会戦
ガーザ平野の西側に、東方向を向いて展開したヴェルナ・グラミア連合軍は、角笛に囃されるように前進を開始した。数千人が一斉に動くと、地面は揺れたかのように感じる。
マキシマムは異民族軍から放たれた矢を頭上に、迫る敵歩兵を前方に睨み、小隊の先頭で声を張り上げた。
「盾!」
小隊が東方向に向かって半円を描くように変化し、それぞれの盾を翳す。五人が前に出て盾を翳し、その後ろに五人が隠れる。
敵の矢が飛来した。
盾が悲鳴をあげる。
直後、盾と盾の間隔が少し広がり、その隙間から弩が前方に向けて発射された。
異民族前衛は、矢の援護で突撃したが、反撃の斉射を浴びて最前列が後方へと吹っ飛ぶように倒れていく。
小隊の半円が解かれ、それぞれが手にもつ武器を煌めかせる。
グラミア軍では、これが同時に、多数、行われた。
なめらかな組織運動は、錬度の高さが見てとれる。
マキシマム隊は、弩に斉射を浴びて崩れた敵前衛に突っ込んだ。
「うぉおおおお!」
マキシマムが腹の底から叫んだのは、戦闘の恐怖や迷いを払う為だ。彼は長剣を一閃し、異民族兵の右腕を斬り飛ばした。赤い液体が切断面から噴き出し、斬られた兵は絶叫をあげるが、声が飛び出すよりも早くマキシマムの斬撃で頭部を上下に切断された。
彼は倒した敵を蹴り飛ばし、その背後から現れた敵へと雷撃を見舞う。異民族兵が魔法に当たった瞬間に弾け飛び、痙攣しながら地面を転がった。
マキシマムを狙った斬撃。
ルナイスが、長剣で弾き返す。彼はそのまま弟子を狙った敵を屠ると、異民族前衛の後方を一瞬だけ睨み、剣を投げる。
異民族の弓兵が、矢を放つ瞬間にルナイスの剣で頭蓋を割られた。
ルナイスは腰の短剣を抜き、目の前の敵に体当たりをした。ほぼ同時に、敵の鎖帷子の連結部分を狙った突きで倒し、相手の武器を奪う。
二人が進むことで、兵達の為に空間が生まれる。
ガレスが欠けた盾を敵に投げつけ、仲間を狙った敵兵へと渾身の一撃を見舞った。彼の長剣は、敵の肩から胸に至り、その生命を奪う。だが、深くまで到達した剣が抜けず、彼がひやりとする。
パイェが、ガレスの隣に並び守ると、進むマキシマムの背を見て怒鳴った。
「隊長に遅れるなよ!」
「おお!」
ガレスが叫び返す。そして、マキシマム隊の兵士達も懸命に進む。途中、敵の矢で倒れた者がいたが、すぐに立ち上がり、自らの首に刺さった矢を引き抜くと血塗れとなりながら敵軍中に突っ込んだ。その無茶が異民族を恐れさせ、時間と空間の空白を生じさせた。
ルナイスが突っ込み、盾を敵の顔面に打ちつける。その所作で流れた重心に逆らわない彼は、横回転をしながら長剣を一閃し敵を倒すと、また盾で敵の身体を押す。
体勢が崩れた敵に、兵士が突っかかる。
グラミア軍の攻勢は、連合軍右翼の優位を確定させた。ここで異民族が、グラミア軍を吊り出す目的であったなら危なかっただろう。
異民族軍は、グラミア軍の大攻勢に全く対応しなかった。それは、戦いの渦中にいるルナイスが、マキシマムに進言するほどおかしな状況であった。
「マキ! 敵の様子がおかしい。あまりにも一方的だ。何かあるぞ」
「でも! 命令は前進ですよ!」
マキシマムは怒鳴り返したと同時に長剣を斬り上げた。
まだ若い異民族兵が、胴と胸から血を溢れさせて倒れる。
小隊の真ん中に陣取り、敵からの魔法攻撃を一人で防ぎ続けるベルベットは、マキシマムの戦いぶりを眺めながら、彼には数学の才能はないが戦う才には恵まれていると感じた。皮肉なもので、本人が望む分野ではなく、そうではない能力に秀でているのである。
苦笑しつつ進む彼女は、グラミア軍全体に及ぶ結界魔法をさらに強化させた。
じつは、この会戦の序盤、グラミア軍が優勢になった理由はベルベットである。彼女が一人で、連合軍右翼全体、つまりグラミア軍を結界魔法で守っているから、他の魔導士は攻撃に専念することができた。これが魔導士の戦力差となり、異民族側は予測を超える圧力を前に思考停止となっていたのである。
