旧知の者同士
クテシファー。
ペルシア王国の都として長く栄えた都市は、ペルシア領内ほぼ中央に位置する城塞に囲まれた大都市である。都市単独の人口は二〇万人を超えていて、周辺の集落や農園など、都市を構成する都市圏全体では三〇万人に届こうかという規模であった。
この都市の中心には巨大な王宮があり、ペルシア王国の王がいた。しかし戦死し、五人の王子たちがそれぞれ軍を率いて各地に散り抵抗を続けている。
住民達は異民族の無法者どもめと憤りながらも、慣れない立場――侵略に遭う側としてはうろつく敵兵達の目を盗み陰口を叩くことしかできない。男の多くは戦いにかりだされて、老人や女、子供ばかりでは無理からぬことだろう。
そのクテシファーに、テムジィは入った。
王宮は異民族による略奪で荒れ果てており、望んで入りたい場所ではなかったが、フン族に取られた人質たちが集められているのではあれば仕方がない。
この王宮で、テムジィを待つ男がいた。
スブタィという男で、テムジィの父と盟友だった有力者である。彼は狩りも戦も巧みで並ぶ者はいないと評判であったが、フン族の中で異質なのは、それを誇らず、過去の友情を今も大事にしていることだろう。
「若」
スブタィに見つけられたテムジィは、妻がいるはずの人質たちが集まっている居住区へと向かいながら視線で応じる。
歩みを止めないテムジィに、スブタィは声を張り上げた。
「若! 奥方はおりません」
テムジィは立ち止まる。
「いない?」
「フン族によって移動させられて……」
「……スブタィ」
テムジィは穏やかな声であるが、表情は冷めきっており危険であった。それを見せられるスブタィは、喉を鳴らしただひかえる。しかし、あまりにもテムジィには続く言葉がなく、無言が長いものだから、おずおずと口を開いた。
「……もうおられません」
「わかっている……」
テムジィは己の愚かさにつくづく嫌気がして言葉を見出せなかったのだ。
これまで、彼は幾度も苦難を強いられた。父を亡くしてから、母と兄弟たちの為に懸命に生きる中で、ベスク氏族の者達との出会いを得られたが、彼の成長とともに彼へと向けられるフン族主流派の厳しい目は強く育つばかりであった。そのような彼が、フン族が伝えてきたことを鵜呑みにしてしまったのは、ただ妻の身を案じた末の、希望にすがるものであろう。ゆえにその浅はかが、今の彼に疲労と怒りを覚えさせているわけだ。
ただ、フン族にも言い分がある。正確には、フン族主流派であるが、彼らにしてみれば、テムジィの父の名は偉大すぎるのである。フン族の大王アッカラが彼を恐れて遠ざけ始めたのは、アッカラが愚かだったのではなく、ありきたりの才能をもっていたがゆえに、才溢れる者への恐れを抱いたからだ。
そんな父の後を継ぐテムジィを、生かさず殺さずの体に処したいフン族は、彼の弱点である妻がいる都市を、彼に任せるはずがない。
テムジィは苦し気に声を吐く。
「俺はクテシファーの防衛を任された」
スブタィは一礼し、協力すると申し出ると続ける。
「若、さすれば外で戦いましょう」
スブタィの説明はこうである。
フン族を主力とする味方は、防衛が苦手であるが、クテシファーの籠城はもっと意味が違う。というのも、クテシファーは異民族による略奪で、いわゆる暴力による支配で現在の歪な落ち着きがあり、仮に都市の外に異民族を討伐しようと軍勢が寄せてくると、都市の住民が騒がしくなるだろう。皆殺しにするには数が多く、時間も物資も無駄になる。また、籠ったところで援軍がいつ到着するかわからない状況だ。
「スブタィ、兵力は?」
「グラミアの者達が派兵したと聞き、俺の手勢は各地から呼び集めています。ジェーベも同じく軍勢を集めておりますので、伝令を遣わし呼びましょう」
「お前も、ジェーベも、俺に協力したことを長老たちに知られたらよくないのではないか?」
「……敵と遭遇した味方を助けたら、その味方が若であられた……問題がありますか?」
