ブリング・ミー・ザ・ヘッド・オブ・メイズイーター
俺は死ぬほどツイッターを見ていた。
全世界ぶっちぎりトレンド一位となっている、#町田崩壊に関するツイートをひたすら辿っていた。
ギャオオオオオ! とかいう、かなりデカい動物の叫び声が聞こえた。
だが俺はツイッター見るのを止められなかった。
二万RTされているツイートに埋め込まれた動画を再生する。
空を飛ぶドラゴンが、109のてっぺんを火球で吹き飛ばしているところだった。
包丁で切れそうなぐらい分厚い煙と共にガレキが降り、信号をへし曲げてアスファルトに穴を開ける。
「うわうわうわうわ!」
撮影者の悲鳴。
ブレるカメラ。
駅前のペデストリアンデッキに、三メートルぐらいのワイバーンが着陸した。
「無理だろこんなん! 無理だって!」
「でけーよ! 冗談じゃねーよやべーよ!」
「どけ、おい、どけって!」
パニクった群衆が横浜駅に突っ込んでいく。
電車動いてるわけないだろこんな状況で。
Yahoo乗り換え案内を見る。
『横浜線はモンスターの影響で、町田~長津田駅の一部列車に遅れが出ています』
なんでモンスターの襲撃を冷静に報告してるんだよYahoo。
どんな鉄の心を持ったヤツが担当してるんだよここの文章。
運行情報にぶら下がったツイートは、
『また横浜線かよ! 会社行けねえ……』
『横浜線遅延? 横浜出ようと思ってたのに~』
『小田急動いてて草』
とか呑気。
町田は今、大量のモンスターに襲撃されて滅びつつあった。
理由は分からない、と言いたいところだけど、うっすら心当たりがあって嫌すぎる。
ギャオオオオ!
叫び声がうるさいし、さっきより近くなってる。
これ、ちょっとやばくないですかね。
バッカーン! と景気の良い音がした。
俺はiPadを抱えてテーブルの下に潜り込んだ。
椅子の脚の向こう側で、ふすまがこっち側にたわんだ。
次の瞬間、ずぼっとふすまに穴を開けてワイバーンが顔を突き出した。
メチャクチャ怖いし、メチャクチャ臭い。
なんだよこれ、なんでこんなことになってんだよ。
と、ワイバーンの目がぐるんと上を向き、頭がゴトっと落ちた。
切断面から血がビチャビチャこぼれた。
「え、ええ……?」
矢継ぎ早すぎる。
なんなのこれ本当に。
「ご主人! だいじょうぶですか!」
ふすまを蹴倒して飛び出してきたのは、S級冒険者パーティ【メイズイーター】のひとり。
桃髪ニンフのプリースト、アルセー・ナイデスだ。
「にゃっはっは、かくれてるかくれてるー」
次にやってきたのは、けも耳ざむらい、ルールー・ルーガルー。
机の下を覗き込んでニヤニヤしてる。
「はっはっは! まさか異世界を襲撃するとはね!」
高笑いは、金髪エルフのルーンナイト、イース・フェオーのものだろう。
「るふ…るふ…ぜんぶ、焼く…」
黒髪アラクネのメイジ、マイア・ミスランドが、物騒なことを言った。
「ええと……なんなの、これ」
机から這い出した俺は、勝手に冷蔵庫を開けてガサゴソするイースに声をかけた。
「実はボクたちにもよく分からないんだ。なぜかワイバーンと鉢合わせしてね」
イースは金麦のプルトップを押し開けた。
「ここだけじゃないんだけど」
俺はiPadで動画を見せた。
町田のあっちこっちに大量のモンスターが出現し、めっちゃくちゃに暴れている。
「おかしいですね。モンスターは、ミアズマの中では生きられないのに」
アルセーが口元に手を当てた。
「にゃんだろうねえ。でもまあ、ぜんぶ殺せばいっしょでしょ!」
「るふ…るふ…土地ごと…焼き尽くす…」
「やめて。俺の帰る場所を奪わないで」
「そうか!」
イースが名探偵の顔をした。
「ミアズマだよ! 思えばあの時からおかしかったんだ! 覚えているかい、第三層にグレイトドラゴンが出現したときのことさ」
「ええ、もちろんです。みなさん死にましたし……ああ!」
