
それでも人は、自ら死を選ばない限り、生きる。
マキシマムも、生きる側の一人であった。
彼は自分を責める。
もっと早くに、さっさと逃げていればベルベットが自らの目を潰すような真似はしなくても済んだと後悔する。実際のところ、マキシマム達が最後尾で頑張っていたからグラミア側の被害が死者と行方不明者あわせて一〇〇〇、負傷者一三〇〇人で止まったのだが、彼はそうは思わない。
ルナイスに慰められても、光を失ったベルベット本人から励まされても、マキシマムは落ち込むのである。
もっと考えて、もっと頑張って、もっと、もっと、もっと。
彼は多くの人がそうであるように、後悔をしていた。
それは、ヴェルナ王国から王都キアフに帰還しても、変わらなかった。
-Maximum in the Ragnarok-
気が重いというのは、まさに今だとマキシマムは溜息をつく。
ベルベットの乗る馬を操る彼は徒歩で、キアフから郊外へと延びる街道のひとつを進んでいる。
二人が向かうのは、ラベッシ村だ。
彼と彼女の、家がある場所である。
マキシマムは士官学校に入ってから寄宿舎暮らしで、実家には全く顔を出さなかったから、実に四年ぶりの帰省であった。そのひさしぶりの機会が、まさかこんな形になるかという情けなさで彼の足取りは重い。
「まだ悩んでいるのだ?」
ベルベットの問いに、マキシマムは頷くことしかできない。
「マキ、こっち向け」
「……」
「マキ」
「……」
「マキ!」
マキシマムは肩越しに馬上のベルベットを見上げた。
両目を包帯で隠した彼女は、口元を見れば微笑んでいるとわかる。
「マキ、困ったら振り返って……わたしはマキの味方だ」
「……その先生を、僕は自分のせいで――」
「違う。それは違うと何度も言っているのだぁ」
「でも、僕はそう思うんですよ!」
マキシマムは大きな声を出してしまってから、ハッとして口をつぐむ。
ベルベットは赤い長髪をかきあげながら言う。
「マキがどう思おうとも、わたしはマキの為にしたんじゃない。あの場を生き延びるにはこれしかなかった。腕? 脚? 駄目だ。ご飯が食べれなくなるし、散歩ができなくなる……耳? それも考えたが岳飛虎崇がそれで納得するか? 奴があの戦闘で狙った目的は何だったか?」
マキシマムはベルベットを見上げて立ち止まった。
馬が止まり、ベルベットは揺れを感じなくなったと思う。そしてそれは、停止しているのだと理解できた。
彼女は、風が心地よくて息を吸い込んだ。そうして、マキシマムがそこにいるだろうという方向へと語りかける。
「彼はグラミアを排除したかった。講和の目的もそうだった。それは、ヴェルナ王国を奪い取りたかったからだと思う。グラミアの助けがなくなったあの国などいつでも取れる……なぜヴェルナを狙う? 異民族の軍勢は長いながい道のりを旅して我々の土地へと進出してきた。休む場所がいる……グラミアは強固だ。北方騎士団領国は強い……ヴェルナであれば、この二カ国に挟まれているしトラスベリアにも接している。守るのは難しいが、攻め込む橋頭堡としてはいい場所だ……だから彼は、あの戦闘でグラミアをヴェルナと切り離すと決めた。終わってしまってから気付くわたしは愚かだ……マキ、暗くなる前に村に入りたい。行こう」
促されたマキシマムが、馬をそっと引く。
二人と一頭は進み始めた。
「彼はヴェルナで、わたしがグラミア側に参戦していると確かめた。彼は今後の為に、あの時、本当はわたしを殺したかったはずだ」
「でも、しなかった……」
「彼が立派だったとか、慈悲深いというつもりはない。盲目の魔導士に何ができるかという侮りがあった……マキ、でも最終的な勝利者はわたしだ」
「え?」
マキシマムが再び止まる。
彼は、ベルベットを見上げた。
彼女は、見えていないはずなのに、真っ直ぐ彼を見ているかのようである。
「わたしは生きていて、マキも生きている。わたしは目的を達したのだぁ!」