しかし、彼女と同等と言われる岳飛虎崇が何もしていない状況で、優位に喜ぶのは愚かであろう。
実際、彼は異民族軍後方で、その時を待っていたのだから。
-Maximum in the Ragnarok-
「強いな」
岳飛虎崇は黒衣を揺すって立ちあがると、異民族達を一方的に押す敵右翼、グラミア軍を眺める。兵士個々の強さというより、組織で戦うことに慣れているのだという印象を受けた。
彼の傍らに控えていた半裸の女が口を開く。
「ハジメから兵をダセバよかったのではナイか?」
聞く者に不快感を与える音と表現すべき声の女は、半裸であるから不気味な身体が露わであった。死人のように白い身体には、黒い血管が浮かび上がっていて、それは全体に及んでいる。美しい顔立ちであったはずだが、濁った目は焦点がどこに定まっているのか不明である。黒い髪はボサボサで痛み放題という有り様である。
「馬鹿め……お前達が先の大戦で負けたのは、強さを過信したからだ。たしかに我が兵は強いが、その強さを発揮できる状況を作ってやることが肝要だ」
「シカシ、負けてイルゾ」
「戦闘とは、終わった時に勝っておればいいのだ」
岳飛虎崇は控える伝令に視線を転じる。伝令は、脅えたような表情である。
「全軍に後退を命じよ。敵を引きずり込む」
「は……はい」
伝令が、この場から離れることができると嬉々として立ち去る。
しばらくして、角笛が異民族軍に響き渡る。その時間差に岳飛虎崇は舌打ちした。
「寄せ集めでは遅いのは仕方ないが……次からはちと考えねばならぬ」
彼は女を見て、続ける。
「俺を信用するならば、全体の指揮権を与えろ。勝ってやるゆえ、口を出すな」
「ソレハ、ワタシが決めることデハナイ。主様がオキメになる」
「では、主に俺から言おう」
岳飛虎崇は言った時にはすでに身を翻し、歩き出していた。
-Maximum in the Ragnarok-
ガーザ平野の戦闘は、開始から二刻を経過して連合軍の圧倒となっていた。右翼の前進に続き、中央と左翼のヴェルナ王国軍も敵を押し、大きく敵側面へと張り出す右翼を掩護すべく、半包囲の陣形へと移っている。
マキシマムは戦い続けていたが、ここでようやく交代命令を受けて後方へと移動する。グラミア軍は戦力の維持を図る為、前衛と中衛を入れ替えていたのである。
軍後方で軽食を取るマキシマムは、全く腹が減っていないと思いつつ、一気に襲い掛かってきた疲労感に驚いていた。戦闘中は興奮で感じていなかった疲労は、だが確実に肉体に蓄積されていたのだと感じる。例えばあのまま戦い続ければ、危なかったと思う。剣のひと振りが遅れ、動きに鈍さが出て、どこかでやられていたのではと冷や汗が背を流れた。
「よくできている」
ルナイスに声をかけられ、マキシマムは苦笑した。
「そうですか?」
「俺の教えがいいからな」
「でしょうね」
「ただ、癖が直っていない。陽動の時に気持ちが入っていない。手練れ相手だとバレるぞ」
「……ありがとうございます」
マキシマムはルナイスの全身を眺める。
敵の返り血で真っ赤な男は、「何だ?」という表情を作った。
「ずっと、こんな戦いを師匠や、師匠と同じような世代の人はしていたのです?」
「そうだ……な。いや、あの時は、今よりももっと厳しい。グラミアは滅んでしまうかと思うほどの危機だった……が、当時は意外と悲壮感はなかったよ」
「何でです?」
「あの人がいた……いつも、俺達と同じ戦場で……戦えないのに頑張って……俺達を勝たせてくれる作戦を考え続けていた。夜も一人、幕舎の中で次の戦に考えを巡らせていた……」
マキシマムは、ルナイスがいうあの人とは、リュゼ公爵ナルのことだとわかった。父親と同じ名前をもつリュゼ公爵は、父親とは真逆の人物であると息子ながらに思ってしまう。
