再奪還
「モスカのリーグ川の北側……奴ら、向かう方向を当初から変えたのだな」
ベルベットが地図を眺めながら言い、斥候役を務めていたルナイスがうなずく。彼らは合流後、簡単な打ち合わせをしていた。突入部隊選抜はとっくに終わっており、ベルベットとルナイスを中心に五〇人が城へと入る予定で、他は彼らの合図と同時に二次攻撃をかける算段である。
一気にきめるというルナイスの案に、ベルベットが賛成したからだった。
ルナイスが口を開く。
「おそらく……初めはヴェルナ王国の東方へと姫君を運び出す算段だったのでしょう。ですが我々に邪魔されて、この城に移すことを決めたのでしょうが……どうしてこの城なのか?」
彼は、モスカの古城は城壁がところどころ崩れていて使いものにならないことをその目で確かめている。規模も大きいものではなく、さらに地下には古龍がいると彼も知っているから、自分であればこのような場所を拠点には選ばないと結論づけている。
「ただ……やけに静かだ」
ルナイスが言う。
彼は、敵が間違いなくモスカに入ったのを見たのだが、少なくない軍勢が入場したにしては、火を使う様子もなければ人が内部で動いている気配も感じない。
「とにかく、入ってみればわかる。どちらにしても、ここで時間を浪費するのはよくない」
ベルベットが地図から視線を転じて、伝令に頷いて見せた。
士官達が集められる。
その中に、マキシマムもいた。
「これより突入部隊はわたしとルナイスの指示に従い城に入る。他は合図を待て」
「姫君が危険ではありませんか?」
ある士官の意見に、ルナイスが「心配ない」と答え、続ける。
「奴らにとって姫君は失ってはならない対象だ。我々が突入した際、奴らの取る行動は姫君を連れて逃げることだが……モスカの城門は北と南。ベルどのが北から。俺が南から入る。となれば、懸命に守ろうとするだろう」
「本当にそうでしょうか?」
「仮に殺されてしまうなら、とっくにそういう場面はあった。ここはそう割り切るしかない。包囲戦をする時間は今はない。連れ去られてから三日が経っている」
異論はあがらなくなった。
士官達がそれぞれの部隊へと向かおうとした時、一人の斥候が慌ただしく彼らのもとへと駆け寄って来る。
よくない予感で、ベルベットは目を見開いた。
「報告! 敵、移動します」
「……! 出て来たところを叩く! ベルどの!」
「承知した。ルナイス殿、指揮を。わたしは皆を魔法で守る」
戦歴豊かなルナイスの即決に、ベルベットはすぐに同意した。彼女は戦闘の指揮に関して、彼には全く及ばないと承知しているからだ。個人の力量と、戦闘の指揮は別物だという分別が彼女にはあり、グラミア王国にあって上から数えたほうが早い経験をもつルナイスを頼ったのである。
ルナイスは彼女の思考などわかるはずもないが、任せると言われて断るつもりなどなかった。
「すぐに移動だ。地図を見ろ」
散らばっていた士官達が、卓上の地図へと集まる。
マキシマムも彼らに混じり、ルナイスの指示を聞く。
彼の部隊は、城から東へと向かう敵の中列に横撃を加える役目を負った。
-Maximum in the Ragnarok-
マキシマム隊からベルベットとルナイスが離れた現在、隊長であるマキシマムを含めて人数は九人だった。二人の欠員は、ルナイスの指揮で姫君をさらった敵を追う過程での戦死である。戦闘をするつもりがなかった彼らであるが、敵も後方に斥候を放っていて、遭遇した結果、いやでも戦うしかなかったのだ。
小隊付き魔導士のパイェは、フェルド諸島出身の若者で二十五歳だ。黒髪に茶の瞳、長身で迫力ある体躯だが戦闘はそこそこである。彼はグラミアの永住権を欲しており、軍役につくこと五年で取得できることから軍に入った。現在は三年目だ。