彼女は、誇るように叫んだ。
-Maximum in the Ragnarok-
ひさしぶりに帰ってきたのに、全く変わっていない。
これは、ラベッシ村に入った時のマキシマムの感想である。
夕暮れ時の村ではまだ、畑作業をしている者達がいて、マキシマムの姿を見るなり驚き駆け寄り喜んだが、ベルベットを見て肩を落とす。
彼らの中の一人が、親切にも、マキシマムの両親へと知らせるべく走った。マキシマムとしては、止めて欲しいと思っても口には出せないことであるし、今ここで止めたとして、少し後には会うのだしと思い何も言わない。
ラベッシ村の代官館が見えてくる。
木造二階建ての屋敷は、彼がルナイスに稽古をつけてもらっていた広場の奥に今も変わらずあった。そして、玄関のところに立つ男女の姿を遠目に見ることができる。
心臓の鼓動が早まったとマキシマムは緊張する。
「マキ、説教は覚悟しておくのだぁ。嵐もいずれ去るのだ。黙ってジっとしてれば向こうが疲れて終わるのだ」
「……」
近づくにつれ、屋敷の中から女の子が二人、飛び出してくるのが見えた。
二人の妹だとすぐにわかった。
マキシマムの両親の娘で彼の妹であるオリビアは七歳で、マキシマムの記憶にある姿からは想像もつかないほど大きくなっていた。
ディステニィは八歳で、マキシマムの父親とベルベットの娘だ。彼女はマキシマムに飛びつき、ベルベットを見上げて目を丸くした。
「母上、目」
「ああ、これは怪我したのだ……ディシィ、おいで」
ディステニィがマキシマムに抱えられ、馬上のベルベットへと渡される。今さら抱っこはやめろという愚痴を表情で表したディステニィだったが、母親の温もりですぐに微笑む。
マキシマムは、もじもじとするオリビアを抱き寄せ、髪を撫でる。
「ただいま」
「兄上、お帰りなさぁい」
「大きくなったね」
「兄上も!」
「僕も?」
「うん! あ、でもお髭、似合ってないの」
「……」
「マキシマム!」
マキシマムは大きな声で名前を呼ばれた。
彼の父親だ。
妹を抱えたマキシマムが、両親へと近づく。
母親は微笑み、涙を流しながら彼に歩み寄った。そして息子を抱きしめると、黒と銀の髪を撫でながら安堵の言葉を漏らす。
「よかった……顔をまったく見せないし……戦争に行ったと聞きました……心配で……よかった」
「母上……ごめんなさい」
彼は、母に詫びて、動かない父へと視線を転じる。
父親がそこで、優しい顔となり、言った。
「マキシマム、おかえり。無事で何よりだよ」
マキシマムは、湧き出る涙をぬぐえないまま父親へと近づくと、膝から崩れ落ちるかのように蹲り、泣いた。
-Maximum in the Ragnarok-
家族そろっての夕食を終えたマキシマムは、父が待つ書斎に呼ばれた。
これからが説教だと、マキシマムは厳しい表情で入る。
父親は椅子に身体を預けて、ブランデーを飲んでいる。ルヒティという銘柄でラベッシ村で製造されている酒だ。
グラスが二つ用意されていて、マキシマムの為に、父親が空いたグラスに酒を注ぐ。
蝋台の照らす室内で、父と子は向かい合った。
「お前も十八だ。飲んでいいだろ」
「頂きます」
「どうせ、士官学校で飲んでるだろ」
「……付き合いで」
「付き合いは大事だよ」
父親はブランデーの香りを楽しむような表情のまま、言葉を続けた。
「凡そのことは届いている。異民族は禁呪を使うこともいとわない。数も多い。ヴェルナは取られるだろう……ベルベットのこと、わかっているか?」
「僕のせいです」
「いや、お前のせいだが、お前だけのせいじゃないよ」
「……」
「ベルは……ベルベットは勝ったんだ」
「……先生と同じことを言うんですね?」
「彼女も?」
「はい……」
「……ベルは勝ったんだ。だが、もう二度とディシィの顔を見ることができないし、お前の顔も……向日葵が咲き誇る光景も……澄み渡った青空も、煌めく夜空も……見ることができない。俺のせいなんだ」