「にゃ! そうだよそうだよ!」
「…たしかに…」
「え、なになに待って待って。腹落ちしたなら共有しよう」
俺が口を開くと、メイズイーターの連中は全員『出たよ素人が』の顔をした。
「強大なモンスターほど、ミアズマに弱いんです。そして地上に近いほど、ミアズマは濃い。これが、迷宮の浅い層に強大なモンスターの棲息しない理由です。ご主人に分かりやすく説明しますと、幽遊白書のあれです」
「え? 強い妖怪ほどすり抜けられないヤツみたいな、あれ?」
「その通りです」
うそだろ、アルセーが本当に俺にも分かりやすく説明したぞ。
つまり多分、それほどヤバい事態ってことだ。
「ですから、第三層にグレイトドラゴンがいたこと自体、おかしかったんです。本来ならばミアズマで即死しているはずです」
「はー、なるほどね。で、それと今の町田に、なんの関係があんの?」
「それは……分かりませんけど」
「るふ…やぬし…」
iPadをいじっていたマイアが、一つの動画を再生した。
生配信だ。
観たことのないバーチャルユーチューバーだった。
一枚絵モデルのやつで、赤い髪にヤギっぽいツノが生えてる。
「るふ…魔王…マグロナ…?」
「違うだろ。似てるなーとは思ったけど」
『人類どもー! バーチャル冥界王のヴェルガシオンでーす! あ、ゆきまるこさんスパチャありがとうございます!』
誰だよ投げ銭したの。
『えー、今回はですね、朕の、その、朕のですね、実力をちょっとですね、人類どもに見せていこうかということでですね』
喋りが素人そのものですげえイライラする。
トーク力に自信がなかったらおとなしくゲーム配信でもしてろよ。
『朕、町田を滅ぼそうかと思います!』
チャットがどわーっと流れて、メチャクチャ投げ銭が入った。
なんだこれ、茶番だったら不謹慎すぎるだろ。
え、ていうかバーチャル冥界王ヴェルガシオン、チャンネル登録者数が六万ぐらいあるぞ。
ツイッターのフォロワーは一万だし、律儀に配信開始報告してる。
結構コツコツ活動してたんだなコイツ。
最近はちょっとVチューバー疲れみたいになって離れてたから知らなかったわ。
『えー、その前にですね。ちょっとそのですね、しゅ、障害があるんですね。朕の邪魔者、【メイズイーター】! 観てますか? おーい』
あ、これ茶番じゃないわ。
確実にこのバーチャルユーチューバーが主犯だわ。
「なにかね、こいつは君らの知り合いなのかね」
俺が問うと、みんな首を横に振った。
じゃあなんなんだよ、どういう経緯でこのニセ魔王マグロナはメイズイーターを目の敵にしてるんだよ。
イースがiPadをぽちぽちやった。
『わ! 観てますね! マイアー! 元気ー? 絶対にぶっ殺すから……あ、スパチャありがと!』
「えっマイアもしかして投げ銭した?」
「るふ…るふ…」
「すごいな、もうただただ感心するわ。ほんとすごいわ」
『えーとですねー。メイズイーターには朕、何度も煮え湯を飲まされててー』
バーチャル冥界王ヴェルガシオンが語りを続ける。
『イース・フェオー! あなたには一統の大幹部であるフィリスちゃんをぶっ殺されました! フィリスちゃんは一統のふっといふっといタニマチだったんですよ! 朕の活動が行き詰まるところでした!』
あ、聞いたことあるな。
園長先生だったっけ。
『マイア・ミスランド! あなたには、超巨大アルラウネを育成する計画を潰されました! あれがあれば秘密裏に侵略できたのに!』
お、これも聞いたことあるぞ。
アルラウネもちにしたなあ。
『アルセー・ナイデス! あなたもです! ミアズマの希釈とグール化の実験はあなたのカンフーで大失敗です! あれさえ上手くいけば、こっちの侵略なんか一瞬で終わったのに!』
あー、あったなー。
猫に薬飲ませるときの要領で解決したやつだ。
