ロック・ストック・アンド・トゥー・スモーキング・カーバンクルサンクチュアリ④
生き残りたちは、死体を深く埋めてから野営をはじめた。
(クソッ……考えろ。目の前にいやがるのはバケモノだぞ。どうすれば生き残れる?)
キイロスイショウカーバンクルを抱きながら、ハルは頭をフル回転させた。
S級冒険者パーティ【メイズイーター】のリーダ-、イース・フェオー。
大イスタリ宮三百層以降の大深部で笑いながらハックアンドスラッシュを繰り返す狂人。
まともに戦えば、一秒かからず挽肉にされる。
「……兄貴。ハル兄貴。考えがありやす」
アルが耳打ちした。
「バルタンを使いやしょう。あいつを殺して死体をその辺に放り出すんです。仲間意識! 怒り狂ったイースが犯人捜しをしている間に、おれたちはキイロスイショウカーバンクルを持ってトンズラするんです」
「……どうやって気付かれずにバルタンを殺す」
「酔わせて、眠らせるんです。そのスキにバルタンを」
ハルはごくりと息を呑んだ。
あまりにもハイリスクだが、やるしかない。
「……分かった」
ハルは顔を両手でぴしゃっと張った。
手をどけたとき、ハルの顔にはよそいきの笑顔が浮かんでいた。
「イース! イース・フェオー! あんた、酒呑みだそうだなあ! どうだい、一つ飲み比べといこうじゃないか!」
「ほう! それはいいね! 実はとびきりのお酒を持ってきたんだ! 異世界産だよ」
イースが取り出したのは、ストロングゼロだった。
かしゅっ。
ぐいーっ。
(ううっ……なんだこりゃ! うますぎる……! 冷えてやがって、甘みが、香りが……!)
生まれてはじめて呑む異世界の酒に興奮したハルは、ストロングゼロを一気に飲み干した。
(なんて呑みやすさだ……たまらねえ……)
「はっはっは、良い呑みっぷりだね! さあ、どんどんいってくれたまえ!」
あまりの美味さに我を忘れて呑みまくったハルは、三缶目に至って異変に気付いた。
「こ、こりゃあ……き、効いてきやがった……」
呑みやすさと酔いやすさが比例していないことこそ、ストロングゼロのストロングゼロたる所以だ。
ハルはぼんやりしてくるのを感じた。
「はっはっは、いいだろう? さあ、もっといってくれたまえ!」
イースは次から次へとストロングゼロの缶を取り出した。
(クソッ! こいつはこのブルシットを何本抱えてやがるんだ……! いいぜ、飲み尽くしてやる……!)
ハルの知らぬことだが、イースのポシェットはマイアの収納魔法を介して町田の冷蔵庫とつながっている。
そして町田の冷蔵庫には現在、ふるさと納税によって得たストロングゼロが無尽蔵に詰まっているのだ。
「グッ……も、もう、だめだ……」
七本目のストロングゼロに至って、とうとうハルはその場に倒れた。
「あ、兄貴ー!」
「……ッス!」
アルとゴアがハルに駆け寄る。
「バルタン! 来い!」
アルに怒鳴られ、バルタンは慌ててハルに駆け寄った。
「いいか、バルタン。ハル兄貴のことを話したら……」
「……ッス」
アルとゴアに小声ですごまれ、バルタンは青ざめた。
「そ、そんな……おれには、そんなつもりは……」
「死にたくなけりゃ協力しろ。イースから逃げられたら、兄貴と親分にてめえの手柄を話してやる。約束だ」
「お、おれは」
「やるしかねえんだ。バルタン、おれたちは、やるしか」
アルは尋常ならざる真剣な表情でバルタンに告げた。
本気だった。
アルもまた、生き残りを賭けて戦う戦士なのだ。
「大丈夫かい? バル、うつぶせにしてあげた方がいいよ」
「あ、ああ、ありがとう、イース。そうだな。ちょっと、夜風に当てて来るよ」
アル、ゴア、バルタンの三人は、酔いつぶれたハルを抱えてイースから遠ざかった。
その後を、キイロスイショウカーバンクルがよたよたとついていった。
◇
「いいか、これはオマエに対して誠実であろうってつもりで話すが、おれたちはさっき、オマエをぶっ殺してイースへのエサにしようとしていた」
「お、おれを……?」
「そうだ。だが無理だと悟った。イースの野郎、いささかもスキを見せやがらねえ。酒を飲んで笑いながら、周囲を観察してやがる」
「……ッス」
「それは、そ、そうだったのか。気付かなかった」
「てめえみたいなウスノロに気付けるかよ。おれは冒険者時代、アサシンだった。B級のな」
バルタンは目を丸くした。
規格外であることを示すS級に比べれば霞んで見えるが、B級は冒険者の位階として十分に高い。
おおむね百層前後への到達を可能とし、トレジャーハントだけで財を為せるのがB級冒険者だ。
「意外だったか? そんなヤツが、くだらねえチンピラの手下をやってるのが。だったら聞かせてやるぜ。なぜおれが――」
アルは、バルタンがどこか遠くを見ていることに気付いた。
思わず視線を追った。
振り返ると、そこには不定形のどす黒い肉塊があった。
タールのような表面は常に流動し、骨や髪が浮かび上がっては沈んでいった。
「な、なんだ、こりゃあ……?」