「父上の?」
「俺が、二人に頼んだ。お前が戦争に……それも大きな戦争に行くと聞いて、彼女とルナイスに頼んだ……俺は情けない話だけど弱い。だから、二人に頼んだ」
マキシマムは、自分を弱いという父親を弱いとは思えなかった。
「俺がベルベットのことをわかっているか? と訊いたのは、反省しろと言いたいだけじゃない。反省は俺もしている……お前に言いたいのは、彼女のことで悩み続けるのはよくないことだと言いたいんだ」
「……」
「ベルは後悔していない。彼女は、でもこのことで悩むお前を見れば、後悔するようになるよ……もっと他の方法を取っていたら、お前が悩み続けなくてすんだ……とね」
「でも、あっけらかんと……笑顔で……できないです」
「しろ」
父親の声は短く、強い。
彼は、ブランデーを一口飲み、マキシマムがチビリと飲んだのを見てニヤリとした。まだまだ飲み方が甘いという顔で彼は言う。
「ベルはどうして欲しい? お前に喜んで欲しい。お前が、戦争の前と同じように下手な数学の道を進みたいと頑張るお前でいて欲しい。おもしろいことに笑って、美味しいものを食べればまた笑って……そんなお前でいて欲しい……ベルは、そういう人だ。俺達がよく知ってる彼女は、そういう人だろ?」
マキシマムは、父親を見た。
それは、彼の父の声が、発言の終わりのほうで激しく震えたからだ。
マキシマムの父は、両目を濡らしていたが、こぼしていない。
「マキシマム、ベルの為に、死んだ仲間の為にも……生きることを楽しめ」
父は、震える声で言った。
-Maximum in the Ragnarok-
早朝。
マキシマムはベルベットの代わりに、彼女が世話する犬達を連れて散歩に出た。
犬達は、行先はわかっているよと前を進む。
彼らが向かうのは、農場の花畑を一望できる丘の上だ。
夏の今、花畑を彩る花は向日葵だ。
ベルベットが、好きな花だ。
彼は、まだ暗い空の下でも、向日葵で埋め尽くされた花畑を眺めることができた。もう少し経てば、ベルベットと二人で見た黄金の大地を眺めることができると彼は待つ。
「マキ君!」
後ろからの声に、マキシマムが振り返る。
幼馴染のエヴァが、手をふって近づいてくる。
「いると思った! 昨日、帰ったんでしょ! なんで顔を見せに来てくれなかったの!」
蜂蜜色の髪をなびかせ走った彼女は、マキシマムにぶつかるようにして止まる。
「よかった! 怪我なくてよかった!」
「エヴァ……」
「しばらくいるんでしょ!?」
マキシマムと背丈が変わらない彼女は、可愛らしい顔立ちを喜び一杯に染めている。
向日葵だと、マキシマムは思った。
「いるんでしょ? え? いれない?」
「……二日だけ休みもらって……またすぐに」
「えー!?」
エヴァが表情を不満一色に染める。
そんな彼女を、マキシマムは抱きしめる。
「え? マキ君?」
「エヴァ……僕は……生きてるよ」
「……」
「いっぱい人が死んで、ベル先生が怪我をして……でも、僕は無事で、生きてるよ」
「……こわかったねぇ」
エヴァが、マキシマムの髪を優しく撫でた。
彼の右肩に、彼女の顎が乗る。そうする為に、エヴァは少しだけ背伸びをしたが、マキシマムに抱きしめられているので辛くはなかった。
「マキ君、頑張ったね……怖かったし、辛かったけど、頑張って帰ってきてくれてありがとう。マキ君、おかえりなさい」
エヴァの穏やかな声で、マキシマムは顔をあげる。
綺麗な彼女が、そこにはいた。
「あ!」
エヴァの明るい声。
マキシマムは、彼女が自分の背後を見ていると感じて振り返る。
二人は並んで立った。
東の空から昇る太陽に照らされた向日葵達が、大地を黄金色に染め上げていく。
煌めき輝く光景を前に、マキシマムはエヴァと繋ぐ手にギュっと力を込めた。
彼女も、同じくそうしてくれる。
太陽が二人の影を、大地の上で重ねた。