『そして、ルールー・ルーガルー! あなたには、あなたには……ええと、とくになにもされていません! でもそれが逆に据わりの悪さを感じさせます!』
「にゃっはっは! ごめんごめん、投げ銭するから許して」
『あ、スパチャありがとうございます!』
「だから、勝手にアカウント作って勝手に俺のクレカと紐付けて勝手に投げ銭するんじゃないよ」
「にゃっはっは!」
「猫アピール一本槍だね君」
バーチャル冥界王ヴェルガシオンはしばしコメントをイジった。
ヘタクソなりに視聴者への愛を感じるイジりだったのでちょっと好感を持った。
『とにかく! メイズイーターのせいで、朕の作戦は何度も軌道修正を迫られました。町田と迷宮をつなげてミアズマを希釈し、大量のモンスターによる飽和攻撃! 愚策です。愚策ですが、これもぜんぶメイズイーターのせい!』
知らんところで知らん内に悪の組織と立ち向かう形になってたのか、コイツら。
強いって大変だ。
大いなる力には大いなる面倒がつきまとうんだな。
『というわけでですね、えー、朕の、その……人類どもー! 今この町田に、メイズイーターがいますから! 見つけたら#う゛ぇるあーとで報告してください! ぶっ殺し次第、モンスターを引っこめます! 人類ども! メイズイーターの首を持ってこい! ってやつです!』
なんて現代的な攻め方をしてくるんだバーチャル冥界王ヴェルガシオン。
「どうすんのこれ」
俺はとりあえず聞いてみた。
「はっはっは! 決まっているだろう、勝つのさ! 帰ったら祝勝会だ!」
高笑いしたイースが、家を飛び出していった。
「え、えええ? イース! 待ってください、イース! ああーもう! ご主人ごめんなさい、お肉がいいです!」
慌ててアルセーが後を追う。
「にゃっはっは! いいねえ、低温調理のやつ! あとビール!」
ルールーはヘラヘラしながら、
「るふ…るふ…辛いの…すき…」
マイアはニヤニヤしながら、それぞれ外に出て行った。
ギャアアアア!
みたいな断末魔の悲鳴が聞こえた。
ゴオオオオ!
グワアアアアア!
アギャアアアア!
オゴオオオォォォォ……
次々に悲鳴が響き渡り、しかもそれがどんどん遠ざかっていく。
あ、なんかここまで血の臭いがしてきた。
家の前がどうなっているのか、余裕で想像できる。
一息ついた俺にできることは、ひとつ。
料理だけだった。
「どれ、低温でもやるかな。内臓なら時間短いし」
「こんにちは、サンマルイチ号さん」
開けっ放しの扉から、管理人さんが入ってきた。
いつものようにニコニコしている。
「ついに始まってしまったみたいねえ」
「え、こうなるって分かってたんですか?」
「冥界王ヴェルガシオン。かつてわたしが封印した悪鬼よ」
ええー、そう来ますか。
なんか信じられない勢いで風呂敷が畳まれていくな。
「竜と人の間に生まれた彼女は、世界を憎み……いえ、昔の話ね。忘れましょう」
管理人さんはキッチンに入ってきて、あちこちの扉を勝手に片っ端から開けていった。
そして、一本の包丁を取り出した。
「あ、それ……」
竜骨砕きの呪文がエンチャントされてるやつじゃん。
「折れたる剣、竜喰らいの刃を包丁に仕立て直したものよ。これがなければ、冥界王ヴェルガシオンにとどめを刺せない」
「なんで包丁に」
「便利だったでしょう?」
「おかげで助かりましたけど」
なんかう゛う゛う゛う゛う゛とか唸って怪しいとは思ったよ。
むしろ曰くがなかったらおかしいわ。
「これを、みんなに届けなくちゃ。さあ、行くわよサンマルイチ号さん」
「え、あ、はい」
俺たちは外に出た。
案の定、モンスターの死骸とか体液とかが川になって流れていた。
ビビったのかなんか知らんが、空をグルグル旋回するガーゴイルっぽいモンスターが、俺たちを発見して威嚇しながら降りてはこない。
「乗ってちょうだい」
管理人さんが、水色のラパンに乗り込んだ。
え、こんな近所のコストコ行くような軽で?
