異世界オブザデッド⑥
後陣はめちゃくちゃに荒らされていた。
床はずたぼろで、無数の死体が転がっている。
「やはり、穴は後陣にあったのだな」
デルトンが言った。
中心に向かって渦を巻く虚無が、後陣の中心に口を開けていた。
「……はやく、封印しなくちゃ」
アルセーはよろよろと立ち上がった。
爆風はアルセーの服を焼き、皮膚を焦がしていた。
ほとんど炭化した左足を引きずるように、アルセーは後陣めがけゆっくりと歩む。
「後ろは僕と父さんが守る。頼んだぞ、アルセー」
「はい」
うつろな声で返事をして、アルセーは進んだ。
爆轟の残響は耳の奧で不快な金属音として響いている。
視界がちかちかと明滅する。
前だけを見て進むアルセーの背後。
その襲撃は、アルセーにとって無音だった。
デルトンの体が真っ二つになり、上半身が宙を舞った。
切断面から大量の血が噴き上がり、アルセーめがけて降り注いだ。
(雨? ぬるい、雨……雨季にはまだはやいのに……)
アルセーは血を浴びながらまっすぐに進んだ。
ふところから聖別魔力石を取り出し、虚無の縁に沿って並べていった。
「……さんッ! ――セーさん!」
はるか遠くから、ラーズの声が聞こえた。
デルトンを殺した影が、アルセーに近づいた。
(雨季は好き……ゆっくり本を読んでいられるから……)
「あー……うー……」
「えっ?」
振り向いたアルセーの左腕が、付け根から吹っ飛んだ。
「エアーによる福音書第三章第五節より! ささげものの羊!」
アルセーを救ったのは、S級冒険者としての経験だった。
彼女はとっさに飛び退きながら奇跡を行使した。
リンヴァース随一のヒーラーが着地したとき、全ての傷は癒えていた。
強大すぎる奇跡の代償に、ガラスの鈴が粉々に砕け散った。
「あー……うー……!」
宝冠を背負ったグールが、アルセーの着地を狩るミドルキックを繰り出す。
防御を固めたアルセーの前腕に、鋭い蹴りが突き刺さった。
「んんんっ!」
後方に吹き飛んだアルセーは落下するネコのように身を捻り、壁に着地して顔を上げる。
「レーザック大司教……!」
リンヴァース教区の全てを統括する聖人中の聖人、レーザック大司教その人がグールと化していた。
(ラーズさんは無事……デルトンさんは……ああ、ごめんなさい。わたしがもっとはやく気付いていれば……)
状況確認を済ませたアルセーは、壁を蹴って急上昇、更に天井を蹴って加速すると、
「ハイー!」
スピードを乗せた渾身の蹴りをレーザック大司教グールにお見舞いした。
「うー……!」
レーザック大司教グールは権杖を突き上げて蹴りを受ける。
「ハイ! ハイ!」
アルセーは権杖の先端を蹴って跳ね上がり、空中一回転して踵落としを繰り出した。
「うっ!」
これもまた、権杖によって弾かれる。
アルセーはとんぼを切って着地し、レーザック大司教グールと向き合った。
「うっ!」
レーザック大司教グールが回し蹴りを繰り出す。
「ハイッ!」
アルセーは宙返りで回し蹴りを回避する。
「うっ! うっ! うっ!」
回し蹴り、回し蹴り、回し蹴り。
「ハイ! ハイ! ハイ!」
宙返り、宙返り、宙返り。
「あー!」
レーザック大司教グールが権杖を振り下ろした。
「ハイー!」
アルセーは転がっていた椅子を蹴り上げ一撃を受け止めんとするが、木製の椅子は一撃で粉々に砕かれた。
「……やはり、大司教! 強いッ!」
「あー!」
水平に薙ぐ権杖の一撃を飛び跳ねて回避し、背中から着地する。
「うー!」
まっすぐに振り下ろされる権杖をかかとで受け止め、両足で挟み込む。
「ハイ!」
権杖を挟み込んだ両足を横に倒して、アルセーはレーザック大司教グールから権杖を奪い取った。
「フー……」
立ち上がったアルセーは棒をひゅんひゅんと鳴らして重心を確かめると、
「ハイ、ハイ、ハイ、ハイ、ハイー!」
怒濤の如き突きの連打で、レーザック大司教グールを一気に追い詰めていった。
「いいぞッアルセーさん! 大司教と対等に戦えているッ!」
興奮したラーズが叫んだ。
「ハイ! ハイ!」
「うっ! うっ!」
斜めから打ち込まれた権杖を、大司教が腕で受ける。
アルセーは大司教の腕を軸に棒を跳ね上げ、その顎を撃ち抜く。
「ハイ-!」
のけぞった大司教の喉めがけて繰り出された権杖は、体を横に開かれて回避される。
「あー!」
大司教が権杖を掴もうとするも、
「ハイ!」
アルセーはその場でぐるりと回転し、権杖で大司教の後頭部を打った。
「うっ……」
よろめいた大司教の首筋が剥き出しになる。
「はあああああ……ハイイイイイ!」
アルセーは膂力の全てを権杖に篭め、大司教の延髄めがけ振り下ろした。
「うっ……!」