リュゼ公爵は、大国相手に戦い続けるグラミア王イシュリーンの王女時代にグラミアに現れ、彼女に仕えた。まさに、救世主のような現れ方であったことから、主神がイシュリーンの為に遣わしたと噂され、今ではそれが事実となっている。吟遊詩人たちは彼の詩を謳い、彼を主役にした演劇はグラミアだけでなく、大陸西方では人気であった。
ルナイスは、過去を思い出すような表情で続ける。
「……だから俺達も、苦戦であっても懸命だった。国を守る、仲間の為に……そして、あの人の為にっていう気持ちがあった。マキシマム、だから俺は、上に立つ者は、下の者にそういう気持ちをもたせることができる人でなければならないと思う。お前も隊長なんだ。立場だけで人に指図するような人にはなるなよ」
「お説教……ありがとうございます……」
げんなりとしたマキシマムを見て、ルナイスが苦笑する。その時、パイェが慌てた様子で二人に駆け寄る。
「隊長! 副長! 戦闘復帰の指示です! 伝令が! 慌てて駆けまわっています!」
「わかった!」
マキシマムが杯に残っていた水を一気に飲み干し、部隊が待つ方向へと駆ける。その後ろにルナイスが続いた。
二人は進むなかで、あちこちで伝令があげる声が聞こえてくる。
「前線に復帰! 前線に復帰! 前衛味方苦戦! 背後に敵新手多数! 迎撃に出るぞ!」
マキシマムは、優勢であった戦闘が苦戦に急転したのだと表情を引き締めた。
-Maximum in the Ragnarok-
連合軍右翼のグラミア軍を指揮するフェキルは、次々と齎される情報に焦った。
異民族軍を包囲するような軍運動をしていたグラミア軍は、その背後、戦場の南方向から現れた敵新手の攻撃を受けて前衛は混乱状態に陥ったのだ。さらに新手は、人間ではない化け物の集団であるとも報告を受けている。
迎撃に移ろうにも、序盤の攻勢を担当していた部隊は休ませていたし、交代させた部隊は異民族軍への攻撃に集中していたこともあり、完全に受け身となってしまった。
「敵! 数は不明! しかし一〇〇〇は超えます!」
伝令の叫びに、前線で起こった爆発音が重なる。轟音の後、遠くであがる絶叫に遅れて、不気味な咆哮の連なりがフェキルの耳にも聞こえてきた。
「全軍を出せ! 俺達が後退すれば、ヴェルナの軍が敵に晒される。しばらく耐えろ!」
フェキルは怒鳴り声で命じ、すぐに次の命令を出す。
「ヴェルナに伝令! 異民族に新手。戦場の南。人間ではない化け物一〇〇〇以上」
伝令が戸惑いながらも離れて行く。
フェキルは剣を握り、控える幕僚達にも命じる。
「騎兵で出る。味方を助ける。俺と共に出る者は?」
フェキルの問いに、幕僚全員が手をあげ、皆が一斉に歩きだす。彼らの進む前方では、騎兵連隊二五〇が待機しており、馬達はいつでも出撃できるよう整えられていた。従者達が騎手に武器を渡す。また、馬の鐙に替えの武器を装着していく。
グラミア軍の騎兵は、軽装騎兵である。一頭の馬に鐙を装着して乗るが、鐙は武器を装着できる仕様で、長剣二本、短剣一本が用意されている。主装備は槍で、それは騎手が右手に持つ。左腕には盾が革帯で固定されて、手で手綱を操る。しかしグラミア騎兵の馬は、騎手の脚の締め付けや掛け声で、その通りに動くよう訓練されていた。軍馬になれなかった馬は民間に払い下げされるのである。
選りすぐりの馬にまたがる二五〇人のグラミア人は、青地に黄の点が六つ、円形に並ぶ模様のグラミア軍旗を掲げる指揮官の後方に並ぶ。
伝令が次々と続報を運んでくる。
「敵! 味方前衛を突破! 中衛が攻勢にさらされています!」
「味方後衛が中衛に合流! しかし苦戦!」
フェキルは短く祈る。
「主神、我に知恵と勇気を……美神の娘の為に戦う我に力を」
彼はゆるやかに前進する。
その後ろに整列していた騎兵が、指揮官に続いた。
グラミア軍騎兵連隊は、味方中衛を視界に認めた直後、一気に加速する。砂埃と雄叫びをあげた彼らの突撃に、戦うグラミア軍兵が歓声をあげる。
フェキルは叫んだ。
「突撃! 美神の娘を勝たせろ!」