「あの、これ、なんか魔法のラパンとかなんすか?」
管理人さんは自信まんまんにエアコンのスイッチを入れた。
「ナノイー搭載よ」
「最高ですね」
管理人さんはアクセルを踏んだ。
タイヤが巻き込んだ砂利がじょりじょりっと鳴って、ラパンは国道51号線に乗り出した。
「あの、なんか来てるっぽいですけど」
サイドミラーに、国号を猛然と走ってくるケルベロスっぽい生き物が映っている。
三つの首からボタボタ垂れるヨダレが、アスファルトを溶かしている。
「サンマルイチ号さん、これを使って」
管理人さんはダッシュボードから銃を取り出し、こっちに放った。
「え、どうすれば」
「簡単よ」
俺の側のウインドウがぶいーんと下がっていった。
「トリガーを引けば相手は死ぬわ」
「話が早くて助かりますわ」
俺は身を乗り出し、銃口を車の後ろに向けてトリガーを引いた。
すると銃口から半透明のキマイラみたいなやつが飛び出し、ケルベロスに襲いかかった。
相争うケルベロスとキマイラがどんどん遠ざかっていく。
「え、これ……え?」
「当代最高の魔法銃技師、ラーズ・ニーソンの打った至高の一振り“レディ・フロム・リンヴァース”よ」
「また聞いたことある名前が出た」
アルセーと一緒に大聖堂でゾンビパニックかました人じゃん、ラーズ・ニーソン。
元気そうでなによりだ。
管理人さんはバックミラーにちらっと目をやり、
「さあ、ここからがはじまりよ」
アクセルを踏みしめた。
急加速で身体がシートに押しつけられる。
サイドミラーを確認。
「あー……」
サイっぽいけど、鼻先に四つの回転刃をくっつけた四足歩行のモンスター。
頭を低くしたソイツが、回転刃でアスファルトをバキバキ砕きながら突進してきた。
「なんスかね、あれ」
「イグブレパス。カトブレパスによく似ているけど、属のレベルで違うらしいわ」
俺は魔法銃のトリガーを引いた。
またもキマイラっぽいヤツが銃口から飛び出した。
キマイラっぽいやつはイグブレパスにとびかかっていき……回転刃に頭から吸い込まれ、ミンチの噴水と化した。
「管理人さん、だめっぽいです」
「劣化したとはいえ、さすが神代の生物ね」
「うわうわうわ、めっちゃ近づいてきてますけど」
管理人さんは境橋交差点で急ハンドルを切った。
SUVがクラクション連打で脇から飛び出してきてイグブレパスに激突、ぽーんと跳ね上がって縦回転すると地面に突き刺さって大爆発した。
ゴモオオオオオ!
イグブレパスが煙と炎を突き破った。
すごいな、傷一つないわ。
絶叫し、頭を低くしながらグイグイ接近してくるイグブレパス。
ゴヅっと車内に振動が響く。
イグブレパスの鼻先が、ラパンのテールランプに掠ったのだ。
管理人さんが強くアクセルを踏み込み、ラパンは境橋に差し掛かった。
イグブレパスが更に頭を低くした。
回転刃がアスファルトを凄まじい勢いで砕いた。
次の瞬間、ボコっとアスファルトが抜けた。
イグブレパスはアスファルトの割れ目に呑み込まれ、前脚で地面を引っ掻いた後、絶叫しながら落下していった。
境川に落下した巨体が、高々と水柱を上げる。
「うわうわうわ、めっちゃ崩れてる」
境橋が連鎖的に崩壊し、後続の車が次々に川に落ちていった。
右の後輪が崩壊につかまり、ラパンの車体が大きく揺れる。
「やば、やばい、やばいっすよ」
「我こそは大いなる森の魔女フリーケの盟約に応えし者! 勇者の血を飲んだ者! 東方の末裔!」
いきなり管理人さんが名乗りを上げはじめた。
そして室内用のもこもこスリッパを脱ぎ捨て、裸足でアクセルを踏みしめた。
急加速したラパンが道路に飛び出すのと橋が完全崩落するのは、全く同時だった。
「あー、なるほど……スリッパだったから力が入らなかったんすね」
「ええ。裸足はチクチクするけど、この際そんなことは言ってられないわ」
「緊急事態っすもんね」
転々と転がるモンスターの死体を目印に、水色のラパンは51号線をぶっとばした。
中央図書館前の交差点で左折して、町田の繁華街へ。
「……まずいわね」
オーガっぽいやつの死体が、道路を完全にふさいでいた。
「ここからは歩きになるわ。行きましょう、サンマルイチ号さん」
管理人さんに投げ渡されたのは、どう見てもアサルトライフルだった。
名前は聞かないことにした。
ラパンを乗り捨てた俺たちは、魔法銃を構えて死体だらけの繁華街を進んだ。
図書館も、おやつデルタも、ペデストリアンデッキも完全に崩壊し、ガレキの山と化していた。
商業ビルの屋上をぶっつぶして、木彫りの巨大な猫っぽいモンスターが香箱座りしていた。
「ぐるるるる……」
で、こっちを見下ろして唸った。
「あの、なんか、猫が」
管理人さんは無言でアサルトライフルの銃口を木彫り猫に向けた。
キシャアアア!