ぼおおおおお――
それが、鳴いた。
周囲を揺るがすような重低音だった。
「チイッ!」
アルはバルタンに体当たりを仕掛け、突き飛ばした。
直後、不定形の塊から伸びてきた触手が、アルの体に巻き付いた。
「あ、アル!」
触手がビュルビュルと音を立てて縮み、アルの下半身が肉塊に埋もれた。
「ゴア! 兄貴を連れて逃げろ!」
「……ッス!」
ゴアはハルを抱え上げ、走り出した。
「ぼさっとしてんじゃねえ! てめえもだ、バルタン!」
アルはナイフを引き抜き、肉塊に切りつけた。
触手は切りつけた側からくっついた。
「ちくしょう、なんだコイツは! こんなモンスターがいるなんて……!」
突き立てたナイフが肉塊に呑み込まれる。
アルは首を曲げてバルタンを見下ろした。
「いいか、バルタン! 聞け! おれが冒険者を辞めたのは――」
最後まで言い切らぬうち、アルの矮躯が肉塊の中に沈んだ。
「あ、あああ……」
恐慌を来したバルタンは、膝を震わせて動かない。
「ガボッ!」
ナイフを手にしたアルの体が、肉塊から浮上する。
「てめえみてえなウスノロを助けて、モンスターに両脚を吹っ飛ばされちまったからだよ!」
アルは膝にナイフを突き立てた。
義足が外れ、アルの体が地面に落下した。
両膝から下を失ったまま、アルはモンスターに対峙する。
「バルタン」
振り向いたアルが、にやりと笑った。
「ハル兄貴を……頼んだぜ!」
その言葉が、バルタンを目覚めさせた。
アルに背を向けたバルタンは、振り返らずに駆けだした。
「来やがれ、化け物! 一寸刻みにバラしてやるぜ!」
それがアルの最期の言葉だった。
◇
バルタンは死にものぐるいで走った。
気付けば野営地までの道のりを見失い、深い森の中にいる。
ここがどこだか、バルタンには分からなかった。
「ハア……ハア……! ちくしょう、なんで! なんだってこんな……うわっ!」
なにかにつまづいて、バルタンは転んだ。
土を握りしめて、目を閉じた。
このまま眠ってしまいたかった。
「ああ……無理だ……」
「きゅうう?」
「いたっ!」
髪を引っ張られ、バルタンは顔を上げた。
額に黄色い水晶をくっつけた、不細工なドラゴンがいた。
立ち上がったバルタンは、おずおずと、カーバンクルを拾い上げた。
ふわふわしていてあたたかく、ずっしりと重い。
生き物の臭いがする。
「う、ううう……」
バルタンは戸惑った。
このまま逃げ出して、キイロスイショウカーバンクルをどこかに売り込めば、一生遊んで暮らせるだけの財産を得られる。
だがそれは、自分を守って死地に残ったアルの思いに背く。
自分を信じるイースを裏切ることになる。
「ど、どうすりゃいいってんだ、どうすりゃ……」
「きゅううう?」
腕の中で、生き物が鳴いた。
鳴くたびに、小さくふるえた。
バルタンはカーバンクルを見下ろした。
――なあイース、うさぎの巣の根っこには、たくさんのうさぎがいるみたいだぜ。さっき聞いたんだ。見てみたくないか?
――はっはっは、たくさんのうさぎか! かわいいだろうな!
――それにさ、ここにいたら他の子どもにいじめられたりするかもしれないだろ? だからうさぎに、どこかに逃げるよう言いたいんだ。
――なるほど。それじゃあボクたちの出番だね! よし、勝つぞ!
――……うん! ありがとう、イース!
幼い頃の記憶だった。
そうだ、うさぎを見たかったのではない。
無力な生き物が、無思慮な連中に踏みにじられることを考えて、耐えられなかったのだ。
だからバルタンは、うさぎに声をかけたかった。
逃げろ。
生きてくれ。
「きゅうう」
カーバンクルは安心しきったように目を細め、バルタンに体を預けている。
その無力な命のいとおしさを、バルタンは感じている。
「……行こう」
バルタンは、やわらかな体をしっかり抱きしめ、駆けだした。
ぼおおおおお――
重低音が響いた。
木々が倒れる音が、急速に近づいてきた。
あのモンスターだ。
バルタンを追いかけ、ここまでやってきたのだ。
「あああああ! クソックソッ! 走れ! 走れええええ!」
バルタンは泣き叫びながら必死で走った。
ビュルルルル!
地を這う触手がバルタンの足首に巻き付き、体を引き倒した。
バルタンは身を捻り、カーバンクルを守るようにして仰向けに倒れた。
ぼおおおおお――
バルタンの体が、急速に引っ張られる。
不定形の肉塊の表面上を、さまざまなものが流れていく。
「ああああああ!」
バルタンは絶叫した。
頭の半分を失ったアルの体が浮かび上がり、その力なき瞳がバルタンを見ていた。
バチュン!
肉塊の一部が飛び散り、体表面に同心円状の波紋が走った。
触手がアルの足首から離れ、モンスターの体に戻っていった。
「よぉーくやったじゃねえか、バルタン!」
ハルの声だった。
「はっはっは! バル、さすがだね!」
イースの声だった。
悪夢コキュートスの生き残りを引き連れた二人が、魔法銃の銃口をモンスターに向けていた。