切断された大司教の首を、アルセーは権杖で打った。
首は放物線を描き、渦巻く虚無に吸い込まれていった。
「はぁ……はぁ……」
肩で息をしながら、アルセーは迷宮に続く穴に近づいた。
聖別魔力石を、権杖で打つ。
魔力石同士が輝線で繋がる。
「ゴホッ、ゴホッ……アルセー、さん……」
ラーズの弱々しい声が、アルセーに近づいた。
「すぐに、終わります。そうしたら、みなさんを蘇生させましょう」
アルセーは振り返らずに応じた。
封印結界の発動までは数十秒ほどかかる。
触媒を聖別魔力石に押し当て続け、奇跡を蓄積しなければならない。
「ち、ちが、うー……あー……るせー、さん……」
「くっうううっ!?」
アルセーは首筋に激痛を感じた。
筋繊維の引きちぎれる音が、体内に響いた。
「あー……うー……」
ラーズが、アルセーからむしり取った肉を咀嚼している。
その肌は、青い。
「そんな……いつ……」
アルセーは、トリアの言葉を思い出した。
――マルシェのときってさ、大陸中から人が来ンじゃん? リンヴァース人ならかかンないような病気も、田舎モノならなっちゃうってワケ。逆もあるけどさ
「ああ……最初から……」
あの咳は、グール化の病の徴候だったのだ。
田舎から出てきたラーズには、グール化への抵抗力を持っていた。
だから、ここまで持ったのだ。
そして、ここで限界を迎えたのだ。
「あー……うー……」
アルセーの首肉を咀嚼し終えたラーズが、のろのろと近づいてくる。
「ごめん……なさい!」
アルセーは権杖を重さに任せて振り下ろし、ラーズの頭を叩き割った。
そのまま、倒れ込んだ。
「まだ……まだ、終わってない」
権杖にすがって、立ち上がる。
「あー……うー……」
「ウバァー……ウゥー……」
「あっ」
「うっ」
グールの残党が、後陣になだれこむ。
アルセーはグールに背を向け、聖別魔力石に権杖を押しつけた。
マジカル・グール・マッサカー作戦は、アルセーの生存が前提となっていた。
類いまれなるヒーラーたるアルセーによる百発百中の蘇生奇跡があるからこそ、グールを容赦なく八つ裂きにできたのだ。
アルセーは意思決定した。
なによりもまず、迷宮に続く穴は閉じなければならない。
たとえグールに貪り食われ、その後の蘇生がならずとも。
「あー……うー……」
「うっ! うっ!」
肩を掴まれて、服をはぎ取られる。
剥き出しの肩に、背中に、腕に、グールが歯を立てる。
アルセーは微動だにしない。
意識の混濁をアルセーは感じる。
血を流しすぎたからなのか。
それともこれがグール化なのか。
(だめ……間に、合わない)
無数のグールが新鮮な肉を求めてアルセーにのしかかる。
アルセーの意識が、静かに途切れる――
「…跳ねる高揚…尊ぶ翼…古い牙…」
「天竜の型――」
「ソーン! カノー! フェオー!」
聞き慣れた三つの声を、アルセーは死に際の幻聴だと思った。
「…群れる獣…鳴らす爪…爪! 爪! 刈り裂く爪! フェルセム!」
「――雷乃発声!」
「ルーンブレイブスラッシュ!」
ノイズのような爆音が響いて、アルセーにかかっていた圧力がたちまち消失した。
顔を上げる。
「はっはっは! なんだか分からないが間に合ったようだね!」
「にゃっ! あるちゃんをいじめてた! ころーす!」
「るふ…るふ…あとかたも…なく…」
無数のグールがきれいさっぱり消滅し、メイズイーターの仲間たちがいた。
「ど、どうして……ここに……」
「三人でトレハンしていたら、ポータルを見つけてね。飛び込んでみたらここに出たというわけさ」
アルセーは唖然とした。
たしかに三人は、サバティカルを利用してハクスラとトレハンに挑んでいた。
「まったく……むちゃくちゃです……」
しかし、とりあえずでポータルに入るなど、本来であれば絶対に避けるべきだ。
一秒後、壁の中にいる自らを発見するかもしれないのだから。
「いにゃー、ランダムイベントは当たれば大きいからねえ。ついつい迷わず突っ込んじゃったよ」
「るふ…るふ…ルートボックス…たのしい…」
「はっはっは! いいじゃないか、ボクたちの勝ちさ!」
アルセーは全身から力が抜けるのを感じた。
「あの……お願いがあります」
「お、どしたどした?」
「封印が終わったら……わたしを、縛ってください」
「あー、グールになっちゃう感じ?」
ルールーの問いに、アルセーはうなずいた。
「ボクに任せて、アルは安心してグールになりたまえ! ここはなんとかしておくからね!」
イースが力強く断言した。
「まったく……なんですか、それ……」
アルセーは苦笑した。
まあ、実際になんとかなるのだろう。
ただならぬ安堵感と、金縛りのような不快感が、アルセーの全身を包んでいく……