木彫り猫がビルから身を乗り出した。
ビルの外壁に爪を立て、ガリガリと壁を砕きながら滑り落ちてくる。
わかってたけどめちゃくちゃでかいな。
二十メートルぐらいあるんじゃないかこれ。
俺はアサルトライフルの引き金を引いた。
青っぽい光弾が矢継ぎ早に繰り出され、木彫り猫の体表面でチュンチュン弾けた。
全然ダメージ入った様子ないぞ。
「えっあのこれ」
「……参ったわね。こんなことから普段から鍛えておけばよかったわ」
管理人さんはアッサリ白旗をあげた。
うそだろ。
木彫り猫が口を開いた。
ギザギザの歯とザラザラの舌がグングン迫ってくる。
さすがに死んだか、これ。
「ナウシズ!」
俺でも管理人さんでもない叫び声。
ビルの外壁から真っ黒い手が無数にニョキニョキ生えてきて、木彫り猫を拘束した。
「いいざまね、勇者サマ」
声に振り返ると、銀髪豊満美女がいた。
「あらあ、久しぶりじゃない、フィリス・ウィンター。わたしがひきちぎった四肢はもう生えたみたいね」
「二百年かかったわ」
あれ、聞いたことある名前だぞ。
園長先生じゃん。
管理人さん、知り合いだったんだ。
「キシャアアアア!」
「ハガラズ」
園長先生が呪文を唱える。
空中に氷の塊がいくつも出現し、拘束された木彫り猫をスイスチーズにした。
「ありがとう……でも一統のあなたが、どうしてわたしたちを助けてくれるの?」
「借りを返しただけよ。これで心置きなくあの子を殺せるわ」
強者っぽいセリフを口にした園長先生は、手をがちゃがちゃっと振って空中に渦巻く虚無を出現させ、その中に入っていった。
「うふふ、なつかしい顔を見たわね。さ、急ぎましょうか」
「え、あ、はい」
なんだろう、これ。
はじめて冒険の当事者になったのに、何もかもが巻きで進行してるせいで完全に置いてきぼりだ。
いや、置いてきぼりの方がありがたいんだけどさ。
ABCマートの残骸から靴をゲットした管理人さんは、ガレキの山をどんどん昇っていった。
俺は手を擦り傷だらけにしながら、必死でついていった。
必勝の武器、竜喰らいを腰に帯びて。
ガレキの山を乗り越えると、そこは更に悲惨なことになっていた。
横倒しになった横浜線の車両。
車両に詰まった人間だったものをほじくりだそうと、窓をつつくワイバーン。
かつてルミネとマルイと町田駅の駅舎だった建物はぺしゃんこで、ガレキの隙間からどす黒い煙が立ち上っている。
ヨドバシカメラだったところは、ドラゴンボールでしか見たことがないようなクレーターになっている。
「はっはっは! いいじゃないか! こういうのを待っていたんだ!」
と、クレーターから元気よくイースが飛び出してきた。
鎧はヒビだらけで、顔面の左半分は血まみれだ。
なんかその、顔から垂れさがってる血みどろのそれ……もしかして眼球?