「わかった。それでいこう」
テムジィは言い、それから、と続ける。
「グラミアの本国に調略を進める」
「本国に? 岳飛虎崇卿の役割では?」
「オルビアンだ」
テムジィは歩きだし、スブタィは後に続く。
青年が説明する。
「グラミアの奴らがペルシアで戦えるのは、オルビアンが健在だからだ。一方で、ここで問題が起きるとペルシア内のグラミア軍は割れる。オルビアンに、オルタビウスに叛意ありと広めろ。それはオルビアン市民の指示を得るように……オルタビウスは、ペルシアで我々と戦っているようで実はグラミアからの独立に必要な軍の拡大と、グラミアの資金を吐きださせる二兎を追う目的で此度の遠征を決め、実行していると。オルビアン市民はもともとグラミア支配に納得はしていないと聞く。これで、事が起きなくとも騒がしくなり、遠征軍はガタつくだろう」
「直ちに……宋人に紛れ込ませている手の者を使います」
-Maximum in the Ragnarok-
ペルシアで戦うグラミア王国軍オルビアン軍団は、ケブゼからメルシーヌまでの兵站を維持する連隊群と、アグメメフィティと戦う連隊とに大きく別れるが、後者の規模はすでに五〇〇〇を超えており、これはペルシア人達がせっせと駆け付けてくるからである。
オルタビウスは全て受け入れる。
彼には、二つの計算がある。
ペルシア人達がグラミアと共に戦うことで、双方が今後、意思疎通を図りやすくなるように。
必ず訪れるマキシマムの台頭に、ペルシア人が協力するように。
オルタビウスは、流れるような部隊同士の動きが成す戦場の光景を前に、自らの狙いがうまくいっていることを確信する。
アグメメフィティの大規模偵察部隊を発見したオルビアン連隊は、騎兵の追撃により敵の退路を牽制し、その動きを制限すると、矢と魔法で敵を翻弄した後、接近した歩兵部隊群の攻撃でいとも容易く敵を倒そうとしている。
戦場に溢れる絶叫は全て侵略者たちで、オルタビウスは隣のサクラに冗談を言う余裕があった。
「サクラ、マキシマムはお前の助けなど不要なほど強いな」
「はい……ですが、どんなに強くとも、無防備な時はあります。その時こそ、わたしがお守りします」
サクラの声に、オルタビウスは微笑む。
この時、伝令が飛び込んできた。
「敵! 新手です。クテシファー方面から騎兵一〇〇〇、他、周辺にも部隊の痕跡を発見しました。ボルジア家の者が追跡中!」
「よし、当たろう」
オルタビウスは戦闘終了の角笛を鳴らすように命じた。
敵の生き残りは、ほうほうの体で逃亡するか、降伏し捕虜になるかの二択しか取り得ない。
平原のただ中で、オルタビウスは全軍に休息を命じると、戦闘をきりあげて還ってきた指揮官達を迎える。
最後に現れたマキシマムは、髪から甲冑から血塗れで、それは敵兵のものであった。
ギュネイが水の入った桶を寄越せと兵に言い、マキシマムの頭から水をかけると、彼の足元には赤く濁った水溜りが生まれた。
マキシマムは、オルタビウスの説明を聞きながら、人を殺すことで自らの評価が高まることに瞼を閉じた。
オルビアン連隊は、一刻の休みの後に再発し敵と当たることになり、指揮官達が散開する。
いつもならばオルタビウスの傍らに控えるマキシマムだったが、この時は離れた。
それに気付いたオルタビウスだが、子供ではないのだからと放置する。
マキシマムはパイェとガレスを呼ぶと、三人で食事を囲んだ。固いパンをシチューにひたして食べる彼らは、いつ以来かと話し合い、冗談を交わす。ここに、サクラが近づき、ガレスの目にとまる。
「お! 俺達の隊長を男にした美人だ」
ガレスの言う意味を理解するマキシマムは赤面し、違うと抗う。
「馬鹿! 彼女は違う」
「お? では誰です?」
「……」
「ガレス、隊長はもう隊長じゃないぞ。マキシマム様と呼ぶんだ」
パイェの忠告に、ガレスは「ああ、そうだった」と曖昧な返事をして、マキシマムの隣にストンと座るサクラに問う。
「隊長は早かったでしょ?」
