異世界オブザデッド③
「そうか……僕の手紙を読んで、リンヴァースまで」
「こんなことに巻き込まれるとは、思っていなかったがな」
落ち込むデルトンの背中を、ラーズはぽんと叩いた。
「いいこともあった。おかげで息子の晴れ姿を見られた」
「父さん……」
デルトンは照れくさそうに笑った。
「デルトンさん、奥の様子は?」
「全滅だ。大司教猊下もグールと化した」
「そうですか……レーザック大司教も……」
「まさか、教区司祭が一同に会するタイミングでこのようなことが起こるとは……」
「そッか。今日って聖別日だったっけ」
トリアの言葉に、デルトンはうなずく。
「黒曜石に奇跡を行使し、聖別魔力石とする――リンヴァースの主要産業の一つだ。そのため、奇跡を操れる者が聖堂の後陣に集まっていた」
きょとんとするラーズに、デルトンは説明した。
「僕は偶然、席を離れていた。戻ってきたときにはもう……僕にできるのは逃げることだけだった。これからどうしたものか……」
「デルトンさん、聖別魔力石はお持ちですか?」
「ああ、いくつか。アルセー、なにか策が?」
アルセーはうなずいた。
「聖堂の門を結界で養生し、一人も出られないようにします。もちろん、入ることも許されないように。そして、聖堂内のグールを殲滅します。名付けて“マジカル・グール・マッサカー”作戦です」
「うっそでしょ? できるわけないッて」
トリアは唖然とした。
こちらは四人、相手は数千人だ。
「でも、やるしかありません。このままでは、グール化がリンヴァース中に広がってしまうんです」
「……やろう」
デルトンがアルセーの案に賛意を示し、歩き出した。
「むーりー。無理だッて。死ぬっしょ普通に」
トリアは、デルトンを追いかけながら悪態をつく。
「いや、僕にも考えがある。グール化の根本原因についてだ。アルセー、君はこの件についてどう思う?」
「大聖堂のどこかで、大イスタリ宮深部と繋がるポータルが開いたのかと」
デルトンはメガネを持ち上げた。
「繋がったのか、繋げられたのか……いずれにせよ、ミアズマを希釈するほどの迷宮大気が聖堂内に満ちているのだろう。ポータルを塞ぎ、グール化の根を断つ」
「それでも、グール化した相手は殺さなくちゃですけどね」
「もっと難しくなってんじゃン!」
「フッ……即断即決は短慮に繋がるぞ、トリア。根を断てば、グール化する人間は増えない。とすれば、ショーギのメソッドだ」
「うっわ、デルトンのめンどくさいとこ出てきた」
「殺して蘇生すれば、グール化は解除される。強力なグールを打倒すれば、我々の味方になってくれるということだ」
「あ、あー! ンなるほどッ! イーじゃんそれ!」
「ええ。でも、その前に」
柱廊の並ぶアトリウムを見下ろす大階段に、四人は差しかかった。
だだっぴろいアトリウムには、大量のグールが徘徊していた。
「ここを切り抜け、結界を張らなくちゃですね」
トリアが、ごくりと息を呑んだ。
「あー……うー……」
背後から迫るグールが、四人に追いついた。
「駆け抜ける他ないな。アルセー、これを」
デルトンはガラスの鈴をアルセーに投げ渡した。
「“雲をたがやすけもの”の奇跡は?」
「子ども向けの、それも外典じゃないですか。現職の方がそんな奇跡、いいんですか?」
「フッ……田舎者なのでね。父さんに読み聞かせてもらったのは、それだけさ」
アルセーはにっこりした。
「やりましょう、デルトンさん」
「よし。息を合わせるぞ」
アルセーとデルトンは鈴を鳴らし、声を合わせて奇跡を唱えた。
「としよりドラゴンとまいごのエルフ、第八章より――」
ふたりを中心に同心円状の衝撃波が生じ、迫り来るグールを吹き飛ばした。
階下のアトリウムをふらつくグールが顔を上げる。
「うっ! うっ!」
「うっ! うっ!」
「うっ! うっ!」
呼びかけが木霊する。
「あー……うー……!」
獲物めがけて、グールの群れが大階段に殺到した。
「うわッめっちゃ来てる! めっちゃ来てるッて! やば! やばー! 無理!」
互いを押しつぶし合いながら、グールの群れは大波のように大階段を駆け上がった。
瞳を閉じて集中するアルセーとデルトンの眼前に、一体の観光客グールが迫る。