「イース」
「待って、サンマルイチ号さん」
飛び出そうとした俺を、管理人さんが止めた。
「ルーンブレイブスラッシュ!」
イースが空中で必殺技を放つ。
爆発音の次に熱風が吹き付け、転がり落ちかけた俺の手を管理人さんがキャッチしてくれた。
塵埃が晴れると、クレーターがもう一つ増えていた。
「さすがですね、メイズイーター! しかーし! バーチャル冥界王ヴェルガシオンにはあ! 六万人の臣下さんがついているんですからあ!」
さっきのVチューバーっぽいやつが、クレーターの底に立っていた。
見たところ、なんのダメージも折っていない。
チャンネル登録者のことを臣下って呼ぶタイプなんだ、バーチャル冥界王ヴェルガシオン。
「濤竜の型ッ! 紅花栄ッ!」
ルールーが背後から切りつけ、カタナの軌跡には黄色くてキラキラした無数の小爆発。
「甘いっ! です!」
バーチャル冥界王ヴェルガシオンは、人差し指でルールーのカタナを止めた。
「さあ、ぶっ殺すですよお!」
バーチャル冥界王ヴェルガシオンの全身が漆黒のオーラをまとう。
明らかに、なんらかめちゃくちゃヤバい攻撃の待機時間だ。
「愛づる生命…葬る土…凍る時…時…時…! 停止する世界! ゼルス・アプソリュートゥム!」
マイアの詠唱が響き、バーチャル冥界王ヴェルガシオンの動きが止まった。
「むーむむむ! 動けないです!」
「ルールー、イース、退いて!」
アルセーの声に、イースとルールーが跳んだ。
着地点には、アルセーとマイア。
「エアーによる福音書第三章第五節より! ささげものの羊!」
アルセーがモーニングスターを振ると鈴の音が鳴り、イースとルールーの傷が修復された。
「はっはっは! 強いね! このボクが負けるかもしれないなんてね!」
「まったく……笑いごとじゃありませんよ」
「でも…強い…」
「にゃー、本気の一撃が指で止められちゃった」
「こんにちはー」
管理人さんが、近所に挨拶するみたいにスッと入っていった。
俺も慌てて追っかける。
「ええ!? 管理人さんに、ご主人!? なにしに来たんですか!」
「いやちょっと、君ら忘れ物してたみたいだから」
俺は包丁をイースに渡した。
四人は、え、なにそれ、みたいな顔をした。
「え、なにそれ。話が違くないっすか」
俺はびっくりして管理人さんを見た。
「竜喰らいといえば、若い子たちにも分かるかしら?」
管理人さんが言うと、四人は、え、まじっすかみたいな顔をした。
「竜喰らいといえば、伝説のアーティファクトじゃないか。リンヴァース開闢の際、この世の全ての邪悪を封じたという……ま、まさか、あなたは!?」
イースが百点満点のリアクションをした。
「あなたは……勇者ミルガルデヴャルドだとでもいうのか!?」
え、だれ、知らない。
知らないからなんの感動もないし、しかも名前がまったく頭に入ってこない。
「ええ、そうよ。これこそは折れたる竜喰らい。あのとき、わたしは一人だった。冥界王ヴェルガシオンを封印することしかできなかった。けれど、あなたたちは四人。その絆の力があれば、きっと冥界王ヴェルガシオンを完全に葬り去ることができるはず……そう、勇者ミルガルデヴャルトの届かなかったところまで、あなたたちなら、きっと」
管理人さんがめちゃくちゃ早口でまとめはじめた。
巻きでいかないと、いつまた冥界王ヴェルガシオンが動き出すか分からないからな。
気付けばメイズイーターの四人が、俺を見ていた。
え、俺もなんか言わなきゃなんないの。
いいよ別に、もうまとまったし。
さっさと冥界王ヴェルガシオン倒しなよ。
巻いていこうぜ。
だが四人は、じーっと俺を見ていたのだ。
参ったな。
「あー……」
とくに言うべきことなんてなかった。
だって、別にいつも通りだったからだ。
コイツらがメチャクチャやって、俺がなかば諦めて、だからこれは、いつも通りだ。
「腹すかせて来いよな」
だから俺はいつも通りのことを言ってやった。
メイズイーターの四人も、いつも通りに笑った。
「今日こそはゴジラVSキングギドラを観ようじゃないか」
「えー? 新しいブロリーのやつ観ようよー」
「絶対にサメの生態です! だってサメなんですよ!」
「るふ…るふ…魔王…マグロナ…」
いつものようになにを観るかで軽く口げんかして、
「それじゃあ、行ってきます!」
声を張り上げ、冥界王ヴェルガシオンに向かって突っ込んでいった。
たちまち大爆発が起こって、分厚い塵埃が俺とメイズイーターを分断した。
