小隊長マキシマム
グラミア王国北東部の森林地帯では、隣国への援軍目的で集結したグラミア王国軍が青い幕舎を連ねて野営していた。
その一角で、兵士達が囁きあう。
「おい、新しい隊長、士官学校を出たばかりらしいぞ」
「本当か? 勘弁してほしいね……」
「いや、斥候のほうで一年ほど務めていたらしいから、まったくのおぼっちゃんというわけではないだろう」
「一緒だよ。士官学校を出て一年ていえば、まだ十七そこらだろ」
「十八だよ。計算できんのか?」
「うるせぇよ」
グラミア王国軍のヴェルナ方面軍に所属するこの兵士達は、第三師団第二連隊に所属する一個小隊である。
これまでの隊長が行軍中に不慮の事故により負傷したのが一昨日であった。そして一日の空白を経て新隊長がやって来るとなり、彼等は自分達の命を任せる相手がどんな人物かと噂している。
その相手が、自分達より十以上も若い青年と知れば、普通は不安を覚えるに違いない。
「新しい副長も二人、一緒に加わるそうだ」
「……上が総入れ替えか。ま、副長が経験者なら安心だ。おそらく、そういうことだろうな」
「そういうこと?」
「士官学校出の優秀なおぼっちゃんに経験を積ませたい偉いさん達としては、失敗をしてほしくない。経験豊かな副長を二人つけて、それでなんとかやってくれってことだろ?」
「おい……静かに。多分、あれだ」
一人の兵士が同僚達を諌めた時、彼等は視線の先にその三人を見ていた。
背の低い青年は左右に、長身の男と女を従えている。兵士達は真ん中の青年こそ隊長であるとすぐにわかった。それで彼等はぞろぞろと整列を始める。
「気をつけ!」
長身の男が怒鳴る。落雷かと疑うほどの大音声は、それだけで戦歴豊かな人物だと兵士に伝えていた。ピリっとした空気が張り詰めたが、女の声が彼等を安堵させる。
「緊張しないでほしい。これまで通り、うまくやればいい」
赤い長髪に赤い瞳が、彼女の美しい顔立ちを一際目立たせる。
「彼が隊長だ。マキシマム・ラベッシ隊長」
女に紹介された真ん中の背の低い青年が、兵士達に微笑む。黒と銀の混じり合った髪は不思議な艶美を放っており、白い肌に形のよい目鼻と口は少女のようにも見えるが、顎に少しだけ生やした髭が男性であることを主張していた。
「皆、よろしくお願いします。僕がマキシマムです。前任の隊長が復帰されるまで、しっかりと務めます。魔導士ですが、指揮に集中したいと思います」
マキシマムの挨拶に、兵士達は一斉に背筋を伸ばして敬礼をした。
「彼女は副長のベルベット・シェスター。魔導士です」
マキシマムの紹介で、女が兵士達に微笑む。
「彼はルナイス。副長は二人」
ルナイスと呼ばれた男は屈強で、見ただけで相当に強いとわかる。
兵士達が、どうしてこの二人を差し置いて若造が隊長なのかという疑問を無表情で隠すなか、マキシマムは咳払いをして女性副長に視線を転じた。
「では、僕達の任務を伝えます。せ……ベルベット」
一礼した美女が口を開く。
「はい……異民族の大軍がヴェルナ王国東部国境を突破し、さらに内部に侵入を果たした。彼等は一〇〇から一〇〇〇といったばらつきのある規模の集団に分散し、各地で略奪を働いている。わたし達が所属する第三師団はヴェルナ王国南部を担当する。わたし達マキシマム隊は、第二連隊遊撃中隊の一翼として、村々を警戒しつつ策敵する。以上」
-Maximum in the Ragnarok-
ユーロ大陸をおおまかに分ければ、東部、中央部、西部となる。西と東では人類が文明社会を築いて栄えているが、中央部は少数民族の勢力が乱立していた。この中に、フン族という民族があるが、過去に西方諸国へと侵略行為を行った際に敗北し、当時の首領は求心力を失った。しばらくはこれで西方諸国は異民族の侵攻にさらされることがないと思えたが、十年も時が過ぎれば、そうではなくなる。
フン族、いや、彼等を中心とした異民族群が東へ西へと圧力を増したのが一年前で、グラミア王国暦一三六年の夏現在では、圧力という表現では収まりがつかなくなってきている。大国であるグラミア王国が直接の被害に遭うには至っていないが、保護対象であるヴェルナ王国はこの危機に対抗できる力なく、グラミア人達は侵略ではなく支援という目的で彼の国との国境を越えた。