「違うって!」
マキシマムの大きな声に、周囲の兵達から視線が集まる。だがマキシマム達が笑っているのを彼らはみると、自然と注意を逸らした。
「君も食べるか?」
パイェがサクラに食事を勧めるが、彼女は頭を払う。
彼は、彼女が食事をとっているところを見たことがなく、いつ食べているのだろうかと首を傾げ、同時に、飲み物すら口にしていないかもと記憶を辿る。
「パイェ、そろそろグラミアの籍を取れるんじゃないか?」
マキシマムの問いに、思考を中断したパイェは頷くも、軍からは離れないことを口にした。
「貴方が危なっかしいから」
「俺のせいか?」
「そうです。そちらこそ、大学の学費、そろそろもらえるのでは?」
マキシマムはシチューを匙で掻き回し、躊躇った後に言う。
「大学には行かない」
ガレスが、おや? という目でマキシマムを見た。
マキシマムは続ける。
「俺はオルタビウス殿の近くで学ぶことを選んだ。将来、どうしたいかなんて今はまだわからない。あれだけ行きたいと思っていた大学も、今はそうでもないから……ただ、ひとつ決めていることがあるんだ」
「なんです?」
パイェの口調は、弟に尋ねるようなもので、マキシマムは心地よかった。
「うん……誰かの為に、始める者になろうと思う」
「難しい」
ガレスが茶化し、だが真面目な顔のマキシマムをみて気まずくなると、誤魔化すように口を開く。
「もう始まってますよ、戦争」
「戦争じゃない……オルタビウス殿を見ていて……彼はオルビアンで難民達の為に行動した。始めたんだ……誰も何もせず、ああだこうだと言い合うだけだったなか、彼は始めた。俺は素直に、すごいと思う」
「あの爺さんは……」
ガレスは言い、マキシマムに「口が悪いな」と笑われながらも続ける。
「……執政官をしていた爺さんですから……あのオルビアンで、四人しかいなかった執政官です。そりゃ並じゃないでしょう。隊ちょ……マキシマム様――」
「様はやめてくれ」
マキシマムに言われ、ガレスは苦笑しつつ訂正する。
「隊長があの爺さんの近くにいるってことは、いいことだと思いますよ。大学で勉強するのも大事でしょうけど、大学はいつでも入れるんでしょ?」
「三〇歳までならね」
「俺……入れないんか……」
ガレスの嘆きに、パイェが意地悪な笑みを浮かべて口を挟む。
「あんたは年齢以前の問題だ。頭が足りない」
三人が同時に笑い、それを見て、サクラがガレスに尋ねる。
「何がおもしろいのですか?」
「……本気で?」
「わかりません」
ガレスがマキシマムを見る。彼とすれば、説明するのは情けないのだ。
マキシマムが微笑み、サクラに言った。
「つまり、ガレスは勉強が苦手なんだよ」
「……? 苦手であっても、努力すればいいのではありませんか?」
「……」
マキシマムの沈黙に、ガレスもパイェも倣う。
三人は、自分達が冗談で笑っていたのだが、それをなんだか咎められた気がして恥ずかしいのだ。
サクラはニッコリとして、ガレスに告げた。
「ガレス殿、大学にお入りになりたいのであれば、わたしが勉強をみましょう」
ガレスは目を丸くし、次にほくそ笑んだ。
「お願いします……できれば、いろいろと教えてもらいながら、教えてあげます」
「学問だけ教われ」
マキシマムの注意に、ガレスは唇を動かし「チュチュチュ」と音を立ててふざける。
サクラがそれを真似した。
「チュチュチュ……これは、どういう意味ですか?」
三人は笑い、サクラが首を傾げる。
楽し気な彼らを、周囲のペルシア人達が見た。
「雷帝は、戦いでは勇敢なのにああも無防備に部下と付き合うのか」
「なかなかできることではない。腹を割って部下と向かい合うことができない者にはとれない態度だ」
「ちょっと、加わってこよう」
一人が立ち、シチューの入った皿を持って四人へと近づく。
「俺も……」
二人めのペルシア人が続き、三人め、四人めと増え、再発の頃には中隊規模の集団が、マキシマムを中心に騒いでいた。