「さあ、わたしたちにできることは残っていないわ。帰りましょう」
未練がましく突っ立っていた俺の肩に、管理人さんの手が置かれた。
「……そうっすね。料理つくんなきゃだし」
俺がそう言うと、管理人さんはにっこりした。
「うふふ、サンマルイチ号さんはえらいわね」
頭ぽんぽんされた。
おっさんだけど今日はがんばったし、頭ぽんぽんぐらいいいよな。
◇
あのとんでもない戦いから数年。
町田は完全崩壊し、俺の働いていたクソみたいな会社の本社も粉みじんになって消えた。
ざまあみやがれ。
バーチャル冥界王ヴェルガシオンはツイッターも止まったし配信も無くなったので、たぶん、メイズイーターが勝ったんだろう。
実家に戻った俺は、貯金と失業保険が尽きるまでダラダラした後、なんやかんやで、親の居酒屋を継ぐことになった。
あれからメイズイーターは戻って来なかった。
五体満足で帰って来いよな。
牛ハツを三十時間も低温調理したっておいしくなんかならねーよ。
「へえー、今日は鍋島入ってんのか。いいセンスしてんねえ、大将」
カウンター越しにお客さんに話しかけられ、俺はにっこりした。
大将とかご主人とか言われると、今でも、ちょっとどきっとする。
「純米吟醸、ちょっと良い値段しますけどね。梅水晶といっしょにどうっすか」
「んじゃそれ、冷やでね」
「常温ですね」
酒を注いだら、冷蔵庫から小鉢を取り出して出す。
お客さんはうまそうに食ってくれる。
このお客さん、犬歯しかないからこういうチマチマしたの食うの大変そうだな。
なんの獣人なんだろう。
アラスカンマラミュートっぽいな。
「大将、今日はヤバかったぜ。十五層でフェアリーの群れとエンカウントしちまってさ」
獣人のお客さんはバハムートの軟骨でつくった梅水晶をつまみながら、冒険話に花を咲かせる。
日本はなにもかも変わった。
あの戦いの後、あっちこっちにポータルが開いてしまったのだ。
ポータルを通じてリンヴァースとこっちを行き来する者が現れ、なし崩しの事後承諾で法整備が進み、リンヴァース大使館が作られ……
まあ色々あったけど細かいことは割愛、とにかくこの『居酒屋さんまるいち』には、ダンジョン帰りの冒険者が集まっている。
ヒト、エルフ、ニンフ、けも耳、アラクネ、なんか昆虫っぽい顔のやつ、不定形のやつ。
なんでこんなに冒険者が集まるかというと、居酒屋さんまるいちは、世界でも未だ珍しいモンスター料理のお店だからだ。
食材調達は、千五百年ぶりに冒険者に復帰したミルガルデヴャルド……元管理人さんに一任。
お金を出そうとすると、
「いいのよお。わたしの修行がてらなんだから」
と頭ぽんぽんされてしまった。
これはあんまりうれしくないので、いつかなんとしてでも金を払うつもりだ。
とにかく冒険者たちは迷宮帰りに俺の店にやってくるし、
「今度は百層にアタックするぜ! アーティファクトを持ち帰るんだ!」
「おう、やったれやったれ! 死んだら装備を剥ぎに行ってやるよ!」
「ガッハッハ! 儂の鍛えた剣なら邪竜の首も切り落とせるだろうとも!」
とか騒々しい。
そして俺は、この騒がしさをとっくに居心地良く感じている。
「ところでよお、大将」
大分べろべろの獣人が話しかけてきた。
「あっちのテーブル席、いつも予約席だよな。誰かが飲んでるとこ見たことねえしさ」
「あー、それ聞いちゃいます?」
「意味深すぎてずっと気になってたんだ。聞かせてくれよ。一杯おごるぜ」
「あざーっす。まあ、色々あったんすけどね」
そして俺は、俺の冒険話に花を咲かせる。
冷蔵庫から取り出した、ストロングゼロを片手に。
そのとき、ボロい引き戸がからからっと音を立てて開いた。
「はっはっは! クラーケンだと思ったらアザトースとはね! しかし、ボクたちには一歩及ばずだ!」
「るふ…るふ…弱い…造物主…」
「まったく……無茶しないでください。破壊された存在の根底を、だれが治すと思ってるんですか」
「いにゃー参ったね。直視した瞬間に発狂するとは思わなかったよ」
鎧とかローブとか来た連中が、どやどやと入ってくる。
頭がおかしくなりそうな光景だ。
俺は笑って、ストロングゼロを飲み干す。
あー、これだねこれ。
これがなきゃ始まんないとこあるね。
久しぶり、メイズイーター。
さあ、呑もう。
ブリング・ミー・ザ・ヘッド・オブ・メイズイーター おしまい
そしてここで『迷宮と宅呑み』もおしまい! お付き合いありがとうございました。