その彼の隣はガレスで、三十半ばの小柄な男であるが軍に入って十年になる。若いころはゴロツキといって差し支えなかく、捕まり罰せられ牢獄送りになるところを、軍に入ることで猶予を得ていた。当然、問題を起こせば問答無用で牢獄に送られることになる。
ガレスが頬で伸びた髭を撫でながら、すぐ後ろのマキシマムに言う。
「……異民族ばかりですな」
「君らは例の化け物を見たか?」
「見ましたよ。アレンとシレーズが殺られるところも」
パイェの返答にマキシマムは沈痛な表情となった。
「隊長、いちいち悲しんでたら仕事にならんですよ」
「ガレスはそう言うけど、僕にとって初めての隊なんだ……」
「……隊長、戦いがおきて、全員が全員、無事に帰還できるなんてありゃしませんよ。俺、十年もやってるんで知っるんで」
「それでも、やっぱり皆で終えたいじゃないか」
「隊長、いいとこ出ですね? 言うことが立派すぎる」
ガレスの苦笑に、マキシマムは腹もたたない。
パイェが同僚を視線で諌め、弟と同年齢のマキシマムの為に口を開く。
「隊長、理想は大事です。でも、誰かが死にます。それが戦いですよ」
「……うん」
「それが自分や仲間じゃないように、懸命に戦うでいいじゃないです?」
「そう……諦めるしかないか……」
「もっと言えば、俺らがここで戦っているから、本国の家族や知り合いはのんびりとできているわけでしょ? 誰かがやらなきゃいけないことなんでしょうねぇ……仕方なくやってますけど」
「永住権、取れるといいね」
「あと、二年と少しで……なんとか生き延びますよ……あ、通過します」
彼らが隠れている場所は、城から東へと伸びる山道を見下ろせる高みである。木々と茂みの隙間から異民族の軍列を見ると、馬車がガタガタと進んでいるのが見えた。
マキシマムは、あの中にレディーンがいると信じて馬車を睨む。そして、開始の合図を今かいまかという心持りで待った。
彼は頬に雑草が触れることでチクチクとする感触も無視し、馬車を凝視する。その耳に、敵軍列後方、つまり西側から爆発音が届いた。地鳴りのような爆音は、火炎の魔法が敵にぶつかり爆発した音に間違いない。
「行くぞ!」
マキシマムが駆け出す。
小隊が、彼に続く。
-Maximum in the Ragnarok-
斜面を駆け下りる勢いをそのままに、グラミア人達が異民族の軍列横っ腹に突っ込む。
雄叫びをあげて、抜き放った長剣を煌めかせて、誰もが敵を倒すべく突進する。
マキシマムは先頭を走る。
右手の長剣で一人目の敵を撫で斬ると、勢いに任せて身体を横回転させる。そして空の左手は払う動きで魔法を発動させた。雷撃を至近距離でくらった敵が吹っ飛び、できた空間へと彼は加速し長剣を払った。
一呼吸で三人を斬り倒したマキシマムは、ガレスから見て先程と同一人物とは思えない。部下の死に心を痛める弱い隊長だった彼は今、圧倒的な強さで異民族を薙ぎ払っている。
マキシマムの奮闘が部下達を楽にした。
異民族は一瞬で形成不利を確定させられ、逃げ腰となる。それでは武器を持っていれども迫力なく、逃げ出す者が一人でれば、すぐに後に続けと散り始めた。
マキシマム隊で弩を持つ兵士三人が、逃げる敵に矢を放つ。人体を突き破るという威力を見せつけた弩によって、逃げた異民族は後ろを顧みる余裕を失う。
マキシマムは隣の隊に加勢した。馬車を確保したいという欲求を封じたのは、指揮官として立つ現在の自分を理解していたからだ。
悲鳴は異民族側からばかり発生し、グラミア人達は奇襲攻撃を完全に成功させた。
戦いの中を伝令が駆ける。