そしてその中に、マキシマムもいた。
彼はこの時、十八歳になったばかり。まだ、自分を待ち受ける歴史の渦が巨大であることを知る由もなかったのである。
-Maximum in the Ragnarok-
山々が力強い緑に溢れる季節は、北国であるヴェルナ王国にとって貴重である。作物の収穫量は、この時期の天候や情勢に左右されるからだが、その大事な期間、異民族に荒らされてはたまったものではない。しかし、跳ね返すだけの力はなかった。よって、盟主国であるグラミア王国の救援をあてにしたのである。
請われた側のグラミア王国としても、王国北部を接するヴェルナ王国に何かあっては大問題であった。過去に経験した大戦によって南に広げた国土の開発に集中したい彼等は、背後が脅かされるのは迷惑なのである。
こうしてグラミア王国軍一個師団三〇〇〇がヴェルナ王国に入っている。その第二連隊一〇〇〇の中、遊撃中隊一〇〇人に加わっているマキシマムは、瑠璃色の空を見上げながら嘆く。
「はぁ……大学の学費を出してもらいたいから士官学校経由を狙ったのに、本当に戦争を経験するなんて不運だ」
彼の声に、少し後ろに続くベルベットが笑った。二人は今、部隊をルナイスに任せて離れている。それは遊撃隊本隊から呼びつけられたからだ。
「マキ、それはお前の役職にふさわしくない発言だ」
「先生、でもそうなんですよ……」
「先生と呼ぶな。副長だぞ?」
彼女はマキシマムが士官学校に入るまで、彼の家庭教師で、学問と魔法を教えていた。
「皆の前では気をつけます」
「うん……ルナイスのことも、師匠なんて呼んでは駄目だぞ」
「わかっています」
もう一人の副長であるルナイスは、マキシマムが士官学校に入るまでの武術の先生であった。
「その言葉遣いも止めたほうがいい」
「……どうして、軍に入ったんです?」
「お前が所属していた第三師団がヴェルナに派遣されると知ってな。ルナイスを誘ったのだぁ」
「……そんなに心配ですか?」
「心配だ。マキは、おっちょこちょいだから……誰に似たのやら」
ベルベットは、マキシマムのことを昔から愛称のマキで呼んでいる。
「……でも、よく僕の副長に都合よくなれましたね? 小父さんに頼んだんです?」
「そうだ。ダリウスに頼んだ……」
「小父さんも迷惑したでしょうね……」
「マキの為だと言ったら、全く悩んでいなかったのだ」
「……ディシィが寂しがってますよ」
「マキのご両親がいるから……」
ディシィとは、ディステニィという女の子のことでベルベットの娘である。彼女は、マキシマムの実家に預けられていた。
歩く二人の前方に、遊撃隊本隊の野営地が見えてきた。
ヴェルナ王国南部は山岳地帯で深い森に覆われている。その中を師団よりも前に出て敵の動きを探りつつ村々を保護する遊撃中隊は、時に敵を攻撃することもある。
マキシマムとベルベットは、まさにその時だと中隊長から伝えられた。
「この先、五〇〇デールの山間部に異民族の別働隊が南南東方向へと移動していると報告があった。先回りして横撃を喰らわし離脱する。敵にグラミア軍が来たということを伝え、進行速度を遅らせたい」
中隊長のメニアムは中年の男で、目立つ容姿も実績もないが堅実な士官である。
「敵の動きを遅らせて、我々本隊の進出を図りたいのですね?」
マキシマムの問いに、中隊長は頷きを返す。
「他の小隊にも伝令を放った。お前とベルベットどのを呼んだのは、俺の本隊と行動を共にして欲しいからだ――」
メニアムは言うと、ベルベットに目配せをして続ける。
「――よろしいでしょうか?」
「メニアム殿、今は貴公が上官だ。魔導士が酔狂で軍働きをしているだけだ……」
「しかし、あの有名なベルベット・シェスターどのが……」
「あのベルベットだろうと、このベルベットだろうと、わたしはわたしだ。隊長、では本隊と合流するようルナイスに伝令を走らせ、わたし達はここで待ちましょうか」
副長の柔らかな笑みに、マキシマムは頷きつつ口を開く。
「せ……ベルベット、戦いになったらよろしく頼みます」
「……それは役職にふさわしくない発言なのだ」
副長に諌められる小隊長を見て、メニアムは苦笑していた。