「――雲をたがやすけものッ!」
柱廊のように太い一本の棒が、観光客グールを踏み潰して床のシミに変えた。
それこそは、デルトンとアルセーの奇跡が生み出した幻獣の逞しい前脚である。
犀のような、がっしりした肉体と太い四肢。
低く垂れた巨大な頭の鼻先には、横並びになった七つの回転刃。
耕す獣、カトブレパス。
「これほどのものが。アルセー、あなたの力はやはり凄まじいな」
「大したことじゃありませんよ。さ、みなさん、乗ってください」
四人はカトブレパスの背中に飛び乗った。
「行けッ!」
アルセーが背中を叩く。
「ゴモオオオオオ!」
カトブレパスは大きく吠えて前脚で地面を引っ掻き、グールですし詰めになった階段に突っ込んだ。
「あー……うががががががががが!」
鼻先回転刃に巻き込まれた娼婦グールがミンチと化す。
「うっ! うぶっ!」
逞しい脚に踏みつぶされた靴屋グールが内臓をまき散らす。
「うっ! うっ!」
司祭グールを踏み台に這い上がってきた染物屋ギルドマスターグールが、
「っぜンだよ!」
トリアの錫杖の一撃で脳天破砕し、落下する。
カトブレパスはグールをかき分けながら階段を下りきった。
「ゴモッ……ゴモオオオ……」
威嚇するように、前脚で床をひっかく。
「ゴモオオオオ!」
カトブレパスが突進した。
グールたちは海が割れるように左右へと逃げていく。
創造神が混沌に沈んでいた大地をカトブレパスに耕させたという、創世神話の光景を再現するかのようだった。
逃げ遅れたグールが潰され、はね飛ばされ、切り刻まれていく。
「すッご! 最強じゃンね!」
トリアが狂的な笑い声をあげ、手を叩いた。
バッゴォオオオオン!
凄まじい音を立てて、目の前の柱廊が倒壊した。
カトブレパスは転がってくる柱廊を飛び跳ねてかわし、強く踏みしめた右前脚を起点に百八十度ターンした。
「ウバァー……ウゥー……」
身の丈五メートルを越えるオーガグールが、へし折った柱廊を肩に担いでいた。
数十体の随伴グールを引き連れたその姿は、戦場で敵に圧倒的恐怖を与える巨人兵器さながらである。
「ウバァー……!」
オーガグールが柱廊で前方を振り払う。
百体ほどのグールが血霧と化す。
カトブレパスは、鼻先回転刃で床をけがくほど頭を低くして、じりじりと後退を始めた。
本能で、オーガグールに勝てないと悟ったか。
「あー……うー……」
「うっ!」
「うっ!」
グールたちが、じりじりと包囲網を狭めていく。
「ちょッと! 奇跡奇跡!」
トリアがデルトンの肩を揺さぶる。
「一度に行使できる奇跡は一つまでだ」
デルトンは歯がみしながら答えた。
「ゴホッゴホッ……あれが、あれば」
ラーズが咳き込みながら立ち上がる。
「ちょッと、おっさン!?」
伸ばしたトリアの手をすり抜けて、ラーズがカトブレパスから飛び降りた。
「なにッ……なに考えてンの!」
グールたちは、内臓まみれの床をつんのめりながら走るラーズに目を向けた。
弱いモノから襲うという、野生動物的なリスク判断である。
「ゴホッ! ゴホ! あれが……あれさえあれば!」
「父さん!」
「ばッか! アンタまで飛び降りたら終わりだッての!」
トリアがデルトンの腰に飛びついた。
「ゴホッ……ゴホーッ!」
ラーズが、テナントだった廃材の山に、頭から飛び込んでいく。
一体の煙草嗅ぎグールが、廃材に頭を突っ込み――
パァン!
破裂音が響いて、煙草嗅ぎグールがのけぞった。
首から上に、あって然るべきものがない。
煙草嗅ぎグールの頭部は、きれいさっぱり消え去っていた。
やや遅れて、ずたずたの傷口から血が噴水のように噴き出した。
煙草嗅ぎグールは奇妙なステップを踏むと、ばったり倒れて動かなくなった。
「あー……うー……?」
動揺した冒険者ギルド職員グールが、廃材の山に背を向けて駆け出す。
パン!
わずかに軽い破裂音が響き、冒険者ギルド職員グールの額の中心に穴が開く。
冒険者ギルド職員グールが倒れると、そこには、ラーズがいた。
その手には、銃口から魔法の青い硝煙を立ち上らせる、魔法短銃があった。
「ばん」
ラーズは、根っからの職人であることを思わせる、子どもっぽい笑顔を浮かべた。