「逃げる敵は追うな! 抵抗する者は斬れ!」
ルナイスの命令を走りながら叫ぶ彼は、迫った矢をかがむことで躱して駆けることをやめない。
グラミア側が逃げる敵に矢戦を仕掛ける。それと同時に、馬車や荷馬車の確保へと兵達が急いだ。
「こいつら、食料を運んでないぞ」
ガレスが荷馬車の荷を見て言いつつ、足元で呻いていた異民族にとどめを刺す。
戦闘は圧勝で終わった。
マキシマムは、馬車の扉を開いた。
レディーンが座席に横たわっている。彼女は寝かされていると、上下する胸でわかる。
「いたぞ! 姫君、確保!」
マキシマムは、鬱憤を晴らした清々とした表情で叫んだ。
-Maximum in the Ragnarok-
レディーンが目覚めた時、馬車に乗せられていると気付いた。何かおかしな味のする飲み物を飲まされた後の記憶がない彼女は、どこかに連れて行かれると不安を思い出していた。
化け物にさらわれ、城の地下室に閉じ込められ、そして移動を強いられた彼女は、熱を帯びた吐息とともに涙をこぼしていた。
だが、様子がどうも違った。
異民族達や化け物が発する耳障りな言語は聞こえない。
外からは、馴染みある言葉が聞こえてくる。
それがグラミア語だと気付いたのは、一瞬後のことだった。
彼女は、確かめたくて馬車の扉に手を伸ばす。だが、鍵が外からかかっていてガチャガチャと音がするばかりで開かなかった。
馬車が速度を落とし、停止した。
扉が開かれる。
レディーンは、あの時の女魔導士を見た。
ベルベット・シェスターである。
「姫様、お目覚めになられました?」
「あ……貴女は……」
「もう安心ですよ。熱がおありのようですから、横になっていてください」
「……わ! わたしは? わたしは助かったの?」
「はい。今、本軍と合流するべく移動しています。そこはオクトゥールなので、ご家族とも会えるでしょう」
オクトゥールは、ヴェルナ王国の都である。異民族の軍勢と戦うべく、グラミア軍二個師団はオクトゥールでヴェルナ王国軍と合流し、東進する予定なのだ。
レディーンはこぼれる涙を拭えない。
ベルベットが、姫君を労わるような表情をつくり、指でやさしく彼女の頬を撫でる。それで涙を拭われたレディーンは、ベルベットの後ろで、自分に優しい目を向けてくれる若者を見つける。
「マキシマム……」
レディーンが若者の名を口にしたが、相手はすぐに視線を逸らした。そして、離れて行く。
「マキシマム殿」
レディーンは、今の彼女にできる精一杯の声量を出した。
マキシマムが立ち止まる。
振り返る彼に、馬車から飛び出したレディーンがすがりついた。
「よかった……無事でしたのね? よかった」
「貴女こそ、ご無事でよかったです。あの時、お守りできず申し訳ありませんでした」
「マキシマム……よかった……」
安堵と喜びで涙を溢れさせるレディーンは、戸惑うマキシマムを無視して彼を抱きしめている。そんな彼女を、ベルベットがそっと抱くようにしてマキシマムから引き剥がす。
「馬車へ……お体にさわります」
ベルベットがレディーンを馬車へと導くが、姫君は何度も振り返りマキシマムを見たがった。その彼女の目はとても可愛らしい輝きを発していたから、ベルベットはマキシマムに意味ありげな視線を送りつつ姫君を馬車に乗せてやった。
扉を閉めたベルベットに、マキシマムは視線の意味を尋ねる。
「……何です?」
「惚れられたな……」
「……違いますよ」
ベルベットはマキシマムへと近づき、相手のおでこを指で弾いた。
マキシマムの部下達が、痛がるマキシマムを見て苦笑を連ねる。
大変な苦労の後に訪れる、良い意味での弛緩した空気であった。




